友人の絵を見に行く。写真にエッチングを加えた作品。こんな作品をつくるんやなとやや驚き。硬質なハードな作品だった。ヘナチョコイクシマ、やや背筋をのばす。
帰り道、荒野の中をとぼとぼ。幸いなことにドニゴールウェザーには遭遇せず。
今回はハイヤーやヒッチ等、車をかなり利用したけど、やはりこうやって歩くのが一番かも。これをしないとこの地に来た実感が薄くなる。
「荒野の風を送ってくれや」友人のメッセージ。
「都会だって十分荒野やで。問題は風をどう感じるかや」答えるワタシ。
どんなビルディングでも、京都駅ビルでも、梅田のスカイビルでも、この地球という荒れ地を脅かすだけの存在感なんてあるはずがない。
「いつかは土に帰る」言い古された言葉。もしかしたら何億年前にこの地に何かがあったとしてもおかしくはない。
夜、セッション。S も登場。彼は明日から所用でしばらくドニゴールを離れるらしい。今夜が最後となる。
まあまあいい感じでセッションは続いてゆく。だがしかし。何か物足りなさを感じる。
ふと気がつく。そうだ会話に参加できていない。
演奏半分、会話半分なんです。ほんまにそうなんです。そうfield のセッションといっしょです。
以前、fieldのセッションは会話が多すぎる、という指摘を受けたことがあるけど、そいつらにこのセッションの様子を見せてやりたい。彼らはこのネイティブなドニゴール人達に同じような指摘をできるんだろうか。
ドニゴールのセッションが「絶対」と言ってるわけではない。ただ僕にはそれが自然に感じられただけ。
個人的な意見だが、演奏だけで続いてゆくセッションに違和感を感じる。もちろん会話だけでもこれまた異常だけど。
確かに音でのコミュニケーションは大切だし重要だけど、少しむつかし過ぎるんです。会話という気楽な手段も誰でもできる手段も必要なんです。対極にあるものと思いますが。
だからこの会話に混じれたらもっと面白かったとおもう。英語をさぼっている自分を恨むのみ。
どちらにしろいい感じでセッションは終了。別れ際、S がドニゴールの曲がつまったテープをプレゼントしてくれた。
やはり S のフィドルは最高だった。また彼の音に会いに行こうと思う。もう少し英語がうまくなって。