様々な場所で様々な物(様々な形、意味、時間、文脈を持った断片)を拾い、それを復元するという作業が自分の仕事である。
 この世で人々は日々あらゆるレベルにおいて修復、復元を繰り返している。道路や家の屋根の修理、自身の細胞組織の再生、新陳代謝、部屋の中や机上の片付け、頭の中の整理、何らかの観念や世界観の修正、全面的見直し、、、。理想的な国家や建築物創造の原点にも何らかの過去や神話世界の理想像をこの世に復活させようとする回路が隠されている。そういうわけで修復や復元は日々日常的に行われつつ、創造活動にも極めて重なってくる深く普遍的な興味深い生命的、人類的な行いである。
 私の仕事において一番大切にしていることは拾ってきた現実の事物の持つ固有な声によく耳を傾け、聞き取ろうとすることである。そうして、その断片が本来あるであろう姿に導いてやることである。
 一方で拾ったものの持つその属性はそれぞれ固有のものであり、自分自身の所有する時空間とは異なるものだ。ゆえに復元とは常に一種の「解釈」がともなう。それはある程度私的なもので、かつ現在という時間、世界に規定されざるをえない。もとの姿がはっきり解らない物の復元ではさらにそれが増大する。完全に正確な元の姿など誰も解らなにし、確かめようもない。そうして現実の作業において完全な意味で元どおりになることはありえない。
 そういう中で最も自分が重要だと思う点は、拾ってきた物の雑多で固有な属性と、自分自身の所有する時間、世界観という元来異なる者同士が「復元作業」の中で一つに出会い、一つの形を紡いで行くという点にある。自己と事物は時に相反し、ズレながらも、お互い導き合い、発見し合い、協調し合うことで、何んらかの形に導かれていく。
 復元像のズレに浮かび上がる、過去と現在(私の知らない他者の時間と今現在の私の時間)、工業製品と手作業、解釈の違い、趣味の違い、、、など様々な異種間の異なる声。それらの声は止むこともなく半永久的に浮上し続け、お互いズレあいながら、競合し、つながり、そのつど新たな関係を紡ぎだし続ける。それこそがこの世界の「リアル」であり、存在物の生命力、作品の力であるはずだと自分は感じている。