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TEA TIME

広島の城
2002記

市電を紙屋町で降り、真っ直ぐ東へ向かうと広島城に突き当たる。
隅櫓と白壁がお掘の水に映え、鴨が遊んでいる。典型的な平城であり、大阪城のように巨石を組んだ石垣もなく、
どこか女性的な趣すら感じられる。
過去を消し去ったような平成の世の平和でのどかな風景である。


歴史を辿ると、この城は、政治・経済の中心地として機能する城郭をめざし、また、戦略上も考慮して大田川河口の三角州に、
戦国の英雄毛利元就の孫、毛利輝元が築いた。
関ヶ原以後、城主は福島氏、浅野氏と代わる。
現在の広島は、その基盤を毛利氏が固め、町の拡充を福島氏(福島正則)が図り、以後明治まで250年間の平安を浅野氏が保ったと言えるだろう。


廃藩置県以後、城内には旧陸軍の師団司令部が置かれ、広島は軍都として新しい役割を担わされた。
それに伴い、城の旧施設は取り払われて行く。
特に明治7年には本丸・三の丸で出火し、本丸御殿等も焼失し、大天守、中・裏御門、二の丸等を残すのみとなってしまったという。
それすらも昭和20年8月6日の原爆で14万人の命と共に全て焼失した。
350年余りの文化の集積が明治維新後100年足らずで消滅してしまったのだ。

現在の五層の天守閣は昭和33年に復元したものだそうだが、内部には博物館があり、広島の歴史を知ることができる。
戦災、それも原爆からわずか13年後の復元である。それだけお城は市民の誇りであり象徴だったのであろうか。
現在多くの城跡がそうであるが、公園になっていたり、立派な県の施設がひしめいていたりするものである。


それでも幾許の寂寥感を感じる。
過ぎた時の重みがそうさせるのかもしれない。
お城の土手の小道を辿ると、崩れかけた石組みがあったり、老木がけなげに葉を茂らせていたりする光景にぶつかる。
そんな時、ふっと「つわものどもが夢の跡」か…などとつぶやきたくなるものだ。

城内には、旧大本営跡というものもあった。やはり原爆で吹き飛んだらしい。
その他旧軍関係の跡や碑がやたら目につく。護国神社もある。勇ましい銅像がたっていた。
何か、違うのではないか。
被爆したユーカリの木があった。今も幹の反面に焼けた跡を残しているが逞しく生きている。
正に物言わぬ被爆の生き証人だ。もっともっと生きてくれ!

がんばれ!がんばれ!


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