田無追突事故

特別掲載:1986年3月23日田無追突事故

 これは公共の交通政策と言うこのジャンルと関係ありませんが、家にためてある物を整理してたら出て来たので、特別に公開します。

 当時物心ついていた鉄道趣味人なら誰でも覚えていると思いますが、この日、私の家の最寄駅である西武新宿線・田無駅で、大雪による追突事故が発生、電車は夜までストップし、社会的にも結構話題になりました。

 その時ここぞとばかりに写真を撮っておき、また同人誌に執筆する形等で当時の情報も残しました。近い将来当時の同人誌から書きなおす形で文章情報も載せますので、とりあえずご覧つつご期待下さい。

 また各被写体の大半は、現在では駅舎や駅前の再開発により、大きく姿を変えているので、現在の姿と見比べてみるのも一考かと思います。

 北口。集結した救急車。

 よく見ると救急車は「高井戸」と書いてあり、他にも未掲載写真に久我山とかあるので、相当あちこちから集めて来た事がわかる。

 この駅ビルは現在立て替えられている。ちなみ右上の水色の幕は、ライオンズの試合予定。
 駅ホーム北東(新宿)側端の道路。

 注意してもらいたいのは電車の位置。事故を起こした編成は8連だが、本来8連はこの位置に止まらない。私が目撃した時は8連と10連の中間地点に止まっており、追突のショックで前に滑り出したものと思われる。

 なお写真には納めていないが、この新宿側の2連は編成単位では最も被害が軽かった為か、事故直後にも自力で動け、写真右側の引込線(この写真では黒い傘の左上に隠れてしまっている)に移動していた。
 駅東(新宿)側のバス通りの踏切。東が北でひばりヶ丘、右が南で武蔵境。

 見ての通り、線路はもはや雪で完全に埋まっている。
 上の写真をアングルを変えて撮ったもの。向こうが北でひばりヶ丘、手前が南で武蔵境。

 右のビルは一階が家具店、二階以上がマンションだったが、現在はやはり取り壊されて銀行になっている。
 さらに上の写真を、田無駅バス停旧位置から撮ったもの。東が北でひばりヶ丘、右が南で武蔵境。

 左に消防指揮車が映っている通り、消防(レスキュー)関係の車はこの辺にかたまっていた。また当時の雪の深さは、この写真が一番わかると思う。

 左の茶色の建物はおもちゃ屋で、ここもLIVIN(西武百貨店)となり、このおもちゃ屋は百貨店の一テナントとなっている。このバス停も再開発で駅北口に移動してしまい、今では南側に降車専用ポールがあるだけで、当時の面影は全く残っていない。
 南口の階段。

 はり紙の内容は「お知らせ/現在、新宿線、池袋線とも運転が止まっております。/開通見込み不明です。」紙を持つピンクの靴下は愚母。

 ところで階段の右上をよく見ると、手すりだけで壁が無いが、その後壁が付けられた。そして今では駅舎立替えにより、全く同じ場所に違う階段が鎮座している。
 駅北西にあった西武バス田無営業所車庫から。左が東で新宿、右が西で小平。

 衝突地点はここよりもっと西だったが、職員がここから先には皆を入れなかった(すぐ後で車庫内は全面立入禁止になった)事故にも関らず、バス車庫のコンプレッサーが「ガガガガ…」と響いていたのが印象に残っている。

 衝突時の車両同士のぶつかり合いはこれでわかってもらえると思う。連結面の手すりは曲がってしまい、妻の塗装もはげているが、実は翌日都心に行く用事があった所、ホームにはまだ黄色い塗装が落ちていた。これは拾って生徒手帳に入れて保存しようとしたのだが、結局紛失してしまった。

 また見ての通り車内には乗客が残る。骨折も発生したそうで、停電で暖房が効かない中、寒さに震えながら救出の順番を待っていたそうな。

 この車庫は再開発で文華女子校前に移った。現在駅舎の近くは銀行となっており、同じ位置からの撮影はもう物理的に出来ない。
 駅南、つまり2つ上の写真から少し西に行った所で、先頭車同士の衝突を撮影。左が西で小平、右が東で新宿。実は衝突場所はここでなく、西(左)に2両行った所なんだけど、写真としては大差が無い上こちらの方がわかり易いので、こちらのみ掲載。

 よく見るとこちらも電車の正面がズレている事がわかる。特に出っ張ったおデコの標識燈は完全にメリ込んでしまったそうだ。

 もう一つ言うと、私が前述の衝突地点を撮影してた時、私の左隣でNHKのカメラが撮影を行っていた。夕方のTVニュースではその映像が流れ、衝突地点がググッとズームアップされていた。
 最後に立てるアホは小生。一連の撮影終了後、愚母に撮影依頼。高校卒業直前の顔である。

 どーでもいいけど私の家も再開発され(笑)この玄関をおがむ事はもう二度と出来ない。

 全体の始発駅へ戻る  このジャンルの分岐点へ戻る