福島第一原発の緊急事態が示したこと
牧 梶郎 (『葦牙Journal』No.93)
まずは、三月一一日に発生した大地震・津波の犠牲者および被災者に深甚よりのお悔やみとお見舞いを申し上げます。観測史上最大といわれるこの自然災害については、その被害の大きさや深刻さをふくめ今後とも様ざまに検証されていくことになろうが、ここでは、それに派生して生じた福島第一原子力発電所の緊急事態を取り上げて論じてみたい。もとより原子力に詳しいわけでもない一市民の立場からであるから、高度の専門性は持ちようもない。それでも、素人なりに、というより素人だからこそ、東京電力と政府のおこなった対応や説明について、より率直な疑義や批判を提起することはできるだろう。放射線量と放射性物質
住民避難指示が出された後の原子力保安院や東電による記者会見で、原子炉付近の放射線測定値が通常の何倍もの異常を示したという事実がまず報告され、ただ、この値は人体に影響を与えるレベルよりまだはるかに低い、という説明がなされた。すなわち、一番高い観測値は通常の千倍以上の四〇〇マイクロ・シーベルト/時(μSv/hr)だが、これは胃のエックス線検査一回分六〇〇μSvより低く、CTスキャン一回分六、九〇〇μSvの一七分の一でしかないから、住民の健康には全く問題ない、というものである。この一見科学的にも見える説明に一時納得させられた時期もあった。ところが観測値が上昇するにつれ、比較する対象も拡がって、そもそも人間は何もしていなくても自然から年間二、四〇〇μSvの放射能を浴びているのだから、観測値が一、〇〇〇を越えてもさして問題はない、といった議論まで飛び出した。ここで最初の「?」が始まった。自然に浴びる放射能は、原発事故があろうがなかろうが存在しているのであり、今回の異常値はそれに上乗せされるべきで、単純に比較しても意味はない。それに発表されている値は一時間あたりの量であり、四〇〇μSv/hrは一年間続けると三五〇万μSvであり、自然の放射線量の一、四六〇倍の強さなのである。その後に観測された最高値四〇〇ミリ・シーベルト/時、すなわち四〇万マイクロ・シーベルト、ともなれば自然の放射線の実に百万倍以上となる。こうした数値を知れば国民は大いに驚き不安をもつのは当然の成り行きで、だからこそ政府はもとよりNHKまでもが手を貸してまやかしを承知で安全を強調したのだろう。
もうひとつの誤魔化しは放射能の危険性に関して放射線量と放射性物質の違いを意識的に混同している点である。その違いがはっきりしなければ、放射線量がまだまだ安全レベルであると強調しながら、それではなぜ政府が避難指示や屋内退避を勧告したのか、という疑問への答えはでてこない。ここで放射線とは強い電磁作用をもつγ線とα線などの粒子線を指し、放射性物質はそうした放射線を出す能力を持つ物質である。二十日深夜になって政府は、退避区域の住民が外出する場合は、マスクで口を覆い、肌は露出しないようにと公式に勧告したが、これは放射線を浴びないためというより放射性物質を体内に取り込んだり皮膚に直接触れさせたりしないためである。エックス線検査やCTスキャンでマスク着用が要求されることはないが、これは検査ではx線という放射線が照射されるだけで、被験者が放射性物質を浴びたり吸い込んだりすることはないからである。現在問題になっている放射線は空気中の放射性物質のガスもしくは微粒子から放射されているのであり、その線量は外部から被曝する限りはたしかにそれほど問題にはならないかもしれない。ところが肌に付着したり体内に取り込まれたりした放射性物質は、微弱ながらも人体に密接して放射線を出し続け、内部被爆をもたらす。
こうした内部被曝に関しては科学的知見がまだ確立していないが、たとえ線量が小さくても長期的に人体に与える影響は甚大だとする説もある。放射性物質の種類によっては、放射性ヨウ素のように、体内の器官(ヨウ素の場合は甲状腺)に蓄積され、新陳代謝でも容易に排出されず、遺伝子に影響を与え癌の原因となることが知られている。政府が放射性物質に言及しないのは、放射性物質は原子炉内部に閉じ込められ決して外部には出ない≠ニいうことを、原発の安全性を主張するひとつの根拠としてきたからだろう。現在までのところ放射性物質としてヨウ素とセシウムの存在が報告されているが、海外のメディアや政府が日本の危機意識が弱いとして、自国民の帰国を勧告しているのはこのためといっていいだろう。二十日の夕方に政府は、福島産の原乳と茨城産のほうれん草から、食品安全のための暫定基準値を超える放射性物質が検出されたと発表した。いうまでもなく食品に関する基準は放射性物質を体内に取り込む内部被曝を前提としており、その暫定基準値は外部被曝より厳しい(その後の報道からその差は約十倍のようである)。全く安全だといわれた線量でしかなかった地域の農畜産品が安全基準値を超えたのはそのためである。
第一号〜第六号機の状況
地震発生時に福島第一原発では第一号〜三号機が稼動中であったが、緊急時に対応する制御棒の働きにより原子炉内の核分裂反応は抑制され、運転は一応安全に停止された。残る四号〜六号機は定期検査中で、運転はされていなかった。いかに大きな地震だったとしても、東北電力の女川原発がそうであったように、本来ならこれで終わりのはずだった。ところが丸一週間が過ぎた三月二十日現在も緊急事態は続いている。各炉の状況は以下の通りである。
一号機:原子炉圧力容器内の圧力・温度が高くなったため放射性物質を含む水蒸気を一部外部放出し、真水を注入して圧力・温度を下げようとしたが失敗した。その後、なんとか海水を注入することで小康を保っているが、燃料棒が一部水面上に露出している状況は変わらず、燃料棒からの放射性核廃棄物の放出は続いているものと思われる。出力が最少で核燃料棒の数が、運転中のものも貯蔵中のものも少ないせいか、今のところ水素爆発は生じていない。
二号機:炉内の状況は一号機と同じで燃料棒の水面への露出はあるものの海水注入後は小康を保っている。ただ、格納容器の最下部にある圧力調整ォヌに亀裂が生じたようで、そこから放射性物質が漏れ出していると思われる。また、使用済み核燃料貯蔵プールでも水位が下がり、露出した核燃料棒の温度が上がったため発生したと思われる水素が爆発し、建屋の上半分が吹き飛んでいる。そのため貯蔵プールで発生する放射性物質はさえぎられることなく大気中に放散されている。現在は、新たに導入する外部電力による冷却装置の再稼動を目指して作業中である。三号機:炉内は一号機や二号機と状況はほぼ同じであるが、使用済み核燃料棒の貯蔵プールでの温度上昇が著しく、二号機より大きな水素爆発を起こした。建屋の上半分の損傷は二号機よりひどく、常時水蒸気が立ち上っているのが目視されてきた。昨日来、むき出しになった貯蔵プールめがけて、ヘリコプターや消防車からの注水が繰り返し試みられている。
四号機:地震発生時は定期検査のため運転休止中であったが、取り出されたばかりの燃料棒の温度はもともと高く数も多かったため、貯蔵プールでの温度が上がり、小規模な水素爆発による火災を二度引き起こした。燃料棒はいまだ水面上に露出していると思われ、明日からは自衛隊消防車による放水で温度低下を目指している。
五号/六号機:予備の電源による冷却装置が細々と使えたせいもあり、貯蔵プールの温度は徐々に上がってきてはいるものの、水素を発生させるまでには至っていない。予備の電源をもう一つ回復させたというから、こちらは当面心配する対象とはなっていない。
原子力保安院は本日に至って、今回事態の危険度を、従来主張していたレベル4からスリーマイル島原発事故と同じレベル5に上げたことを報告した。
緊急事態はなぜ長引いたのか安全なはずの原子力発電所で緊急事態が発生し、その解決にこうまでも時間がかかっているのはどうしてなのか。もちろん、そのきっかけとなったのが「想定外の」大地震であり大津波であったことはいうまでもない。特に、十数メートルもの大津波に対する備えがなく、予備の電源装置やそれをまかなう燃料のタンクやポンプなどを流出させてしまったことが、そもそもの始まりだった。それでも安全停止ができた女川原発に比べて、東京電力の危機管理に対する甘さは責められてしかるべきだろう。
緊急事態をすぐ収束させる最初のチャンスは、原子炉内の温度・圧力上昇が認められた直後だった。米政府は回路外からの海水大量注入を勧め、そのための援助を申し出たが、肝心の東電側が断ったという。東電が従来からの真水の循環にこだわったのは、いったん海水を炉内に注入してしまうとその炉はほぼ廃炉にするしかなくなってしまうからだろう。しかし、応急電源の能力不足のせいもあって真水の注入はうまくいかず、燃料棒の露出と放射性物質を含む蒸気の原子炉外への放出を余儀なくされてしまった。結果として(政府の強い要請があったともいわれている)、東電も海水の注入を実行せざるを得なくなったが、この間失われた時間は取り返しようがない。原子炉圧力容器および格納容器を守ることを第一義として奔走している間は貯蔵プールにまで気が回らず、水素爆発を何度も許してしまい、構内の放射線量を危険なまでに高くしてしまったからである。
その後、自衛隊、警視庁機動隊、消防庁などに要請して、空と地上からの放水を計画したが、雰囲気中の放射線量が高いため、準備に必要以上の時間がかかった。自衛隊のヘリコプターや消防車による初期の放水は、文字通り「焼け石に水」でほとんど効果がなかった。機動隊の高圧放水車からの放水は、デモ隊相手とは勝手が違ったのか、距離を詰められずに失敗し面目を失った。最終的には、高機能の消防車を総動員した消防庁の一〇時間にも及ぶ連続放水が効果を上げ、三号機の貯蔵プールも小康を得た。現在は、「事態打開の切り札」として外部電力の導入に向けて準備が進められている。こちらも作業雰囲気の放射線量が高いことが最大の障害となり、作業は予定より大幅に遅れているが、電線自体は一号機と二号機までは繋がったという。これですぐすべての冷却システムが再開するかどうかはまだ分からない。それでも事態は最悪のシナリオから離れて改善の方向に進むかもしれないと、本日のニュースでは、放水や電線施設がいかに危険で大変な仕事であったのかを繰り返し報じ、楽観的ムードが漂い始めていた。
緊急事態が収束に向かうのであればいうことはないのだが、ここで大きな疑問がまたひとつ浮かぶ。外部電力の回復が「事態打開の切り札」だなどと今さらいうのであるならば、どうしてそのことに、従来の外部電力が止まり、予備の電源が使えないと判明した時点で取り組まなかったのか。そうすれば、結果はともかく、放射線量をそれほど気にすることなくもっとスピーディに電線の敷設は終えることができただろう。なんといっても電力供給は東電の本職ではないか。放水についても、今になって高機能車輌があちこちから名乗りを上げて福島に向かっている。なぜ放射線量が危険レベルになる前に、そうした動員ができなかったのか。今回の東電と政府による一連の対応は、兵力を小出しにしてずるずると戦況を悪化させる旧日本軍の典型的な負け戦のパターンを追っているように見える。戦況を一気に転換させるには戦力の一気大量投入しかないということは、クラウゼヴィッツの『戦争論』を持ち出すまでもなく今や常識といってもいいだろう。
思い切った施策ができなかった理由は明白である。当事者の東京電力が利潤を求めるケチな私企業だったために、コストのかからない方法で何とかしのぎたいと考えたからである。海水投入への抵抗、放水車の大量動員への躊躇、大規模電力回復への努力不足、など背景はみな同じである。東電の本社記者会見での目も当てられない混乱・醜態ぶりも、真の動機を隠そうとする不自然さが故だろう。菅首相が東電に乗り込んで東電の社会的責任を問い、合同対策本部を構築してから事態がやや早めに動き出したのは、その反証といっていい。原子力発電のような危険な事業を東電のような営利を目的とする企業に任せていれば、同じことはまた繰り返されるにちがいない。チェルノブイリ原発事故の元汚染除去責任者ユーリー・アンドレフ氏も自らの経験をもとに、今回のような危機を一つの営利企業の技術者の手にゆだねるのは無理で、こうした危機的状況に対処できる、原子力産業やIAEAから独立した国際的な専門組織を作り任せられるようにするべきだ、と述べているという。
何を教訓とすべきか
福島第一原発の緊急事態は、危機的状況を回避できたかに見えるが、まだ予断は許されないし、終わりはまだまだ見えてこない。使用済み核燃料というのは厄介なもので、熱は終わることなく出続けるので、ふつうの火事のように水をかけて鎮火すればそれで終わりというわけにはいかない。断続的であれ連続して冷やし続けなければ、その中に含まれる放射性物質が空気中に放出されてしまう危険は付きまとう。十分な電力により冷却システムが働くようになっても、放水で注入したのは海水でありそのまま運転を続けるわけにはいかない。再び真水に変換するとして、放射性物質で汚染されている海水をどう処理するのか。廃炉覚悟で圧力容器内に海水を注入した第一号〜三号機をいかに処分するかはそれ以上の難題であろう。その過程では、放射性物質による大気や水質への汚染、人体への影響が再び問題になってくる。 今回あらためて明らかになったのは、目に見えないし臭いもなく、自覚のないままに確実に人体を蝕むという放射線や放射性物質の恐怖である。いったんその放射性物質が大気中に放たれてしまえば、防御もできず、解毒もできず、人間は逃げるしか打つ手がない。これまでの原子力行政は放射性物質は炉内に閉じ込め外部には絶対漏洩させないのだから安全だ≠ニしてきたのだが、その神話が破れたのが今回の事態であり、破れてみれば知らないことばかりだったというのが現実である。対応が後手後手に回ったのは、コストを優先する東電の姿勢にも起因するが、実は先の予測がつかずどうしたらよいか分かっていなかったからでもある。というわけで、今回の最大の教訓とすべきは、原子力発電はまだまだ未知の領域を残した未完成な技術であり、潜在的な危険性の大きさを考えれば当分封印すべきものだ、ということではないだろうか。それを世論として定着させるためには、避難指示や退避勧告を受けた住民および農畜産物を汚染された農民による、東京電力と国を相手とした損害賠償の集団訴訟を起こすことも一法であろう。地震・津波は自然の不可抗力としても、被害を拡大させたのは東電や政府の対応の拙さや遅れが原因であると主張するのである。そうすると巨額の賠償金を払いたくない東電や国は、「事態がどう推移するかは誰にも予測できなかった」と弁解するに決まっている。そうした抗弁が通るようならば(その可能性は大いにある)、原子力発電技術は未だ不確実性の大きな未完成の技術であることを認めたことになり、原発設置の差し止め訴訟のひとつの論拠ともなるだろう。 (三月二一日未明記)
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