<集積>  

「なおす・集積」とタイトルされる作品は、最初のきっかけとしての断片が、一つではなく、複数用いられることから、「集積」と設定してある。  複数の部分の寄せ集めによって全体像が形づくられて行く。ただしあくまで「なおす」という営みを基盤とするものなので、各々の断片が厳密に同じものの部分である必要は無いが、ある共通性を内在させている必要がある。それらが選ばれ、集積されるためのある種の必然性を持っていなければならない。言葉を代えれば、各々の断片の物理的特徴(形態、色彩、材質など)か、各々に付着する「完全像」に、共通性がなければならないということである。  そうでありながらも、各々の断片には各々の固有性があり、形状、色調、文脈、時間、、などの差異がある。複数の断片を寄せ集めるということは、それらの複数の固有性を持ち込み、複数の違った「基底面」を同時に並べることを意味する。
 「延長、復元」など一つの断片での修復が、断片(有)の新規修復部(無)による修復であったとすれば、この「集積」では、断片(有)の断片(有)による修復という側面がある。断片は新規修復部と対比されるだけではなく、他の断片同士とも対比されるのだ。  そのような多数の「基底面」による、戦い、協調、融合などから、全体としての「基底面」を湧出していくことになる。断片各個の固有性は、常に全体としての「基底面」と、きわどくせめぎあい続ける二重の存在となる。部分はあくまでも一個の固有な存在であると同時に、全体に寄与し構成する一要素とならなければならない。  このような複数部分による「集積」としての修復は、日常の世界ではけっして珍しいものではない。「断片」+「修復部」というシンプルな組成こそ限られている(いわゆる美術作品的な同一「基底面」上での「創造」は厳密にはさらに稀なことである)。実際では修復の重複、別な断片の応用、代用、付け足し、変更などが複合的に積み重ねられている。それは我々の街、家、部屋、庭、名前、文字、思考、、、あらゆるものの実体に共通している。それゆえ「集積」という複合組成のメカニズムに関して考察と実践を行うことは、大変意義深いことだと認識している。  一つの断片による「延長」、「復元」にくらべると、この「集積」は驚くほど複雑な様相を示して行かざるを得ない。複数の断片のせめぎあいから共通の「基底面」がどのように形成されていくのか。場合によっては結果として「なおす」ニュアンスから発展、逸脱していくこともある。そのような「基底面」生成の差異により、以下(集積、変異、増殖、合流、侵入、乗っ取り)と分類し各個に掘り下げて行くことにする。それは本質的に、各々が自立して異なる創造原理を有していると観るからである。