12月1日(月) 「人間とは何だ!?」

土曜の夜、テレビをつけたら「人間とは何だ!?」という特番が始まることを知る。
2年に1度の大型スペシャル番組。テーマは「脳」と「感情」らしい。
「人間とは何だ!?」というタイトルからして
「この俺が見ないで誰が見るよ」という気持ちになり、
3時間にわたる長編ドキュメンタリーを最初から最後まで見続けた。

古館伊知郎と養老孟司がパーソナリティー。
養老孟司と言えば「バカの壁」(読もう読もうと思いつつまだ読んでない)
このキーワードをとっかかりに心に「壁」のない人たち、
文明に毒されていない生活を送ることで感情を素直に表現できる人たちを紹介する。
・サヴァン症候群により驚異的な記憶力を持っている男性2人(1人は先天的、もう1人は後天的)
・ベネズエラの原住民ヤマノミ族の住む村へ女優広瀬久美が訪れ、1週間生活を共にする
・ウィリアムズ症候群の若者たちによる音楽キャンプ

言語に基づく思考、概念というものが良くも悪くも我々の精神生活、
特に感情というものを制限しようとしていることがわかる。
サヴァン症候群・ウィリアムズ症候群について詳しいことは
番組で紹介された以上のことは僕にはわからないが、
言語を手段とする高度な認識の体系化の能力が発達させられなかった分、
あるいはその能力によって邪魔されなかった分、
彼らはその他の能力が替わりに発揮されるようになったということらしい。
(ウィリアムズ症候群の場合、数学や空間認識能力に乏しいが、音楽的才能に恵まれるようだ)

要するに我々「文明人」はあらゆる物事を概念化していて
それにがんじがらめになっているから感情を素直に表現できないということだ。
よくないことなのかどうかは僕には分からない。
それはそれで人類の進化の1つの形態であるわけだし。
貧しいものになったとはいえ、我々はまだぎこちなくも感情を表現できる。
他人の感情を受け入れることができる。

番組は感情というものが実は脳の機能であり、
特定の部位がトリガーとなっていることを実例を挙げて説明する。
特殊な脳疾患により、感情、特に恐怖感が失われていく病気に掛かったオーストラリアの男性。
自分の中で感情が失われていくだけでなく、他人の感情も表情から理解できなくなる。
(その男性は発病後突然妻が失踪し、その後離婚届だけが送られてきたのだという。
発病に伴う妻の苦しみや悲しみを理解することができず、常に無感動でいたことに対し、
耐え切れなくなったのではないかと番組では推測する)

その後番組は脳の疾患により感情を喪失するというのとは別に、
正常な人間が無理やり感情を奪われるような環境で育てられるとどうなるか
という残酷な事件について、その一部始終を追っていく。

1970年アメリカ、ロサンゼルス。13歳の少女が「救出」される。
その少女(ジーニー)は生まれてからずっと1つの部屋の中に閉じ込められ、父親から虐待されていた。
昼間は椅子に縛り付けられ、夜は金網を張り巡らされたベッドに寝かしつけられ、
母親(彼女もまた暴力を振るわれている)が与える食事は
ベビーフードやコーンフレークといったもの。
おもちゃらしいおもちゃと言えばプラスチック製の糸巻きやチーズの容器だけ。
(このことから少女は救出後もプラスチックに異常なほどの執着を見せる)
彼女はもちろん言葉を話すことはできなかったし、歩くこともままならなかった。

人間が言語を発達させられるのは12歳までであるという定説がその頃あった。
13歳まで言葉を習わなかった人間が言語を習得できるか?
そんな観点からジーニーは国家の研究プログラムの対象として、養育を受けることになる。
幼児教育の専門家が里親となり、言語学者が言葉を教える。
その生活の全てがビデオカメラで記録として残される。
彼女はある程度まで言葉を学習することに成功し、乏しいながらも感情を表現できるようになる。
しかし15歳・16歳・17歳と成長していっても、
彼女は13歳までに受けた虐待から心身ともに逃れることはできない。
やがて国家の助成金は打ち切られ、
実の母親の元に戻るもののその母親も半年で彼女との生活を断念、
その後引き取った里親は彼女を虐待していたことが後になって分かる。
彼女は「退行」していく。

一言で言えば、愛がなければ人は感情をはぐくむことができないということ。
極度に早産だった未熟児は成長しても自閉症になることが多いという。
それは生まれてから何ヶ月か保育器の中で育てられ、
母親の愛情を直接受けられないことが関係しているらしい。
(今では早産の未熟児であっても、定期的に母親が赤ん坊を抱くことで
スキンシップをはかるという療法が取られると番組では紹介する)

脳/感情/愛、その喪失が結果としてもたらすもの。それによって浮き彫りになるもの。
番組が一貫して追い続けていたのはそういうものだった。
感情は脳の特定の個所に場所を与えられるのであるが、愛がなければ形作られない。
そしてその感情というものは言語/概念によって
文明人特有の枠組みへと方向付けされたものであって、
人間は本来もっと感情豊かな生き物だった。
要約するとそういうことか。

13歳の少女の件はたまたま前の週に読んでいた
「エンダーのゲーム」「死者の代弁者」で有名なSF作家オーソン・スコット・カードによる
連作短編集「辺境の人々」にて、同じような境遇について主人公が語る個所があったことから、
「あっ」と思わないではいられなかった。
作者は後書きにて実在の事件を参考にしたと語っているので、ジーニーがそのモデルなのかもしれない。
偶然とはいえ僕の中で強く印象に残った。

ジーニーは46歳になった今、
ロサンゼルスのどこかの福祉施設にてひっそりと暮らしているのだという。

12月2日(火) 熱い気持ち

以下、僕が参加している同人誌のメーリングリストに昨日送ったメール。
今、熱い気持ちになれるのはこういうことだけ。

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文芸部の皆さんへ

こんにちは。岡村です。

文芸部っつうことで文学の好きな人が集まっていると思うのでメールします。

なんかふと、
「世界文学では今、何が最先端なのだろう?
そこでは今どうなっているのだろう?何が描かれているのだろう?」
ってことを思いました。
今でもやはり生きるとか死ぬとか愛とか欲望とか、そういうことなのか。
ポストモダニズムから先はどうなってるのか。
などなど。考え出すと気になることは色々出てくる。

僕も一応大学院時代は文学を専攻していたので
何が流行なのか、誰がもてはやされていたのかというのを意識していたもんだけど
会社員になってさすがにここ2・3年はもうさっぱり。
5年ぐらい前ならリチャード・パワーズってことになってたのかな。
その手の人たちの間で盛り上がってたのは。
だったら今は誰なんだろう?

日本の出版・翻訳事情ってのが間に挟まるから
お手軽に日本語で読むのは難しいってのはあるけど、
何かしらあるはず。

まあ早い話が面白い現代の小説を知ってたら
海外・国内問わず教えてください。
文芸部の人だったらなんかお勧めのがあるんじゃないかなと思いました。
僕自身は中国の作家 高行健の「霊山」ってのが気になってます。
まだ読んではないですが、
中国版「オデュッセイア」「百年の孤独」らしいとのことです。

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話はちょっと変りますが、つうかここから先は岡村個人の思い。

なんでこんなことを思ったかというと
「一片雲」プロジェクトっていうことで最近また小説に手を出してみて、
日々ちょこちょこと書いては消し書いては消し、
あーでもないこーでもないと1人悩んでいるとどんどん行き詰まってきて、
「あーそうだ、自分には目標ってものがないからだ」
ってことに思い至ったからでした。

なんかさあ、すごいものを書いてみんなをあっと言わせたいんだよね。

そんなふうには昔から考えてはいても、結局雲を掴むような話。
他人を手本にしていたらオリジナルなものは生まれないのは確か。
だけど自分が今どれぐらい遅れてるのかは知っておきたい。

どこに目標を設定していいかわかんないから、
その辺に適当なゴールを作って壁に向かってボールを蹴っているような感じ。
そんなんだといつまでたっても、外には出て行けないよね。

自分の書きたいように書いてればそれでいいっていうのはある意味正しいんだけど、
ある段階まではそれで十分いいんだけど、
他人に読んでもらいたいのなら
自分を取り囲む枠組みってやつが
日々の惰性の中でどんどん小さくなっていって
その中でしか物事考えられなくなるって事には気をつけている必要がある。

まあ要するに刺激を受けたいわけですよ。
そんで僕もその刺激を誰かに返したいわけですよ。

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映画で言うところの「現場」ってのはあるはずで
世界のどこかで誰かがとんでもないものを書いて、
うまくいけば発表してんだろうけど、
日本にいてなんとなく暮らしてるとちっとも伝わってこない。
ロックの雑誌なんて毎月のように「超新星現る!!」って感じなのに。
文学系の雑誌を読めばいいんだろうけど、
なんか読む気がしない。疲れそうで。
硬いのは頭が疲れそうで、
カジュアルなのはセンスよすぎて肩がこりそうで。

世界でなくて日本で十分いいんだけど、
そういう「現場」「最先端」っていうのと
どこかしらでリンクしていてほしいなあというのを
僕は「一片雲」に望んでいます。
いつかあるべき姿として。

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こんなたいそうなこと書いてる割には
僕が書く小説はたいしたことはなくて、すんごいしょぼくて、
日々自分自身に対して苛立っています。

他人が読むに値する小説を書けるのはいつのことになるやら。

12月3日(水) 午前7時、本社ビル1階

10月から竹芝にある本社のビルで勤務している。
さすがに本社だけあって1階には受付の人たちがいる。もちろん女性。
2人一組で座っていて、エントランスに入ってくれば「おはようございます」
出て行こうとしたら「いってらっしゃいませ」と声をかけてくれる。社員であれば誰であれ。
この人たちはいわゆる派遣の人たちであって、うちの会社に籍を置いてるのでもなんでもない。
登録していたらたまたまうちの会社になったというだけだ。

入社以来どんどん起きる時間が早くなっている僕は朝7時過ぎには会社に着いている。
この時間帯のビルの中は、社員がほとんどいないせいか、昼間とは全然雰囲気が違っている。
裏口から入ると警備のおじさんがブラブラと立っていて、
掃除のおばちゃんが掃除機のコードを伸ばしたり畳んだりしている。
毎朝決まった時間に1階のコンビニで売るためのパンを業者の人が配達に来る。
受付のお姉さんたちは早ければこの時間にはどちらか1人が既に座っていて、
その日1日の仕事の準備(来客予定者のチェックだとか)を始めている。

僕はこのお姉さんたちの1人と最近話をするようになった。
社員証が見当たらないときに裏口でドアを開けてもらったのがきっかけ。
話と言ってもちょっとした世間話程度であって、長々と話し込んだりはさすがにできない。
とはいえ当り障りのないことを聞くことから始まって、今では冗談の1つも言えるようになった。
彼女たちは曜日によって早番・遅番があって、とか
冷房で足元が冷えるので夏は電気ストーブが欠かせない、とか
こういう受付の派遣をしている子はその会社の定時を過ぎると
たいがいは学校に通っているか別な仕事を掛け持ちしている、とか
受付嬢の事情というものに結構詳しくなった。

僕は別に朝のひと時にわずかばかりの潤いを求めて世間話をしているのではない。
その子が映画を見るのが好きで帰りによく見に行くという話題になったとき、
「今度行きませんか」と僕は誘った。彼女は笑いながら、「いいですよ」と言った。
トム・クルーズが昔からファンだというので
最近公開が始まった歴史超大作「ラスト・サムライ」を見に行くことになった。

物事が割とトントン拍子に進んでいったので自分でも驚く。
久々にいいことがあって心の中がソワソワ浮き足立っている。

その後なにかしら「発展」したらなんか書きます。

12月4日(木) ミネラルウォーターの缶を直接火にかける状況

会社の自販機にてとあるメーカーのミネラルウォーターを買う。
ぼけーっと眺めているといろんなことが書いてある。
名称だとか賞味期限だとか内容量だとか
原材料名だとか(あたりまえだが「水」と書いてある)。
法律によって記載が義務付けられてんだろうな。

最後の方に注意書きがいくつか。
よく言われることなんだけど、特にとんでもなく訴訟社会なアメリカ系の製品の注意書きは
「そんなこと普通するかよ」みたいなことが延々書かれていて、
「そんなことしても当社としては責任負いかねます」と
子供が減らず口きいてるかのような極端な防御姿勢をとられている。
消費者がとんでもない失敗をやらかしても、注意書きになかったのでやってもいいのだと解釈した
ということにすればお金が取れるということなのか。狂った社会だ。

それはさておき、そのミネラルウォーターの注意書きには
「直接火にかけないで下さい」というのが書かれていた。
どんな缶入りの飲料にもたいがい書かれている。
サバの味噌煮のような缶詰にも書かれている。
慣習になってるからみんなこうしてるんだろうけど、こんなことする人いまどきいるんだろうか。
かなりどうでもいいこととはいえ、ずっと前から気になっていた。
(こういうのって記載を止めた途端誰かがやってしまって、
消費者・メーカーともども被害をこうむるというナンセンスな事態が容易に想像される)

たぶん結構いるんだろうなという前提に立つ。世の中は広いから。
どんな人がこういうことするんだろうかと仕事の合間にツラツラと考えてみる。
以下、イメージが出来上がる。
サバの味噌煮の缶詰を直接コンロの火にかける人。

30代半ばぐらいの男やもめ。4畳半一人暮らし。
地方の小さな企業でセールスを担当していて給料は中の下。手取り17万。
部屋の端から端まで張り渡した紐に洗濯物をかけている。
今乗っている車はそろそろ7・8年目になろうとしている。
コンビニで買ったパックに入った大盛りご飯と
安いときにスーパーで大量に買い置きしておいたサバの缶詰。
缶切りでフタをギザギザに開けて、小さなガスコンロにかける。
ガスコンロもかなり年季の入ったもので
中途半端にカチャカチャやってるようではすぐ火が消えてしまう。
あれこれの吹きこぼしがそのままになっていて汚れがこびりついている。
煮えるまでの間に冷蔵庫を開けて発泡酒の6缶パックから1本取り出して飲み始める。
煙草に火をつけて一服。何もない天井に向かってフーッと煙を吐き出す。
コンロの火を消して鍋つかみのようなものでアチアチ言いながら
テーブル(冬はコタツになり、台の部分を裏返すと麻雀卓になる)の上へと直に置く。
そんなことばかりしているから表面は焼け焦げばかり。
ご飯は茶碗に移されていて、湯気の立つサバの味噌煮をその上からかける。
箸で少しばかりかき混ぜる。
食い終えた後の茶碗は何日間か流しで放置。気が向いた頃に洗う。
もう一服した後でパチンコに出かける。
毛玉のついた薄手のセーターに安物のねずみ色のスラックス、合成の革靴。
立て付けの悪いドアに鍵をかけてアパートの階段をカンカンカンと下りていく。
いつヒットしたんだか誰にも思い出せないような曲を口笛で吹きながら
半ばガニ股で背を丸めて、両手をポケットに突っ込んで。

この程度でいいのなら、いくらでもスラスラと思いつく。
しかし、ミネラルウォーターを直接火にかけるような状況ってのは
なかなか思いつかない。
日本とは異なる生活習慣を持つ国からやってきた人たちがするのだろうか。
子供が実験と称して火にかけて破裂させてしまうのだろうか。
それとも逆に麻布や広尾のマンションに住む
高学歴・高収入な若い夫婦がものの弾みでやってしまうことなのだろうか。

世の中ってのは本当に広いものであって、
僕のような平凡な会社員には想像もつかないようなキッカイな出来事が
日夜発生しているのかもしれない。
パッケージの注意書きに記載されるのならば
それは他人によって拾い上げられてるってことだからまだよくて、
もっと言葉にできないような、何か。
残酷で醜悪でデタラメでひどく物悲しい、そんな何か。
人間というインチキで安直でチンケな生き物が
ついついしでかしてしまう、ついついしでかしてしまった出来事。

ミネラルウォーターの缶に記載された「直接火にかけないで下さい」という注意書き。
こういうのを見かけると
人間は愛すべき生き物なのかそうじゃないのか、全く持ってよくわからなくなる。
愚かなものだということだけは嫌でも伝わってくる。

12月5日(金) 流刑

流刑。
その国では取り返しのつかない犯罪を犯したものは100万年後の地球へと送り込まれる。
これは一種のタイムマシンによって行われるのであるが、
あくまで一方通行の処理であるため、彼ら/彼女たちは戻ってくることができない。
現に戻ってきた人間は1人もいない。
これは100万年後の地球にタイムマシンに類するものがないからなのか、
それとも地球そのものがなくなってるからなのかは分からない。
正常な人間は誰1人として、
100万年後という遠い未来を行き来することなど試みたりはしていない。
通信は不可能。流刑者の行方は誰にもわからない。
もしかしたらタイムマシンが正しく機能していなくて
ボタンを押した瞬間彼らの体はただ単に消滅しているだけなのかもしれない。
その仕組みは国家機密であるため、民衆にとっては知らぬほうがよいものである。
下手に好奇心を抱き、そのことを口に出そうものなら、
いずれその者が送られることになってしまう。彼は身をもって全てを知ることになる。

宮殿前の広場。組み上げられた処刑台の周りでは屈強の男たちが待ち構え、
複雑怪奇な部品を組み合わせた例の機械が馬に引かれて優雅に運び込まれる。
国王が華やかなファンファーレと共に現れ、
集まった民衆に笑顔で手を振りながらバルコニーの特別席に腰を下ろす。
(緊迫する国際情勢の中で国王の「仕事」と言えばこれぐらいのことしかない)
少し遅れてまだ若い女王が、生まれたばかりの娘を抱えて、前に進み出る。
黒いマントで全身を覆われた男とも女とも判断のつかぬボロ切れのような何かが
よろよろと引っ張られ、処刑台へと近付いていく。
押し寄せた民衆の罵声が乱れ飛ぶ。不穏な声の渦が最高潮になったところで
国王はその右手をすっと空に向かって差し出す。

火星との定期航路から昨晩戻ってきた僕は
広場を見下ろすホテルからその光景を眺めていた。
その部屋には隣国の技術者が居合わせていて、2人で窓の側に立っていた。
彼女は「あなたのくにはとてもきょうみぶかい」とカタコトの言葉で言った。
僕は彼女の国の言葉で「時間です。そろそろ次の目的地に向かいましょう」と言った。

3世紀前にタイムマシンの原理を発見し、
実用に耐えうる1号機を開発した女性のことは今ではもう忘れ去られている。
子供たちの教科書からもその名前が消えて久しい。
「地下」ですら偶像視されなくなった。
そもそもこの時代には名前を持つことを許された人間はごく一握りだけだった。
(名前とは与えられるものではなく、奪われるものである)

「100万年後?そこには何があるってんだよ?」囚人は看守に向かって毒づく。
「いいから黙って食え」(俺よりいいものを食いやがって)
「俺みたいなケチな盗っ人が連れてかれることなんてねえだろうな?」
「さあな。嫌だったらおとなしくしてることだ」

1人の天才少年がガラクタを寄り集めて一種のテレヴィジョンのようなものを作成する。
もちろん過去や未来の映像を映し出すためのものだ。
少年は真夜中になるのを待ち、試作品のスイッチを入れる。
まだ開発の途中であるから音声は伴わない。
ブラウン管の中で何かが無言でうごめいている。
ボリュームを操作し、キーボードから数値を入力する。
100万年先ともなると電波が弱すぎてきれいに受信することができない。

その日流刑に旅立つことになった者には一週間分の食料と水、
神の言葉を記した小さな書物とが与えられた。
度重なる拷問で消耗しきった体で広場の真ん中に据えられた古びた椅子に座った。
そこには数多くの同胞たちの汗が染み込んでいる。
目を閉じると群衆の声が聞こえる。
薄れゆく意識の中でやがてそれは途切れ途切れになる。
体の中をある種の電流が走ったとしても気付くことはない。

12月6日(土) K-1 WORLD GP 2003

K−1の決勝が行われる。
僕の中では2年前にドームで見て以来、ピークが過ぎ去った。
昔ほど興味はない。でも一応テレビの中継を見る。

面子を見て驚く。何この8人?
アーネスト・ホーストはいないし、ジェロム・レ・ヴァンナもいない。
それでいて十年一昔のようにピーター・アーツと武蔵が。
先日ボブ・サップを破ったレミー・ボンヤスキーと
何年か前マイク・タイソンの復帰戦にて惜しくも敗れたフランソワ・ボタが
初登場で今回の見所ってとこか。
レイ・セフォーが出てるのは嬉しいし、
アレクセイ・イグナショフが出ているのはもっと嬉しい。
しかもイグナショフはダントツで優勝候補であるらしい。
この人線は細いけどロシアの殺人マシーンみたいな感じでいいんだよなあ。
こりゃイグナショフで決まりだろう。
ボンヤスキーかボタと決勝戦を戦う。
シリル・アビディはまだまだだし、ピーター・グラハムって誰だ?
それにしてもホーストの出ないK−1なんて締まらないなあ。

なんて思っていたのであるが、ふたを開けてみたらとんでもないことに。

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準々決勝
○シリル・アビディ ×フランソワ・ボタ
○レミー・ボンヤスキー ×ピーター・グラハム
○武蔵 ×レイ・セフォー
○ピーター・アーツ ×アレクセイ・イグナショフ

準決勝
○レミー・ボンヤスキー ×シリル・アビディ
○武蔵 ×ピーター・アーツ

決勝
○レミー・ボンヤスキー ×武蔵
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武蔵がセフォーに、アーツがイグナショフに勝つという番狂わせ。
セフォーもイグナショフも調子悪そうにしていたら判定負け。
なんなんだ。イグナショフなんてありえないぐらいの動きの鈍さ。
八百長なのかとすら思った。
でもこの2人が買ったところで得する人なんているのだろうか?
この2人が買ったところで今更K−1人気の梃入れにはならんだろうし。
ある意味「象徴」と言える2人なので勝ったりすると歴史的にきれいなんだろうな。
格闘技的にはちっとも面白くないが。

それでも見てるうちに武蔵サイドに気持ちが傾くのは不思議なもので。
アーツとの準決勝はある意味いい試合だったし、
「ああ勝ててよかったなあ」と素直に思った。
動きが軽やかでセフォーとの試合よりも生き生きしてて。
1回戦のセフォーも、お得意のノーガード戦法には引っかからず。
あれってショーマンシップのあるファイターなら
ついつい相手してしまうところなんだろうな。

どうせ武蔵が出てくるんだから日本人枠なんていらないじゃん、
僕はずっとそう思っていた。
ニコラス・ペタスだなんてこの前流暢な日本語で
「世界ふしぎ発見」に出てたし。終わってる枠。

「判定でもいいから、僅差でもいいから勝ちたい」
という発言により「消極的」とマスコミから叩かれる武蔵。
黙々とトレーニングをこなすのはいいのであるが
サップとスパーリングっていうのも「なんだかなあ」って感じ。
「パワーで負けるので、技術とスピードで」というのは冷静でいいんだけど、
そもそも強さってものが微塵も感じられない。
華々しい方面での技術ってあるのだろうか?
PRIDEなり他の他のリングに上がったら全然試合できなさそう。
こんな武蔵に対し、試合前のコメントでは
セフォー「楽勝だ」
イグナショフ「彼に力はない。スプーンすら持てないんじゃないか?」
僕は全く持って「その通りだよなあ」と思う。
それに対し「日本人が強いということを証明したい」
と彼特有の淡々とした口調で語るのであるが、
「何言ってんだこいつ?」と思った。

1つ勝つごとにわずかずつオーラを増していったかのような武蔵。
今回の見所としてはなかなかよかった。がんばった。
でも来年出てきたところで組み合わせが悪いとパタッと負けそうだし、
いくら今年がんばったところで
来年の武蔵を応援したいという気にはあんまりならない。
嫌いじゃないけど積極的に好きなる理由が何一つとしてない。

一方、今回初登場で優勝したボンヤスキー。
こいつは面白いなあ。
元銀行員でビジネス書を愛読するという知性派。
ハイキック、フライングニーの連発は見てて「おーっ」という気持ちになる。
2年前同じく初登場ながらパワーだけで優勝した
マーク・ハントよりはよほど好感が持てる。(今年どうしたのだろう?)

それにしてもK−1って21世紀になってからはもう全然だめだな。
90年代で終わった。質が下がったなあ。
試合の途中でマイク・タイソンがビデオによるメッセージでボブ・サップを挑発、
会場に現れたサップは「受けて立つ」と意思表示を。
これはこれで「見世物」としてもちろん見てみたいが、
こうでもしなければ世間の注目を惹きつけられないってのがもう末期的。
あとはもうカードがないのではないか?
強くて話題性のある自前のファイターなんて育てるのは簡単なことではないし。
大晦日には曙 vs ボブ・サップってことになってて話題性は十分、
そりゃやっぱ見てみたいけど、正直な話、
なにがなんだかよくわからんよ。

12月7日(日) 佐々木昭一郎 「川」

2年前の今頃、NHKの演出家佐々木昭一郎の存在を教えてもらい、
映画祭で特集上映が組まれるというので見に行った。
「夢の島少女」「四季・ユートピアノ」という70年代の代表的な2作品を鑑賞する。
「すげー」「こんな人いたのか」と圧倒される。

その後80年代になってからの連作「川」3本を
ダビングしたビデオテープを借りるものの
120分テープを3倍で撮ったという長さに気後れして
(そこから2年間の僕は仕事がとんでもなく忙しかった)
見ないままほったらかしにしていた。
テープは部屋の片隅でひっそりと埃をかぶっていた。
貸してくれた会社の先輩からこの前「そろそろ返してくれ」と催促されたので
持っていったのであるが、「いやー実は見てなくて」と言ったら
「バカー。見ろ。もったいない」ということになる。
今日半日かけて全部見る。2年がかり。ふー。

「川の流れはバイオリンの音」80年、80分
「アンダルシアの虹」82年、80分
「春・音の光 スロバキア編」83年、90分
の3本。「夢の島少女」「四季」でも主役だった中尾幸代が引き続き主演。
(佐々木昭一郎にとってミューズのような存在なんだろうな)
この人の笑顔はほんと素晴らしい。

「四季」でもそうであったように、中尾幸代はピアノの調律師という設定。
1本目ではイタリア(ベネチア)
2本目ではスペイン(グラナダ)
3本目ではスロバキアと世界各地に旅立ち、そこで出会う川・音・人に触れるという内容。
ドキュメンタリーのようでもあり、ドラマのようでもあり、
全体を通して言うならば「映像詩」ってことなんだろうなという
例によって佐々木昭一郎的な演出。

出会いがあるならば別れがあるわけで、3作品とも結局はそこに行き着くのであるが、
作品の雰囲気としては終始柔らかく、穏やか。
佐々木昭一郎の手にかかると世界はつつましくも美しいものとなる。

話としてこんな感じ。

「川の流れはバイオリンの音」
ポー川ほとりにある街、クレモナ。ヨーロッパ一高いという塔がある。
ここをピアノの調律師A子が訪れる。
思い出のバイオリンを修理してもらうため。
調律師の老人アントニオのスタジオを住まいとして借りることになったことから
その喧嘩友達でアルプス生まれのルイジ、
アントニオの甥で若い頃はボクシングでヨーロッパヘビー級にもなり、
今では歌い手だというマリオ、といった人物と出会う。
塔から街を見下ろし、鐘を突き、アントニオが働いている酒場を手伝う。
郊外の村にバイオリン用のミツバチのニスを探しに行く。
市役所に飾られている本物のストラディバリを見に行くと
毎朝5分だけ演奏するという助役が澄みやかな音色を奏でている。
森ではジプシーたちがチェンバロとバイオリンという編成で演奏を行う。
73歳のルイジに新婚旅行でパリに行こうと誘われ、
マリオは酒場で声だけでグラスを割る。
A子は自らバイオリンを作ろうとする。
音楽に満ち溢れた生活を送るのであるが
旅先でアントニオが亡くなり、後を追うようにルイジも亡くなる。
※それぞれ出会う人たちがエンドクレジットを見ると本名があったり、
時々日本にいる妹に宛てて書かれた手紙をモノローグとして読み上げたり、
とドラマ的要素が高い。
後の2作品はもっとドキュメンタリーっぽくなる。

「アンダルシアの虹」
A子はアンダルシア地方、グラナダのとある村を訪れ、
ジプシーの一家に一夏住まわせてもらう。
一家の主マヌエルの職業は「洞穴掘り」で、その妻は昔フラメンコの踊り手だった。
その影響からか長女ピーリーは踊り手を目指して家を出、旅をしながら踊り続けている。
A子とは手紙のやり取りを続け、その中であるときピーリーはこう語る。
「体中が音になるまで踊っています」
A子は洞穴掘りの手伝いやパン屋、市場、壁塗りと様々な職業を体験する。
自転車を直してくれることになった15歳の少年ホアンは
思春期の途上にあり、A子にほのかな思いを寄せる。
小鳥の鳴き声の出る笛を売り歩きながら家族を探している男性と出会う。
マヌエルを紹介してくれた鍛冶屋のペペはA子のために音叉を作ってくれる。
ギター工房に弟子入りして、自分のギターを作成する。
そんなふうに忙しく過ごしているうちに夏は終わってしまう。
マヌエルの一家はジプシーとしての宿命か、ふらりと旅に出てしまう。
15歳の少年は直し終えて新品のようになった自転車を
A子の元に運んでくるが、A子はその自転車を彼に与える。
※プラハの映画祭で賞を取ったようだ。
次回作がスロバキアを舞台にしているのは
そのとき見た風景に惹かれるものがあったからだろう。

「春・音の光 スロバキア編」
春、ブラチスラバという小さな町に到着したA子は
ウイリアムという盲目の調律師の元を訪れる。
祖父の代から町で楽器の修理をしていて、
彼の息子ロベルトは音楽学校で指揮者となるべく勉強をしている。
ウィリアムから紹介された、羊飼いにして「フヤラ」という
2本の木を組み合わせた笛を作成するオンドレイの住む村にA子は足しげく通う。
そこには父親がサーカスの道化師だという少年ラドと
オンドレイの孫ミルカとその婚約者ユライがいる。
A子はオンドレイが戦争中に先立たれた妻エバの思い出話を語るのを聞き、
エバのためにオルゴールを作成する。
ラドとともに古びた教会を訪れ、オルガンを演奏する。
絶えず人手で空気を送り込まなくては音の出ないそのオルガンは
ドボルザークの愛用したものだという。
白いバイオリンを作るアルビンと、その妻カッチーナの元を訪れると、
最後に作成したバイオリンを「川の祭り」へと持っていってくれと頼まれる。
町の人たちは民族衣装に身を包み、白いバイオリンを演奏し、木のトランペットを吹く。
100歳の蒸気機関車が年に1度町にやってくる。
昔は戦地へと村人を運ぶための機関車だった。
祭りも終わり、ミルカとユライの婚礼の時が来る。
鞭も満足に使いこなせないユライに、半人前の男には孫はやれないと
常日頃突っ張っていたオンドレイであるが、
婚礼の前日になると将来フヤラを作るための若木を新しく植え、
バケツで作ったタイコをA子に持たせ、自らはアコーディオンを抱えながら、
酒場に出かけ曲を演奏して楽しい時間を過ごす。
2人の結婚式が終わった次の日、ユライは兵役のため村を出る。
ミルカとA子に別れを告げ、走り出した列車の窓から手を振るユライ。
ラドもまた父親を探すために村を出る。
(1作目のアントニオ同様)旅先でウィリアムが死亡する。
晴れて指揮者となったロベルトが指揮をする曲に見送られてA子は町を去る。
オンドレイは最後、川辺にてA子に語る。
「川、音、人、みな時と共に流れていく。時と共に消え、まためぐり会う」

12月8日(月) ガイア仮説

「ガイア仮説」というものがある。地球を1個の生命体と例えるあれだ。
もしかしたら地球は本当に生き物なのかもしれない。
余りにも大きすぎるから人間には実感できていないだけ。
バクテリアが宿主のことを気にもとめないのと一緒。

もしかしたらそこに住む全ての生命体を含めて、地球は1つなのかもしれない。
人類の1人1人が細胞1個のようなもの。
地表を離れて好きなように動き回るが、実は我々も・・・。

僕らそれぞれの肉体と精神の個々の組み合わせは
他の人と区別される独立した存在であるとして捉えられているが、
実はこれ、単なる錯覚なのかもしれない。
肉体も精神も地球から与えられたものであって、
その組み合わせは単なる偶然なのかもしれない。

もしかしたら肉体に精神は結びついていなくて、
今この肉体を動かしているのは地球であって、
今考えているようにも思われるものは実は地球なのかもしれない。
地球がコンピューターのように内部で切り替えながら
60億個の人体を動かしているだけ。

もしかしたらそれは地球ではなくて、あるいは太陽。
あるいはそれよりももっと大きなもの、
例えば宇宙全体を統べている1つの大きな意識。

いかん。どっかの宗教みたいになってきたのでここで止める。

12月9日(火) 今日は何の日?

昨日12月8日は真珠湾攻撃の日でジョン・レノンの命日でもある。
なぜかこの日だけは世界の歴史に何が起きたのか覚えている。
直接の関係はないが、僕に何がしかの影響を与えている出来事。
ああこの時期が来たのかと毎年思い出す。

あくまで12月8日だけ。
じゃあ例えば1日後の今日は何の日なのかっていうと全然知らない。
そういうのを教えてくれるサイトが世の中にはたくさんあるようなので調べてみる。
今日、12月9日は?

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記念日としては
「障害者の日」「夏目漱石忌」「クジラの日」タンザニア独立記念日

今日が誕生日の有名人は
ISSA、落合博光、白石加代子、市川猿之介、ペギー葉山、カーク・ダグラス 
上村愛子、ジョン・マルコビッチ、綾小路きみまろ、雅子皇太子妃 など

今日行われるお祭は
「京都了徳寺大根焚き」

歴史上の出来事としては
1159年 平治の乱
1321年 後醍醐天皇 親政開始
1485年 山城国一揆
1867年 15代将軍慶喜 王政復古の大号令
1935年 北京の学生による抗日行動
1945年 GHQ農地改革

同じく、20世紀の出来事(http://www.mie.to/birthday/h.html から引用)
1911年 浪花節で人気の桃中軒雲右衛門、日本人初レコード吹込み
1986年 ビートたけし軍団と一緒にフライデー編集部乱入
1990年 柔道の田村亮子国際女子柔道選手権で最年少優勝(15歳)
1993年 屋久島白神山地法隆寺姫路城の4か所世界遺産に決定

別なところから引用(http://www.ann.hi-ho.ne.jp/h-ishimaru/calendar/12/1209.html
1955年 日本とカンボジアが友好条約に調印する
1966年 「建国記念の日」を2月11日と公布される
1988年 宮沢喜一蔵相兼副総理が服部秘書のリクルートコスモス社株譲渡について辞任に追い込まれる
1990年 ポーランド「連帯」ワレサ委員長が大統領に就任する
1994年 新生党・日本新党・民社党などが解党し新進党へ
      被爆者援護法が成立する
1997年 介護保険法が成立する
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誕生日はまあ、いいとして、調べてて気になったのは歴史上の出来事。
「ああ、こういうことがあった日なのかあ」というのと
「そういえばこういうことあったなあ」というのと。

改めて「いろいろなことがあったんだなあ」と、しごく当たり前のことを思う。

12月10日(水) 僕の心を取り戻すために

僕は僕を探し続けている。

昨日の夜、僕の後ろ姿を新宿で見かけた。
JR東口改札から地上に出て三越方面へと向かう辺りは
年末ってこともあって人また人でごった返していた。
ふと見ると少し先を僕が歩いている。
僕は急ぎ足になってその後を追う。
僕は僕が今着ているのと同じコートを着て、同じ鞄を持っている。
見間違いようがない。
外見がどうこうという以前に僕は
その存在に対して強いような弱いような奇妙な結びつきを感じている。
第六感のようなもので体が自然にひかれていく。

追いつきそうになるのであるが、角を曲がったところでふっと見失う。
TSUTATAに入ったのだろうかと思い、僕は店の中に入っていく。
僕のことだから地下の洋楽コーナーだろうかと階段を下りていく。
・・・どこにもいない。
またしても見失った。

漠然とした喪失感を心の中に抱えるようになってから
いったいどれだけの月日が流れたのだろう。
時を同じくして僕は僕の後ろ姿を雑踏の中に見かけるようになった。

僕は僕を捕まえることができたら、何がどうなるのだろう。
僕は僕を取り戻すのだろうか。
僕が僕を取り戻す瞬間、「僕」の顔にはどんな表情が浮かんでいるだろうか。

焦燥感を常に感じている。
焦りと苛立ち。どうして僕は僕を捕まえることができないのか。
もしかしたら残りの人生をずっとこんな感じで過ごすのか。
(僕が死んでしまうとき、僕はどこにいてどうしているのだろう?)

時々こんなことを考える。方向性としては逆の振る舞い。
例えば国際空港で僕を見かける。
僕はロビーのゆったりとした長椅子に身を沈めていて、
僕がせかせかと遠ざかっていく後ろ姿をそのまま見送る。
体がどれだけうずいても立ち上がったりはしない。
僕は僕が旅立つにまかせる。
この地球のどこかで僕は生きているだろう、その事実を僕は受け入れる。
ある種の諦めの気持ちで。ある種の前向きな気持ちで。

日々の生活は何も変わらない。
朝起きて会社に行って仕事して帰ってきて眠ってまた朝が来て。
1ヶ月2ヶ月僕は僕を見かけないこともあれば
3日4日続けて見かけることもある。
それが僕の身体的精神的な調子の波と重なるのかと言えば何の関係も無いようだ。
ただ、ぽっかりと穴だけは開いている。
僕の中にあって、なのに僕を取り囲んでいる、そんな大きな穴。

喜怒哀楽が完全になくなってしまったということではない。
楽しいと感じることがある、心の底から感じることがある。
だけどそれは一瞬だけ。「続く」ということがない。
その分悲しいという気持ちも、一瞬しか感じない。
時々思い出したかのように感情の欠片を、残骸を、僕は僕の中に見出す。
寄せては返す波がそこに存在しているのをしばらく感じて、
後はそれがサーッと消えていくのを見守る、そんな感覚。

昨日の夜、僕は僕の名前を叫びそうになった。
そうしたら僕が振り向くかもしれないと思った。
だけどそんなことはしなかった。
できなかった。
そしてまた僕は僕を見失った。

その夜は友達と飲みに行くことになっていた。
約束の時間が近付いて、僕は東口の待ち合わせ場所へと戻った。
友人たちと一緒にしばらく飲んでいた。
何もかもがいつも通り。
普段そんなことは話さないが、
友人たちの心の中でも僕と同じように穴が開いてたりするのだろうか。
気になったけれども、僕は口には出さない。

12月11日(木) 花粉症レーザー治療(後編)

昨日の夕方、花粉症レーザー治療の手術を受けてきた。

予約は5時となっている。
会社を午後休みにしていったん家に帰り、着替えて、東京駅八重洲口の耳鼻科へと向かう。

実際の処置は5分程度で終了する簡単なものとは知らされているものの
「レーザー」「手術」という単語に引っかかって少しばかり緊張する。
(とはいえ今年の春、意味不明な右脇腹のにぶい痛みで
あれこれ検査していたときの方がよほど緊張したものであるが)
本を持ってきていても読む気にならず。何もせずじっとしている。
そのため周りの物音というか診察状況が嫌でも耳に入ってくる。

そこのクリニックでは診療科ごとに違うビルの中にあって、
耳鼻科はたまたまなんだろうけど泌尿器科と一緒になっていた。
ここは総合的な診療というよりはレーザー治療にフォーカスを当てているところだから、
耳鼻科だろうと泌尿器科だろうと、手術をしているか、
手術のための予備診断ばかり次々こなしているようだった。
他人の「痛い」話がどんどん聞こえてきて
顔には出さないが「ひー」「やめてくれー」という気持ちになる。
泌尿器科では「尾悌骨の辺りから麻酔を打って」「前立腺をレーザーで」みたいな話。
耳鼻科では「いびきの手術では扁桃腺を取ることもあるんだけど」みたいな話。
手術を前にしてかなりびびる。自分が受けるわけでもないのだに、意味も無く恐怖感を煽られる。

なお、泌尿器科での手術は泊まりとなっていて
手術の次の日は朝、術後の検査を行うことになっているようだ。
東京近郊から受けにくる患者のために受付では近くのホテルの予約を取っていた。
「手術の後は尿道にカテーテルを入れますが、次の日の朝自分で抜き取ることになっています」
という話を待合室にいる僕の目の前で看護婦の人が説明を始めて、やはり「ひー」となる。

僕の番が来る。
診療室ではまず麻酔を行う。
前回の採血検査の結果を見て医者は「コレステロールがギリギリだったよ」と言う。
診療台へと促されて、深く腰をかける。紙製のエプロンを首の周りにかけられる。
鼻の穴を広げる鉗子で固定すると細い管を差し込んで左右両方に2種類の麻酔を噴射する。
2つ目のは「苦いですよ」と言われ、確かに喉を通るとき苦かった。
噴射が終わると別な麻酔液が染み込んだガーゼを鼻の奥までぐいぐい突っ込まれる。
麻酔が効いてきて、歯を抜くときの歯茎のあの感覚が鼻や喉の周辺に広がる。
台の横にはモニターが置かれていて、誰かの鼻の奥の拡大映像が静止していた。

完全に効果が出てくるまでってことでその後30分待つことになる。
処置室の椅子にて本を読む。局所麻酔であるため眠くはならない。
ガーゼを詰め込んだ左右の鼻からポタポタと透明な液体が伝わり落ちてくる。
これが鼻水なのか麻酔薬なのかはよくわからない。
「手術に失敗しても文句言いません」「手術の効果が出なくても文句言いません」
という同意書にサインを求められ、記入する。
待っている間、他の人が手術を受けたり、それが終わって説明を受けている内容に耳を澄ませる。
前の人の手術が始まってウイーンというのとグオーというのが交じり合ったような音が聞こえてくる。
長いこと続くのかといえばそんなことはなく、どうもすぐ終わるもののようだ。
前の人への説明内容から察するに今日の手術から2週間後に診断を受けなくてはならないようで、
「あ、なんだまた来るのか、今日で全部終わりじゃないんだ」ということがわかって
「めんどくさい」ものなんだなあと思う。

前の人のが終わって、先ほどの診療台に戻る。
右腕をまくってくださいと言われてシャツの袖をまくると、血圧を測るときのようなやつを巻かれる。
詰め込んでいたガーゼが取り除かれると医者は右の鼻だけで呼吸を、左の鼻だけで呼吸をさせて
「どっちが鼻の通りがいいですか」と僕に聞く。
「・・・右?」と僕が言うと「そうでしょう」と医者は言う。
「鼻梁が曲がっています」「もしこれも直すとしたら入院ですね」
そんなやり取りが会った後で医者は
先端が少しばかり折れ曲がった青い太目の針金のようなものを大きな機械から伸びたチューブへと繋ぐ。
握りの部分にボタンがあるようで、これを押すとレーザーが放出されるのだろう。
喉に振動が伝わるのでガーゼを噛んでくださいと口元にガーゼを渡される。
僕がそいつを咥えると医者は「時々ピリピリすることがありますよ」という以外に
特にこれといって何も言わず、鉗子で鼻の穴を広げると針金を僕の鼻の中へと差し込む。
ボタンを押す。

鼻の奥が微妙に熱くなる。
やがて、激痛。レーザーが麻酔の掛かっていない個所へとわずかばかり反れているのか
ピリピリがビリビリになったようなものと、もっと別の、「焼いてる」という感じのものと。
後者の痛みは瞬間的に体全体を貫くようなものになる。
なんつうか、鼻の奥に生えた「親知らず」をぐいっと引き抜くような痛み。
どっかが焼き切れたのだろうか・・・。
右にそれが何回かあって、左にそれが何回かあって。
僕がレーザー治療をやると言ったら何人かの女の子が
「痛くなかったら私もやってみます」と言っていたのであるが、
とてもじゃないが僕にはお薦めできない。

何が嫌かといえば、痛みはその場限りのものだとしても
(その感触がしばらくの間弱々しく続くとしても)
「匂い」の方はずっと残るってことであって。
鼻の中という半ば閉じられた空間に
自分の皮膚が焼かれることによる不快な匂いがずっと残る。
しかもその匂いを感じる個所そのものが焼かれているのであるから、
なんとも言えず不思議な不快さ加減。
さすがの僕でも食欲がなくなった。
鼻の奥も麻酔が切れたのかジンジンと痛むし。

レーザーによる皮膚の焼却処理はあっけなく早く終わる。
その後は鼻に吸入をして、次回の診察の予約をする。
2週間後って言ったら12月24日。クリスマスイブ。
「空いてます」とまでは口に出さないものの、「じゃあそこで」と言ってしまう自分。
会社を定時に出たらまっすぐ耳鼻科に行って後は帰るのみ。
悲しいといえば悲しい。

手術後の注意事項を聞く。
1週間水泳はだめ(塩素のため)。その他のスポーツなら次の日より可。
当日はシャワー程度。入浴はだめ。次の日より可。
煙草・アルコールは1週間厳禁。
鼻の奥にできたカサブタは自ら毟り取らないこと。
2・3日は鼻水が出続けます。
会計をして(約6000円)、
処方箋をもらって薬局に行って(抗生物質2種類と点鼻薬:約2000円)、
後は2週間朝晩に薬を飲んで点媚薬を寝る前と起きてから指すだけ。
その日のイベントは一通り終了。

予告通り鼻水が止まらなくなる。
帰りの地下鉄では鼻かみまくり。
しかも左右どっちでかんでも血が混じっていて最初何回かはギョッとした。
右の方でずっと鼻の奥に違和感があって、夜になっても鼻水が止まらなかった。
今日になってようやくそれらの違和感が無くなり、鼻水もおさまってきた。
(まだ血が多少出るけど)

こんな痛い思いをして効果が無かったら嫌だなあ。
2年しかもたないんだったら嫌だなあ(病院でも薬局でも言われた)。
一生に1度ならいいけど2年におきにやるってのはちょっと。

このレーザー治療は根本的な解決ではないってことを
耳鼻科では何回か繰り返し言われた。
この2年の間に沖縄にハワイに移住するしかないんだろうか?

それにしてもこんな痛い治療法、どこの医者が最初に確立して、
誰が実験台になったんだろう?

12月12日(金) オフィス移転のための片付け・月島でもんじゃ

3年間慣れ親しんだ茅場町のビルから今月から引越し。
プロジェクトの都合上僕は一足先に10月から移っているが
これで皆竹芝の本社へ移転することになる。

この機会に
「不要な書類をキャビネの奥に溜め込んでませんか?」
「どんどん捨てましょう」
っつうことになる。整理整頓キャンペーン。
性格が「溜め込み」型の僕としては「あーこれって僕のことか・・・」と思ってしまう。
実際にメールで「これとこれは岡村君の担当分」と指摘される。
あーやらなきゃなー・・・と思い立ち、久しぶりに茅場町へ行く。
半日かけて書類を捨てる。
設計書にテスト報告書に技術資料に会議の議事録。

チューブファイルの背表紙に記載された文字を見て、
明らかに不要なものだったら中の書類は抜き取って全て捨てる。
気になるもののいくつかは一応キープしておいたのだが、
ほとんどは廃棄用のダンボールの中へ。

時々中を覗いて見る。
僕が整理することになっていたのは僕が入社して1年目から2年目にかけて
どっぷり浸かっていたプロジェクトのもの。
良くも悪くも僕の社会人生の基本・基準となっている。
見るもの見るもの懐かしいことばかり。
「ああこの議事録書いた後輩はもう辞めちゃったんだよなあ」
「ああこの会議資料を書いた上司も辞めちゃったんだよなあ」
とあれこれいろんなことを思い出す。
時の流れの速さを実感する。

---
一段落して、会社を出る。

映画サークルの先輩たちと月島でもんじゃ焼きを食べることになっている。
茅場町からだったので歩いていく。
夏ごろよく会社を抜け出して散歩していた道。
もうこの辺を歩くこともないのだなあと思うと名残惜しくなってくる。
夜。空は暗くなっている。
川沿いの高層マンションにポツポツと明かりが点っている。

6人集まる。
僕が店の目星をつけておくことになっていたので、
第一候補の店へと向かう。
以前制作会社でADをやっていた頃に月島でもんじゃの番組を作るため
毎日あちこちの店を食べ歩いたというサンノ君に
事前にメールでお奨めの店を聞いていて、一番と言っていたのがここ。
3月末にサークルの後輩たちと月島に来たときも一度来ている。

行ってみたら「前の客がそろそろ空きそうだから」ということで
20分ぐらい待つことになるけどいいかと聞かれる。
「まあいいですよ」と僕らは寒空の下店の前でずっと立って待つ。
中ではリトルリーグの練習帰りなのか
子供たちの集団がいくつもいくつもテーブルを占領している。
時々外に出てきてはしゃぎまわる。
「お、そろそろ終わりか」と思うとさにあらず。
またすぐ中に戻って食べ始める。
「なんじゃこいつらー!」と僕らは笑いながら中途半端に腹を立てる。
やがてユニフォームの背番号をもとに子供たちの品評会を始める。
あのセカンド「バッチこーい」とか言ってそうだよねー、とか。

20分ではきかず、かなり待たされた末にようやく中に入ることができた。
寒い中外で待ってもらったんだからと舞茸のバター焼きをサービスされる。
僕らが入ったとたん他のテーブルが続々と帰り始め、
店のおばちゃんはほぼ僕らのところに付きっ切りであれこれ焼いてくれた。
やっぱここは素材にこだわってるだけあって、うまいっす。

もち明太チーズもんじゃ、たこキムチもんじゃ、
もともとは半年に一度の「カレーの会」の番外編なので、もちろんカレーもんじゃも。
1番高い花菱もんじゃにその次に高い五目もんじゃ。
もんじゃ堪能。

ビールを飲まずにいられるかと思いつつも
レーザー手術後1週間はアルコール禁止ということになっている僕は
ノンアルコールビールをジョッキで3杯。
ちっとも酔っ払わないもののそれらしい気持ちになる。

四方山話に花を咲かせ、楽しいひと時を過ごして帰る。

なお、「花菱」は月島にて敵対する2大勢力
「もんじゃ振興会」「もんじゃ協会」どちらにも属していないため、
インターネットで検索して出てくるような月島商店街のもんじゃ地図には載ってない。
通好みの店です。

---
7月から9月にかけて僕を蝕んだ例のプロジェクトのトラブル対応で
久々にそのお客さんのところに出かけ、作業をする。
意外とすんなり終わって、午後になってすぐ解放される。
前々から問題が起きているらしいということは伝わってきていた。
のらりくらりと引き伸ばしていた挙句
これ以上はもうだめだということになり、僕が呼ばれた。
「気分的にやりたくないものはやっぱやりたいくないです」というのが
僕の嘘偽らない気持ちだったんだけど、そんなわけにもいかないし。

でもとりあえず終わらせることができてほっとした。
気になっていたものが1つ片付いた。

12月13日(土) 海を見に行く

次回作の映画「29」の最初の方のシーンで必要になるだろうということで
海辺の風景を撮影しに行く。もちろん、上総湊。
1人電車を乗り継いで房総半島を下っていく。

以前にも書いたことだけど「29」はこれまでの半生を振り返るという内容の映画になる。
来年1年かけて作成するつもりでいるのだが、先月から既に撮影は断片的に始まっている。
脚本のない(擬似)ドキュメンタリーだから
その場の思いつきみたいなもので
「明日撮ろうかな」「今日撮れそうだな」ということが僕の中で決まり、
ビデオカメラ片手に部屋を飛び出す。
今日のシーンは「僕はこれまでこの海辺で何本もの映画を作ってきた」
という使われ方をされることになるだろう。
砂浜の風景があって、そこに僕の過去の映画の同じ砂浜の部分を重ね合わせていく。

丸の内線に乗って銀座まで。
東京駅まで国際フォーラムの地下通路を歩いていって、京葉線に乗る。
休日なので舞浜で家族連れがごそっと降りて車内はガラガラになる。
快速に乗ったので蘇我まであっという間に到着する。
君津行きの内房線各駅停車に乗り換える。4人掛けの座席になる。

君津で館山方面行きを待っている間に、ビデオカメラを取り出しマイクを取り付ける。
ホームや入ってくる電車を撮影する。
乗り込んで座席に荷物を下ろし、窓の外の風景を眺める。ここまで来ると完全な田舎だ。
大貫〜佐貫町〜上総湊までの区間、カメラを回す。車窓から見える光景。
山を抜けると海に出る。そういう瞬間を。
今日は晴天で太陽の周りは雲1つない。
進行方向の先に太陽が照り輝いていて、
ちょっと角度が変わっただけですぐ逆光になってしまう。
でなきゃ風雨で汚れきった窓ガラスの表面が写ってしまうか。
なかなか大変だったのであるがなんとか思い描いていた光景を捉えることができた。

上総湊のホームに降り立って、その場でしばらくカメラを回す。
電車の扉が閉まって走り出すところを撮りたかったのであるが、全然走り出す気配なし。
しばらく待って上り列車がやってくると入れ違いに発車する。
線路の上に架けられた歩道橋にて僕は2台の電車をファインダー越しに見下ろしていた。

海辺へと坂を下っていく。
天気のいいせいか駐車場にはちらほらと車が止まり、砂浜を何組かの人たちが散策していた。
僕はいつもこの浜辺で「人気のない海」ってのを撮っていて
今回もまたそういうのを期待していたんだけど、全然感じが違う。
夏だろうと冬だろうと曇って人気がないとかなり閑散とした場所なのであるが、
今日は小春日和というべきか暖かな日差しの下で穏やかな空気がふわっと漂っていた。
これはこれで今回の映画に合ってるかもなと思い、そのまま撮影する。
三脚を持ってきていたので一応固定のフレームでも撮影する。
だけどなんか違うなあという気がすぐにもしてきて手持ちに戻す。

犬を連れた人が多くて、遠くからズームして波間で戯れる犬の姿、
それを眺める飼い主たちの姿を撮る。
若い夫婦が2匹の犬を連れていて、なかなかいい雰囲気だった。
気が付くと僕は彼らをずっと撮影していた。
気を悪くしなきゃいいが。でもいい絵が撮れた。
砂浜であるため照り返しが強かった。

砂浜には1時間もいなかった。駅に戻ると上りの電車がホームに入っていた。
年老いた駅員から「お客さん上り?急いで。もう来てるよ」と声をかけられて
慌ててホームを走り、歩道橋の階段を登る。乗り込んですぐ電車が走り出した。
車両の雰囲気がどうにも特急っぽくて、「乗ってていいのだろうか」と不安になる。
隣の佐貫町に停車する。
「特急の車両を使い回しているだけで、実は各駅停車なのだろうか?」と不思議に思う。
いくつか駅を過ぎていくうちに車内放送が入って、君津から先は特急になるという。
そういうことかと納得する。
東京まで行くようなので撮影で疲れていたしそのまま乗っていくことにする。
車掌が各席を回ってきて、僕は特急料金900円を追加で払う。
東京駅から上総湊までは1620円。自動券売機で買えるギリギリの金額。
距離にするとかなりになるんだろうな。小さな旅のようなものだ。

「帰り」は1時間半ぐらいで東京駅まで到着する。
あれこれ乗り継いだ「行き」は2時間半ぐらいかかっただろうか。
特急に揺られていると気持ちがよくて、僕は帰りのほとんどを眠って過ごした。

今日は概していい絵ばかり撮れた。

12月14日(日) 年賀状の作成

この時期やっかいなのは年賀状の作成。いつもいつも憂鬱になる。
早くこの世からなくなってしまえばいいのに。
古い風習だと廃れてしまって。
メールの時代になってありがたくも
年々出す量も受け取る量も年々減ってきているのであるが、
それどもまだまだゼロには程遠い。
親戚関係であるとか大学の先生とか、
普段ほとんど顔をあわせない上にメールでやりとりすることもしない、
でもやっぱこれまでお世話になってきた人たち。
その人たちのために今年も年賀状を作成する。

・・・のであるが、その前に妹からメールが来て、
母と妹の分作ってくれないかと依頼される。
凝ったものじゃなくても全然いいという。
元ネタがあったら印刷してやってもいいよと返したら
キャノンのサイトにてダウンロードして印刷すればいいだけという
イラストを見つけてきて、「私はこれ、お母さんはこれ」と指定してくる。
なんかタダ働きっぽいなあ、それでなくても12月は暇じゃないってのに。
と思いつつも仕方なく引き受ける。

いったん引き受けると住所も印刷したいとかなんとか言われるようになり、
めんどくさいことになる。
結局年賀状作成ソフトを買いに行く。その方が時間の節約になる。
本屋で山積みになっていた、
手引きと作成ソフトと画像集がセットになっているやつを1500円ぐらいで買ってくる。
これで十分だろうと思う。
こういう雑誌っぽいのはいろんな種類のが出回っていて、どれを買っても多分同じ。
僕が買ったやつは付いているソフトが90日間の体験版になっていて、
「作成し終えたらもう用済みだし、よほど使い勝手がよければ製品版を買おう」と考える。

そうはうまくいかず、よくよく読んでみたら
体験版は印刷時に勝手に製品のロゴが入ってしまうようで、
「なんだよ、使えんじゃん」と憤慨。
「ここまで来たら仕方ねー」と新宿に出かけ、ヨドバシで製品版を買う。
フラフラ見ているうちに上記の雑誌系のやつに
「デザイナーズ年賀状」なんとかっていうのを見つけ、ついつい買ってしまう。
インプレスから出ているようで、現場で声張り上げている売り場担当の人が
あれこれおまけを山ほど僕にくれる。机の上のゴミを取るものだとか、申年のはんこだとか。
年賀状試し刷り用の紙が数枚入ったパックってのがあって、
「これ(だけ)は気が利いてる」と感心する。

家に帰ってきて作業を再開する。
インストールしたばかりの体験版をアンインストールして、製品版へ。
イラストを貼り付けて住所をはめ込んで、すぐにも出来上がる。
これまでの僕はアドビのフォトショップで
使う画像のサイズを葉書大に切り抜いてだとか、無駄に苦労していた。
(お世辞にも使いこなしているとは言いがたい状態だから。今でもそう)
いやー便利だ。

後は印刷するだけという段階になる。何気にここからが大変だった。
逆方向にトレイに差し込んだまま20枚以上も印刷していたり、
黒のインクがなくなってカラーのインクだけで印刷してたってのが10枚近くあったり。
1枚1枚確認しながらやればよかったんだけど
このご時世に妹は100枚出すだの言っていて、いちいち付き合いきれない。
まとめて何十枚か単位で印刷させている間
クリーニング屋に行ったりコンビニに行ったりあれこれ用事を足していたら
戻ってくる度に変なのが出来上がっている。「ああー」と情けない声を上げることになる。
自分の分だと自分に腹を立てて終わるのだが、他人の分だとなんだか微妙。
無駄になった年賀状を実費で請求するのもなんだし(僕がやったことだからってのもあるし)。
同じ家に住んでいるのならまだしも、
青森からわざわざ1000円ちょっと払ってもらうのもわずらわしいし。

一応全て完成する。
手間暇かかって1日がかり。お金もそれなりに使ってしまった。
来年はもうやらないと思う。何が何でも断る。

来週は自分の分を作るのか。気が重い。

12月15日(月) フセイン元大統領身柄拘束

昨日の夜、Yahoo! ニュースを何気なく見てみたら
フセイン元大統領の身柄が拘束された、とあった。
今日の朝起きてテレビをつけたら、ずっとそのニュースばかりやっていた。
生まれ故郷近くの村に潜伏、農家の地下に2mの穴を掘って寝泊りしていたのだそうだ。
自動小銃は所持していたものの拘束時に特に抵抗はなく、
取調べに際しても協力的なのだという。
DNA鑑定を経て、本人であることを確認する。
正義の国アメリカとしては「してやったり」というところか。

イラク派兵に関して批判的だったロシア・ドイツ・フランスを
復興事業から外すという声明を先週出したブッシュ政権。
適当な名目で国土を蹂躙し、その後は自国の製品を売りつける。
「戦争はビジネスだ」と明言しているようにしか思えない。
ヨーロッパ諸国だけでなく国連からも非難の声があがるようになり、
アメリカはどういうつもりなんだろう?と考えていたら
今回のこの「赤い夜明け」作戦。
フセインをほぼ手中に収めているのならあれだけ強気な発言も余裕だろうな。
復興事業をアメリカが仕切っていくのは当たり前、
そんなムードが生み出されて何事もうやむやになっていくのだろう。

こんなおかしな状況で日本は何のために
わざわざイラクまで自衛隊を派遣しなくてはならないのか?
利害関係のどうたらこうたらでしかないことは明白で
人道的意義なんてとってつけたようなものでしかないのに。

なんてことを書いておきながら
そういえば9・11のテロとイラクってなんか関係があったっけ?
と考え出すと記憶があやふやになる自分。
アフガニスタンのアルカイダ政権がどうこうってのは
結局は悪の枢軸ってことでイラクに摩り替わったのか?
ブッシュ大統領はパパ・ブッシュが湾岸戦争で
できなかったことを替わりにやりたかっただけ?
「パパ、僕今日フセインをとっちめたよ」
「よーし、オマエはいい子だ、アメリカの誇りだ」

こういう会話を思いつく辺りに
映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」や
著書「アホでマヌケなアメリカ白人」で一躍日本でも有名になった
マイケル・ムーアの影響が今僕の中で大。

彼だったら今回の件、どんなふうに表現するだろう?


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