金碧障壁画 2001年

 

大和絵の伝統的美意識は、明快さ、率直さ、伸びやかさ、装飾性などといわれるが、これは埴輪や伊勢神宮にもつながる大和民族的特徴といえよう。湿度が高く、深い森や山におおわれた風土、そしてそこにうらずけられた形のはっきりしない流動的な神のイメージ、そのような現実感と、それは大きなギャップがある、というより正反対ですらある。
 自然や神の現実感にうらずけられない、そこからなるべく距離をつくろうとするかの造形表現は、我が国においてしばしば聖性(「外部」)の無いただのつくりもの、愛贋物としての工芸品に陥る必然にあると私は思っている。それゆえ埴輪や伊勢神宮の造形は消滅や空洞という「無」と隣り合わせで成り立つようセットされてきたものであり、そのためたんなるつくりものが、かえってつくりものであるゆえに神聖でありうることをさきに述べた。 大和絵の場合それがたんなる飾り、工芸品に陥らず、なんらかの芸術的な価値が生じるとすればどのようなことにおいてであろうか。それはひとつにさきに述べた、屏風、ついたてなどの流動的な形式においてであろう。そしてもうひとつは、主に「金」などの具体的な物質の使用においてではないだろうかと考えられる。安土桃山時代の世俗権力の建築物を埋め尽くしたといわれる金碧障壁画では、大和絵的伝統が多分に入り込み、豪壮で色鮮やかな表現が実現しえた。このような現実肯定的なしかも豪壮さは、日本の「絵」では大変珍しい。仏教も神道も山水画も先きにふれたとおり基本的には、物質的世俗的人的力をストレートに表出するものではありえなかった。のちの浮世絵木版も現世的だが、豪壮にはなりようがなかった。
 金碧障壁画の支時体は、障壁のうえに金箔が貼られたものであり、そのことがこのような現世的で力強い表現を違和感なく可能にした重要なポイントだと考える。金はたんに富みや豪華さを示すものではなく、日常的な光とは異なる超現実的な光を発することで、画面だけでなく、その空間を異次元化し緊張感みなぎる場に変えてしまう働きがある。その描写自体は装飾的で人為的創作的意匠(「内部」)であるが、その金地(「外部」)とこうおうすること(「二重性・同時重層的」)で、世俗に終らず一種高揚した聖なるハレの空間たりえることができた。同じ狩野派の障壁画でも、金地の時と、白地の時では、まったくその描写、色使いが異なり、2つの異なる「世界」を「地」によって描き分けていたのが解る。
 金碧障壁画の聖的で現世的な表現は、あくまでも「金」という具体的でかつ「外部」的な光を宿した下地によるものである。同じ描写が白地でおこなわれたとすれば、いわゆる装飾的な低次元の作り物に陥ったに違いない(近代の日本画はある意味でその愚をおかしているとも言える)。白地の場合いかに狩野派や宗達であっても、基本的に伝統的な水墨、筆法をいかした、余白とこうおうし、生成しかつ消えいくような形態描写にならざるをえない。それもこれも「外部」を保管ししかも二重性を同時重層的に関係づけるためなのである。