1925年、5歳の頃の
クリストファーとダフニ
クリストファー・ロビンとナニー。
プーとコブタもいます。
クリストファー・ロビンが生まれた、ロンドンの家
クリストファー・ロビン・ミルン(Christopher Robin Milne)は1920年にイギリスのロンドンにあるチェルシーで生まれました。ご存知の通りミルンとダフネの間で出来た最愛の子供で、WINNIE-THE-POOHに出てくる名前としても有名です。ミルンは、自分の子供の名前を自分の童話に出てくる虚構少年として登場させました。これだけ有名なお話に出てくるだけで世間の人々は、同じ名前のこの2人を、同一視しないはずもありませんでした。そのためクリストファー・ロビンはこの名前を背負い生涯を苦しむ事になるのです。

「あれほどの愛情と理解を持って愛のあるお話を書いたのだから、子供に対しても同じ様に遊んだり愛情で包み込んだに違いない。」と世間の人々は思いこんでいました。しかし、実際には俗服な家庭の常であったナニ−(乳母のこと)をクリストファー・ロビンが9歳になる年まで雇っていたため、ミルンとロビンの関係は動物園に行ったり、サセックスの森を散歩させたり、「おやすみ」を言いに来る時の何分間かの短いお話をする時位でしか親しい親子になれなかったのです。

しかしロビンが成長しナニーが居なくなってからようやく父ミルンは、息子と少年時代に熱中していた事を一緒に楽しめる様になりました。。その後も親子は数学を一緒に解き、鳥の巣を探し、川で生物を捕まえ、草原でクリケットをやったりもしました。。ミルンは息子との空白の時間を埋め様と必死だったのです。。ロビン自身も18歳までの間父親を熱愛し、賛美し、彼の考えを受け入れたが、同時に極度に感じやすく、傷つけられやすく、すぐ腹を立てたりもしました。それでもミルンはユーモアで偽装し間違いを正すことはあっても、自分の中にある感情を表に出すことをせず、物語のロバのイーヨーの様だったとロビンも思っていました。

ロビンはストウの寄宿学校に行きました。その後父と同じケンブリッジ大学に進むため、1939年に奨学金を勝ち取りました。しかしその頃戦争は始まっており、ロビンは大学も始めの年だけ行くと大半の時間を戦争の防御ボランティアに費やしました。その同じ年にロビンは軍隊に志願し試験を受けましたが<身体検査>ではねられてしまい、父ミルンが当局に手紙を書き再審査を頼みました。その結果息子は志願通りに軍隊に入る事が出来ます。ここでもミルンの他とは違う行動が見られます。<身体検査>にはねられ軍隊に行かなくても良くなれば普通の父親は喜びます。しかし彼は息子のために役立つことがあれば何でもする父親だったのです。こうして戦争中までは親子の関係も順調に推移していたのです。

1947年に父と子の親密だった関係はがらりと変わります。。クリストファー・ロビンは軍隊から帰りいったん大学に戻った後、大戦後の社会に船出する事になったのです。父は作家として成功を納めていたがそれにならってロビンも書いては見るものの使い物にならず、色々な仕事を次々に試みました。そしてどの先でも自分の持ち合わせている才能を買ってくれる雇い主を探す事は出来なかったのです。それまでは問題として気にも止めていなかった自分があの有名な虚構の人物、クリストファー・ロビンのモデルであると世間が信じ込んでいる事が始めて大きな問題としてあらわになったのです。どんなに避け様としてもその名は彼の人生に割り込んできて邪魔をするのでした。彼が何か過ちを侵そうとも、父の名声のおかげを蒙るだろうと人々は考えたのです。この事もあり息子は父に殆どものを言わなくなりました。クリストファー・ロビンは「自分自身として生きるのなら、父との関係は犠牲にされなくてはならない。」と後に話しています。

ロビンは1948年に親の反対をよそにいとこのレズリー(Lesley de Selincourt)と結婚し、ロンドンを離れストーク・フレミングの村に移り住みました。この事により父親との距離が出来、将来についてや自分の背負う名前について色々と悩みながらも、1年後デボンで本屋を開きました。そして彼は20年もの長い間カウンターの後ろに座りました。その間も名前や父親の名声に悩まされ続けました。彼は物語のクリストファー・ロビンに振りまわされ、嫌悪感を抱き続けました。そんな中、心とは裏はらに握手を求めてくる子供や、イメージを押し付けてくる大人達にどんなに心痛めた事でしょうか・・・。望まない名声によって、彼はたびたび公の場に担ぎ出されることもありました。そしてロビンはその名声を逆に利用し油探鉱者の破壊の跡からアッシュダウンの森を保護するキャンペーンに携わることもありました。この森は自分が子供の頃に遊んだ森であり、都会人が呼吸しに来る事が出来るロンドン近郊にある唯一の自然だったのです・・・。

ロビンは52歳になった頃、妻のレズリーに書店の鍵を渡し自分は自宅のタイプライターの前に座りました。そして彼は自叙伝的な本を書きました。クリストファー・ミルンと言う名前で・・
          「The Enchanted Places」1975年4月
           「The Path Through the Trees」1979年8月

これまでの生い立ちからクリストファー・ロビンは、親に対して自分勝手な印象がある、わがままなイメージのある人に思えますが普段の彼は決してそうではありませんでした。自分の周りの小さな世界に住んでいましたが、その隣人たちを愛し研究しました。いつも静かな人で、カブトムシを愛し、鳥や音楽についても詳細に調べとても詳しかったと言います。

1956年1月末、父ミルンは74歳の生涯を終えました。葬儀はロンドンの教会で行われました。式の間には「プーの歌」が歌われ、オルガンの伴奏をバックに「夕べの祈り」が朗読されました。この時クリストファー・ロビンは古ぼけたコートを着て参列しました。それを見た母親ダフニは困惑し、観衆の心にも強く印象付けられました。

父親の死後、クリストファー・ロビンは2度と母親と会うことはありませんでした。未亡人はミルンの死後15年も生きたのですが・・・、昔こんな事がありました。父ミルンと十代のクリストファー・ロビンが、ナニーが居なくなり急接近し愛情を育んでいた頃・・・彼の母親のダフニはと言うと流行にもっとも興味を持ち、自分の内気な息子に与える愛情と時間より、夫のお金と共に費やす時間に力を注いでいたそうなのです。皆さんはどう思われますか!?

そして、1996年4月20日の私達にも記憶に新しい日・・・クリストファー・ロビン・ミルンは神経学上の難病とされる重症筋無力症により、苦しんだ末にお亡くなりになりました。

          彼の人生が幸せだったのか・・誰にも分かりませんが、
          もし・・プーの親友の名がクリストファー・ロビンでなく
          違う名であったのなら・・・この親子は幸せだったのでしょうか・・・
WINNIE-THE-POOHに出てくる
クリストファー・ロビンのお話
1991年のクリストファー