「セ・ラ・ヴィ」を告げる音

中川璃々




中川璃々

 旅の途中でふと見かけると、思わず足を止めてしまう店がいくつかあるが、その一つに古本屋さんがある。
 とくに何か探している訳ではないが、古い家屋の奥に掘り出し物があるような気がしたり、読みたかったものが安価で売っていると荷物を増やしたくないと思いながらも、つい買ってしまう。 「探していたけど絶版なのよね」と言い訳するのは、荷物を持つのは夫なので、本一冊増やすのも気が気ではないからだ。
foto;Chateaux de la Loire-Chenonceau© OVET

 私と夫はそれぞれ選ぶ本が違うため、お互い相手の買う本には干渉しないが、それでも面白いモノは一緒に笑いたい、共に感心したいと思い『ちょっと、この箇所だけでいいから読んでみてよ、数ページだからさー』など、無理やり読ませ合うことが多い。
『今、手が離せないよ、あとで』と断られても、『じゃ、こっちで読むから耳だけ貸して』と傍らに座り込んで読むのだが、相手に漢字の読み間違いを指摘され口論に発展することもあり、こうなると一緒に笑うどころではない。
 ごくたまに、旅先の街に昔からある古本屋さんで、何気なく手にした一冊をパラパラめくっていると、頁の余白に線を引いたり感想等をメモっているものに出遭うことがある。  こういう偶然の発見はちょっと嬉しい。
「どういう人が持っていた本かな……」と、かつての持ち主に思いを巡らすうちに、いつしかその人の風貌や職業、暮らしの佇まいまで見えてくる気がして、本の内容より、むしろそちらの方に興味が湧いてしまう。

 最近、このような余白のメモから事実を推測していく手法があることを知った。  伝記作家や歴史家は、研究対象者の所有していた本を丹念に調べて、余白に書き込まれた感想や覚書を収集するそうだ。
 余白のメモは、他人に読ませるためにでなく自分の覚書として残しているので、本人の肉声に近い本音が読み取れるということだろう。こうして集めた僅かな情報を組み立てて、史実にもとづく仮説を裏づけていくことをマルギナリーというそうだ。
 新史実の発見も、こういったマルギナリーの中から見つけ出されることが多いというから、余白の落書き様なものでも侮れない。
 本を通して心の軌跡を辿る……古本のかすかに湿った匂いの中に潜んでいる余白のドラマを探しだす……これもまた旅のかたちの一つではなかろうか。

 ドラマといえば、私は、古書や骨董品のオークションに密かに憧れている。
 映画にもよく登場するシーンだが、一度でいいから、落札の際、机に打ち下ろされる木槌の音を会場で実際に聞いてみたいのだ。
 先日、フランス文学者の鹿島茂氏ご自身が、パリの古書オークションに行った時のことを書いた作品を拝読したが、世界に一つしか無いとされる肉筆原画付の本を落札するために、パリのドルオー会館まで出かけた際の顛末で、その臨場感が面白い。
 件の本の予定額は一九九〇年当時で二十万フラン(五百万円)。鹿島氏は家と土地を担保に銀行から金を借り「撃ちてし止まん」の意気込みでフランスに向かったそうだ。

 結果は、予定より二万フラン安い十八万フランで落札成功。会場に待望のハンマー音が響いて「やった!」と思ったその瞬間、それまで会場の隅で一言も発しなかった中年女性が叫んだ。
『ビブリオテック・ナシオナル(国立図書館)!』
 競売吏は大きな声で『十八万フランでビブリオテック・ナシオナルに決定!』と宣言した。
 喜びもつかの間、呆然としている氏に、知り合いの古書店主が説明してくれたのはこうだった。
『どんな本でも国立図書館やルーヴル美術館などの国立機関が優先権を主張すれば、その落札価格で本は自動的に彼らのものになってしまうのさ。国家的財産を守るために法律でそう決まっているから仕方がない。どうしてもというなら、連中の予算では購入できない高額まで無理やり競り上げてしまうこったな。でも、そんなの馬鹿げていると思うだろう。なら、いさぎよく諦めるんだ。セ・ラ・ヴィ(それが人生だ)』(「一冊の本」七月号)

 かくして、著者が家まで抵当に入れ人生を賭けた本は、この瞬間、永遠に失われた。
 しかし『こんなのありか?!』と憤慨したものの、横取りされてほっとした気持ちも起きなかったわけでもないとあって、私は、落胆半分、安心半分の複雑な心情の著者に、僭越ながらも大いに共感してしまったのである。

 それにしても、静かなる緊張感に満ちているオークション会場で、声高らかに叫ぶ『ビブリオテック・ナシオナル!』には誰も勝てない。
 世の中には、どんなに望んでも手に入らない物があった。
 永年、憧れ続けてきたオークション会場の木槌は、どうやら人の世のドラマが凝縮している「セ・ラ・ヴィ」を告げる音らしい……。『葦牙journal 』77