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TEA TIME

赤穂の城、盛岡の城、富山の城 その1
2002.08.18記

播州赤穂といえば、赤穂義士と鯛に塩。
この季節、瀬戸内では穴子が旨いというが、どうもあのウナギもどきはあんまり好きではない。
そこで、鯛でも食してみようと夜に歩き回ったが、なにせ土地勘もなく、結局ホテルに戻り
大げさな和食を食べる羽目になった。不味くはないが旨くもない。
ただただ、馬鹿高い値段に腹が立った。

ホテルは丁度お城の対面。翌朝気をとりなおして行ってみることにする。
そういえば、赤穂義士の話の中に城引渡の場があった。
筆頭家老大石内蔵助は「城を枕に一戦」とはやる藩士を押さえ、塵一つ残さず明渡したという。
そんなお城だが、お城的には影が薄いのか、少なくても私には「へぇー、お城があったの」という感じしかなかった。

お堀に柳。城下町らしい落ち着いた風情だ。

お堀に沿って城跡に入る。入り口に歴史博物館がある。
展示物は製塩に関すること、城のこと、赤穂藩のことそして赤穂義士だ。
立派な建物で内容もそう悪くはないが、見学者は私を含めて2組。ちょっと寂しい。

このお城は赤穂の浅野家が江戸幕府の特別の許可を貰って甲州軍学の築城法で縄張りをしたとのこと。
もっとも、太平の世にはちょっと時代遅れの発想だったかも知れない。
5万石とはいえ、製塩による収入で内情10万石。お城の規模も立派である。
さてさて何もなければ、300年安泰にこの城を保ったんだろうな。


元禄のあの有名な事件は一瞬にしてこのお城の運命を変えた。
浅野家の後は下野烏山より、永井直敬が3万3千石で入り、その後信濃飯山へ転封。
美作津山藩を断絶された森家の名跡を継いだ森長継が、備中西江原2万石を経由して、
子の森長直が2万石で赤穂に入る。
浅野家の半分にもならない石高で随分窮したらしく
このお城の修繕もままならなかったという。

浅野家は3代、50年余である。後はほとんど森家の治世だが
今はどこを見ても赤穂義士。浅野の赤穂である。
歴史とはまったく皮肉なものだ。

大石神社の義士の石像と駅前広場。

その2につづく



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