| ■2000/8/16 (Wed) 妹から電話がかかってきて |
夜、コンピュータに向かっていると、鞄の中でPHSが振動した。 取り出した頃に着信音が鳴った。見ると妹からで、 ボタンを押して「もしもし」と言い始めるまでに 昔の「東京大学物語」のように0.0001秒単位で様々な可能性を考えた。 母親の体調が思わしくないといったものから、ただ暇だからかけてみただけまで 最悪と最高(でもないか)の状況のイメージが瞬時に駈け抜けていった。 話の内容はいたって簡単で、今度札幌に行くんだけど その時に輸入盤のCDを何枚か買えるのでいいのがあったら教えてほしいということだった。 青森では輸入盤のCDが買える店というのはない。 妹はインターネットをやってるわけではないので、 僕のようにHMVのサイトを利用することはない。 メールを送った。 SonicYouth , Eminem , MarizaMonteの新譜。 Tahiti80 , Air といったフランスのバンド。 JeffBuckleyのライヴアルバム。 TalkingHeads「Stop Making Sense」の完全盤。 など。 iモードに替えたらしいのだが、メールは1件で 250文字までしか入らないと言われた。そんなもんか。 |
| ■2000/8/17 (Thu) きしめんパイ・議事録・マーフィーの法則 |
名古屋から帰ってきた小島さんが、「きしめんパイ」をみんなに配った。 おーこれがそうかと一口かじってみる。うまいけど普通のパイ。 「なんだ、きしめんが入ってんじゃねーんだな」って言ったら、 藤脇に「バカじゃないの」と言われた。 形が細長いから<きしめん>なのか。 DGとの開発者会議に午前中行って来た。 戻ってきて午後、議事録を書こうとしたら増田さんに 「岡村さんは管理画面の作業があるんだから、今回は私が書きます」と言われた。 楽になった。議事録を書くのはしんどい。 やりとりの記憶を辿っていくのが疲れるし、自分で書いた文字を判読するにも疲れる。 そして、余計な作業だと思いつつも 簡潔な言葉でその場での雰囲気を伝えようとするから、非常に時間がかかってしまう。 いつも書き終えると一仕事終えたようでぐったりする。 何が決まったのか箇条書きの議事録でもいいような気もするが、 AはBであると決まったとき、両者すんなりとそうなったのか、 それとも一方がしぶしぶ意見をのんだのか、そのニュアンスを書いておくべきようにも思う。 バランスをとるのは難しい。 --- 藤脇が読みたいと言うので貸してた「マーフィーの法則」が戻ってくる。 「マーフィーコンピュータ学」という章があった。 いくつか面白いのがあったのでここに書いておく。 プログラミングの法則「プログラムは、メンテナンス要員の能力を超えるまで複雑化する」 ブルックの法則「遅れの出ているソフトウェア開発プロジェクトに人員を追加すると、さらに遅れる」 ルバルスキーのサイバネティック昆虫学の法則「バグは、常にもう1匹いる」 |
| ■2000/8/18 (Fri) 給与明細 |
給料日。下の三和銀行に行って残高を見たら予想してたよりも全然少なくて唖然とした。 17日の時点で財布の中がゼロに近くなるまで使い切っているので、 振り込まれるのは純粋に給料だけになる。そしてその給料があれっと思うぐらい少ない。 先月あれだけ残業していて、今月これが必要で、あれが欲しくて、これの支払いをする、 そういった計画を立てていたのだけれども、その通りに使ったら残り1万円になってしまう。 これはおかしい。明細を渡されて見てみたら、振り込み間違いということではないようだった。 でもあれこれたくさん引かれているようで、ここに原因がありそうだった。 7万も引かれてる。なんでこんなに引かれてるのだろうと家に帰って先月の明細を見てみたら 7月の給料で引かれてるのは6万ぐらいで、明らかに増えている。 「厚生年金保険」が26,885円。先月は19,810円。先々月もその前も19,810円。 これがいけないのか?健康保険も先月の10,780円から、14,630円へ。 でも所得税は18,630円から11,240円に減っている。よくわからん。 なんでこのように支払う額が変わるのかどこからも説明がないのでよくわからない。 引かれるがまま。 去年の8月の明細を見ると、基本的に受け取る額は一緒ということがわかった。 残業してるからその分多くもらってるが、昇給したのとだいたい同じ割合で引かれてる。 目まいがした。 7月は家賃の補助、6月は定期代が支給されていて、 5月・4月は残業をたくさんしてたから、気付かなかった。 入社して以来初めて隅々まで給与明細を眺めた。 これからの1ヶ月、苦しい戦いになりそうだ。 |
| ■2000/8/19 (Sat) 光星学院ベスト4進出・女性の背中・マドンナ |
青森・光星学院は木曜日の3回戦、九州学院戦に勝利し(僕の知らない間に) ベスト8入りを果たしていた。去年の山田高校もベスト8だった。 毎年毎年初戦敗退、しかも10対0みたいなボロ負けばっかりだった時期が嘘のようだ。 (これは先週書いたことだが、私立が全国から生徒を集めるようになったからである) 高校野球で最も面白いと言われる準々決勝がうまいことに土曜日、 青森から送られてきたスルメを焼いて、ビール片手に試合を見る。 樟南高校は2年連続12回目の出場。昨年はベスト4入りし、優勝校桐生第一に負ける。 手強いじゃん、と僕は思う。これまでの勝利がフロックだったら、そろそろ負けてもよさそうだ。 8から4への壁というのが1番きついように思う。特に青森・東北の出場校にとっては。 どうなるかなぁと思いながら見てたら初回にいきなり光星学院が先制。そのまま逃げ切り。 主導権を渡すことなく、9回に1点取られさらに追加点のチャンスという時以外は それほどハラハラすることなく落ち着いて見ていられた。 途中、これはひょっとしたら行くんじゃないか?と気を良くしたらそのまま行ってくれた。 樟南のエース4番ピッチャーのエース青野をマウンドから引きずり落とし、 地方大会でも投げてない控え投手が登板、ベンチ入り全員を使い果たさせた。 光星学院のピッチャーが丹原戦・九州学院戦で投げた斉藤ではなく、 根市であったことが樟南にとっては誤算だった。 それは同時に光星学院にとっても嬉しい誤算だったはず。 最速141kmのストレートで12奪三振、あわば完封まで行きかけた。 青森県勢としては三沢高校以来31年ぶりのベスト4進出。 この時は決勝戦の延長18回を太田幸司投手が1人で投げぬいたことが有名。 次の日の引き分け再試合で負ける。この時の相手のピッチャーは確か板東英二だったはず。 ======================= 123456789 H E 樟南 000000001 1 3 2 光星 10010000× 2 7 0 ======================= --- 新宿マイシティーのエスカレーター。僕の前には大柄な女性が立っている。 背中の大きく開いた服を着ていて(パレオのようなもの)、 僕は1階から6階までその人の背中をずっと眺めることになる。 陽に焼けてない、かといって白くもない、普通の色の肌。 左右の肩甲骨の間には細かな、だけど固そうな産毛が生えている。 そしてそれはある1点で渦を巻いている(この人はこのことを知ってるのだろうか)。 僕は久しぶりに女性の背中というものを間近にした。 誰もがそうするように、ほくろの数を数えてみた。 この人はどんな顔をしているのだろうと3階から4階に上がる頃に気になりだし、 5階へと上がるターンでちらっと歩くタイミングを緩め、何気なく首を傾ける。 美人でもなければ不細工でもない、だからといってそのことが ポジティブに作用するわけでもない、そんな顔。 この文章を書いている今はもう忘れてしまって、特徴を何一つ思い出せない。 髪は短くて、茶色。5階から6階へと上がっていく間、ベルトに軽く添えられた 彼女の左手、淡い色に塗られたマニキュア。 --- 荻窪駅前のBOOKOFFで中古CDを物色してたら、アナウンスがあって 「今からタイムサービス、1250円以下のCDは半額にします」ということに。 僕はそれを聞いた瞬間「うわっ、やばい」と思い、半分理性がなくなり、 「こういうときにこそ、マドンナ・プリンス・カイリーミノーグを買わなきゃ」 (BOOKOFFのような大型古本点では必ずたくさん在庫がある) と焦ってMやPのコーナーを回る。マドンナの「TrueBlue」を買う。 家に帰って、「ラ イスラ ボニータ」をまず聴く。このころのマドンナは 三菱電機のコマーシャルで、新しいシングルが出るたびに新しい 映像となって、白い何もない空間で椅子を相手に悩ましげに踊っていた。 かっこいいなあと子供心に感じた。 --- 山田詠美の「4U」を読み終え、そのまま「120%COOOL」を読み始める。 彼女の文章を読んで、これなら自分でも書けそうだと思う人は結構いるはず。 でもモノになるのは100人のうち1人だけで、残り99人は散々な結果に終わるだろう。 完成度の高い文体に出会って、背筋を正したくなった。 高校時代、岡崎京子の漫画を読んで以来のすがすがしい気分。 |
| ■2000/8/20 (Sun) 光星学院敗れる・ロシア製ベース |
昨日郵便受けに、あるクレジットカード会社からの請求書が入っていた。 去年入社して配属されたばかりの頃、営業の人に入れと言われて入ったものだ。 その会社の仕事をしているのか、仕事を仕様としているのかわからないが (今思うと後者のような気がする。よく知らない) なんかそういうつきあいというか義理があるのって嫌だなって強く感じたのを思い出す。 僕自身向こうの営業の人とは何の関係もないのに。 入ってもらってありがとうって言われるわけでもないのに。 多分どこかにノルマのようなものがあるのだろう。 早々と解約しなかったことを後悔する。 ほったらかしていたから、今年の年会費を払うはめになった。 1度も使うことの無かったカード。いろんな意味で、無駄なものだ。 --- 光星学院、準決勝。相手は智辯和歌山。 夏は5年連続出場。これまで春夏1回ずつ優勝。今年の春のセンバツは準優勝。 あーついに真打ち登場かぁと思う。これはもう負けだなと覚悟を決める。そして、負けた。 でも、でも、でも!これはとてもいい試合だった。アナウンサー・解説者とも「がっぷり四つ」と 表現していたが、まさにその通り。全国的な強豪校に引けをとらない、立派な試合をしてくれた。 智辯和歌山が1回2回3回と連続して1点ずつ点をとっていったとき、 これはもうあかんな、とつらくなってきた。ワンサイドゲームになって10対0で終わるかもな、 あーあとあきらめたくなった。しかし3回に突然3番北川が同点スリーランを放つと 試合は振り出し、4回に1点を追加して逆転、6回までは完全に光星の方に流れがあった。 僕はこれはもう決勝戦に進めるかもしれない、明日の決勝が雨になったら 明後日は午後休を取ることにもとからなってたからじっくりと見ることができる、 なんて計算していた。 7回に先発斉藤が捕まり(1アウト2・3塁)、昨日のヒーロー根市に変わったものの その根市が打たれる。僕が思うにこの交代のタイミングは微妙に間違っていた。 斉藤にそのまま投げさせて打たれてから交代でも良かったし、 3塁が埋まる前に交代でも良かったのではないか? 7回裏にキャプテンが(解説者曰く)「気迫で運んだ」犠牲フライで同点になるも、 8回表、再度智辯和歌山が得点。これが決勝点となって試合終了。 泣き崩れる、泣くのをこらえるナインたちが画面に映し出された。 特に8回の守りで、自分がボールを後ろにはじかなかったら向こうの得点は1点ですんだはず、 そう思ったのかセンターの野里はうずくまり、泣きじゃくり、抱きかかえられて退場していた。 甲子園の砂をかき集めもしなかった。本当に、悔しそうだった。 3回、ホームランのあと、いい当たりが続いたものの、 2度もファインプレーに阻まれたのは悔やまれる。ここで点数が入っていれば・・・。 ======================= 123456789 H E 智辯 111000220 7 12 2 光星 003100100 5 10 3 ======================= --- (先週ビデオカメラを貸した)サークルの先輩ナカさんが僕の部屋に来る。 これまでに僕の部屋に来た人同様、「これはすごい」と感心し、驚き、あきれる。 座布団を置くスペースもないので、先輩に机のイスに座ってもらい、 僕はロフトへと上がる梯子に最近着ていない服を置いて腰を下ろした。 先輩はこの前会社を辞めて、しばらく会社を回って、 先週職が決まったものの1日か2日でそこを辞めてしまった。 サークルの先輩たちが3ヶ月に1度ぐらいで集まってスタジオで練習しているバンドがあって、 奈賀さんはギターを弾いている。せっかくだからと僕がロシアに行ったときに サンクトペテルブルクで買った手作りのベースを見てもらう。 ヴォリュームの調節が恐らく何かの薬のキャップだったり、 ボディーの裏の色の塗り方が雑だったりと、よくぞここまでというくらいにハンドメイド。 日本円で5000円だった。ロシアに1ヶ月行ったとき、暇だったので練習してえなと探してたら、 寂れたデパートの楽器コーナーでロシア人に「ギターを持ってる。買わないか」と袖をつかまれ、 柱の陰でブツを見せられ、即購入したというシロモノだ。 こういうものはなかなか日本人には手に入らないであろう。僕の家宝である。 モスクワでは時代遅れのギトギトした色を塗られたYAMAHAのベースが10万円もした。 その後、僕が持ってるもう1コの普通のベースを見せて、弦が高くて弾きにくい、と 2人でドライバー片手にあちこち調節してみるものの、何をしても駄目だった。 夜になって、駅前に出てラーメン屋に入った。 僕はいわゆる荻窪ラーメンというものをちっともうまいとは思わない人間なので 非常に長いことそういう店には入らなかった。 ラーメンを頼んで、ギョウザとビールを追加した。 先輩は失職したばかりだというのに、(給料をもらったばかりの)僕におごってくれた。 「また映画やりたいねえ」という話をした。 --- 前の日、ヒンズースクワット(のようなもの)を50回やったら足が筋肉痛になった。 今日はあまりの辛さに10回しかできなかった。 |
| ■2000/8/21 (Mon) 社長とごはん・電話故障・数珠 |
日曜の夕方、家からメールを送ったあとで来ているメールを受け取ろうとしたら エラーが発生した。モデムの調子がよくないらしい。 コントロールパネルの設定をいじってみたり、 電話とPC、回線を2股にするやつを引き抜いてPCの方のケーブルを 直に差してみたりしたものの、状況は変わらない。 ふと気づいて電話の受話器を取ってみると全く物音がしない。 PHSからかけてみると、話中になってる。 外の公衆電話から114をかけてみると、受話器が外れてますとメッセージが返ってくる。 そのままNTTに電話して状況を説明し、調査してもらったら「故障してますね」と言われた。 月曜日に建物の外側を調べて直せそうなら直して、駄目だったら部屋の中を調べるという。 去年の春、母親から「1つ持ってるといい」と割と高価な数珠が送られてきたのだが、 夏、祖母の葬儀からの帰り道、あっさりと無くしてしまった。 普段の生活で困ることはあまりないとはいえ、 こういうのを無くすのはあんまり気持ちのいいものではないので警察に届けてみた、 だけど見つからなかった。白木の箱だけが残った。 この箱を捨てるのも気が引けるので、机の引き出しの奥にしまっておいた。 1年が経って、「箱だけあってもしょうがないな、かさばるし」と思って ゴミ箱に捨てた後に、上で書いたような電話線の不通。 今日の朝出社したらWebNationの障害が発生して、そのとき僕1人しかいなかったのでセンターへ。 2次障害でキーボードやマウスが反応しないといったこともあったが、原因不明。 --- 従業員数2000人を超える一部上場企業の社員食堂で、 目の前に社長が「ここいいかな」と座ってくるのは幸か不幸か。 花火の話になった。世田谷と川崎の花火が同時に行われて、とかいったような。 面白い話を聞いた。社長はかつて豊島園の隣のマンションに住んでいて、 8階のベランダから花火がすぐ目の前に見えたのだそうだ。 で、豊島園にはその花火を目当てに電車を乗り継いで訪れる人もいるわけだが、 風の強い日には付近の民家に火の粉が飛んでは行けないと中止になってしまう、 そんなときのお客さんには申し訳無いから、夕方から夜にかけて 入場料が無料となり、乗り物も乗り放題となる。 だから、近くに住む子供たちは風の強い日を待ち受けることになる。 (ライオンズが優勝したときに西武園に行ったら入場無料となっていたことを僕は思い出す) 社長の社員章が裏返しになっていて、ずっと気になっていた。 小心者の僕は言うべきか、言うとしたらいつ言うべきか、悩んだ。 食事が終わって最後立ちあがるタイミングで、言った。 食べてて疲れた。味がしなかった。 1年目の頃は「社長っていつもうどんですねえ」とか 「新社屋には展望レストランができるって噂本当ですかぁ」とか 言っていた僕も、最近そういう元気が無くなってきた。 |
| ■2000/8/22 (Tue) 宇多田ヒカルを見に行った |
宇多田ヒカル「Bohemian Summer」ツアーの追加公演を見に行く。 木村さん・松山さん・藤脇の4人で。 この日、確実に行けるようにと午後休をもともと取っている。 2時ごろまで仕事をして、それから1度家に戻ってそれから行こうと考えていたのだが 月曜から微熱が続き、腹を下し、とにかくだるいので12時過ぎに会社を出ることにした。 しばらく寝たものの相変わらず気分は優れない。それでも行く。行かざるを得ない。 紺色の薄手の生地に白い竜を描いたアロハシャツを着て、僕は千葉に向かう。 東京駅の長い長い京葉線までの通路を歩いていく途中、大勢の人が歩いていて これらの人たちの中で宇多田ヒカルを見に行くのはどれだけいるのだろう、 異性であれ同性であれ2人連れの人たちはみんな千葉マリンスタジアムに 向かってるのではないか、そう思えたきた。 海浜幕張の駅に降り立つとホームはびっしりと人で埋まっていて ちっとも先に進めなくなっていた。この辺からは確実に、公演を見に来た人たちだ。 普通の人たちばっかりだった。今回の追加公演は抽選でチケットを買う権利を手に入れる。 そんな選ばれた人たち(1回4万人で、3日で12万人も選ばれてるわけだが) が群れを成しているはずなのに、これといって気負いも無く、 男性は男性で女性は女性で、みんな同じ髪型で同じような顔つきをしているように見えた。 駅を出てからは人の流れがどこまでも続き、途中の歩道橋から前後を見渡してみると どちらの方向も途切れなく先へ先へと進んでいた。 1つのチケットを買う権利では4人分の席が買えるので、そのようなグループが多かった。 カップル2組が楽しそうに歩いている姿がよく目に付いた。 もちろん女性4人、男性4人、家族4人という方が一般的で、 どのような組み合わせであれ2人だけ、という人たちが最も多かったように思う。 スタジアムに着いてすぐ、ツアーのパンフレットを買った。 アリーナ席に下りていった。1塁側の後ろの方だった。 辺り障りの無い、ブラックでコンテンポラリーな音楽が漂っていた。 6:30の開演まで30分以上あって、一通りスタジアムを内側から眺め終わった後は することもなく本を読んでいた。行きの電車の中で山田詠美の「120%COOOL」を 読み終えそうになっていたので、東京駅のキオスクで同じく山田詠美の「24.7」を買っておいた。 普段は野球を行うためにあるフィールドにて小説を読むだなんて奇妙なもんだな、と僕は思った。 宇多田ヒカルがステージに登場した時点で、辺りはすっかり真っ暗になっている。 1曲目は「Addicted To You」 バックには外国人メンバーが多く、強力な音が押し寄せてくる。 しかし野外ステージは音響的に優れているわけではなく、 ツインドラムのアタックの強さのみが際立つ。 ちょっとすると他の音は(歌い手の声を含めて)たんなる塊としてのみ客席に届く。 僕はずっと、スクリーンに映し出される彼女の表情を見つめていた。 そこしか見ていなかった。前半部分はMCも1度しか挟まず、 ストイックなまでに、何かに対して戦いを挑むかのように歌い続けていた。 切なげな目をしてる。 それはある瞬間にはたった1つのものだけを見据え、 またある瞬間には数え切れないほど多くのものを映し出す。 無防備な表情は一瞬たりとて存在しなかった。 それはもうヒット曲ではないし、踊るための音楽ではなかった。 うた、強い力を持ったうた。強い意思を持った、声。 その時持ちうるべき感情を純化すること。そしてそれが「そこにある」ということ。 後半は「Automatic」から始まった。 後半は打って変わって無防備な瞬間が多かった。終始ニコニコと歌うことを楽しんでいた。 1曲ごとにMCを挟み、椎名林檎のものまね(「罪と罰」)を披露し、 ナツメロコーナーとして尾崎豊(「ILoveYou」)と山口百恵(「プレイバックpart2」)を歌った。 1人の人間が内包するエネルギーを100%出しきって、圧倒的な存在感を放っていた。 前半部分が歌うことの意味を問いただすものだとしたら、後半部分はその1つの答えだった。 いや、むしろ「答えを出すことには意味はない、歌うことが楽しければそれでいいんじゃない?」 そんな気分の表われとして捉えることの方がより正確かもしれない。 宇多田ヒカルのCDを1枚も持ってないし、これまでHMVでかかっていたとか デパートの有線でかかっていたという意外に、自覚的に彼女の歌を聴いたことのない僕には 大半の曲が「知らない」ものだった。 そんな僕にとって気分が盛り上がったのは「知っている」曲のカバーが始まったときであって、 何よりも嬉しかったのはA-haの「Take On Me」を歌い出したときであった。 イントロのドラムを聴いたときにこれはもしやと思ったのだが、 印象的なキーボードのフレーズ(知ってる人は絶対知ってますよね)が それに続いたとき、思わずため息が出てしまった。 「Take on me , Take me on . I'll be gone in a day or two」 というサビの伸びやかな歌声は奇跡的なものに思えた。 高校の頃から大好きで大好きで今でも繰り返し聴くことのある曲を歌ってるっていうのは ただ単純に嬉しかった。ここにもこの曲を好きな人がいるんだ!という共有感に嬉しくなった。 カバーはもう1曲あって、フレディマーキュリーの「Living On My Own」 クイーン特有のこれ以上ないっていうくらいキャッチ−なサビを力いっぱい歌われると、 こっちまで楽しくなってくる。僕は最初から最後までリズムを取らず 拍手もせず、ただ腕組をして突っ立ってたんだけど、このときばかりは これまでリキッドルームの最前列や2列目ででそうしてきたように飛び跳ねたくなった。 アンコールが終わって、ステージ上の人々がみんないなくなったとき 盛大に花火が打ち上げられた。僕にとって今年初めての花火だった。 夏の野外で花火は定番とはいえ、歌の余韻に浸っていた僕にはとてつもなく美しい光景だった。 はかないけど、その瞬間夜空を焦がすような光を放つ、 それは宇多田ヒカルというものをよく現している、今思うとそんな気がする。 完璧なまでのエンターテイメント。それを最も楽しんでいたのは宇多田ヒカル自身。 つまらない思いをした人は1人でもいるだろうか? |
| ■2000/8/23 (Wed) UnderWorldの新譜・DVD・「Addicted To You」 |
昼休み、木村さんと銀座のHMVに行った。 今日発売のUnderWorldの新譜を買うため。 給料日にまとめてその月の分のCDを買うようになった僕としては 発売日に買いに行くというのは大変珍しいことである。たぶん今年初めて。 それだけ期待していたCDであるということ。ライヴアルバム。 DVDも出るらしいのだが、これがほんと凄いらしい。 そろそろDVDプレーヤーを買わないと。PS2を買ったほうがいいのか? ヴェラ・ヒティロヴァの「ひなぎく」 タルコフスキーの「アンドレイ・リュブリョフ」「僕の村は戦場だった」 パゾリーニの「奇跡の丘」「豚小屋」 といったマイナーな作品のDVDをこの前見かけたが、 見つけたときに買っておかないとこういうのはすぐ入手不可になりそうだ。 僕の性格からいって、プレーヤーより先にソフトだけを買い集めるかもしれない。 UnderWorldと一緒に宇多田ヒカルの「Addicted To You」を買った。 この曲はMISIAの「包み込むように」と並んで、 僕らの世代(というよりは1つ2つ前の世代か?)の 何らかの Anthem であるように感じられる。 その歌がこの世界に存在するということ自体が1つの祝福であるということ。 |
| ■2000/8/24 (Thu) 中央線終電 |
大学のサークルの後輩や寮の友人たちを集めて飲みに行く。銀座。 格、大嶺、田中、近藤、今成。 太田は仕事で来れなくなった。丸ノ内からは近いのに・・・。 ××印刷の企画部門に勤めている大嶺は10時頃現れて、 12時にタクシーに乗って会社に戻った。 しばらく仕事をしたら近くのカプセルホテルで寝るんだという。 社会人劇団に参加していて、9月末の公演のために 練習しなければならないのだが、全然時間がとれないとのこと。 同じく××印刷に勤めている格はシステム部門に所属していて、 今週いっぱいSunMicroSystemsの研修を受けに行っている。 「今後はJAVA」だという雰囲気が社内にあるらしい。 丸ノ内線の本当の終電(新宿まで)に初めて乗る。 新宿からは中央線に乗り換える。1時の終電の1つか2つ前。 ホームに止まっていたので入り口付近の人をかき分け乗り込んだのだが、 いつまでたっても発車しない。 「ただいまお客様の間でのトラブルが発生したため」 発車できないというアナウンスが流れる。 そういえば僕が階段を駆け上がってきたとき、酔っ払いが喧嘩をしていた。 片方はホームにいて、もう片方は社内にいた。取っ組み合いではなく罵り合い。 そんなのほっとけばいいのに、なんでJRもいちいちかまってんだろう? あんなクズみたいな奴等のせいで僕の睡眠時間が例え5分でも 短くなってしまうかと思うと無性に腹が立つ。 彼らは電車の進行を妨げたということでしかるべき額のお金を支払うのだろうか? でも乗客だった僕らがその金額を何万分の1かでも受け取ることはない。 そういうのって誰に対する何のための慰謝料なのだろう。 ダイヤで決められた時間に発車できなかったらそれだけで 何百万単位での損失になるとしたら、そういうシステム自体がおかしくないか? |
| ■2000/8/25 (Fri) 激怒 |
昨日今日と、僕が引き継ぐことになったWebNationの管理画面の よくわからない部分をレクチャーしてもらうために、名古屋に帰った村瀬さんに来てもらった。 2日間セッションを続けて金曜の夜、村瀬さんの帰るのは日曜らしく みんなで飲みに行くことになる。1次会は大丸デパートの屋上のビアガーデンで 焼き肉食い放題・ビール飲み放題にしてひたすら腹に詰め込んだ。 去年ここに来たときは平日だったということもあって閑散としていたが、 今年はそんな悪くない雰囲気だった。 ここまではなんてことのない日だった。 --- 二次会で入った店で僕はある人に以下のようなことをポロッと言われた。 「岡村君がJavaをやってもどうにもならないからさ」 カチンときた。キレタというよりは、激怒した。 「俺、もう勉強しねえぞ」 「HTMLしか書かない」 「おまえらコンピュータに詳しいからって・・・」 周りに松井さん・堤君・増田さんと技術優位の人たちがいたためよけい頭に来た。 いろいろとフォローしてくれたけど、とにかく嫌になった。 既に酔ってたし、そういう席での僕は口から出任せでしかものを言わないので 僕の姿がどのように見えたかはわからないけど、その瞬間非常に頭は冴えていて 「帰る帰る」といって本当に帰ってしまったら 誰にとっても居心地の悪いものにしかならない(特に月曜の自分に)と判断して そこに残ることにした。そしてそれまで通りデタラメな発言を繰り出し続けた。 でもこれで僕ははっきりと、何を期待されているか、何を期待されていないかがわかった。 僕は今後、1・2年後の転職のためだけに力というか知識を蓄え、 席では目の前のことをこなしていくだけにする。 誰がたかだかT××ごときのために努力なんかするもんか。 「僕は労働時間を提供するからその分の金をくれ。 それがどれほどの価値を持つものになるのかはそっちで判断してくれ」 入社以来僕が考えていたスタンスを今後はっきりと全面に打ち出すことにする。 最近、会社の人たちとキャンプに行ったりテニスをしたりということに 居心地の良さを感じ、もうちょっと続けていってもいいかなという気になっていたのは どうやら間違いだったようだ。自分を甘やかしていた。 荻窪行きの終電に間に合ったのだが、途中から気分が悪くなって、 ゲロを吐きたくてこらえるのに必死だった。 下りてから家まで我慢した。路上に吐いてもいいのだが、そういうところを 人に見られるのも嫌なので、腫れ物に触るような歩き方をしてひたすら急いだ。 やっとトイレまで辿り着いて、豪快に吐き出した。 胃の中のものが次々と口から溢れだして、止まらなかった。 馬鹿馬鹿しくなった。それと同時に何もかもが悲しかった。 「くやしい」とかそんな生々しい感情を久々に僕は感じた。 |
| ■2000/8/26 (Sat) 暇な日・神輿・アンジー |
サークルの後輩達と館山に行く話があったのだが、来週に変更になった。 することが無くなった。久しぶりにどこにも出かける予定のない土曜日。 疲れて眠いので、心地よくクーラーの効いたロフトで昼寝をした。 休日の昼寝が、1週間の中で最も気持ちいい出来事という僕の生活。 ほんとしょうもないなあといつも思う。 その昼寝で変な姿勢でいたためか目覚めてから右肩が痛い。 夜になってもずっと痛みが続く。 もう着ないだろうという服を青森に送ることにした。 従兄弟が着るかもしれないし、雑巾になるかもしれない。 段ボール1箱分の衣類をあちこちから引っ張り出すのだが、 「いらない服」を1箇所に集めてみるとそのあまりのセンスの無さに唖然とした。 荷物をコンビニまで持っていく途中、遠くからお囃子の音が聞こえてきた。 神社の角を曲がると人だかりができていて、 捩じり鉢巻きにハッピの男性たちが威勢よく神輿を担いでいる。 でもその神輿はとってもちっちゃなもので、この人数の半分でもいいんじゃない? そんな感じがあった。キャンプの日に八王子で見た神輿も小さかった。 ねぶたを見て育った僕には非常に物足りない。 駅前のBOOKOFFになんとなく立ち寄った。普段は行かないのだが、 邦楽コーナーに入ってみるとアンジーのCDがほとんど全部置いてあった。 誰かがごそっと売り払ったのだろう。懐かしい気持ちになって3枚買った。 2ndの「新しいメルヘン」3rdの「黄金時代」もう1枚は「Rare-Tracks」 名盤である1stは無かった。残念。僕が中学生だったころ、 アンジーはブルーハーツやユニコーン、ジュンスカといった辺りに 匹敵するだけの存在感を持っていた。バンドブームの時代。 今の若者はいくら日本のロックが好きでも、アンジーのことを知らないんだろうな。 GLAYのCDも最近のがいくつかあって買いたかったんだけど、やめといた。 |
| ■2000/8/27 (Sun) 吉行淳之介・上総湊の海 |
サークルの大先輩である小林さん(ぴあが主催する、今では日本で唯一 意味のあるといってもいいアマチュア映画のコンテスト、PFFで2回入選している。 その後NHKで働いている。現在は来年の朝の連続ドラマの班に所属) が4年間の沖縄勤務から東京へと戻ってきた。 僕の作品に何度も出てもらった山田君も宇都宮から夏休みで帰ってきたようで、 だったらみんなで飲みましょうということになる。 僕を含め小林さんの下の世代で競い合うように作品を撮ってきた 錚々たる監督たち(たいがいは働いている)の多くが一堂に会する。 会したけどそんなたいした話はしない。 僕らの1つ上〜3つ上の人たちの何人かが最近会社を辞めた、とか 仕事どう?とか、その眼鏡いいねどこで買ったの?とか。 --- 吉行淳之介の「目玉」を読み始める。 山田詠美を初めて読んだときは「この人文章がうまいなあ」と思ったものだが、 吉行淳之介はもっとすごかった。エッセイ集なのだが、どの話も全く持って脈絡がない。 あっちへ行ってはこっちへ行ってと思い出す限りのことを書いているだけ。 でも一本あるかないかの筋が微妙に通っている。 その筋は地下水脈のようにとうとうと流れ、読み終えると読者はある種の地点へと導かれる。 エッセイの1つに千葉県の木更津の先、上総湊(かずさみなと)を扱っているものがあった。 僕が学生時代に撮った映画8本の全てに何らかの形で海が出てきたが、 そのうちの4本(1・2・7・8本目)は上総湊の海水浴場で撮影を行った。 僕がこの土地に何らかの関係があるのかというとそういうことはなく、 行ってみるまで知らない場所だった。 1本目の映画を作るときに寂れた海水浴場で撮りたいと考えた僕は たぶん千葉の方に行けばあるだろうと夏のある日、電車に乗って探してみることにした。 僕は10時11時ごろには(その頃住んでいて、大学のある)国立を出たいと考えていたんだけれど 友人が興味を示し俺も行くってことになって、そいつが2時過ぎでないと行けないというので、 1人で行くのも味気ないし、それでもいいかと予定を変更することにした。 そして結局そいつが遅れてきて3時ごろやっと出発することになった。 中央線から京葉線に乗り換えてさらに内房線へ。 途中、なんとなく私鉄の小さな電車に興味が沸いて乗ってみるものの それは山へ山へと進んでいくようなので引き返す、みたいなことをやってたら あっというまに夕方になってしまい、木更津の手前、姉ヶ崎で外は真っ暗。 駅前のファミリーレストランで食事をして帰ってきた。 あほなことをやったと後悔した僕は次の週早めに出て、1人で千葉駅から内房線に乗って ひたすら先へ先へ進んでいった。乗りかえると車両は座席が壁際にあるのではなく 4人掛けが並んでいるローカル線に変わっていた。 天井には扇風機が回っていて、窓を開けると風が勢いよく吹き抜けていく。 いくつかのトンネルを越えて深い木立の群れを過ぎるとそこには海が広がっていた。 駅に降りたって海水浴場へと降りていくと、そこは見事なまでの寂れた砂浜で 海の家は一軒だけ、外れには工事中の港があってショベルカーが泥をすくっていた。 泳いでいる人はまばらで、むしろ犬を連れた散歩の途中の人、 部活帰りの中学生たちの方が多かったように思う。 撮影でテンパッていた僕は1度もこの海で泳ぐことはなかった。 夏も冬も同じくらい寂れていて、3年後の夏に訪れても何も変わりはなかった。 冬になると人影はなく、ただ真っ白な波が単調に、繰り返し繰り返し動いていた。 学生時代を代表する思い出の場所を1つ挙げよ、と聞かれたら 僕はそれでもこの海を、上総湊の名前を口にすることになるだろう。 映画を撮らなくなった今この砂浜を訪れることは2度とないかもしれないが、 僕はその湿り気を帯びた風を、夕方になって遠くに見える横浜の灯を、 ざらついた何の変哲もない砂を、波を、空を、 灰色の、鈍い日差しに包まれて暑さの中へと溶け込んでいったそれらのものを、 忘れることはないであろう。 |
| ■2000/8/28 (Mon) 祖母の家 |
吉行淳之介の「目玉」を読み終え、沢木耕太郎の「人の砂漠」を読み始める。 沢木耕太郎は現代を代表するルポライターで、「深夜特急」シリーズの作者 と言えば「ああ、あの」とわかる人が割といるのではないだろうか。 「人の砂漠」には8編の話が収録されていて、 その1つ目は「おばあさんが死んだ」というものだった。 浜松市で身寄りのない老女が餓死寸前で発見され、病院に運ばれるものの 次の日に死亡する。その体は久しく洗われたことはなく、汚物にまみれていた。 何日か後に老女の近親者を探す手がかりを探そうと 市の職員たちがその借家に入ってみると部屋は足の踏み場もないほど散らかっていて、 何度も何度もしゃぶられた梅干しの種がいくつも転がっていたりする。 その中で彼らが見たものは老女の兄のミイラ化した死体、 所々英単語を用いて綴られた日記帳。 沢木耕太郎はその老女の身辺を探ってみるもののたいした情報は得られない。 近親者たちは絶縁状態にあったようで老女のことを、思い出すのも嫌なようだった。 裕福な家に生まれるものの関東大震災で財産を失う。 歯科医師養成学校で資格を取得、歯科技工士の兄とともに歯科医として暮らしていたらしいが、 還暦を過ぎて大宮市の歯科医院で働きだすまでの経緯は全くつかめない。 技術が古く愛想が悪くてちっとも評判は良くなく、幾つかの病院を転々とした末に 70になった頃、職を失う。そうなるとますます人付き合いは乏しくなり、 ケースワーカーが様子を見に来ても会おうとせず、ひどい言葉で追い返す。 わずかな貯金も底をついて、体の弱かった兄が死亡する。 この話を読んで思い出したのは、この日記に何度も書いたことだが、 去年の夏に死んだ祖母のことだった。 祖母のことというよりも祖母が1人で住んでいた家のことだ。 小さな小さな木造の平屋建て、四方を2階建ての家に囲まれ陽が当たらない。 年をとった人によくあるように、他の人には(今後)何に使うのか よくわからないものが捨てないで保存されていた。 何もかもが古びていた。 来年の春には取り壊すことが決まってるから、今は誰も住んでいない。 たまに自転車に乗って片道1時間くらいかけて行ってみる。 郵便受けに溢れそうになっているダイレクトメールやチラシを取り出して 鍵を開けて薄暗い室内に入る。紙の束をテーブルの上に置いておく。 そこには同じような束が幾つか並んでいる。 部屋の中を一通り見渡してみる。くすんだ色のカーテン。古い型のラジオ。 傘を持った若い女性の人形がタンスの上に立っている。 そしてそれをしまうためのガラスの箱。 天井は手が届きそうなくらいに低い。 隣の部屋には地味な服が掛けられている。たぶん入院する前からそこにある。 裁縫箱。小さな窓。さらにそこからは2畳ほどのこじんまりとした部屋へとつながっていて、 扉を開けると庭に出られるのであるが、僕は下り立ったことはない。 日当たりの悪い、荒れるに任せたみすぼらしい地面が見える。 一切の音がここでは聞こえないように思う。 その時には何か周りの家の物音を無意識のうちに聞いていたにせよ、 後から思い出してみようとしても音に関する記憶が全く無い。 静寂ですらない。時間がそこで止まってしまうと、 音を立てるものが無くなってしまうと、 「それ」は消えてなくなってしまうのかもしれない。そんな感じがする。 停滞した緊張感とくぐもった匂い。 靴下を履いた足の裏は柔らかくなった畳を掴んでいる。 そこには他に浴室がある、台所がある、普通の家としての機能を果たすようになっている。 しかしそれはもはや家ではないし、建物ですらないかもしれない。 単なる空間、閉じこめられた、そしてそこから出ていくことのなかった、空間。 僕は鍵をかけて自転車に乗ってアパートに戻る。 僕はこれからまた何度か、その家に行かなくてはならない。 行ってそこで何をするわけでもない。頼まれたこともない。 でもそこに行かなければならない。 僕は呼ばれている。音のない声が僕を呼んでいる。そんな気がしてならない。 |
| ■2000/8/29 (Tue) 昼に飲むワイン・初級シスアド |
朝からDXで開発者会議。長引いて昼食を DXのテックの人たちと一緒に食べに行くことになる。 パスタの店に入ってランチメニューにすると、ドリンクが選べるという。 アイスコーヒー・アイスティーと並んでいる中で ハウスワインがあって、DXの小笠原さんと僕は 「だったらそれにしましょう」という結論に達する。 昼間から飲むひんやりとした白ワインが妙に心地よい。 2・3週間ほど前に誰かから聞いたことなのだが、 丸の内の方ではランチメニューのドリンクでは グラスビールを選べる店が結構あるらしい。 そんなとき僕だったら絶対ビールを飲むなぁ。 でもそういう店ってランチでも1000円近くするだろうから 普段の僕は500円ぐらいで食べれるところを探すことになりそうだ。 --- 電車の行き帰り、初級シスアドのテキストを読むことにする。 秋の情報処理の試験、アプリケーションエンジニアも ネットワークスペシャリストも到底合格しそうにないし、 というか今すぐ必要な資格でもないし、 持ってないよりはましか、受けないよりはましかと申し込んでしまった。 藤脇に「2種受けましょう」といった手前、 OJT担当の僕もなんか受けんとな、というのもある。 まあ、少しでもコンピューターを勉強するきっかけにはなる。 申し込んだとき、「そんなの受けてどうすんだよ」と何人かの人から笑われたが、 (試験に必要な知識の水準はおいといて) シスアドの理念というか意義はSEにとって結構大事なものだと思う。 実際のエンドユーザーのことを忘れて、 システムのためのシステムみたいなものをつくったりしないためにも。 |
| ■2000/8/30 (Wed) モスクワ‐オスタンキノのテレビ塔 |
月曜日の新聞を見たら、モスクワ・オスタンキノのテレビ塔で発生した 火事の写真が一面に載っていた。 テレビ塔としては世界で2番目の高さを持つ。 僕が1994年の8月に1ヶ月間ロシアに滞在していたとき、 宿泊していた「モスクワ自動車道路工科大学」の寮の窓から その細長い姿を見ることができた。 地下鉄の駅にして3つか4つぐらい離れた、割と近い場所にあった。 そのうち行けるやと思っているうちに、機会のないまま帰国することになった。 語学研修のツアーだったのだが、僕が通ったコース(初級者向け)よりも 1つ上の人たちは授業の一環として、ある晴れた日の午後、見学に出かけた。 ツアーには名古屋から来た女子高生2人組がいて、 先生に連れられ路面電車に乗って、テレビ塔を登った。 クレムリンが見えた、ゴーリキーパークが見えた、 遠くの広場はイズマイロフの市場のようだ。 そして全てを取り囲むようにモスクワ川が流れている。 モスクワに到着した初日に僕たちはバスに乗って市内をまわった。 オリンピックスタジアムを望む丘の上に立って、町を見下ろした。 一般の建物は4階までと決まっているから、 どこまでも低く連なって遠くまで、地平線のようになっている。 僕がその後高い場所へと上っていったのはたった1度だけ、 ゴーリキーパークの観覧車に乗ったときだった。 ゆっくりとゆっくりと上昇していって、 ゆっくりとゆっくりと地面に近付いていった。 |
| ■2000/8/31 (Thu) 8月終了・JavaとCOBOL |
あー8月が終わるー。 今年の8月は土日にキャンプ・テニスとあちこちでかけたものの 平日はひたすらWebNationのポイント対応。 これに明け暮れてたら1ヶ月があっというまだった。 前半はColdFusionという開発アプリでつくられたページの仕様変更。 後半はAccessでつくられた管理画面の仕様変更。 WebNation管理画面の結合テストを今週行うものの データの整合性が取れなかったり、テスト環境(マシン)が貧弱だったりで 余計なことに時間がかかってしまう。 「調子よければ半日で終わりますよ」と言っていたものが 3日かけてもまだ終わらない。 ポイント対応は余裕を持って行う予定だったのが、 結局いつものようにリリース前にどたばたすることに。 7月だらだらやってたつけが今頃になって…。 --- ここ何日かテストの合間に日経コンピュータを(初めて)読んだ。 特集は「Java普及に立ちふさがるCOBOL」 Webシステムを開発するプログラミング言語の選択肢としてCOBOLが急浮上。 ただ単にメインフレームで使用していたものを再利用したい、 COBOLの技術者をたくさん抱えているので有効に活用したい、 そんなところから始まっている。 EJBコンポーネントのように動作するCOBOLプログラムを作る製品や サーブレットから呼び出せるCOBOLプログラムを作る製品、 JAVAアプレットのようにブラウザにダウンロードして実行する 「COBOLオブジェクト」を作成できる製品などが発売されている。 オブジェクト指向COBOLというものまで製品化されているらしい。 でもこういうのって日本だけの現象であるあるらしいとのこと。 |
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