「にぃ」
「いち」
「どっかーん」
「なぜなに夜天光!!」
「こんにちはおひさしぶりはじめまして。 人にして人の道を外れし外道、遺伝子研究所襲撃者にしてA級ジャンパー誘拐事件実行犯の北辰だ。 さて本日は」
「さよなら」
「ちょっと待ったぁっ!」
「おおっ、昔なつかしちょっと待ったコール! ねると○ネタとはなかなかやるな、同志北辰」
「ネタが古すぎるわよっ。 ね○とんなんていまどき誰が覚えているっていうのよ」
「この際ねる○んはどうでもいい!」
「まったくよ。作者の歳が知れるわ」
「否、否、否だっ! なぜ私が進行役を勤めるのが駄目なのかを訊いているのだ!」
「あなたの授業なんて誰も受けたいとは思いませんから。 というか、このコンテンツの表題は『アルク先生の支那通史講義』でしょう。 あなたが解説したら文字通り羊頭狗肉になってしまいます」
「あ、そのことわざの語源は中国だったのよね?」
「はい、かの孔子も司馬遷も尊敬したという名宰相の晏嬰のエピソードです。 これから先はネタバレになるので説明しませんが」
「やっほー、みんなおまたせー」
「ホントにおまたせです。いったいなにやってたんですか」
「えへへー」
「……っ! だらしなく緩みきったその頬、恋する乙女に堕ち果てたその瞳! さてはまた遠野君の屋敷に忍び込んでいましたねこのあーぱー吸血鬼!!」
「えー、違うわよ。来てたのは志貴のほうだもん、私のマンションに」
「……どうやら、あなたとは今日ここで決着をつける運命にあったようですね」
「あのー、物理的手段による三角関係の解消はあとで好きなだけやっちゃってください。とにかく今は講義を始めるのが先決です」
「三角どころじゃすまないんだけどね。私が把握してるだけでも八角形にはなっちゃうもの。 まいっか。えーと、ルリだっけ? 金色の瞳どーし、仲良くやろーね」
「……そんなところに共通点を見出されても反応に困るのですが」
「じゃ、青髪のお邪魔虫に迷惑しているとことか? お互い恋人のフェロモン全開放出体質には苦労するわね」
「恋人……違います。 アキトさんとユリカさんは夫婦です。お邪魔虫はむしろ私のほうです(頬を染めながら、しかし寂しそうにうつむく)」
「えー、そんなの関係ないじゃない。私は志貴が誰を好きになったって、私が志貴を好きなんだから何の問題もないと思うけど。もちろんそのままで済ませておくつもりもないけどね。
人の恋路を邪魔する奴は、馬車馬の通り道に誘導して蹴り殺させるのよ」
「……(瞳の奥にくすぶっていた闘志の炎が燃え上がる)」
「うむ、まったく同感だ。略奪愛こそ真の愛よ! 及ばずながら我輩もこの猫の手にも劣る痩せ腕を貸し与えようではないか、同志ルリルリ!」
「なんちゅー不穏当な会話をしてるのよ、あんたら」
「右に同じ」
「お二人のおっしゃるとおりです! なんですかアルクェイド、青髪のお邪魔虫とは誰を指しているんですか! というよりもタイトルそのものが間違っています! なぜ『知得留先生の中国史授業』じゃないんですか!?」
「ぶっちゃけ作者の趣味じゃない? てゆーか、オシリエルは引っ込んでろ?」
「シリゆーな!!」
「えーと、アルクェイドさんの誘惑に心を動かされた私が口を挟むのもなんですが、これ以上脱線するようなら私が進行役を買って出ることになります」
「電子の妖精ともあろうものが積極的なことだな」
「読者のニーズには逆らえません」
「あなたが講義したら、ますます本家の世界史コンテンツに酷似しちゃうじゃない。 判ったわよ、やるわよ、や・り・ま・す・よ。あーあ、日課のシエルいびりも今日はここまでか」
「なんですかその三界の天地にあまねく満ち満ちている不条理を手当たり次第にかき集めてこねくり回してでっち上げたような日課は!? 釈明を希望します! 答弁を要求します! せつめ……」
「そこから先は口にしてはいけません」
「……だれかに呼ばれたような気が……」
「それでは『アルク先生の支那通史講義』始まり始まりー」
「いぇー、どんどんどんぱふぱふー」
「見ているほうがみじめになるから、口で言うのはよしなさい!」
「はい質問」
「なにかね蒼龍クン」
「字が違うわよ! アタシゃ連合艦隊の正規空母かい! 私が訊きたいのは、この講義のタイトルよ」
「あ、やっぱり気がついた? 『支那通史』って那珂通世博士の同名の著作からとったんだけど。 作者の本棚の隅で埃をかぶっているのは岩波文庫版だけど、あれって漢文の書き下しふうに書いてあるもんだから読みにくくってしょうがないのよね」
「明治21年から23年にかけて執筆されたものだから仕方がないと思います。 日本史上最初の言文一致体小説の『浮雲』が発表されはじめたのが明治20年なんですから」
「日本の文学史上における成果なんかどうでもいいのよ!」
「なにをおっしゃるマイシスター! 明治文壇といえば、我楽多文庫に端を発する同人誌がその輝ける第一歩を刻んだ、おたく文化にとっての最重要事項ではないか! 世界制服を成し遂げようというあの日の誓いを忘れたというのか!?」
「そんな脳が腐れ果てたような誓いなんか生まれてこのかた14年間一度たりとも交わした覚えなんかないわよっ! 問題は支那よ支那! 支那って蔑称じゃなかったの!?」
「蔑称とか心配している割には連呼しておるではないか」
「あんたらのバカさ加減に付き合っていたら、オブラートに包んだものの言い方なんて出来なくなるわよ!」
「おーし、それでは支那の語源について講義していきましょー! 支那という表現を使い出したのは、実は支那自身のほうが日本よりも早いの」
「え、ちょっと待ってよ。なんで中国が自分から蔑称なんか使うの?」
「単純に、支那が蔑称じゃないからじゃないですか?」
「いえーす。もっとも支那は元はといえば自称じゃなくて他称でね。 さてお立ち会い、支那という表現を生むきっかけとなった栄えある国のお名前は?」
「インドです!」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「なんですかあなたたち、その『うわ言っちゃったよネタだからって多用したら寒いだけでしょ』なんて視線は!? 正直に告白しなさい!」
「うわ言っちゃったよネタだからって多用したら寒いだけでしょ」
「正直さは時に残酷なまでに人の心をえぐるんですー!」
「あー、みんな。シエルの言ってることはホントよ。
古代インドでは支那のことをシーナ(あるいはチーナ)・スターナって呼んでいたの。シーナは支那で最初の統一王朝を打ち建てた秦帝国の音をそのまま流用したもので、スターナはサンスクリット語で「場所」って意味。これを支那人が逆輸入して漢字に充てたのが支那の始まりね。
さてクイズです。ふつー三国とは一体どことどことどこを指すのでしょうか?」
「ふ、愚問だな。日独伊に決まっておろう! 我らが偉大なる大日本帝國、悪の魅力に満ち溢れたナチスドイツ、できればなかったことにしたいイタリアの三国だ!」
「ぶっぶー」
「えっと、三国っていったら魏と呉と蜀でしょ」
「それは三国志の読みすぎよ。そんなのずっと後にならないと登場しないよ」
「なによ、それじゃ『三国』志なんて看板に偽りありじゃない!」
「新羅と百済と高句麗ですか?」
「あー、あんな大陸の東のはじっこにむりむりって伸びた盲腸みたいな土地じゃないわよ。だいたい半島なんてこの講義じゃ侵略されて収奪されて陵辱されてのアイゴートライアングルが日清戦争まで続くのよ?」
「たまには私もお茶目の一つくらいはやってのけます」
「お茶目のひとことで片付けられる半島っていったい……」
「甲斐と駿河と相模かね?」
「なに、武田信玄と今川義元と北条氏康の三国同盟? えらくマイナーなのを持ち出してきたわね。あ、もちろん違うわよ」
「秩父山地つながりだったのだが……」
「えっと、日本と中国とインドだったかしら?」
「ぴんぽんぴんぽん、あったりー。
いよっ、三国一のいい女! 正確には本朝、唐、天竺っていうんだけどね。やっぱりというか当然というか、半島は完全にアウトオブ眼中ね。
で、その三国の説話を収めた本が、日本史の設問でおなじみの今昔物語集。そこでは支那の説話の編目として「震旦の部」ってのを設けているわ。他に脂那とか至那とか振旦とか真丹とかがあるわね。シナの発音をもつものはシーナを、シンタンのはシーナ・スターナを縮めて漢字に充てたの」
「ずいぶんたくさんあるのね」
「アルファベットみたいな表音記号を持たない民族ってのは面倒ね」
「余談だけど、二世紀のギリシャにプトレマイオスって地理学者がいてね、この人は世界地図を作成したわ。高校の世界史の資料集にはまず掲載されているくらい有名なものよ。で、この地図では北緯55度付近をセリカ(Serica)って表記しているわ。そして北緯35度付近は、こっちもシナ(Sina)。南北が分裂してたとでも勘違いしてたのかしら?
セリカの首都はセラ=メトロポリス、シナの首都はシナイ=メトロポリス。前者が長安で、後者が洛陽よ。この二つは支那の歴代王朝の大半が拠点を置いた重要な都市だから覚えておいて損はないわ。
ちなみに、現在の地図で言うと長安、洛陽はここね
シナの語源はやっぱり秦帝国で、セリカの場合は絹ね。英語のシルクはセリカがなまったもの。そこの住民はセレスって呼ばれていたわ。
で、時代が下るとアラビア語やペルシア語でタムガージ、突厥碑文でタブガチ、イスラムのユスフ=ハス=ハージブが著した『クタドグ=ビリク』だとタフカチ、ビザンツ帝国の文献にはタウガスって呼ばれるようになるの。『長春真人西遊記』では桃花石なんて表記しているけどね。語源は唐家子からとも、チベット系部族の拓跋からともいわれているわ。
で、元の時代になるとマルコ・ポーロがキタイなんて呼ぶようになるの。これはモンゴル系部族の契丹が由来よ。彼らは北宋が崩壊する寸前まで圧迫し続けた遼って国を建てたわ。
最後に現在使われているチャイナだけど、これはシナの語源と同じで秦をもとにしているわ。で、明治政府の場合、それまで唐(から)とか呼んでた大陸の帝国の新しい呼称として、ヨーロッパで使われていたチャイナにシナって字を充てたの。清帝国ってのはあくまで異民族の女真族が建てた国だからね。温故知新ってところかしら?」
「でも、中国はうるさく言い続けてるわよ?」
「それは韓国人が自分たちを朝鮮人と呼ぶなと言ってるようなものです」
「ま、大陸の言い分はともかく支那って表現のほうが便利なの。国家としてではなく地域名としてね。 だいたい現代日本人が考えているような、歴史的中国に抱いている概念というか妄想は全部フィクションなの。 たとえばエジプトだけど、ここの歴史と文化は上代以来変わることなく連綿と続いているものだと思う?」
「そんなわけないでしょ。アレクサンドロス大王に征服されて、エジプトの31番目の王朝は大王の家来のプトレマイオスが初代国王だもの。政治も文化もギリシャ化したわ。で、ギリシャ人、正確に言うとマケドニア人のクレオパトラの自殺で滅んだあとはローマ皇帝の直轄領になって、ローマの影響をモロに受けたわ。そのあとだって東ローマの一部になってからウマイヤ朝に征服されてイスラム化したし」
「まーね。おなじ四大河文明のメソポタミアとインダスも、現在のイラクとインドとは似ても似つかないしね。支那もインドと同じように、単に地域の呼び名であって国家の名でも民族の名でもないことを忘れちゃいけないわ。ぶっちゃけ、支那に住んでいる人たちを漢民族なんていうのはアメリカ人をアメリカ民族っていうのと同レベルなくらいに非論理的な呼び方なの。
大陸で栄枯盛衰した、数え切れない異民族同士の潰し合いと混ざり合いこそが「中国」史の正体よ。 和辻哲郎はこんなことを言っているわ。
『同じシナの地域に起こった国であっても、秦漢と唐宋と明清とは、ローマ帝国と神聖ローマ帝国と近代ヨーロッパ諸国が相違するほどには相違しているのである。ヨーロッパに永い間ラテン語が文章語として行われていたからと言って、それがローマ文化の一貫した存続を意味するのでないように、古代シナの古典が引き続いて読まれ、古い漢文が引き続いて用いられていたからと言って、直ちに先秦文化や漢文化の一貫した存続を言うことはできない』
ってね。
この辺についての詳しい解説は、講義が進むに従っておいおい語られていくことになるわ」
「ソフィア先生の逆転裁判だと、そのセリフを使っているのはただのかませ犬ですが」
「はいはい、それじゃ古代支那の歴史のあけぼのの始まり始まりー」
「ずいぶん長い前置きだったな」
「よいではないか同志北辰、これでつかみはオッケーなのだから!」
「あまりの長たらしさに愛想を尽かして別のページに飛んだと思うけど?」
「まあまあアスカさん、この辺で手打ちにしておかないとまた脱線しますよ」
「それじゃ天地開闢神話からいくわね。
むかーし、むかし。世界はいまだ天と地とに分かれておらず、混沌としてどんよりと暗く、まるで鶏の卵のようでした。 やがてその卵の中に、盤古という名の神が生を受けました。音はバンコ」
「おお、『銀河英雄伝説』のウランフ中将が搭乗していた戦艦だな!」
「第一巻のアムリッツァ会戦でいきなり戦死した提督の旗艦なんてどうして覚えているのよ……」
「そのようなツッコミが即座に可能な汝もそれなりのものだぞ」
「……そ、それは、こないだ和樹に読まされたばかりだったから……」
「おおぅ、スバラでーす! 同志和樹はマイシスターにおたく文化を布教中! 我らの世界征服の野望はちゃくちゃくと進行中なのであーる!」
「『銀英伝』っておたく文化だったの?」
「漫画にしてもそれほど違和感がありませんから、ぎりぎり範囲内に収まっていると思われますが」
「あのーみなさん、アルクェイドが魅了の魔眼を発動中ですよ」
「……」
「失礼しました、続きをどうぞ」
「なーんか感情がこもってないような気がするけど、まあいいか。
盤古は長い長い間、眠り続けました。そして産まれてから一万八千年の後にようやく目を覚ましました。盤古は力を振るって天地を分割し、陽の気を持った清いものは上昇して天になり、陰の気を持った濁ったものは下降して地になりました。盤古の背は一日ごとに一丈(約3m)ずつ伸びていき、一万八千年の後には天地はもはや元に戻ることはなくなりました。 さてそんな盤古にも死が訪れるときがやって来ました。吐息は風と雲に、声は雷光に、左目は太陽に、右目は月に、四肢五体は東西南北と五岳に、血液は河に、筋は地脈に、肉は田畑に、髪と髭は星々に、皮と体毛は草木に、歯と骨は金石に、骨髄は珠玉に、流れる汗は雨になりました。
こうして天地創造は完成したのです、まる」
「我らが主は『光あれ』からわずか七日で天地をお創りになられました。それが異教の神だと一万八千年も掛かるものなのですね。主の御業は偉大なるかな」
「『ソードワールド』や『ロードス島戦記』の始原の巨人のモデルだな」
「そりゃ北欧神話のユミルのほうじゃない?」
「巨人が死んで世界が形作られたという「死体化生神話」は世界中にあります。
南ベトナムのボニオ。 ニアス島のトゥハ・シヘイ。 マリアナ諸島のプンタン。 カルムク族のマンザシリ。 イランのガヨマルト。 インドの聖典『リグ・ヴェーダ』のプルシャ。 バビロニアの叙事詩『エヌマ・エリシュ』のティアマト。
これらの神々はすべてその死体が天地になりました。リサイクルが徹底していて無駄がありませんね」
「『エヌマ・エリシュ』は『Fate』にも登場していたな!」
「注目するところが違うでしょ!」
「左目が太陽で右目が月になったってのは古事記といっしょね」
「ふむ、これが漢民族の原初の神か」
「えー、違うよー」
「(゜Д゜ )ハァ?」
「そ、それじゃ今まであなたがくっちゃべっていた神話はいったいなんだったんですか!?」
「だって、盤古はもともと南方の異民族の最高神だもの。それを南朝の任ムって人が『述異記』に収録したのがそもそもの始まりよ。あと郭なんたらの『玄中記』とか誰が書いたかわからない『五運歴年紀』とか右に同じの『三五暦記』とか。これ全部、イエスがおぎゃーって産まれて何百年も経ってようやく成立した書物よ。どれもこれも今じゃ散逸しちゃって、他の典籍に引用されている部分が残っているだけだけどね。それまでの漢籍には盤古のバの字も出て来ないわ」
「えっと……」
「つまり……」
「異民族から……」
「天地開闢神話を……」
「パクった?」
こくこく(無言で頷く)
「ブラボー、ハラショー、ワンダホー! 同人の精神ははるか神話にまで遡るものだった!!」
「どこをどう解釈したらそんな斜め上の結論に辿り着くのよ……」
「ふはははは、支那人の暴虐愉快なり! まつろわぬ民を鏖殺しただけでは飽き足らず、その神話まで強奪したというのだからなあっ!」
「こっちはこっちで脳内シナプスがステキなまでに配線不良を起こしています」
「ちょっとちょっと、勝手に絶滅させないでよ」
「あれ、まだ生き延びてたんだ?」
「彼らの前科から考えて、つい……」
「きっちりかっちり生き延びて、21世紀現在も独自の生活様式を保っているわよ。
その部族の名前はヤオ(瑶)族。自称はミェン。人口はざっと213万人で、大半が広西チワン(壮)族自治区に分布しているわ。
広西省は下の真ん中当たりにあるわ。
彼らは毎年5月29日に祖先神を祭るんだけど、その祭りの名前がそのままストレートに盤王祭っていうの。あと、成人式や結婚式の際に師公(ヤオ族のシャーマン)が歌って聴かせるタイトルは『師公環盤王唱』。他にも師公は「還盤王願の儀礼」なんてのも主催しているわ。
彼らはいまだに盤古を祭り続けているのよ」
「……何千年も続けてきたの? ちょっと気の遠くなるような話ね」
「少数民族のしぶとさを舐めちゃいけないわ。
彼らは自分たちのアイデンティティーが祭祀に大きく依存していることを本能的に察知しているのよ。それを捨てたとき、民族は消滅する。ユダヤ人たちが命を張って棄教を拒んだのもそれが理由。国土を持たずにさすらっていた彼らにとって、アブラハムと契約した神から脱却することは、自分たちの意味そのものも同時に放棄することになるもの。
ま、『旧約聖書』はそれを防ぐために編纂されたんだけどね」
「補足ですが、ヤオ族の方々が居住している場所にも彼らが消滅しなかった理由の一つに数えられるでしょう。交通の便が悪い閉じられた社会というものは、千年レベルの古い習俗を残していることが珍しくありませんから。
文化人類学者はこーいうところに何年間も住み込んでフィールドワークを行うものです」
「あと盤古は支那の文献だと、その姿は龍首蛇身だといわれているけど、これもウソ。さっき挙げた『述異記』とかには盤古の容姿についてはいっさい記述されていないわ。おそらく漢代以降の支那のシンボル的な幻獣になった龍に仮託したものね」
「蛇……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……なぜ一斉に私の顔を見る?」
「あ、あはははは……」
「鏡を見てください」
「下手すればロアよりもらしいですからね」
「というかアンタ、哺乳類に生まれてきたこと自体が間違いじゃないの?」
「案ずることはないぞ同志北辰! たとえ同志が蛇ぎりぎり、いやそれよりどちらかと言えば蛇から数えたほうが近いって感じ、ていうか蛇風味な蛇生活をしていようとも我々の友情にひびが入ることはないぞ!」
「黙れ黙れ黙れぇっ! パパの精液がシーツのシミになり、ママの割れ目に残ったカスが私だ! 両親への侮辱は許さんぞ!」
「そりゃ自爆でしょ」
「いじめかっこわるいぞー。
で、論理的に正しい盤古の容姿なんだけど、どうやら犬に関係があるらしいの。
ていうのはヤオ族の始祖伝説なんだけどね。ちょっと紹介するわ。
中国の皇帝パンは、長年にわたってカオ王と争っていましたが、とうとう屈服させることができませんでした。そんなある日、宿敵の首をもたらしたものには姫を与えようと布告しました。この言葉を、槃瓠という犬が聞きました。槃瓠はカオ王の陣営に赴いて王を噛んで、首を中国の皇帝に持って行きました。皇帝は約束にそむくわけにもいかないので、姫を槃瓠に与えました。彼らのあいだに6人の男子と6人の女子が生まれて、その子孫がヤオ族になりました。
どっとはらい」
「く、くく、くくくくく」
「なんかツッコむのがためらわれるくらいヨコシマな笑い方なんだけど、いったいどうしたのよ」
「犬と人間の混血の少女たち……きっと犬耳とシッポと肉球を完備していたに違いない! ジーク、デミヒューマン!! ハイル、犬チック少女!!」
「脳内バイオハザードはさておき、どこかで聞いたような話ね」
「それもそのはず、滝沢馬琴の畢生の大作、日本古典文学史上最大の長編『南総里見八犬伝』に採用されているのだからなぁ!」
「あら当たり。よく知ってるわね」
「ふはははは! それも当然のことよ。『南総里見八犬伝』こそパロディの宝庫、我々おたくにとっての不磨の大典なのだからな!」
「ちなみに馬琴は日本最初の専業作家とされています。その年棒は生涯平均で40両。近藤勇の月給50両に較べればハシタ金ですが、海援隊の社員の月給は坂本竜馬もひっくるめて一律に2両2分でしたから、そうそうみじめな数字でもなかったのでしょう」
「それマジ? 明治維新の立役者の収入が新撰組局長の5%だったの?」
「はい。何せ新撰組のパトロンは当時の親方日の丸の幕府と親藩の会津若松藩です。ポッと出のベンチャー企業の社長とは比較になりません」
「幕末の給料談義はその辺にしておいてください」
「えっと、『南総里見八犬伝』の大まかなすじは『水滸伝』からとったっていうのは聞いたことがあるんだけど」
「その通りである、マイシスター!
主人公である犬士たちが忠誠を捧げるべきは里見家だが、その居城が敵軍によって陥落寸前の危機に瀕した! そこでよせばいいのに里見家の党首がたわむれに『敵将の首をとってきたらわしの娘の夫にしてやろう』と言った。そしてその夜に本当に敵将の首を取ってきてしまう。その犬こそ八房、姫の名前は伏姫なり!
こちらは里見家の侍に撃ち殺されて、結局アンハッピーエンドに終わったがな」
「槃瓠は盤古と同じでバンコって発音でしょ? ヤオ族は文字を持たずに語部が神話や伝説を口承で守り続けていたから、槃瓠も盤古もおおもとは同じだって考えられているの。
で、これに対して支那の三番目の正史『後漢書』にはこんな説話が収められているわ。
――昔、中国は犬戎という異民族に攻められ苦しんでいた。そこで帝は、犬戎の将軍の首を取ってきたものには少女を妻として授けようと約束した。ある時、帝が飼っていた槃瓠という名の五色の毛並みをした犬が何か咥えてきたのでよく見ると、犬戎の将軍の首であった。しかし帝は槃瓠が犬であることをいやしんで約束を果たそうとしなかった。ただ妻として与えられることになっていた少女が、帝の約束は相手がたとえ犬でも実行されないと皇帝に対する信頼は失われると帝をいさめた。そして帝は約束を守り、槃瓠は少女を背負って、南山の奥深く入り、やがて彼らの間には6人の男の子と6人の女の子が生まれ、6組の男女はそれぞれ夫婦となった。彼らは木の皮から布を織り、父・槃瓠の毛の色に因んで5色に染めて、犬のように尾のある衣服を作ってきた。これら6組の夫婦の末裔が、楚の国の中心部あたりにいた異民族である。
ちゃんちゃん」
「なんですかこれ? そのまんまじゃないですか」
「そ。『後漢書』に語られる異民族がヤオ族の祖先であることは間違いないわ。そしてこれはヤオ族が犬をトーテムにしていたことの証左でもあるわね」
「トーテム?」
「古代社会で部族の共同体が自分たちの起源とみなす動物や植物、あるいは物を神聖視し、それを仲立ちに共同体を維持する概念よ。ぶっちゃけ一族のルーツを決めることで連帯感を増そうって魂胆ね。 トーテムについてはこれから何度か出てくるから頭の片隅にでも留めておいて」
「ちなみに犬と人が結婚してその子孫が栄えるという伝承は、沖縄の宮古島や与那国島にも残っています。宮古島のある人たちは今でも自分たちを犬の子孫だって言ってます。祖先神話のみならず文化や技術も、古代日本はヤオ族の恩恵を受けています。江南からの渡来人はヤオ族の方々といっていいでしょう。 くわしい説明は日本古代史に詳しい方に訊いて下さい」
「なんで中国の神話から日本人のルーツにまですっ飛ぶのよ……」
「作者が日本万歳野郎だからじゃないですか?」
「そのくせ大学では東洋古代史を専攻したのであるがな」
「それじゃお次は女媧ね。ジョカって発音するわ。直死の魔眼みたいなジョーカーとは何の関係もないよ」
「だったらわざわざ言わないでください」
「ぶーぶー、シエルおーぼー。 で、女媧ね。字面からも判るように女神よ」
「ああっ女神さまっっ」
「言うと思った……」
「よろしゅうございますか?(←ハートマン専任軍曹風味)
女媧についてもっとも古い文献は、戦国時代に成立した『列子』って本。
天地が出来上がったもののあちこち破綻していたため、女媧が補修したが、その後、共工が顓頊と争った時に不周山をへし折ってしまった。
前漢に編纂された『淮南子』はもうちょっと詳しくてね。
太古、東西南北の四つの極がこわれ、大地は割れて裂け、天空は綻びた。火は燃えさかり、洪水は溢れ、猛獣が民を襲い、猛禽は老人幼児をさらった。
そこで女媧は石をねって天を補修し、大亀の足を切って四つの極を立て直し、黒竜を斬り殺して大雨を停止させ、蘆の灰をまいて洪水を止め、人々を救った。」
「ちょっと待ってよ。盤古がヤオ族の最高神だっていうのなら、そこから漢民族の神話がつながるのはおかしいじゃない」
「あ、その点は大丈夫。元をただせば女媧も漢民族の神じゃないから」
「またパクったの!?」
「その通り。もともと女媧は南方系の苗族の神だったわ。
こっちも生き残っていてね、現在のミャオ族のこと。人口ざっと740万人。主に貴州省、雲南省、四川省、広西チワン族自治区、湖南省、湖北省、広東省とかに居住しているわ。
これも地図を出して置くわね、場所は各自確認してみて、下の方に固まってるわ。
彼らの言語はミャオ・ヤオ語族ミャオ語派といわれていてね。ヤオ語族がミャオ・ヤオ語族ヤオ語派だから、この二つの民族のルーツは同根と見ていいよ」
「ミャオミャオミャオミャオ、まるで猫語だな」
「てゆーか、名古屋方言です」
「名古屋人のみゃーみゃー語に関する笑い話として、以下のようなものがある。
「……で? おみゃあたち、出身校どこだぁ」
「わし、ミャー大だ」
「僕もミャー大」
「ほうか、奇遇だにゃ。 俺もミャー大だがね」
「ぐーぜんだがや。 わしもミャー大でよ」
〈中略〉
「なんか変だがやー」
「もう一度各自大学(でやーがく)の正式名を言うてちょー」
「わし、三重大学だあ」
「僕、東京の明治大学」
「俺、宮崎大学」
「何だ? わしだけが名古屋大学かあ」
つまり、みえ大、めい大、みや大、めえ大なのである。定吉は、やっと彼らの会話が理解できた。まるで猫語だ。(出典『定吉七番』第四巻・ゴールドういろう)」
「……で、古代の彼らもやっぱり苗とか三苗とか呼ばれていたわ。『神異経』の記述によると、三苗は顔や手足こそ人間と変わりないもののわきの下に翼が生えているとされているの。これは苗族の戦士たちが羽根飾りをつけていたことに由来するものでしょうね」
「まるでインディアンだな」
「似たようなものでしょ。あ、インディアンも別称で、今じゃネイティブ・アメリカンって言うんだっけ? そりゃインディアンはそのまんまインド人って意味で、コロンブスがアメリカ大陸をインドと勘違いして以来ずーっと使われてきた呼称だから間違いといえば間違いなんだけどね。道端に落ちてる鳥の羽根を頭に挿して 「ホーッ、ホーッ、ホーッ!」とかやるのを『ネイティブ・アメリカンごっこ』なんていってちゃサマにならないと思うよ?」
「二十歳を過ぎてもそんなことをやりたがる作者の主張はどーでもいいです」
「まーねー。あ、苗族は他にも南人って呼ばれていたわ」
「南方にいたからですか?」
「その逆。南人が住んでいる方角だから南の字が使われるようになったの。
で、その南が何を表しているかというと、銅製の太鼓の名前なの。現代の考古学者は銅鼓って呼んでいるわ。南を叩いている連中だから南人。シンプルな表現ね。これについては日本の銅鐸となんらかの関係があるんじゃないかって推測されているわ。
ついでにいえば銅鼓の文様には当時の苗族の戦士たちの姿が鋳込まれているものがあるけど、そこで彼らは湖上(洞庭湖)に舟を浮かべて、鳥の羽根飾りを付け、剣と矛を構えて、舟の中央には銅鼓を置いているの。その舟は古代日本のアマノトリフネとの関連が指摘されているわ。ま、ミャオ・ヤオ語族が古代の日本に渡来して来てるんだから当然といえば当然ね」
「あと日本とミャオ族をつなぐものといえば、ナレズシとか納豆とかチマキとか歌垣とか鵜飼いとかが数えられます。それとこの銅鼓、ミャオ族はいまでも祭りのときに広場に持ち出して叩いています」
「相変わらず物持ちのいい民族よのう」
「現在でも洞庭湖付近から出土してね、苗族、あ、これからミャオ族とヤオ族をひっくるめてこう呼ぶね。その苗族がこの辺に住んでいたことが考古学的にも証明されているの。
文献資料としても『後漢書』の槃瓠伝説に「楚の国の中心部あたりにいた」ってあったでしょ?」
「えっと、楚ってなに?」
「揚子江文明の担い手として、春秋戦国時代に黄河文明の継承者たちと大ゲンカする国よ。苗族は彼らに逐われて西南に逃れるハメになったわ。 劉邦と天下を争った項羽は楚の貴族ね。この辺はもうちょっと後で講義するわ」
「あなた、そればっかりですね」
「仕方ないでしょ、作者の表現能力と処理能力には限界があるんだから」
「三歩で行き詰ってしまいそうな限界だな」
「その点についてはまったくの同感ね。 で、女媧の神話には他にもあるの。
天地が出来た後、女媧は人間を造ることにした。
はじめ、女媧は黄土を手でこねて人間を一人一人作っていたが、手間がかかってなかなかはかどらなかった。 そのうち女媧は、縄を泥の中で引き回し、これを引き上げる方法を思いついた。引き上げた縄から泥が滴り落ちると、それがみんな人間になった。
最初に手間をかけて作った人間は金持ちや高貴な人間になったのに対して、縄から滴って出来た人間は貧乏人や愚か者になった。
これは人間起源説話ね。もともとはるか古代の女神は、ギリシャ神話のガイアを挙げるまでもなく男の手を借りずに子供が産めると信じられていたの。で、その次に考案されたのが、女神の添え物としての子供。
オランダの宗教学者ファン・デル・レーウは以下のようなことを言っているわ。
子なる神は父なる神よりも前に存在した。父より子、そして老いと過去よりも若さと未来を信じるほうがたやすい。それ故、人がまず自分の姿に合わせてつくり出したのは、母神と子神であり、父神ではなかった。
男性神が女性神に取って代わるのは先史時代から歴史時代へ以降する時期、母系制社会から父系制社会へ移行するまで待つ必要があるの」
「なんつーか、初心者お断りな内容になって来たわね……」
「ぶっちゃけていえば、
石器文明以前―――先史時代――母系制社会――女の天下=かーちゃん万歳!
青銅器文明以後――歴史時代――父系制社会――男の天下=とーちゃん万歳!
こんなとこかな」
「ぶっちゃけすぎよ!」
「ま、たしかにここまで単純にイコールで結びきれる問題じゃないけどね。この辺の詳しい内容は大学の先生にでも訊いて」
「で、そろそろ歴史時代に入ってくると女神の配偶者としての男神が必要になってくるの。
太古、昆侖山に女媧兄妹がいる以外、人間は存在しなかった。そこで兄妹は夫婦になることにしたが、同朋婚は良くないことと考え、天意を知るために昆侖山頂へ連れだって登り、それぞれ火を焚いて、「我々兄妹が夫婦になることを認めるなら焚火の煙を一つにするよう、認めないなら煙を別々にするように」と祈った。
すると煙が一つになって立ち上ったため、二人は夫婦となり、その子孫が地上に広まった。
ここで女媧と結婚することになった兄の名前が伏羲。発音はフクギね。この伏羲が女媧と併称される最初は、前漢の『淮南子』からだから、伏羲は女媧よりもずっと後の神よ。
伏羲は伏儀とか伏希とか伏戲とか包羲とか庖犠とかにも書かれるの。その理由として『民はみな帰服(伏)したから伏の字が使われているのだ!』とか『家畜を庖厨(台所)で料理して、犠牲として祖霊をまつったから庖犠と書くのだ!』とか苦しい言い訳をしているわ」
「もともと異民族の発音を漢字に充てただけなのだろう? 無駄な努力の最たる見本だな」
「まーね。むしろ注目すべきは伏の字に犬が含まれていることじゃないかな?
苗族のトーテムは犬だし。あと伏羲は、さっきいった盤古(=槃瓠(はんこ))と語源が一緒じゃないかって説もあるの」
「あれ? 伏羲は女媧と一緒で蛇身人首だって聞いたことがあるんだけど? たしか最近の出土資料のなかには、蛇の下半身を螺旋状に巻きつかせた男女の肖像画が描かれていたっていうし」
「蛇……」
「だからそれはもーえーっちゅーんじゃ!」
「落ち着きたまえ同志北辰、激昂のあまり口調が別人になっておるぞ」
「たしかに人面蛇身の対偶神を二匹の竜が交合する姿で現すことは、殷王朝のころから既に行われていたらしいけどね。そこらはよくわかんないんだけど、もしかしたら支那人の手が加わっているんじゃないかしら? 蛇は龍と同じように、水に関係のある動物だからね」
「水?」
「うん。女媧と伏羲の伝説には異伝があってね。苗族の伝承によると、部族ごとに異同があるから大まかなことしか言えないけど、ざっと次のようなものよ。
伏羲と女媧は太古の大洪水にただ二人生き残った兄妹(あるいは姉弟)で、やがて二人が夫婦となって現在の人類の始祖となった、とされているの。
女媧・伏羲と蛇との関係はこのへんから連想されたんじゃないの?
あと、この洪水神話の中には兄妹(姉弟)が匏瓜(ひょうたんのこと)の中に入って洪水から生き延びた、と言うものがあるわ。
洪水に生き残った二人が人類を創生する神話は、ノアの箱舟が代表的ね。元ネタはウガリットのギルガメッシュ叙事詩だけど。
で、世界の洪水神話にはひょうたんや瓜が関係している説話が多いの。聞一多って中華民国の古典学者は「包羲(=伏羲)」の「包」は「匏瓜」の「匏(古くは包と音が通じた)」から来ているのではないか、という説をとなえているわ。槃瓠(はんこ)の「瓠」もひょうたんね。
そしてこの伏羲は三皇五帝の筆頭よ。ものの本によれば女媧も三皇の一に数えられるんだけど、ここでは『十八史略』の構成に従うわ」
「えっと、三皇五帝って?」
「かつて中国古代に在位したといわれる伝説上の聖王たちです。アルクェイドさんのいう『十八史略』ではこの八人(八柱?)がその地位を占めています。
三皇――伏羲
神農
黄帝
五帝――少昊
顓頊
嚳
尭
舜
唐の司馬貞が編んだ『三皇本紀』だと伏羲の後に女媧が加わって黄帝は五帝に繰り下がり、少昊はなかったことにされてしまいます」
「こらー、あちしの発言をとるにゃー」
「八頭身で猫アルクの口調を使っても気色悪いだけです」
「盤古と女媧と伏羲が苗族の神樣だったってことは判ったわ。 それじゃ次の神農こそ漢民族の神様なの?」
「それが違うんだなー」
「なに、また苗族?」
「それが違うんだなー」
「同じネタを使うとは、貴様それでも芸人か! 恥を知れ!」
「誰が芸人よ! あ、すいません。コイツ頭が不自由ですから生暖かい眼で見守ってやって下さい」
「不自由なのは頭だけではないと思われますが」
「あはは、気にしてないよー。人間あきらめが肝心だもの」
「吸血鬼風情が人間などと詐称報告しないでください」
「でかしりシエルは黙ってろー。 どこまで話したっけ? あ、神農ね。この神は姓が姜であることからも判るように、もとは羌族の神よ」
「羌族?」
「うん。ルーツはチベット系よ」
「中共に占領されて静かなる浄化が進行中のあの地域かね?」
「そ。もうちょっと広く言うとチベット・ビルマ語派っていって、これはチベットからヒマラヤ〜アッサム〜ビルマ(現在のミャンマー)にかけて分布する言語と民族の総括ね。
あ、チベットを舐めちゃ駄目よ。これから言う羌族も、五胡十六国時代に河北を荒らし回った氐族も、唐代に最盛期を誇った吐蕃も、宋を軍事力で圧迫した西夏も全部チベット系で、支那人の王朝はたいてい負け通しだったわ。
羌ってのは辮髪を垂らした男の象形ね。他にも羊に人を組み合わせた形だって説もあるわ。羊を飼って暮らした遊牧民族よ。
いまでもチベット人の48%は牧畜で生計を立てているわ」
「ルーツがチベット人はわかりましたが、羌族そのものは消滅したのですか?」
「しぶとく生き延びてるんだなー、これがまた。
呼称はそのまま羌族。主に四川省に分布して、人口はだいたい19万人ね
ほいー地図、せっかく見つけたんだからしつこく出していくわよ」
「ミャオ族やヤオ族に較べればずいぶんつつましい数字だな」
「まーね。それじゃ神農に戻るわ。
神農は薬の発明者で、百草を嘗めて毒か薬か、食べた時に体が冷えるか熱をもつか、またどんな香りや味をつけるのに適するかなどを細大漏らさずことごとく調べ上げたと言われているわ」
「ずいぶん頑丈な胃腸の持ち主だったんですね」
「古い文献には神農氏って記されているから、個人名というよりもチベット系のどっかの部族名と解釈したほうがいいわね。
古代ユーラシアの文明の発祥の地はオリエントでしょ?
バビロニアやら何やらから波及した先進文明を身に着けて、パミール高原を越えてタクラマカン砂漠を踏破し、文明を東方に伝えた渡来人ってのが、おそらく羌族の一部族だった神農氏の正体ね。
異民族が自分たちよりもすぐれた技術の持ち主っていう観念は、割と普遍的なものよ。神の本質はマレビトだもの。
薬草学に限って言えば、ギリシャ神話のケイロンが思い出されるわね。彼はあらゆる治療薬に知悉していて、治癒神アスクレピオスや英雄ヘラクレスの先生をしていたわ。で、そのケイロンの出身がケンタウロス。いうまでもなく遊牧騎馬民族の一員よ。
あと神農は木を切って鋤を造り、木をたわめて鋤の柄を造り、鋤鍬の使用法を広めたことから農業の発明者とも言われているわ」
「ちょっと待ってよ、なんで遊牧民族が農業の発明者なの? 遊牧って一ヶ所に定住しないで移動する生産様式でしょ?」
「神農が発明した、というか持ち込んだものが鋤とか鍬だからじゃない?
あ、わかった! シュメールで始まった農耕を古代中国に伝えたのが神農だからね!」
「それはいくらなんでも支那を馬鹿にしすぎよ。
たしかにスウェーデンの地質学者アンダーソンは1920年代の調査で、黄河中流域の仰韶文化は西方の農耕技術をともなう新石器文化が伝えられたって主張したけどね。
最近の考古学的発見だとむしろ仰韶文化はそれ以前の支那独自の文化から生まれてきたことがわかったの。
そこらへんの謎を解くカギは、神農の容姿に暗示されているわ」
「容姿?」
「神農は牛頭人身だったって伝えられているのよ」
「それがいったい何の関係があるというのです?」
「ふふーん。にぶいにぶい。
そんなにぶちんなシエルにクイズ。お題は聖書からだからね、これが判らなかったらヴァチカンから破門を食らうぞー」
「……いいでしょう。わたしもクリスチャンの端くれ、バイブルを引き合いに出されては後には退けません」
「おーし。
それじゃ『旧約聖書』出エジプト記から出題。モーゼがシナイ山でヤハウェから十戒を授かって脳内お花畑が満開状態のときに、彼を激怒させることが起きました。それはなんでしょー?」
「はっ! 「弓」も甘く見られたものですね。
ぶーたれるのをなだめすかしながら、エジプトから約束の地にまで引っ張っていこうとしたユダヤ人が、偶像崇拝を始めていたのを目撃したからでしょう?」
「それだと50点。 その偶像は何をかたどっていたの?」
「……牛です。
ユダヤ人は金の耳輪を鋳潰して雄牛をかたどり、その周りを踊り狂っていました」
「おしおし。
彼らが崇め奉っていたのは、セム人が信仰していた最高神エル(EL)ね。巨大な角を生やして、「雄牛のエル」の尊称を持っていたわ。この場合のエルは固有名詞だけど、もともとはセム語で「神」を意味する一般名詞だったの。ちなみに聖書でもヤハウェのことをエルって言うけど、
これって実はセム人からのパクリよ」
「支那人もユダヤも同じ穴のムジナか……」
「同人の精神は万古不易、のみならず聖書にまで影響を及ぼすものなのだ!
旧約・新約を問わず、当時のオリエントからギリシャまで広範に神話や伝説を取材し、自分たちの都合のいいように改変してしまっているのだ。
聖書もまたパロディの宝庫、世界最古にして最大の同人誌なり!」
「牛ってのは農耕に利用できる唯一の大型動物でね、古代の農耕民族はみんな聖獣として扱っていたわ。そのころの神々はほとんどすべてが雄牛に化身したしね。
バビロニア神話にはバアルって豊穣神が登場するわ。彼も牡牛とか野牛とか形容されるわ。「殺されて蘇る男神」で、人気があった神らしくたくさんの異名を持ってるの。セム系言語で「主」という意味のアドーン、あるいは「我が主」のアドーニとか。フェニキアを経てギリシャにまで到達したアドニスはここから来ているわ。バアルそのものも「主」あるいは「所有者」って意味なんだけどね。アフロディーテの配偶神としてはヘパイストスが有名だけど、本来は一年周起で死と再生を繰り返すアドニスこそ春の女神アフロディーテにふさわしい花婿なの。
あ、ついでに聖書の神はアドナイっても呼ばれるんだけど、元ネタはこれ」
「なに、聖書の神様とアドニスっていとこだったの?」
「名称の由来だけだったらね。旧約の神の本質は、遊牧民族が普遍的に信仰していた「天」よ。意味はそのまんま青空ね。天については周王朝、ひいては後の支那人の思想に重大な影響を及ぼすものよ。殷周革命の講義でくわしくやるわ」
「あんた先延ばしばっかりね。そんなに大風呂敷を広げて、ちゃんと整理しきれるの?」
「そこらが期待外れに終わったら、文句は作者に言ってね。
よーするに遊牧民族と農耕民族の宗教観の違いによる確執よ。唯一神への絶対帰依を強制する旧約の神と預言者のモーゼとしては、看過するわけにはいかなかったの。
このあとモーゼは雄牛の金像を火中に投じて、こなごなに砕いて、水の上に撒いて、ユダヤ人に飲ませたわ」
「最後のがイマイチよくわかんないんだけど……」
「本来なら雄牛信仰を排撃する立場の遊牧民族が、穀物の豊穣を約束する牛頭人身の神を崇めるようになったということは……」
「遊牧をやめて土着して、農耕民族と同化していったってことでしょうね。そして豊穣の神としての性格を付与されて、牛頭という異形にメタモルフォーゼした。 たぶん神農氏のリーダーは、モーゼみたいな頭ガチガチの原理主義者じゃなかったんじゃないカナ? じゃないカナ?」
「作者もやったことのない『秋桜の空に』のカナ坊のマネはやめなさい。まったくいい歳して、恥ずかしいとは思わないんですか?」
「なんちゃって女子高生のシエルに較べればマシよ。クリスマスを過ぎたババァがブレザー着てるなんて笑えない冗談でしかないわ」
「……クリスマス?」
「12月25日から派生した俗語で、女の25歳を指す言葉だマイシスター。 クリスマスに達してしまった女はもはやそれまで。後は坂を転げ落ちるのみ! 否! 真に萌える女性とは、許容範囲の限界としても十代前半には成長を止めておけるスキルくらいは保有しておかねばならんのだ!」
「あんたの社会復帰の可能性マイナス400%の嗜好なんかどーでもいいのよ! てゆーか十代前半って何よ!? そんな邪道に和樹を引きずり込もうっていうの!? 同い年で大学生でバストが90の大台に乗っかってる私はどうすればいいのよ!?」
「さりげなく本音が出ましたね」
「作者、腐ったラブコメが大好きだから」
「黙りなさいアルクェイド! あなたなんか800歳じゃないですか! 25歳でバが二つ付くならあなたなんてババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババァでしょう!」
「25:2=800:64、たしかに計算はあっているな」
「そーゆー問題じゃないでしょ…… だいたいトシなんて、いちいち目くじらを立てるようなことじゃないでしょーに」
「それはアスカさんがまだ14歳の中学生だから言えるセリフです! ああっ! ぱっつんぱっつんのそのお肌! 目尻のコジワを隠すお化粧なんか必要ない瑞々しさとハリとツヤ! 十年前には私もそんなだったのに…… 時の流れは残酷です。手のひらから零れ落ちる水のように、いつまでも私のもとには留まっていてはくれなかった……。気が付いたときには、すでに通り過ぎてしまっていたのです!」
「哀れで愚かでみじめったらしいでかしり女はほっとくとして」
「シリゆーな!」
「同じネタを使うとは、貴様それでも……」
「しつこい! 芸人じゃないって言ってんでしょーが! てゆーか、あんたこそセリフが同じじゃない!」
「ぐふぁっ! 痛いところを……。 よくやった同志瑞希、我輩が教えられることはもはや何もない。 我輩という巣から飛び立ち、栄光ある同人クイーンとして60億人民の頂点に立つがよい!」
「この講義が始まってから、脳細胞が二十万個は死滅したような気がします」
「わたしゃ二百万個は死んだわね」
「私にとってはこれが高校時代からの日常なんだけど……」
「ついでに薬の発明者=治癒神としての神農の神性についても触れておくわ。
豊穣の神バアルはまた治癒神でもあってね、フィリステア(ペリシテ)のエクロンやフェニキアのシドンの神殿では訪れる信者の病気を癒していたの。ギリシャの治癒神アスクレピオスはここから派生したものよ。
ちなみにエクロンに鎮座していたバアルはバアル・ゼホンって呼ばれていたわ。『北の主』くらいの意味ね。この場合の北は神々の山、聖所だったの。
で、これにケチをつけたのがやっぱりユダヤ人。出典は『旧約聖書』列王紀だけど、イスラエルの王アハジャはエクロンの神殿に三度の使者をつかわして、自分の病気が治るかどうかを尋ねさせたわ。もちろんヤハウェの天罰覿面で、快復することなく病死したんだけどね。使者の三部隊150人は天の火で焼き尽くされて皆殺しにされたし。いい迷惑よ。ここに登場するバアルの名前はバアル・ゼブブ。『クソ山の主』って意味よ」
「あぁ? 『北の主』だぁ!? ナマ言いやがって。邪神のクセにスカしてんじゃねーぞ。てめーなんざ『クソ山の主』で充分だ! 身の程をわきまえやがれってんだ、ケッ!」
「……」
「ユダヤ人の気持ちを代弁してみただけだ。『ああ、もう逝き着くところまで逝っちゃったのねコイツ』なんて感じの目で見ないでくれたまえマイシスター」
「スキン顏、名前は?」
「北の主(バアル・ゼホン)二等兵です! サー!」
「気品ある名だ。神々か?」
「サー、イエッサー!」
「名前が気に食わん! お前を見たら嫌になる! 古代邪神の醜さだ! 異教徒の手先のおフェラ豚め!」
「牛であります、サー!」
「ぶっ殺されたいのか?! スキン小僧が! じっくりかわいがってやる! 異教徒に祭られたり崇められたり出来なくしてやる!」
貴様の言い訳は?」
「言い訳ですか?」
「アホ相手に質問するのはおれの役目だ!」
「サー、イエッサー!」
「身長は?」
「180センチです!」
「まるでそびえ立つクソだ! 本日よりクソ山の主(バアル・ゼブブ)と呼ぶ! いい名だろ?」
「サー、イエッサー!」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「放置プレイとはなかなか応えるものだな」
「まったくの同感だ同志北辰」
「(できるだけ二人の顔を見ないように)紀元前からそんなことを言ってたの? ユダヤ人が嫌われるのも当然というか身から出た錆というか……」
「紀元後も言ってたわよ。新約のマタイ福音書だけど、イエスの病気治しを目の当たりにしてパリサイ人が『この人が悪霊を追い出しているのは、まったく悪霊のかしらベルゼブルによるものだ』ってコナをかけたの。ベルゼブルはバアル・ゼブブを縮めた発音よ。そのころもバアルは相変わらず治癒神として繁盛してたんでしょうね。キリスト教のおかげで今じゃハエの姿をした魔神にされちゃってるわ。悪魔学だとバアルとベルゼブルは別の魔神だけど、もとは同じ神よ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「そんな目で私を見ないでくださいー!」
「シエルいびりの楽しみは後に取っておくとして」
「しばらくして神農氏に悪名高い子孫が生まれるわ。それが蚩尤。音はシユウよ」
「『創竜伝』の敵役だな!」
「作者は途中で読むのを放棄しました。左寄りというのも愚かな極左発言、偏向しまくった社会評論、万分の一でいいからその愛を日本にそそいでほしい中国礼賛。ぶっちゃけ電波小説です、あれ。 心あるファンは嘆いています。お願いだから『銀英伝』のころに立ち返ってくれ田中芳樹! と」
「もっとも、いま読み返すと『銀英伝』もかなり左寄りだがな」
「はいはい、中華思想万歳主義者のくせに『隋唐演義』も『岳飛伝』も『海嘯』もノベルズの一割も売れてない遅筆作家は置いといて。 蚩尤は神農と同様に姜姓で人身牛蹄よ。蚩尤氏って表現もあるから、あきらかに神農と同じ一族ね。八手八足と伝えられているわ。ものの本には四眼六手ともあるんだけど。
さてクイズです。蚩尤は日本のある伝説とふかーい関係があります。それはなんでしょーか?」
「なに、って……」
「質問がアバウトすぎます」
「伝説に終わった八八艦隊か!?」
「んなわけないでしょ! ヤマタノオロチっていったほうがまだマシよ!」
「瑞希せいかいー」
「は!?」
「ま、8って数字が同じなのは単なる偶然だとは思うんだけどね。 蚩尤とヤマタノオロチは本質において同列なの」
「ヤマタノオロチの……」
「本質?」
「女にこだわりすぎると痛い目にあう!」
「酒は飲んでも飲まれるな!」
「そりゃ標語でしょ……」
「精鉄ですよ。
ヤマタノオロチの説話は、出雲地域の精鉄を神話化したものとする説があるんです。酒で酔い潰れたオロチをスサノオノミコトが切り刻んでいって、八本目の尾に斬りつけたときに天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)を発見したのです。御存じ三種の神器の一つ草薙剣(クサナギノツルギ。葦の草むらの中で火攻めにあったヤマトタケルが草を薙いで難を逃れたことからこの名がついた。ちなみにその地は焼津。焼の字はそのとき付けられた)ですが、壇ノ浦の合戦のドタバタで海の底に沈んじゃいました。熱田神宮に御神体として祀られているのは模造品で、本物は今も関門海峡の入り口で眠ったままです。
ま、その「本物」とやらがどんなシロモノだったのかは存じませんけどね。
それはともかく、オロチの尾から霊剣が発見される話は、肥河の上流一帯が砂鉄の産地であり、流域で剣が鍛造されていた歴史的事実と関連しているとされています。また、オロチの腹はいつも血でにじんでいるといわれていますが、これは肥河に鉄を含んだ赤い水が流れ込む様と解釈されています」
「蚩尤は銅の額に鉄の頭をしていたわ。食事は石や砂で、武器の発明者とされているの。
そのせいで、後世には戦争の神様として祭られるようになったわ」
「石は鉄鉱石で、砂は砂鉄?」
「そしてそれから青銅製だか鉄製だか知らないけど、とにかく金属製の武器を造った……」
「おおぅ、アンリミテッド・ブレイド・ワークス! 固有結界“無限の剣製”発動か!
――体は武器で出来ている。
頭は鉄で、額は銅。
幾たびの戦場を越えて不敗。
ただ一度の敗走もなく、
ただ一度の勝利もなし。
担い手はここに孤り、
剣の丘で鉄を鍛つ。
ならば、我が生涯に意味は不要ず。
この体は、無限の剣で出来ていた」
「『Fate』ネタかね?」
「なんかそれなりに聞こえるところが笑えるわね。不敗じゃなかったけど。あ、遊牧民族と精鉄ってのはけっこう関係が深くてね、たとえば有力な遊牧民族の一族である阿史那氏は、アルタイ山脈のあたりで鉄鍛冶を特技としていたわ。他にもチンギスハーンは最近の研究じゃ鍛冶屋の出身じゃないかっていわれているよ」
「でもわかんないわね。なんで遊牧民族と精鉄が結びつくの? いまいち接点がなさそうな感じがするんだけど。そりゃたしかに東洋の金属器文明は西からもたらされたものだけどさ」
「ふふーん、それじゃアスカに質問。鉱石や砂鉄から金属に製錬するために絶対に必要なものは何でしょーか?」
「蚩尤が食べてた鉄鉱石とか砂鉄でしょ?」
「他には?」
「うーん、……燃料かしら?」
「ぴいんぽん、正解。
青銅はともかく、精鉄には馬鹿馬鹿しいくらい大量の燃料が必要だったわ。石炭も石油もなかったし、江川太郎左衛門秀龍が伊豆韮山に設置した反射炉みたいな高出力の炉もなかったしね」
「日本史の資料集に化け物じみた巨眼に描かれている男だな。いったい誰があんな奇妙な肖像画を描いたのだ?」
「あれ、自画像ですけど」
「江戸時代を舞台にしたみなもと太郎の『風雲児たち』に登場する江川と見比べてみると爆笑ものだぞ。一見の価値ありだ」
「彼は当時の著名な蘭学者でした。桂小五郎や佐久間象山の砲術の先生は彼なんですよ」
「幕末の変な顔はいいから……」
「まー木炭で火を熾してたたらで風を送り込むのが、当時のせいいっぱいの最先端技術だったの。
さて質問。モアイで有名なイースター島の文明が滅亡したのはなんででしょーか?」
「これまた古代中国から時空間を景気よくすっ飛ばしたものね……」
「話の流れから察すると、燃料がなくなったから?」
「うーん、クイズのタイミング間違えたかな。
その通り。彼らは高度に発展した文明を維持するために大量の鉄と農耕地を求めるようになったの。で、そのために付近の森林を伐採していくようになったわ。必然的に人口が増えて、さらに莫大な燃料が必要になっていった。好循環のように見えて、長期的には悪循環だったわ。そしてついに、木を切り倒すスピードが木の成長速度を上回っちゃった。あとは坂から転がり落ちるように崩壊していったわ。肥大化した国家を維持するだけの燃料もなく、山々に水を貯える自然のダムの森林もなくなっちゃったんだから当然だけど。ビスマルクじゃないけど、国家を動かすものは鉄と血なのよ。
これは支那にも言えるの。三世紀半ばに三国の魏で野辺送りの集団が襲撃された事件があってね。盗賊団が強奪しようとしていたのが、なんとお棺に打ち付けられた鉄の釘だったの。後漢後期からの分裂と戦乱による生産の減少、それと反比例する鉄製兵器の需要と濫費の増加、それを補うべき技術改良の立ち遅れ。そんな諸要因が重なり合って、どうしようもなく鉄が払底していたわ。特に華北(支那の北半分)じゃ禿山ばかりになっててね、北と較べると人口と生産力に差があった南の政権の呉と蜀が成立できたのもそのおかげ。なにせ犯罪者につける首かせや足かせまで鉄製じゃなくて木製に代わっていたっていうくらいだから徹底したものよ。
かつては各地に製鉄所が設置されて専売制を布き、中央アジアを経てローマにまで輸出していたっていうのに、こうなってはみじめなものね」
「調子に乗って大盤振る舞いしすぎたというわけだな」
「ん。で、後漢後期から三国時代、ほんのわずかな統一期間の晋をはさんでまた戦乱と分裂の五胡十六国時代から南北朝。都合400年間に渡って支那が統一されなかった理由の一つは、大量の鉄を保有するだけの強力な政権が存在しなかったからなの」
「ふーん、そんな見方もあるんだ。でも三国志の小説とかじゃぜんぜん触れられていないわよ?」
「歴史学と歴史小説は似て非なるものだもの。『曹操が劉備と孫権に勝ちきることができなかったのは木が足りなかったからですー、てへっ☆』じゃ、よっぽど能力のある作家じゃない限りただのギャグ小説になっちゃうでしょ」
「最後の『てへっ☆』は余計です。なんですかかわい子ぶっちゃって! 私がそんなことを言った日には、いったいどんな視線で刺し貫かれるか知っていますか? 不凍液も一発でアイスクリームになっちゃう冷たさですよ?」
「萌えないヒロインに、意味はあるんでしょうか?」
「ふがーっ!」
「『Air』ネタも最近は見かけなくなったな」
「で遊牧民族、というか非定住民族は一つ所に留まっている民族じゃないでしょ?
木を伐採しつくしたら移動して、また生えてくるまで別の場所にいればいいんだから。知っての通り支那は土地だけなら見ていて嫌になるくらいあって、しかも古代は人よりも獣のほうがよっぽど多い時代だからね」
「なんだか焼畑に似てますね」
「でも蚩尤氏は土着したんでしょ? あんたの理屈からすると遠からず滅んじゃうんじゃない?」
「あ、蚩尤氏が滅びたのは確かよ。でもそれは内的要因じゃなくて外的要因。ぶっちゃけ戦争に負けたの。その勝利者こそ黄帝」
「ユンケル黄帝液だな! 我らが同人関係者の夜の友人よ!」
「黄帝の墓とされている黄陵には、歴代王朝のみならず中華人民共和国政府も毎年参拝の使者を送って現状を報告しているそうよ。黄帝は中華民族の祖先として、すべての漢民族は彼の血を引いているといわれているからね」
「支那人の願望は別にどうでもいい。黄帝とはどのような神なのだね?」
「黄帝の記述としてもっとも古い出典は、春秋時代の諸国の歴史を記録した『国語』って本よ。タイトルは諸国物語ってくらいの意味ね。で、黄帝の話に戻るわ。
むかし、少典氏が有蟜氏の娘を娶り、黄帝と炎帝を生んだ。黄帝は姫水のほとりで育ち、炎帝は姜水のほとりで育った。両者が成長すると、それぞれの徳がちがっていた。そのため、黄帝は姫を姓とし、炎帝は姜を姓とした。この両者は徳の相違のため、軍隊を率いてたがいに討ちあった。
あ、炎帝ってのは神農の別名よ。姜は羌に通じるけれど、神農氏の起源がすでに誤伝されちゃってるわね。それはともかく黄帝の姓が姫ね。これは周の王族と同姓よ。もっとも周の遠祖ももとは遊牧民族なんだけど。ともかく黄帝と神農氏は兄弟、つまり同族関係にあったが戦争を始めたのね」
「農耕民族の漢民族の祖先が遊牧民族って、なんか悪いジョークみたいね」
「日本にも騎馬民族制服説が提唱されていますよ」
「黄帝の話を続けるよ。
前漢に編纂された『史記』だとずいぶん変わっちゃってるわ。
そのころ神農氏が天下を治めていたが、世とともに徳が薄れ、諸侯はたがいに攻めあって人民は困窮した。しかし神農氏はこれを鎮めることができなかったので、軒轅(黄帝の本名)は干戈(武力)の術を修練し、神農氏に入朝しない諸侯を討伐した。それで諸侯は、またみな神農氏のもとに命令に来て従うようになった。
ときに炎帝の子孫が諸侯を侵略しようとしたので、諸侯はみな軒轅に帰服した。かくして、軒轅は徳を修め、兵力をととのえ、木・火・土・金・水の五行の気を治め、五穀をうえ、万民を鎮撫して四方の安定をはかった。猛獣たちに戦闘を教えこんで、炎帝の子孫と坂泉の野に戦い、三たび戦ってのち志をとげた。 これが前半部分ね。後半部分は蚩尤との戦争とかが語られるわ」
「ふん! 時代の流れとともに優等生になったものよのう!」
「支那には政権交代として「禅譲」と「放伐」の二種類があるとされているわ。前者は徳による平和的な譲り渡し、後者は武力による簒奪ね。この二つの概念が生まれたのは、春秋時代以後で前漢時代以前の戦国時代だから、成立年代も含めて『国語』のほうがより古い形を残していると考えられるわ。漢籍の中から神々を掘り起こして三皇五帝に当てはめていく作業も戦国時代に行われたわ。三皇五帝の時代はユートピアでなくてはいけないから、武力は一点の曇りもない完璧な正義のもとに行われる必要があるの。神農と黄帝をそろって聖人に祭り上げるための操作ね。
かくして神農氏と争った伝説は故意に無視され、敵は神農氏じゃなくてその子孫という形にされたわ」
「てゆーか、木・火・土・金・水の五行思想も戦国時代に端を発するものです。五穀という概念も5が聖数になったから考え出された呼称です。
この伝説に後世の人間の手が加わっていることは明白です」
「神話や伝説がときの権力者の都合のいいように改変されるのはわかっているわよ。
で? 肝心の蚩尤とのドンパチは?」
「『史記』だとあっさりしすぎちゃってるから、支那の古い神々の原型を留めているとされる魑魅魍魎オンパレードの『山海経』から引用するね。
蚩尤は兵器を造って黄帝を伐った。そこで黄帝は応竜を呼んで攻めさせた。応竜は水をたくわえ、蚩尤は雨師と風伯をまねき、暴風雨をほしいままにした。
そこで黄帝は天女の魃をあまくだした。雨はやんで応竜はついに蚩尤を殺した。
応竜ってのは最高ランクの竜よ。『山海経』には「龍の翼あるもの」という注釈が施されているわ。東洋の竜に翼は生えていないっていうのはデマもいいところね。あと盤古の説明で出した『述異記』には「水虺は五百年たつと化して蛟となり、蛟は千年で化して龍となり、龍は五百年で角を為し、龍は千年で應龍(応竜)となる」と記されているわ」
「応竜が水をたくわえ、ってところがピンと来ないんだけど……」
「洋の東西を問わず、竜は水に関係があるからね。竜は河や水溜りがないと生存できないって言われてるし。おそらく雨乞いの対象だったんでしょ。
で、その応竜に対抗する形の雨師と風伯だけど、これは読んで字のごとく雨の神と風の神よ。この二つも農耕に関係があるわね。作物を生育させる雨と、とどこおりなく四季を巡らせる風。どちらも絶対に必要なものよ。前にも出した農耕神バアルは大気と雲と嵐を司り、稲妻によって雨を約束する豊穣の神よ。ギリシャの大神ゼウスが雷を武器にして雲と嵐を操るのも、バアルから引き継がれたものなの。これは蚩尤が豊穣の神としての神農の性格を受け継いだものと解釈できるわ」
「祭祀の対象が竜か牛かの違いというわけか」
「ふーん。それで、黄帝が天から呼んだ魃ってのはなによ?」
「魃は旱魃の魃よ。つまりひでりの女神ね。ひでりが原因で殺されるのに注目すると、さらに豊穣神としての性格が強まっていくわね。話はまたバアルに戻るわ。
洪水の神で七頭の龍の姿をとるヤムは、父神エルに強請して卑劣な策謀をめぐらす。
ヤムの脅しに屈しようとする、老いて力の衰えた最高神エルを尻目に、バアルは一人ヤムに立ち向かい、三叉の槍でヤムの頭を打ち砕き息の根を止める。
次にバアルは大地を乾燥させる死神モトと闘うが敗れる。バアルの姿が地上から消えると、大地は荒廃してしまった。
妹神アナトはバアルの復讐のためにモトに戦いを挑み、モトの体をずたずたに切り刻み、石臼でひいて野に捨てる。
モトが死ぬとバアルが再び蘇り、バアルは牡牛となってアナトと交わる。
しかしモトは死神であって真に死ぬことはなく、バアルと永劫に殺し合う。
ざっといってこんなところよ」
「牛神が竜に勝利して、次にひでりの神に殺されるところまでは同じね」
「そ。そしてひでりの神に殺されることこそが豊穣神の最大の特徴。
これは明らかに季節の交代のドラマよ。バアルが倒れるとモトが支配し、モトが倒れるとバアルが支配する。この繰り返しは雨季と乾季を擬人化したもので、播種の季節に収穫の季節が繋がるものよ。バアルの再生は雨季の開始と豊穣の約束、モトの支配は乾季の開始と荒野の誕生。
豊穣神は殺されるからこそ祭祀が絶えることのない存在なのよ」
「豊穣神の中の人も大変です」
「ヒーローのくせにあっさり殺されるのはそんなわけがあったんだ」
「ちなみにバアル神話の最大の特徴である死と再生の物語は西漸していって、フリュギアのアッティスに引き継がれたわ。アッティスは成人すると、人類を救済するために殺されて生贄になり、救世主になったわ。福音書に語られるイエスの人生はアッティス信仰の焼き直しだよー。
で、アッティスの肉体はパンとして崇拝者たちが食べたわ。最後の晩餐でイエスがパンを祝福して十二使徒に「取って食べよ、これはわたしのからだである」って言ったのはこれが元ネタ。。
処女懐胎も同じだよー。聖母マリアはキュベレイの化身で処女神ナナね。
治癒神としてのイエスもアスクレピオス、つまりバアルから派生したものだしー。
アッティスの受難は3月25日だよ。その日は「黒い金曜日」って呼ばれたわ。ちなみに誕生日は、もう察しがついてると思うけど12月25日。人間の妊娠期間は約266日でしょ?
陰暦計算でちょうど九ヶ月になるんだ。アッティスが死んだ時刻は同時に彼が懐胎された時刻でもあったの。
ちなみにこの地方じゃ3月25日が春分で、12月25日が冬至なんだ。まだ大地母神に名前がなかったころ、彼女は「受胎し、産まない神」でね。古代は妊婦こそ豊穣の象徴だとされて、春から秋にかけての九ヶ月間に及ぶ胎児の発育が地上世界の増殖と繁栄の保障になったの。
で、冬至の日に死産した後の彼女は何者も愛さなくなり、死の世界へ降ることになる。死の世界は冬の世界よ。それから春分の日に再び懐胎し、春が巡ってくるの。時代が下るとさすがに死産じゃ格好がつかなくなって子神が産まれるようになるんだけど、胎内が空っぽだと生育が止まるって考えは廃れなかったわ。だからアッティスは春分に殺されて受胎されるの。
で、キリスト教徒は彼らが大好きな論法を用いたわ。キリスト教が生まれる前に悪魔がキリスト教精神をまねして、異教の秘儀をこしらえたのだ、ってね。初期キリスト教の神父テルトゥリアヌスは「悪魔の偶像崇拝の秘儀を見ると、それは(キリスト教の)聖なる秘儀の主要な部分をそっくりまねしていることがわかる」なんて言ったしー」
「盗っ人猛々しいとはこのことだな」
「あんぎゃー!
その話は勘弁してくださいー! キリスト教の神学そのものが崩壊してしまいますー! これ以上続けるつもりならアンデルセン神父を呼びますよー!」
「まあまあこのへんで止めときましょうよ。ところで、蚩尤は蘇ったの?」
「それについての神話は残されていないわ。土着した羌族たちは蚩尤の復活の神話を持っていたかも知れないけど、たぶん散逸しちゃって今は残っていないの」
「負けた部族の神よ? 殺されたままでお仕舞いに決まってるじゃない」
「死と再生の神話として蚩尤伝説を見る場合、部族間闘争についてはひとまず横に置いておいたほうがいいわ」
「じゃあなんで?」
「黄帝が三皇、あるいは五帝として崇められるようになったのは戦国時代に入ってからよ。斉って国の御用学者が斉王の血統を神々の中から適当なのを探していったんだけどね。そのころの支那はすでに諸子百家の時代で、人文科学に対する知識もプラトンやアリストテレスが活躍した古代ギリシャと同レベルにまで達していたわ。戦国時代に先立つ孔子は「子(孔子)は怪・力・乱・神を語らず」って『論語』に宣言しているように、理解を超越した神々は人間の地点まで引き摺り下ろされたわ。そこでは殺されて蘇る神よりも、殺す神のほうが神格は上だと考えられたの。かくして斉の王家の田氏は黄帝を祖先とするようになりましたとさ」
「ふーん。ところでさ、その豊穣神話の本質としてはただの脇役に過ぎない黄帝ってよーするに何者なの?
なんだかんだいって黄帝じゃなくて蚩尤の説明でしょ、これ」
「黄帝は、『史記』だと姓は公孫とされているわ。もちろんデマ。公孫って姓は春秋戦国時代に生まれたものよ。意味はそのまま公(諸侯)の子孫。支配者の一族だからって無為徒食の連中を養っていけるほど甘くはないわ。そーいう連中は適当な姓を与えられて既得権を剥奪され、臣下の身分に落とされたわ。
このへんは平安時代に流行った皇族の臣籍降下に似ているわね」
「源氏も平氏も、もとはといえば臣籍に下った皇族に下賜された姓です。『源氏物語』の主人公の名前は光源氏ですが、正確には源光(みなもとのひかる)といいます。彼は桐壺院の次男で父帝に最も愛された皇子でしたが、母親の桐壺更衣の身分の低さから帝位を継承することなく臣籍に降下しました。源はそのときに賜った姓です。あ、名前の光は、生まれたばかりの顔がまばゆいほどの美貌だったから付けられたものです」
「馬鹿も休み休みいえ。分娩直後の赤子の顔など、ただの赤ムケのエテ公だ。紫式部は赤子を見たことがないのか?」
「私に訊かれても困ります」
「いいかね? そもそも女性の美が光り輝くのは極めて限られた期間に過ぎないのだ。第一次成長から第二次成長までのほんの数年間、堅い芽から毒々しいだけのビラビラの花までのつぼみに至るまでの時期。おお、不完全というあやうさに満ちたその美しさ! 造化の神の傲慢が人を男と女の両極に分けてしまった。神ならぬ我々に抗議するすべはない。しかしまた堪えることもできはしない。その神の眼の間隙を縫う幼女の美しさこそ……」
「ストップ・ザ・同志北辰! この場では同志の素晴らしいロリ談義も心無い女たちのために粉砕される恐れがある。ここはひとまず、その溢れ出る思いのたけを一時しまって、我々の同調者のもとでぶちあげてもらいたい。この我輩、微力をもって一席設けようではないか!」
「……それは私に対するあてつけですか?(ゆらぁりと黒鍵を構える)」
「だいたい光源氏は男性です」
「よーするに黄帝の姓は『国語』のほうが正しそうってわけ。姫姓は前も言ったように遊牧民族よ。『史記』では蚩尤に勝利した後の黄帝は、神農氏の後継者として諸侯に推戴されて天子の位に就いたとされているわ。これも後世の偽作でしょ。神農氏も蚩尤氏も黄帝もどっかの地方の小部族でしかなかったもの。支那全域に広がる大帝国が成立したのは秦漢時代に入ってからよ。で、そのありえないはずの天子の位に就いた黄帝はまつろわぬ諸侯を討伐していったわ。「絶えず移動して、都もきまった場所があるわけでなく、止まったところを兵営とし、周囲に軍兵をめぐらして防衛した」って書かれていてね、完全な遊牧というわけじゃないけど半分非定住の生活ね。もっともここで触れられているのは軍隊だけだから、中世ヨーロッパのカール一世みたいな生活を送っていたのかも」
「シャルル・マーニュがどうしました?」
「チャールズ大帝は首都を置かずに領地から領地に移動し続けたのよ。
これは遊牧とは関係ないわ。単に権力不足。というか当時のヨーロッパは暗黒時代で、国王や皇帝の権力なんて中国やイスラムに較べたらカスみたいなものだったわ。
で、そんな貧弱な権力しか持てなかったチャールズ大帝は自前の騎士団を率いて領地を駆け巡ったの。帝国の維持に必要な官僚を養う金なんてないんだから、自分で軍事力を引き連れて巡察するしかなかったのね」
「ふーむ、領地を持たず移動し続けるとはまるでママトトみたいだな」
「……わからない方はスルーでお願いします」
「えっと……上の三人、全員同一人物なの?」
「はい。アルクェイドさんはドイツ語発音、シエルさんはフランス語発音、アスカさんは英語発音です。あとスペイン語発音だとカルロスで、イタリア語発音だとカルロになっちゃいます。ヨーロッパの中の人たちは混乱しないんでしょうか?」
「あと黄帝の本名の軒轅だけど、『山海経』に軒轅の台とか丘とかが登場するわ。正方形の丘に神々の台があって、周囲はたくさんの神霊に荘厳されているの。
白川静氏はこの台をジグラットだって考察しているわ」
「ジグラット?」
「バベルの塔よ」
「すーなーのあらしにかくさーれたー♪」
「それ以上いったら蹴っ飛ばすわよ」
「そういえば『三国志』や『史記』の漫画を描いた横山光輝は『バビル二世』の作者でもあったな」
「ちなみに『バビル二世』はもともとアニメとのタイアップ作品でした。70年代ではけっこう多かったんですよ。で、もともと横山氏はタイトルを『バベル二世』にするつもりだったですが、アニメ側のスタッフが「響きがカッコ悪い」とかなんとかいう理由で『バビル二世』になっちゃったんです」
「あとあまり知られていないが『魔法使いサリー』の作者でもある。 横山御大は魔女っ子萌えの原型を築かれた偉大なる漫画家なのだ!」
「みなさんちょっと口を動かすのを止めてください! アルクェイド! あなたの解説はいつもいつも飛躍がひどすぎて、なにを言わんとしているのかさっぱりわかりません! もうちょっと噛み砕きなさい!」
「さんざん志貴に広げられてるくせにケツの穴が小さいぞー」
「ケツの穴ゆーな!! それと、なんであなたがそのことを知っているんですか!?」
「あのー、そういう十八歳未満お断りな会話はご勘弁願いたいのですが。 てゆーか、約一名の視線がヤヴァい位置にロックオンされてますよ。いーんですか?」
「……」
「コード・スクエア!」
「うわらば!!」
「なんでアミバ?」
「死の恐怖に直面しながらなおネタを忘れぬとは……同志北辰、君のことは永久に我輩の心の中で輝き続けることだろう!!」
「ネタのつもりじゃなかったと思うけど……」
「いくら蛇面でも、第七聖典の直撃を受ければさすがに復活は……」
「やれやれ、問答無用とはいささか寛容の精神に欠けるのではないか?」
「あなたいったい何者ですか!?」
「私は輪廻転生など信じぬ性質だからだな」
「そーいう問題ではありません!」
「シリアス世界から逸脱した人は放置する方向で行きましょう。えー、アルクェイドさんの解答に補足させてもらいます。
人類最古の定住農耕文化は紀元前六千年ごろにチグリス川とユーフラテス川の流域メソポタミアに発生しました。さて、「メソ」というのは」
「某セクシーコマンドー漫画に登場した珍獣のこと」
「ではなくて「間」、「ポタモス」とは「川」のことです。要するにメソポタミアとは 「チグリス川とユーフラテス川との間の地域」という意味ですね。
さてシュメール人たちはメソポタミアの南方地域にジグラット(「高い峰」という意味)という名の巨大な搭をいくつも建てました。というのも、もともとシュメール人はメソポタミアの北部に住んでいた山岳民族だったんです。彼らが支配するようになった南方の地域は地味こそ肥沃でしたが平地にあったので、いと高き天にまします神々を祭るには低すぎたんですね。そこで彼らは神を拝むための高い搭を建てました。つまりジグラットは神殿です。
で、そんなシュメール人たちにも凋落(おちぶれること)のときがやってきました。アッカド人のウル王朝に征服されちゃったんです。さて、シュメール人はその拠点をカ・ディンギルという地においていました。「神の門」という意味です。で、ウル王朝はその名称をアッカド語で同じ意味のバブ・イルに翻訳しました。これがバベル、ひいてはバビロン・バビロニアの本当の語源です。
天へ昇ろうとする人間たちの傲慢に神が立腹し、人々の言語を混乱させることで塔の建設をストップさせたというのはよく知られた話ですが、つまりユダヤ人の嘘っぱちです。
ヘブライ語では「混乱」という言葉をバレルと発音します。不信心の象徴とされた搭がバレルの搭、それが訛ってバベルの塔と呼ばれるようになった。そのバベルは後にギリシアでバビロンと呼ばれるようになり、さらにその地方一帯がバビロニアと名づけられた……望文生義もいいところです」
「暴君整備?」
「ボウブンセイギ。『文を望みて義を生ず』、つまり語呂合わせやこじ付けという意味よ。いっぺんその腐れ耳、誰かのと付け替えてもらいなさい!」
「それは無理な相談だ。我輩の耳は取り外しがきかんのだからな!」
「素で返さないでよ……」
「バベルの塔のモデルとされるバビロンのジグラッドは、ネブカドネザル二世の碑文の記載によれば、その高さは約98.5メートル、一階の面積は1.4平方メートルだったそーです。もっとも現在では基礎の穴しか残っていないんですけどね」
「さーんきゅ、ルリ。
ま、そんなジグラットに関係するわけだから、西方の影響を受けた部族だろうってこと。チベット系かどうかは知らないけど、たぶん羌族と同じように支那に渡来した異邦人よ」
「はい、天地開闢から支那人の祖先といわれる黄帝までの講義でしたー。
みんな、わかったかなー?」
「さっぱりわかりませんでした」
「つーか脇道に逸れてばっかりなのよ!
おまけに古代オリエントやらギリシャやら聖書やらにまで言及して!
話が錯綜しすぎてなにがなにやら……。
だいたいどこをどうやったら盤古と女媧と伏羲;と神農と黄帝のたった五柱でここまでふざけた分量になるのよ!」
「そんなこというと作者が泣いちゃうぞー」
「さあ、泣け! 泣いてルビーの涙を流すんだ!」
「ホント、脱水症状で枯れ果てるまで泣かせてやろうかしら……」
「ロザリーも死に際のうめき声は「ぐふっ!」だったな」
「いやほら、伝統ですから。ドラクエの」
「じゃ、まとめるわね。
天地開闢神話――盤古――苗族(南方の異民族、ミャオ・ヤオ族)
人類起源説話――女媧――苗族
三皇――伏羲;――苗族
神農――羌族(西方の異民族、チベット系)
黄帝――遊牧民族(西方系)×蚩尤――羌族
「こうしてみると、ことごとく異民族ですね」
「異民族ってったって、まだ漢民族なんて概念は生まれてないもの。
さて、次の講義は五帝と夏王朝についてよ」
「五帝って?」
「三皇に続く聖王たちです。三皇が神話時代とすれば、五帝は伝説時代といえるでしょう。あと夏王朝とは中国最古の王朝といわれています。考古学的証拠は一つもないんですけどね」
「そ。で、その五帝と夏王朝の実態はどんなものだったのか、後世の人間はどんなふうに神々を弄繰り回していったのか。それが主眼よ。
みんな、お楽しみにー」
「やればの話だがな」
「……空想具現化」
「! や、やめろ! ナメクジは、ナメクジは蛇の天敵なのだあぁぁ!」
「やっぱり蛇だったんですね」