第33回 「葦牙ふぉらむ」報告の骨子

中村文則『掏摸』 大江健三郎文学賞受賞作品

小説で《掏摸》を定義する小説 ……【報告者】 山根 献



【報告】

 小説は「塔」で始まり「塔」で終わる(あとがき)。「塔」は閉ざされ、自己完結した空間を象徴する。天網恢恢、悪いことをすれば必ず天罰が下る世界。
善悪の区別は何に基づくか? 悪とは、正義・道徳・法律に反すること。たとえば、古代中国では、特に重く罰せられた10種の罪、@謀反・A謀大逆・B謀叛・C悪逆・D不道・E大不敬・F不孝・G不睦・H不義・I内乱であった。[*1]
テーマは、鼠小僧次郎吉(一七九五?年─一八三二年、江戸後期の盗賊)に似る。武家屋敷を専門に盗みをはたらいたが、捕らえられ処刑されたという話。義賊として脚色されて有名になった。義賊とは、金持ちから金品を盗み、それを貧民に分け与える、義侠心のある盗賊をさす。

小説は日常生活で私たちには見えない闇の世界を照らし出す。そこには仁義なきたたかいがある。だが、事実は小説より奇なり。なるほど今日の国民不在の党利党略、私利私欲の政財界の実態を目の当たりにするとき、私たちには見えない密室では想像を絶する仁義なき死闘が現に繰り広げられているかもしないと思う。
相撲賭博が発覚すると、暴力団が「反社会的集団」と呼ばれだした。小説では、この種の集団は外部からのいかなる犯罪の摘発も不可能にするシステムで周到に防禦されている。
「ホームレス」も存在する社会に僕は親しみをもち、広義の「ホームレス」(掏摸という市民としてのアイデンティティ喪失者)として、この社会の闇に寄生し、犯罪(殺人)に加担する羽目となり、あげくのはてに組織犯罪の証拠隠滅のために自分自身が殺される。この人間の尊厳を一切無視するメカニズムの暴力には鬼気迫るものがある。

掏摸とは何か、
@「スリを職業といえるのか」。「売春は人間最初の職業」二番目はスリ。既存の所有関係[資本論]に反する。
A「まだ、僕が小さかった頃、行為の途中、よく失敗をした。」スリの条件としての熟練。クラフトからテクニック。現代社会のテクノロジーのなかで「ものを作る人(人間の条件)」として人は技を身につける。掏摸はものを作らない。もっぱら熟練による目的達成のスリルを味わう。
このAには若干補足が必要である。[*2]

産業社会の発展は「機械は労働者を《職人》の地位から《人夫》に格下げする。機械は労働者を隷属させ、その意識を弱め、労働者のエスプリ(機知)を無にする。エスプリは機械に移り、人間は思考能力を鈍らせる。」(プルードン―小原耕一訳)[参照:小原耕一「プルードン思想の再審──プルードンと初期マルクスとの関係を中心に」『葦牙』37、2011年7月]

一八四〇年代の論議だが、掏摸はこうした労働者とは逆である。掏摸は、機械に従属させられることなく、「職人」としての技能をたかめ《職人》の地位とエスプリを維持し続ける。

 掏摸とは何かのAの補足、上記小原耕一の「プルードン思想の再審」では、1840年代にプルードンの『貧困の哲学』を批判したマルクスが『哲学の貧困』において、「自動機械工場は特殊専門人と職業白痴を一掃する」という「この唯一の革命的側面を[プルードンは]理解することさえできなかった」と批判した。これに対してプルードンはマルクスの労働者が機械化のなかで、むしろ熟練度を喪失する側面を見落としているところを見ていたとされる。
高度に発達した科学技術社会のなかで、機械化される労働によって熟練度を喪失する人間に対して、掏摸として意思的に熟練に生きがいを見出しながら、内面で、呵責を深めていく人間が捉えられる。この小説のアイロニー[*3]がここにある。

僕はそういう男である。ときどき想いだす別れた女「佐江子」は、僕と密通した作中で唯一名前のついている女だが、「私が駄目になったら、今でも十分駄目だけど、本当に破滅したら、また会ってよ」といった。彼女の夫が発見したときには彼女は大量の薬を飲んで自殺していた。通俗的な破滅型人間類型だが、ここにはなぜか、いまなお胸を打つものがある。

  売春で生計を立てる母親に強要され、スーパー食品の盗みを日課とする少年と僕は出遭う。僕は少年のなかに小さかった頃の自分を発見し、技を伝授しようとするが止める。この二人の人間関係の成立だけがこの小説を読む者を救っている。だが、そこまでで追求は終わっている。

私はそこで「遠くには、いつも塔があった」という僕の言葉にいざなわれ、オーデンの詩句の一節をここに添えることにした。【* 4】 ふたりは泣き、争った。自由はそれほど荒々しかった。/前方には成熟がそびえていたが、登るにつれて/地平線のように、未熟の身から遠ざかっていき、/……/危険と懲罰とがしだいに大きくなっていった。/(沢崎順之助訳)。

foto© K.Y



  報告【補遺・注解】

【*1】

「悪」とは何か、

そのほかの規定
:「五悪」(五戒にそむく)偸盗、邪淫、妄語、飲酒、
「五常」仁、義、礼、智、信にそむく
「第十戒」The Ten Commandments:(1)あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。(Exod.20:3)、(2)あなたはいかなる像も造ってはならない(20:7) (3)あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。(20:7)、(4)安息日を心に留め、これを聖別せよ。(20:8-10)、(5)あなたの父母を敬え。(20:121)、(6)殺してはならない。(20:13)、(7)姦淫してはならない。(20:14)、(8)盗んではならない。(20:15)、
(9)隣人に関して偽証してはならない。(20:16)、(10)隣人の家を欲してはならない。(20:17)。
なにを基準に「悪」と「善」を区別するのか。これほどの違いがある。小説『掏摸』は最近流行の「正義」論としても読むことができる。問題は法の精神であるともいえる。一般に、統治する側の立場から支配権力にとって必要な都合のよい「善悪」の基準である場合が多い。

【*2】

「ものを作らない人間」とは、ハンナ・アレントの言い方をすれば「人間の条件」に欠ける人間存在、すなわち、もはや「労働は人間の本質ではなくなった」ことをあらわす。マルクスの資本論を超える、ないしは資本論に反する「人間の条件」の生活世界といえないか。
参照:山根 献「ホモ・ファーベルという言葉のアジュチュアリティ」
(アドリアーノ・ティルゲル著、小原耕一・村上桂子訳『ホモ・ファーベル──西欧文明における労働観の歴史』

【*3】

ロマンチックなアイロニー【romantic irony】という文学批評上の用語がある。
作者が、自分で作った虚構の幻想を破裂させ、幻想が構成された過程を自己の気まぐれのとして暴露することで、所与の仕事の限界から自己が解放されたと自覚の合図を送る。
一種の文学的な自己意識の内面作用をいう。[Oxford concise dictionary of LITERARY TERMS , CHRIS BALDICK]

【* 4】

大江健三郎が愛した詩人のひとりオーデンの詩句を引用した。「葦牙ふぉらむ」の討論で導入部《小説は「塔」始まり「塔」で終わる。「塔」は閉ざされ、自己完結した空間を象徴する》に関連して、「塔」に関する意見が出て、カフカ『城』の「城」との類似性が指摘された。
オーデンの詩句も、こうした生活世界の具体が内面世界の抽象性と融合する瞬間をとらえた一例として引用したが、小説の豊な読みのを教えてくれる指摘だった。
付け加えれば、憧憬の対象たるカフカの「城」は、どちらかといえばメシア的な憧憬の到達点として、メシア的世界を表象しているとすれば、『掏摸』の「塔」は、その向こうにあるはずの現実の生活世界は、すでにみずから廃棄してきた、少なくともそう観念されている、いわば反メシア的、憧憬に反する冷たい世界といえるだろう。オーデンの詩句の最後の数行には、そうした心象が織り込まれたいるように思われた。