戦時物資供出のように―しかし鋳つぶすことなく。
 2012

 
 歴史上、自らの共同体が危機に接している時、自らの一部を「公」に差し出し、武器や資源として役立ててもらおうとすることがある。
 太平洋戦時中の日本は鉄不足で、生活空間から金物が供出され鋳つぶされ兵器に変えられた。生活用品から美術品としてあった記念彫刻まであらゆるものが材料となった。
 今回の自分の仕事も似たようなところがあった様に思う。自宅や自宅近辺から代用素材にあてられるものを次から次へと物色し、集荷し「鋳つぶされる」のではなく「切り刻まれた」。
 それはいらなくなった戦車を鋳つぶして東京タワーができたり、震災瓦礫で堤防をつくろうというのとは根本的に異なっている。なによりも、いらなくなった廃棄物の再利用ではなく、現在使用している必要品を「鋳つぶす」というところがまずちがう(その上で自分の場合、「鋳つぶし」代用物の形状を消してしまうということはない。切り刻まれるが代用物の形状を残し続けるので二重に異なっている)。
 だから廃品の流用・再利用とは違うのである(その意味で所謂「廃品アート」や資源再利用型の試行とはまったく異なっている)。震災から1年を経過した現在、被災瓦礫は材質ごとに分類集荷され、資源として再利用されようとしている。それ自体は大変結構なことであり現在必要不可欠なことであると認識してはいる。しかしその背景は、ある意味、雑多な物質を、解体して利用可能な資源に分類再利用しようとする、、例えば、それは、通常の工場における生産システムの延長にあるとも言える。さらには、震災瓦礫―人々のナマナマしい生活物品を資源に再利用する点からすれば、ある意味で人間存在を、純粋な資源として扱おうとしたナチスの強制収容所的発想をさえ想起させてしまうかもしれない。そこではもともとの総合的な存在性は否定され、個々の固有性や来歴は無視され、バラバラに切り刻まれ(鋳つぶされ)純粋な物質に還元される(無用物はよりわけられ捨てられる)。
 かくして我々になじみの生活空間を構成していた具体的な物品は、純粋な物質として、寄りわけられ、再利用されたり無用物として廃棄処分されたりしていく。
 我々が今必要なことは、震災の後始末を効率よく進め、その傷跡を消し去り、以前の空間に復帰する(その途上で少しでも資源の再利用化を進めマイナスをプラスにしていこうとする)ことだけではけっしてないはずだ。
 むしろ、あくまでも「被災」を刻印し、それを踏まえながら、もととは違う新しい道を模索しようとすることでなければならない。
 震災瓦礫は瓦礫のまま、我々の失われた日常を構成していた具体性を消し去ることなく、補完し、生きながらえさせるために、―もともとの形状や来歴を消し去ることなく―鋳つぶして純粋な資源物資とするのではなく、役に立たない雑多な状態のまま、普段の効率を犠牲にし、尊重し踏まえて行こうとする。
 そこでは、戦時中の様な、有用な生活必需品を鋳つぶして有用な兵器をつくるのとはまたちがっていて、有用な生活必需品を切り刻み、無用な震災瓦礫を復元しようとしている。
 それは、言ってみれば実用性を犠牲にした実用物による無用物(瓦礫)の「代用修復」なので、その行為と意志は、実用を越えた次元へ向けられる可能性がある。だからそれは一種の「回向」ともなりうるだろう。