B.狭山事件
いわゆる狭山事件は、1963年5月1日、埼玉県狭山市で起こった高校生中田善枝さん「誘拐」殺人事件に始まります。
狭山差別裁判(以下、「狭山」)という言葉を聞くと、裁判の話かとの受けとめがあります。確かに、裁判の話です。石川一雄さんを獄にに閉じ込めているのは裁判ですし、裁判によってしか、石川さんの無実出獄を実現することは出来ません。
しかし「狭山」は単に裁判の話ではありません。
無実の石川さんを獄に閉じ込めた張本人は警察、裁判所ですが、誤った逮捕、裁判を支えている背景があります。「被差別部落は犯罪の温床」との差別的人間観をあらわにしました。警察の被差別部落集中見込み捜査と石川さんの逮捕、第1審浦和地裁における検事論告や判決文、確定判決以後のすべての判決に存在する過度の「自白」偏重に、それが示されています。「狭山」が単に警察や裁判所のデッチあげでないのは、これと同じ差別的人間観が人の暮らしの中に息づいているからです。
「狭山」は、部落差別が原因となりましたが、暮らしの中では、部落差別だけでなく、民族差別や性差別、「障がい者」差別やその他の差別が原因となって、人が差別的に扱われたり、みられたりしています。「狭山」の取り組みは、差別裁判をただす闘いであるとともに、もっと基本的に、人のありふれた暮らしを見つめ直す生活作りのことです。
「狭山」は石川さんの青春を奪い、現在もなお、日々人生を奪っています。私たちが部落差別や他の差別を容認するのではなく、差別するのでもない、人と人との関係を豊かにする日々の暮らしを生活の場に気付こうとするのが「狭山」の取り組みです。
日本社会における部落解放の課題として受けとめ、社会で働く教会の部落解放運動をめざして1978年以来、数々の取り組みを組織しています。
部落差別にもとづく冤罪狭山事件を日本社会における部落解放の課題と受けとめ、社会の中で働くキリスト者・教会の部落解放運動をめざして数々の取り組みを継続しています。キリスト者も含め、全国からの再審請求署名が2007年5月23日までに総数100万人を越え、最高裁判所へ届けられました。
●狭山事件の証拠開示・再審を求める署名ハガキ
(Word版:ハガキの表裏に印刷してお使いください)

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