ジョン・ロートン&スティーヴ・ダニング
John Lawton & Steve Dunning
Steppin' It Up in Japan 2002
In The Beginning


まずはじめに...
今回の John Lawton & Steve Dunningの来日を実現させるに至ったキッカケを語るずら。


そもそもJohn Lawtonとメル友(?)になってから、アッシは何かある毎にJohnに「日本に来てよぅ!」と誘っていた。Johnはいつも「そのうち絶対行くよ〜!」って感じだったけどね。これまで2度のロンドンでアッシがJohn & Iris Lawtonに会った時も、その気持ちに嘘偽りがないことが判った。

日本に呼ぶ、とは言っても、来日招聘してくれるプロモーターがいなければ話が先にすすまない。実は The Hensley Lawton Bandを日本に呼ぶべく、2年前から Steerforthの悪徳P氏やKay女史らと協力しあって、ZAK, HIP, TOP, Club Citta, Quatro...といった有名どころのプロモーターや、テイチクやビクターといったUriah Heepゆかりのレコード会社にアプローチしていた。KIKUさんに至っては 伊藤政則の Power Rock TodayなどHR/HM系ラジオにThe Hensley Lawton Bandへの熱い想いを書き綴ってUriah HeepやJohn Lawtonの曲をリクエストし、来日運動の気運を高めようと努力してくれた。また、彼は新宿レコードやディスクユニオンなどのCDショップにも掛け合ってくれた。

実際、そういったCOH(日本のUriah Heepファンの集まり)の活動に興味を示し、JohnやKenに交渉してくれたプロモーターもあった。しかしながら、どこも「日本盤CDを発売しているレコード会社がなければサポートできない、プロモーションにならない。」という結末。輸入盤でしか聴くことが出来ないアーチストでは、日本でライヴをサポートすることが出来ない、というわけだ。それはごもっとも!

テイチクやビクターにまともなアプローチをしたのか、というと「そこそこ」であった(汗)。その理由は、Uriah Heepの国内盤CDは70年代初期の数作品は再発され続けてはいるものの、ここ3年くらいのUriah Heepの精力的な新譜(ライヴ盤ばっかりだが)を国内盤でリリースしてくれていたわけでは無かったからだ! 別にテイチクやビクターが悪いわけではなく、Uriah Heep自体がLegacy/Castle CommunicationsからClassic Rock Productionsに移籍して、日本のCD契約はどこの会社ぞ?いや契約すら切れているのか?という感じだったからね。天下のUriah Heepですら日本盤新譜が発売されていないのに、The Hensley Lawton Bandが出るわきゃない。いや、やみくもにどこかのレコード会社にアプローチしていれば、きっとどこかが出してくれたかもしれない。VoiceprintやMSIといったプチ日本盤(輸入盤)を出しているトコロに相談してみるか...でも、それでプロモーションのライヴが出来るのか? うーん... いろいろ試行錯誤しているうちに、プロの呼び屋やレコード会社に「頼む」という行為に、疲れてきてしまった。

そんな時、COHで「カンパOKの人が金を出しあって呼ぼう」という話になった。しかし、その話の初期段階では、誰がいくらカンパしてくれるのか不明瞭だったし、とにかく莫大な金がかかる。計算して予算を作成することや企画を立てることすら気が重くて、考えるだけでも疲れてしまった。

そのうち、悪徳P氏が「俺たちはいろいろやってみたけど、何が起きるかわからない世界だから、ずっと夢に思い続けていれば、神様がいつかJohn LawtonやKen Hensleyを日本に来させてくれるよ。」という甘い囁きが。その時、癒される思いだった。そうだ、神頼みだ! アッシは所詮ファンの一人、素人が企画するには荷が重過ぎる、無謀な企画はやめよう...たぶん構想に携わったCOHのメンツもそう思ったに違いない。


そうこうしてるうちに The Hensley Lawton Bandがあっけなく解体。Kenちゃんは Free Spirit結成、Johnは John Lawton Bandへ。そして去年12月にロンドンで開催された The Magician's Birthday Partyだ。アッシは Uriah HeepのメンバーやKenちゃんやJ.LawtonやJ.Wettonと会って話が出来たりライヴも楽しめるというこのイベントを観に行った。そのイベントの中でJohn Lawton & Steve Dunningのアコースティック・ギグを観る機会があったのだが、それを観たアッシは自分の中の「企画好き魂」がフツフツと呼び起こされる想いだった。そう...人数的に JohnとSteveぐらいだったら呼べるかな...と!

今年(2002年)に入って、Johnがどんな活動に入るのかは見当もつかなかった。もしかしたら5人編成の John Lawton Bandを続け、またヨーロッパを中心にライヴ三昧なのかも知れない。日本はまだ無理だな、と思った。そんな矢先、好評だった12月のアコースティック・ギグの余韻を引きずり、John & SteveがCDを製作しているとのニュース。ほほぅ! あれよあれよという間に John & Steveのライヴ (正式には John Lawton Bandがフォローするというもの)もロンドンの Mean Fiddlerでやるってことが決まった。

これはチャンス! だと思った。素人が呼ぶには、この機会を逃してはならない。懲りないかもしれんが、神様に任せておいたらいつになるか判らない! やっぱりアッシは"自分が動きたい性分"なんだ! 今こそ具体案を出して、日本に来てもらおう!

John Lawtonを観たけりゃ自分でロンドンに行けば良い。それは実行した。でも、それで終わったわけじゃない。John Lawtonに日本でライヴをやってもらいたい! これがアッシの夢の1つであり、多くの日本のJ.Lawtonファンの夢であった。Heep/Lawtonファンの人達と楽しみを共有したい...
アッシはJohnに会う以前から、「日本でライヴをやってもらいたい。貴方の歌で日本のファンを酔わせて泣かせて欲しい。貴方のナマボーカルを聴けない日本のファンは悲しい。貴方が元気なうちに日本に来て歌ってくれ! もちろん日本のファンも元気なうちに!」と何度もメールし、Johnに煙たがられていたぐらいだ(笑)

Johnとメル友して、少なからず信頼関係を築きあげられたことは大いに助けになった。また、COHの中にも何人かJohnと親しくしている人もいた。Johnはアッシに「今度 Japanese HeepVention (Circle of Hands)があったら、行ってもいいよ。」と言ってくれた。しかし、金の問題は...企画は...アッシは大いに悩んだ。しかも「出来ればJohn Lawton Bandとして行きたい。」と希望を述べていた。アッシだってそうしてあげたかった。でも、去年 John Lawton Bandのキーボーディスト Roger Wilsonが冷たかったからな(謎爆) Steveはとても気さくな奴で、アッシは彼に好感をもったし、また会いたかった。だから、ちょうど John & Steveの2人でいいかな〜 と思った。アコギ・アルバムの発表もあったし、予算的にもね(汗)。もちろん、Johnの奥さんの Irisは忘れてはいけない!ムフフ...


実は、アッシの気持ちを企画へと誘ったもう1つのファクターがあった。(追記。7月21日のJohn & Steveのライヴを観に来た人が後日ご自分のサイトで"企画が似ている"と書いていたので"ドキッ!"としたが(笑))

そう、それは今年3月23日に Tribute To Love Generationが企画した元 Caravan〜Hatfield & The Northのボーカリカスト兼ベーシスト兼ギタリストである Richard Sinclairのアコースティック・ギクであった。そのアコギ・ギグはメディアージュの特設会場で行なわれ、限定30名のギグであった。このギグは本番のエレクトリック・ライヴ(日本のバンドとの共演)を翌24日に控え、前日に当る23日に 根っからのファンだけを集めて行なったスペシャル・ギグだった。会場はライヴホールではなく貴賓室のようなところで、そのへんのコンビニで買って来たサンドイッチや乾き物のお菓子、ビールなんかが配られ、ファンがRichardにサインをもらったり記念写真を撮ったりでとても和やかなムードだった。そう、それはまさに、HeepVentionや The Magician's Birthday Partyでアッシが体験してきた空間そのものだった。でも、それだけではアッシの気持ちが企画へと動かない。

そのRichardさんのギグというのは、彼が玩具のような小型アンプと、ギターだけで奏でるギグで、セットリストは大雑把、曲はファンからリクエストがあれば何でも弾いて歌う、というものだった。他の楽器は一切ない。つまり来日したのは彼1人とギター1本だけだったように思う。奥さんや彼女らしき人も会場にいない(実際はどうだか知らんが)、とにかく会場にいた外人は Richardだけだった。そして、会場では、Richardのプチ日本盤仕様のCDRが売られており、それも来日の資金になっていたようだった。

このRichardさんの単身来日、プチ日本盤CDR、そして翌日のエレキライヴにおける日本人バンドとの演奏...それを企画して実現したTribute To Love Generationのやり方に感銘を受けたことが、John & Steveを来日させるべく企画へのプッシュとなった。

しかし、Tribute To Love Generationはプロの呼び屋(実際にはプログレ好きの同志が結束して企画屋となったらしい)... アッシはそれ以前にも Magmaというプログレ・バンドを日本のファンが同志を募って来日させた、ということをウワサで知っていたし(もしかしたらTribute To Love Generationの前身?)、Kayさんからも、Bay City Rollersにいた Ian Mitchelもファンがカンパで呼んでライヴをさせた、ということを聞いた。ファン自らがアーチストを呼んだという実績は過去にもあったわけだ!


それで素材が揃ってしまった。
1. John Lawtonは日本に行く、と言ってくれている。
2. Richard Sinclairの企画が参考になる。
3. 日本のファンが海外のアーチストを呼んでライヴをやってもらった歴史がある。
...特に 1.と2.が大きい。

あとは、アッシの行動力。まづは、John & Steve来日企画に賛同してくれるスタッフを集めることだが、アッシは無謀な行動に...そう、それが4月29日だった。

アッシは、スタッフを集めるよりなにより、企画し提案する時間が先!と思ってしまった。それは、すでに今年の Circle of Hands in Tokyo 2002 (以下 COHT2002)の開催日が 7月13日(土)に決定していたからこその事であったし、参加者も少なからず集まっていたから。Johnが本当に来てくれることになったら、協力してくれる人は多かれ少なかれいると思った(→甘え/汗)。早く Johnに提案せねば...4月29日の夜、突然そう思って、企画推進を決断してしまった。

その夜1時間かけて余りにも簡単な概算見積提案書を作成した。日本滞在がたった3泊4日だけの強行スケジュール提案書(笑)。それを メールでHiro-Gに送り、意見を聞いた。Hiro-Gはとまどいながらも「ついにやるのか!」といった感じで、アッシ以上に判りやすい概算見積提案書と勧誘文書を考えてくれた。それをJohnにメールで送ったのが 5月5日。まさかそのメールが歴史を作ることになろうとは...!


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