Spacewar!/Space Wars

Spacewar! /Space Wars

 まず歴史的に重要なことは、これはアーケードとしては史上初のベクタースキャン作品であることです。また、これの基になったゲームは、1962年に DEC 社のミニコン PDP-1 のデモ用に作られた「Spacewar!」です。

#「Spacewar!」からこの「Space Wars」へ至る歴史については(歴史編)にまとめておきます。ここではゲーム内容に関して、オリジナル版から変更された点について、以下でコメント的に触れておきます。
 宇宙空間を舞台に、2機の宇宙船がミサイルを撃ち合う、対戦専用のゲームです。1人では遊べません。左側のプレイヤーは三角形の自機、右側のプレイヤーは六角形の頭に細長い胴体のついた自機を操ります。

#ちなみに、オリジナル版「Spacewar!」においては自機はその形から、"wedge"(くさび)と "needle"(針)と呼ばれていましたが、両方ともオリジナルから若干デザイン変更されており、こちらでは特に名称はなさそうです。
操作系

 操作系はそれぞれ右旋回、左旋回、推進、ミサイル発射、ハイパースペース、の5つのボタンとなっています。

#ちなみに、オリジナル「Spacewar!」は2ジョイスティック+1ボタン(ミサイル発射用)で、横方向に動くジョイステックが左右旋回、もう1つの縦方向に動くジョイステックは向こうへ押すと推進、手前に引くとハイパースペース、という仕様でした。

 これらの操作系ボタンの他、0〜9までの数字が書かれた10個のキーパッドが5列×2行でならんでいます。これらはゲームのレベルを選択するためのボタンであると同時に、様々なイベントを発生させるためのボタンでもあります(詳しくは後述)。その他にリセットボタンがあるのですが、これについても後述。(注:MAME ではリセットボタンが設定されていないようです。)

 なお、これはアーケードとしては史上初めてハイパースペースを採用したゲームでもあります。ハイパースペースに回数制限はありませんが、何度も続けていると、そのうち自爆するようになっています。おそらく、ハイパースペース1回当たりの生き残り確率が設定されているはずで、回数を重ねる毎に自爆する可能性が高くなっていきますので、使い過ぎに注意しましょう。

#ちなみに、(アーケードという制限なしで)史上初めてハイパースペースを採用したゲームがオリジナル版「Spacewar!」です。オリジナル版ではハイパースペースは3回までと制限されていましたが、ワープする時に宇宙船の周りを一瞬光が取り囲むという視覚効果がついていました。(余談ですが、ワープのことを”ハイパースペース=超空間”と呼ぶのは、4次元空間を想定して、第4軸の方向へ移動すれば、3次元空間から見たらワープしたように見えるであろう、という概念に基づいています。)
ゲームの開始

 ゲームは時間制で、デフォルトでは1コイン当たり90秒(ディップで可変)です。ゲーム中のクレジット追加は随時可能です。コイン投入後、まずキーパッドでゲームのレベルを選択します。おおまかにビギナーレベル、中間レベル、エキスパートレベルの3つのレベルがあり、それぞれ以下のように細分化されて、計10種のゲームを選択できます。  レベル選択後、あるいは新しいラウンド毎に、ゲーム開始まで約5秒間は戦闘準備モードです。この間、画面の両端のランダムな位置から対面するように宇宙船が現れ、所定のスタート位置へ自動的にゆっくり移動します。ただし、スタート位置へつく前に移動したりミサイル発射することが可能なので、あまり意味はありません。この準備モードの間、画面上の左右にはそれぞれの対戦成績が表示されています。画面上の真ん中には、常にゲームの残り時間が表示されています。
デフォルトのゲーム内容

 デフォルトでは画面の上下と左右はつながっており、星空を背景に、中心には太陽があります。太陽が重力源となり、自機やミサイルは重力場の中でニュートン力学の法則に従って動きます。また、しばしば障害物として隕石が飛んで来ます。ミサイルで迎撃することはできません。もちろん、隕石も重力に従って動きます。

#ちなみに、、オリジナル版「Spacewar!」においては、ミサイルは重力の 影響を受けずに直進するようなっていました。これは、当時の計算能力 ではすべての物体を重力に従って動くようにするのは無理だったため。そして、そのことに理屈をつけるために、ミサイルは「光子爆弾」という設定になっていました。なお、オリジナル版では隕石は登場しません。

#ちなみに、オリジナル版「Spacewar!」においては、おもしろくするため、わざとニュートン力学から計算されるよりも余計に加速がつくよう設計 されていました。「Space Wars」でもそうなっているかどうかは不明。

 ミサイルと燃料には制限があります。ミサイルは18発で、燃料はビギナーレベルのみ250カウント、他のレベルは150カウントです。対戦中は画面上の左右にそれぞれ2つの小さな数字が表示されていますが、上側は燃料の残りカウント、下側はミサイルの残り数を表します。ミサイルと燃料はラウンド毎に補給されます。ミサイルは一度に4発まで連射可能です。また、ミサイルは一定時間(約3秒程度)で消滅するようになっています。従って、射程はミサイルの速度によって変わります。

#ちなみに、オリジナル「Spacewar!」では、ミサイルは31発のようです。たぶん。

 制限時間内により多く相手を破壊した方が勝ちとなります。自爆は相手の得点になるので注意。自爆となるのは、太陽に落ち込んだ場合、隕石にぶつかった場合、ハイパースペースで運が悪かった場合、自分のミサイルで自機が死んだ場合、です。相撃ちや衝突で両方死んだ場合は、双方に得点が入ります。また、部分ダメージ制を採用しており、ミサイルが宇宙船を”かすった”場合、宇宙船の一部分のみ破壊され、推進力は半分になるけれども、まだ死なないでいます。なお、自機が破壊された時、バラバラの線分になって散りますが、この壊れ方もこれが元祖で、後に様々なベクターゲームで採用されます。(「ルナーランダー」、「スターホーク」等々…)

#ちなみに、オリジナル「Spacewar!」から宇宙船の壊れ方にはこだわっており、もともとは粉々の点になって霧散消失するようになっていました。この壊れ方はラスター向きの表現なので、よりベクター向きな、バラバラ の線分になる壊れ方に改良したと思われます。
イベント

 以上がデフォルトのゲーム内容ですが、ゲーム中に1〜5までのキーパッドを押すことにより、次の5種類のイベントを発生させることができます。
  1. 画面端で反射
  2. フィールドの拡大(フィールドの端はディスプレイの外側の”仮想画面”上になる。)
  3. ブラックホール(真ん中の太陽が目に見えなくなる。重力の効果は変わらない。)
  4. 負の重力(重力が引力ではなく、斥力(反発力)になる。)
  5. 無重力
 複数選択も可。ただし、共存できるイベントとできないイベントがあります。例えば、1 と 2 は共存可で、両方選択した場合、目に見えない仮想画面上の 端で反射します。また、4 と 5 は共存不可で、後から押した方のみ有効です。なお、ビギナーレベルではそもそも重力の効果がないので、4,5 は意味がありません。プレイヤー自身の手でイベントを発生させなくてはならない点はさすがに時代を感じさせますが、当時としては画期的であったのでしょう。

#様々なレベルやイベント等のほとんどは、オリジナル「Spaceawr!」から派生した様々な亜流の中で生まれたものです。この点からすれば、アーケード版「Space Wars」は「Spacewar!」の様々な亜流の集大成である、と言えます。もっとも、亜流の数は実際にはもっと多く、ここに盛り込まれているのはごく一部にすぎません。

 リセットボタンを押すと、選択したイベントはクリアされます。この時のラウンドはノーゲームとなります(どちらにも得点は入らない)。リセットボタンはまた、両者とも弾切れ&燃料切れになり、これ以上どうしようもない状況の時にも使われます。(注:MAME にはこのリセットボタンが設定されていないので、いったん選択 したイベントは最後まで変えられず、また、両者とも弾切れ&燃料切れになった場合は、どうしようもありません。)
Tips

 ハイパースペースを押した時、自機が消えて再びランダムな位置に現れるまで、若干のタイムラグ(1秒ちょっと)がありますが、この間にミサイル発射ボタンを押すと、(ワープ先ではなく)元いた位置から、自機が見えないままでミサイルが発射されます。

 ニュートン力学の速度の合成則に従って、ミサイルの速度と自機の速度がベクトル量として加算されることに注意して下さい。例えば、進行方向へミサイルを発射した場合、自機の速度がそのままミサイルに加算されます。ミサイルの速度が速いほど、ミサイルの射程が長くなることにも注意。また、進行方向と逆向きにミサイルを発射した場合、うまくスピードを調節すれば、ミサイルの速度をほぼゼロにして、機雷のごとく空間に留め置くことも可能。うまく操作すれば、自機を人工衛星や惑星のごとく、太陽の周りをぐるぐる回る周回軌道に乗せることも可能です。(負の重力や無重力では不可。)選択したレベル/イベントによって、相手を倒すための戦略は変わってきます。例えば、画面端で反射のイベントを選んでいる時は、ミサイルの反射を利用する、そうでない時は、画面の反対側に抜けるショットを利用する、等々…。

 エキスパートレベルの強い重力で、かつ負の重力の時に、太陽の中心を正確に狙ってミサイルを撃つと、それがまっすぐ自分に向かって戻ってくるという、高等自爆技(?)も存在します。偶然に起こる可能性は極めて低いです。

 なお、背景の星空をよく見ると、左側に北斗七星、右側にオリオン座が見えます。気付いてましたか?

#ちなみに、オリジナル版「Spacewar!」では、天文学的データに基づき、(位置だけでなく、輝度まで含めて)実際に見える星空の背景が用意されており、しかも、プラネタリウムのごとく、時計に合わせて動いていました。
歴史編

 インストラクション編で触れたように、「Space Wars」の基になったゲームは、1962年に DEC 社のミニコン PDP-1 のデモ用に作られた「Spacewar!」です。(PDP は Progmammed Data Processor の略)

#ミニコン(ミニコンピューター)とは、当時の汎用大形コンピューターに比べて小型で安価のコンピューターのこと。大きさはタンスくらいはあったのだが、それでも当時としては十分小型だったのです。

 この「Spacewar!」はビデオゲームの歴史を語る上で非常に重要であるので、(アーケードゲームのデータベースとしては不要な点も多いですが、あえて)ここで少し解説します。通例、「Spacewar!」は史上初のコンピュータービデオゲームであると言われます。

#もっとも、何をもって史上初とするかは難しい問題です。米国ブルックヘブン国立研究所のウィリアム・ヒギンボーサム博士 (William Higinbotham) による、オシロスコープを用いた「ポン」の原型のようなゲーム「Tennis for Two」(1958年) が史上初とされる事もあります。また、1950年代初頭すでに、Whirlwind という大形コンピュータ(まだ真空管の時代!)上で動く「Bouncing Ball」というゲームも存在していました。しかし、これらは現在の意味での「コンピュータービデオゲーム」とは見なせない、とする意見もあります。

 この点に関しては、「Spacewar!」は「初の『コンピュターゲーム』でも、初の『ビデオゲーム』でもないかもしれないが、初の『コンピュータービデオゲーム』ではある」という言い方が的を得ているのではないかと思われます。1961年、MIT(マサチューセッツ工科大学)のコンピュータプログラミングの研究室に、DEC 社は PDP-1 を1台寄贈します。研究者達はこの PDP-1 のシステムを熱心に解析し、やがて改造し始めます。こういう人たちがいわゆる”ハッカー”の元祖となります。

#ハッカーとはもともと、コンピューターのシステムを熱心に解析する人達のことで、現在一般的に使われる犯罪者的な用法は誤用です。
 その元祖ハッカー達の1人であるスティーヴ・ラッセル (Steve Russell) 氏は、研究室の公開日に向けて、PDP-1 の性能を見せるデモ用のプログラムを書くことにします。SFマニアであったラッセル氏は、SF小説からヒントを得て、宇宙空間で2つの宇宙船がミサイルを撃ち合うという宇宙戦争ゲームを作ることに決め、「Spacewar!」と名付けます。ちなみに、アイデアの基になった小説とは、エドワード・E・スミス (Edwared E. Smith) 氏の”スカイラーク・シリーズ”と”レンズマン・シリーズ”。

 ラッセル氏が初めに作った「Spacewar!」のひな形は、重力もなく、ハイパースペースもない、とても素朴なものでしたが、MIT のハッカー仲間達が次々と新しいアイデアを盛り込み、改良していきます。こうして、ラッセル氏を中心に Peter Samson 氏、Dan Edward 氏、Martin Graetz 氏、Alan Kotok 氏、Steve Piner 氏、 Robert A Saunders 氏の協力の下に完成した、1962年5月に一般公開されたバージョンをもって”オリジナル版”「Spacewar!」と称されています。オリジナル版に盛り込まれているフィーチャーは、  等です。ちなみに、ディスプレイはレーダーのような円形でした。ラッセル氏はこのオリジナル「Spacewar!」をパブリックドメイン(著作権フリー)とします。このことが、今後歴史的発展の上で重要な意味を持ちます。
 「Spacewar!」のソースコードはパブリックドメインであるがゆえに(当時、紙テープという媒体で)急速に全国に広まります。そして、各地の大学で、それぞれのハッカー達が独自の改良を施していきます。  etc...。余談ですが、1968年頃、Ken Thompson 氏は DEC PDP-7 上で「Spacewar!」をより遊びやすくするために、新たなOSを開発するのですが、これが後のUNIX の原形となります。
 「Spacewar!」はやがて他機種にも移植され、さらには独立して作動する単体バージョンを作ろうとする者も現れます。ここまでくると、これで商売をして一儲けを企む人が登場するのは必然的な流れと言えるでしょうか。1971年、スタンフォード大の Bill Pitts 氏と Hugh Tuck 氏は、DEC PDP-11 版「Spacewar!」を「Galaxy Game」という名前のコイン投入型単体ゲームに改造して、学内に設置します。お金をとる商用ビデオゲームとしては、これが史上初とする説もありますが、企業が作って流通させたわけではないため、通常はアーケードゲームの歴史から除外されています。

 同じ1971年、ユタ大のノーラン・ブッシュネル (Nolan Bushnell) 氏は、卒業後、急激に下がり始めた半導体の価格を見て、「Spacewar!」の単体版を商用として売り出そうと考えました。彼はナッチング社と契約し、自分なりに改良した「Spacewar!」を「コンピュータースペース」として販売します。これが普通、史上初のアーケードビデオゲームと見なされているものです。

 「コンピュータースペース」はオリジナル「Spacewar!」とは違い、1人でも遊べるよう工夫されていました。1プレイヤーゲームでは、コンピューターが操作する2機のUFOと撃ち合います。2プレイヤーの時は元祖「Spacewar!」に比較的近いものでした。しかし、操作が複雑・スピードは遅い・デザインも今イチ、というわけで、商業的には失敗でした。生産されたのは1500台程度。しかし、これにめげないブッシュネル氏は、その後、自らアタリ社を設立し、「ポン」を売りだして大ヒットするわけです。
 1976年、MITを卒業したラリー・ローゼンタール (Lally Rosenthal) 氏は、TTLベースの「Spacewar!」の基盤を開発し、後のアーケード版「Space Wars」のプロトタイプに当たるものを作成します。ローゼンタール氏はこのプロトタイプ版をいろんな会社に売り込みますが、その際、売上げの50%を著作権料としてもらう!という法外な要求をふっかけたために、皆断られます。そんな中、シネマトロニクス社だけがその条件で同意し、ローゼンタール氏と契約を交わします。シネマトロニクス社は「ポン」のブームに乗じてその海賊版を作っていましたが、その後、新しいゲームをつくる技術がなかったために、倒産しかかっていました。「Spacewar!」は起死回生の新商品として、まさにうってつけだったのでしょう。

 シネマトロニクス社の「Space Wars」は、まず1977年10月28日、シカゴで開催されたAMOAショーに出品され、そこで最大のヒットとなり、1978年には年間で最も稼いだゲームとなります。日本でこそパッとしませんでしたが、米国では「ポン」と「スペースインベーダー」の間で最もヒットしたゲームでした。ちなみに、ローゼンタール氏は自ら開発したベクタースキャンモニタの特許を取得しており、「Space Wars」はそのモニタを使用しているため、彼は著作権料とは別に、さらに特許使用料まで稼ぐことになります!

 1978年初頭、「Space Wars」完成後すぐのことですが、ローゼンタール氏はシネマトロニクス社を去ります。(著作権料のこと、あるいは次の作品の契約のことでもめた、と言われているが、詳しいことは不明。)この時、彼はプログラムの開発ツール、およびプログラミングに関するあらゆる技術資料を根こそぎ持っていってしまいます。これでは後の開発に支障を来たすところでしたが、当時シネマトロニクス社に入社したてであったプログラマの Tim Skelly 氏は、基盤のリバースエンジニアリングでなんとか不明の情報を解明し、事なきを得たそうです。

 シネマトロニクス社を去ったローゼンタール氏は、1978年秋頃、シネマトロニクス社の同僚だった Bill Cravens 氏と共にベクタービーム社を設立します。そして、こちらにも「Space Wars」を作る権利があると主張し、シネマトロニクス社版「Space Wars」と実質同じゲームを、「Space War」(最後に "s" がつかない)の名前で作成・販売し始めます。こうして2つの会社からまったく同じ内容の作品が販売されることになり、しまいには訴訟問題に発展したようです。しかし、それは意外な形で和解することになります。1979年秋、ベクタービーム社が設立されてから約1年目の頃、シネマトロニクス社はベクタービーム社を買収したのです。

 こうして再びシネマトロニクス社で一元化されて販売された「Space Wars」は、米国においてはインベーダーブームの中でも依然として好調なセールスを維持し、1980年においてもなおトップ10に入る、ロングランヒットとなります。日本とはえらい違いですが、これは国民性の違いなのでしょうか。
 なお、「ポン」や「スペースインベーダー」のように、ヒット作はすぐ海賊版が作られる時代でしたが、意外にも「Space Wars」はそのヒットの割に、海賊版は出回らなかったようです。ローゼンタール氏の著作権のおかげでしょうか?

 唯一のあからさまな亜流としては、アタリ社の「オービット」(1978年、MAME 未対応)があります。これは要するにラスター版「Space Wars」で、10個のボタンがあることまで含めて「Space Wars」と同じです。しかし、「オービット」には「Space Wars」にはないイベントとして、  が追加されています。(「宇宙ステーション」は、2つの宇宙ステーションが太陽のまわりをぐるぐる回ります。2人のプレイヤーにはそれぞれ自分用のステーションがあり、自機が自分のステーションに入ると、燃料補給されます。また、ダメージを受けているときは修復されます。お互いに相手の宇宙ステーションは障害物となり、触れると死にます。)

 他には、アタリ「アステロイド」も「Space Wars」の亜流の範疇に入るかもしれません。そういえば、(以前レビューした時気付きませんでしたが)アタリ「グラビター」の重力って、よく考えたら「Space Wars」そのものですね。あれ?なぜかアタリ社ばかり…。

#アステロイド余談
実際、「アステロイド」は「Space Wars」でしばしば飛んでくる隕石を見て思い付いたと言われています。ハイパースペースの機能や、三角形の自機の形も「Space Wars」のあからさまなパクリです。アタリ版の1人用「Space Wars」と言っても過言ではないでしょう。

 また、見方を変えると、アタリの「タンク」(1974年, MAME 未対応)などは、舞台を宇宙から地上へ移した地上戦版「Spacewar!」とも言えます。もしかしたら、アーケードにおける「Spacewar!」の発展というのは、この「タンク」を皮切りに、「Space Wars」とは全く別の方向へ進化して行ったのかもしれません。しかし、この別方向への発展史まで語り出すと、話が発散しすぎるので、この辺でやめておきます。
 「Spacewar!」はビデオゲームの原点であり、「コンピュータースペース」を通じて、アーケードビデオゲームを生み出しました。また、「Spacewar!」を造り出した元祖”ハッカー”の精神は、フリーウェア文化を形成しました。MAME はこのフリーウェア文化に支えられています。してみると、今日我々が MAME でアーケードゲームを楽しむことができるのは「Spacewar!」があったからこそ、と言えるのではないでしょうか。
こうやまより補足:
 この頃の海外ゲームは日本に入ると、どれか1つの国内メーカーだけ海外と同じ名前で、他のメーカーは別名でゲームを出す事がよくありました。「Space Wars」はタイトーが「スペースウォーズ」、セガが「スペースシップ」の名前で出していました。この2社以外に他のメーカーも出していた可能性がありますが、詳細不明です。

 ゲームオーバー  アト1カイアソベマス