<境界三角形>

 

 始原的な「境界」では、大別して、「防御」/「交流」/「攻撃」の3種類のいとなみが演じられてこざるを得ない。これは生物が外界に対して取りえる処世のパターンを示している。人間が長い年月の間つくりだしてきた表現―造形も、この3パターンのどこかに位置付けられる。

 

交流  <融和> 
<生活>   
防衛―――攻撃   <敵対>
   
     <分離> ― <接触>bb      

 

 「交流」は融和に結びつき、「防衛」と「攻撃」は敵対を前提としている。また「防衛」は分離に至り、「交流」は適度な距離・接触をつくり出し、「攻撃」は、相手との衝突・接触に至る。接触の極限値は同化・一体化であり、敵対的同化は征服・支配を意味する。また分離の極限値は没交渉であり、敵対的分離は断絶・無関係を意味する。それぞれの軸に応じて様々な度合いが生まれる。以下具体的に述べていく。

例えば壁―城壁のようなものは外と内を区切りながら、その区切りを半永久的に持続させようとしたつくりとなっている。「防衛」はこのような外壁・防御壁のイメージが典型であろう。永続し続ける強固な壁には、多くの場合石材が使われる。後述するが石は同時に災いを封じ込めるという象徴的な力、魔よけ的機能も加味されている。日本書紀でも黄泉の国をイザナギが遮断するために石積みを行なっている。そもそも境界に置けれる境の神や様々な守護神像は、このような防衛壁を象徴的に凝縮させた石材による造形芸術の重要なルーツの一つである。

「防衛」に対する「攻撃」はコインの表裏であり、どちらも「外」に対して「敵対」するベクトルにある。魔よけはそのまま呪術的な呪力を発揮し攻撃性に転じる。「攻撃」に使用される武器は、過去も現在も、その共同体が持ちうる最高水準の技術とエネルギーが費やされる創造である。その武器や甲冑、あるいは守護神の威容・意匠は、その共同体そのものの象徴となり、外に向けられた顔ともなり、防御力ともなる。このように「攻撃、防御、交流」は多くの場合連動している。

また、そういうことからしてもわかるように、防御壁にもかならず門がある。それは人や食料や水を取り込み吐き出す通気口となる。この門は「交流」、「攻撃」のために必要不可欠ではあるが、防御的にはつねに弱点となり、裏切り者がカギを開けて攻め込まれる等の事例に事欠かない。外壁そのものも、相手を威圧し「力」を象徴的に表現し、あるいは美しく飾られ共同体を外へ向けて知らしめる「交流」の外壁ともなる。例えば衣服というもうひとつの外壁を考えてみればよくわかることだ。それは寒さを防ぎつつ、自らを飾り、自らを誇示し、自らの所属する集団と位置をしらしめる、防御、攻撃、コミュニケーションの諸機能をあわせもつ。
 他者と接する境界領域では、他者をもてなし交易する、かつて鎖国時代の長崎・出島や、神々をあそばせ、かつ鎮座してもらう神社仏閣としての「交流」的装置が設置されていく。様々な祭りや芸能、祈りの所作、造形はこのような「境界」領域でいとなまれる。後述するように造形表現の主たるルーツである供物や依りしろもこのような、「境界」領域での、他者との「交流」において生み出され進化してきたのものである。

この「境界三角形」の内側がいわゆる境界で区切られ守られている共同体日常空間と想定される。いわゆる衣食住にともなう様々なものづくりがこの領域で行われる。ただ純粋な衣食住のみの造形というもの、あるいはそのような価値観は、後述するように後代になってからであると想定している。純粋な日常茶器は、おそらくこの3角形の中心に位置するだろう。一方で儀式に使用される格式高い器は「交流」の道具としてつくられる。

*さらに別な次元から「境界」というものを考えた時、「器」はそれ自体、外と内、寒さと温かさ、不定形とまとまりを区切る境界となる。注ぎ口や上蓋を通じて外側とつながっており、一個の器をこの境界三角形にてらして考察してみることも可能であろう。