7月1日(火) ニューヨーク その33(6月4日)

ホイットニー美術館へ。
この時点ではかなりギブアップ気味。
この後さらにブルックリン美術館行くなんてありえない。
夜のアポロ・シアターもどうしたもんか・・・
せめてホイットニー美術館には行っておこうと思う。
エドワード・ホッパーの作品がたくさんあるってことだし。
せっかくニューヨークまで来たのだから、最終日これだけは這ってでも行かなくては。

またしてもE号線で今度は北上。「77St.」へ。この日はE号線で行ったり来たり。
駅を出て1ブロックセントラル・パーク寄りへ。そして南に1ブロック。
昨日も来てるから迷わず到着する。
美術館ではたまたま運良くホイットニー・ビエンナーレってのをやっていた。
2年に1度開催される。1932年からで今回でなんと74回目。
アメリカ各地から選ばれたアーティストは総勢81名。
絵画、写真、彫刻、映像作品、インスタレーションなどなど。↓作品が見れます。
http://whitney.org/www/2008biennial/www/?section=home
アーティスト・リストを見たらスパイク・リーや DJ Olive にリタ・アッカーマンといった名前があった。

美術館そのもののオフィシャルサイト。
http://www.whitney.org/

入場料は18ドル。1階から3階までがビエンナーレ、4階も特別展、5階が常設展だった。

ビエンナーレは1階のスペース丸ごと使った
Jason Rhodes 「The Grand Machine/THEAREOLA」(2002)が圧巻。
http://whitney.org/www/2008biennial/www/?section=artists&page=artist_rhoades
キチガイ博士の工作台みたいなの。あるいは近未来のラジオ局か。天地創造なのかも。
絡まったコード、ティーン向けポップソングのCD(誰のだったか忘れた)、ピンク色のネオン。
「この世界はどんなものなのですか?」って質問があったら、それに答えているように思う。
「これ、すげー!」と唸る。写真を取れなかったのが残念だ。

で、2階と3階ですが。ここから先はたいしたことなし。よくわからんものだらけ。
前の日にチェルシーのギャラリーで見た、
Louise Lawler の白衣を着た象の足の写真がここにも展示されていた。

あと、作者の名前をメモっていたのが Walead Beshty の写真。↓インタビューと作品が見れます。
http://whitney.org/www/2008biennial/www/?section=artists&page=artist_beshty

4階には階段から上がれなかったので、いったん5階へ。
デ・クーニング、モホリ・ナギ、マン・レイ、ジョージア・オキーフ、ジャクソン・ポロックなど。
そしてエドワード・ホッパー。数えただけで7点もあった。
こんなにたくさん見れるとは。
「Queensborough Bridge」(1933)
「New York Interior」(1921)
「Early Sunday Morning」(1930)
「Self-Portrait」(1925-30)
「Seven A.M.」(1948)
「A Woman in the Sun」(1961)
「Second Story Light」(1960)
有名なのは7番目の「Second Story Light」かな。
2階のテラスでくっきりとした白々とした陽光を浴びる母親と娘。
娘はビキニの水着を着て、母親は新聞を読んでいる。ただそれだけ。
なのに。娘の視点の先にある何か、待ち受けている何か、
それとは無関係に与えられる現実の侘しい姿。
ホッパーの他の作品同様、あらゆるものがとてつもなく寂しい。
どれだけ明るい光景を描いても、寂寥感だけが伝わってくる。

ソル・ルイットの晩年の作品「Scribbles」もよかった。
アラベスクのような幾何学的な模様が壁の中心から始まって、
それが端に向かうにつれて混み合っていって、ただの「黒」へと収束する。
これ、描くにはものすごく時間がかかっただろうな。
美術館の壁そのものに描かれていて、もしかしたらここで描いたのかもしれない。
2007年の作品。昨年無くなった。

4階へ。なんとロバート・メイプルソープのポラロイドの写真展を行っていた。
どうも写真集が出たばかりのようで、その関係で。
70年代後半の作品が中心。
風景や静物もあるんだけど、メイプルソープなんでゲイや SM をモチーフにしたものが多い。
もちろん、パティ・スミスを被写体にしたものも何枚かあった。
思いがけず出会えて嬉しい。

地下のミュージアム・ショップへ。
ホイットニー美術館そのもの図録は無かった。
ビエンナーレのはあったんだけど、それは、ま、いいかと思う。
絵葉書を3枚買う。
エドワード・ホッパー、バーバラ・クルーガー、ジョエル・スターンフェルド。
バーバラ・クルーガーは「Thinking of you」
モノクロの写真に、赤地と白の文字をコラージュするっていう作風。日本でもよく見かける。
作品の認知度の割りに知られてないように思う。
↓で作品が見れます。残念ながらホイットニーでは見ることができなかった。
http://www.barbarakruger.com/art.shtml

7月2日(水) ニューヨーク その34(6月4日)

ホイットニー美術館を出る。
体調は割りと回復していたものの、ギブアップ。
吐き気・めまいはおさまったとしても、これまでの疲れがどっと出てきて
なおかつ風邪はぜんぜんよくならなかったし。
後輩に電話する。もし図書館で勉強しているのなら鍵を借りて一足先に部屋に戻って寝てようと。
だけどつながらない。何回か掛けたけど、留守電になる。
とりあえず市立図書館のあるブライアント・パークへと向かう。
地下鉄のE号線に乗って、グランド・セントラルへ。
そういえば会社にお土産を買ってかないとなあ、なんかないかなあと中のマーケットに入る。
マーケットって言っても高級で、どれもこれも新鮮でみな高い。成城石井みたいなものか。

マックで「Sweetea」とかいうアイスティーが1ドルだと宣伝していて、喉が渇いたと買って飲む。
定価は1ドル。州税が入って1.08ドルとなる。
手持ちの1セントをレジにて財布から1枚ずつ取り出していく。7枚しかなかった。
さらに探しているうちに、レジの黒人の女の子がそれをガバッと掴んでオーケーにしてくれた。
1セントの違いぐらいたいしたことない、ってとこか。
「Sweetea」はただ甘いだけの砂糖水としか思えなかった。

15時。ブライアント・パークに入って空いている席を見つけて、「カンバセイション・ピース」を読む。
18時にスパニッシュ・ハーレムで待ち合わせということになっていた。
その前に着信に気付いて電話してくるだろう、そしたらそこから帰ればいいだろう、と考える。
周りのあれこれをシャットダウンして読書に没頭する。それが一番具合がいい。

16時半に後輩から電話がかかってくる。
後輩は後輩で具合が悪くなって1日寝てたらしい・・・
2人して食あたりか。昨日食べたもので。
地下鉄の(R)に乗って帰る。帰り着いたのは17時半。
水があったほうがいいなあ、と近くのデリでミネラルウォーターを買う。
何回か買ってたら店番のおばちゃんが僕のことを覚えたようで、
「Are You Korean ?」と聞かれる。「No, I'm Japanese」と答えると残念そうな表情を浮かべる。

部屋に帰り着いてベッドに横たわる。
そしたらもう、起き上がれなくなった。眠くはないが、体が動かない。
20時半まで、眠ったり起きたりを繰り返す。
真っ白な、部屋の天井を眺める。
窓の外の物音を聞く。
高架を列車が通り過ぎていく。
急ブレーキ。続けてクラクション。
パトカーがサイレンを鳴らす。
そういうのが絶えず耳に入ってくる状態で、電池が切れたようになって、
天井に差し込む光とその影を見つめる。
少しずつ、少しずつ部屋の中が暗くなっていく。
何もする気になれない。何もできない。
僕の中と外で何かが少しずつ変化していく。
移り変わって、消えていく。
ただそれを眺める。目を閉じて、時々、目を開けて。
時間が静止する。いや、目まぐるしく通り過ぎていく。

リビングのソファーで寝ていた後輩が起きてきて、この後どうするかという話になる。
後輩も具合悪そうだ。
このまま朝まで寝て、朝早く空港に向かうことにする。6時に目覚ましをセットする。
明らかに熱がある。今度は熱でめまいがする。
重い体を引きずり上げるように起こして、シャワーを浴びる。
部屋に帰ってきたときは正露丸を飲んだ。今度は風邪薬を飲む。

起きたときにメモった文章:
「夢の中の特定の時空間をチェックして存在証明として利用するビジネス」
今となっては何のことかよく分からない。
とにかく熱のあるまま寝てて、夢うつつのまま取り留めのないことを考えていた。

朝まで眠る。

7月3日(木) ニューヨーク その35(6月5日)

2時間おきに目を覚まして、その度に時計を見て、ああまだ朝じゃないとほっとする。
それを何度か繰り返して5時過ぎになって、起き上がる。
熱が下がっている。よかった。
もう1度シャワーを浴びる。スーツケースにあれこれ詰める。
6時前に後輩を起こして、空港へ。見送りに来てくれる。
後輩の冬物のコートを日本まで運ぶことになった。
ニューヨークから航空便で送ると1万ぐらいかかる。
スーツケースと一緒に送るなら、ただになる。
IKEAの大きなビニール袋にコートを詰めて、後輩がそれを持っていく。

(F)ラインに乗って、「Jay St.」へ。ここで(A)ラインに乗り換える。
6時過ぎ。駅は時間が時間だったためなかなか地下鉄が来ない。
早朝勤務に就く人たちがホームに集まってくる。
ホームの天井から雫が落ちてくる。

(A)ラインはJFK国際空港の近くまで走っている。
かなりの距離になる。ブルックリンを西から東に横断することになる。
周りの建物という建物がグラフィティ・アートに包まれた駅もあれば
閑静な住宅地の広がる駅もあった。

「Howard Beach」という近未来的なデザインの駅で降りる。
ここから Air Train に乗り換える。5ドル。
この駅では珍しく、「まもなく列車がまいります」と日本語でアナウンスが流れた。
ニューヨークを歩いていてもめったに日本語は目にしなかった。
スペイン語ぐらいかなあ。街中の広告とか案内で、英語と一緒に表記されているのは。

モノレールに乗る。各ターミナルごとに、1から順番に停車する。
僕の乗るアメリカン航空はターミナル8だったため、ぐるっと1周することになる。
空港で働いている職員たちがスタバかなんかの長いコーヒーの容器を手に乗り込んでくる。
大きな荷物を手にした旅行者たちが下りていく。

ターミナル8に到着して、アメリカン航空のチェックイン・カウンターへ。
エコノミーの列に並ぶ。Eチケットありますって言ってパスポートと旅程表を渡す。
スーツケースと、後輩のコートの入った IKEA の袋を預ける。
搭乗券をもらう。ここで後輩とは「じゃあ」って感じでさっくり別れる。
空港は特に見て回るものもなく、出国手続きもなく、手荷物検査を受けて
あとは搭乗ゲートのロビーで待つだけ。

ベネズエラコーヒーの店があって、そこで Cafe Campesino ってのをオーダーする。
メディアムサイズで 2.28ドル。シナモンなどで香り付けされていて、おいしい。
結局2回買って飲んだ。

待っている間、「カンバセイション・ピース」を読む。
フライトは 11:50 で、7時過ぎには空港に到着していた。
ものすごく時間があって、ずっと本を読んでいた。
周りはアジア系の人たちが多かった。
行きのときと同様、成田に立ち寄って、タイかベトナムへと向かうのだろう。

大家さんと会社にお土産買ってかないとな、と Duty Free でチョコを買う。
会社には自由の女神が印刷された、ベタベタなチョコを買う。
Godiva ニューヨーク仕様のチョコってのもあって、24ドル。
いいなあと思うが、買って帰る相手がいるわけでもなし。
買わない。自分用に買っても侘しいだけだし。

前半戦泊めてもらった同期に電話する。9時の始業前に掛けたのにつながらず。
ま、いいかと思う。「今からニューヨーク出るよ、ありがとう」程度のことだったので
わざわざ電話するまでもない。
レンタルの携帯がほぼ電池切れに近かったので電源を切る。
FOMAのカードを自分のに入れ替える。

腹が下ってて、何回かトイレに駆け込む。

時間が来て、機内へ。
頼まれて、後ろの座席のおばあさんのスーツケースを頭上のトランクにしまう。
通路側の席で、隣にはタイかベトナムのおばさんたちが座る。
「法輪功」と表紙に書かれた、漢字ばかりの書物を読んでいた。
(中国共産党に禁止された、宗教団体?ですよね)
僕の座った列はモニターが前の座席の背ではなく、
サイドテーブルのように肘掛から取り出すタイプだった。
サイドテーブルそのものもそう。
めんどくさくて、モニターは利用しなかった。

離陸。
今年から法律が変わりまして、と日本人も税関申告書を記入して提出することになった。
見ると「他人から預かってきたものがありますか?」という欄がある。
チェックしたらめんどくさいことになるんだろうなあと、「なし」にチェックする。
ヒヤヒヤする。
スチュワーデスのおばちゃんたちも「これって日本人にも配るんだっけ?」と混乱している。
さっき機内放送で必要と言ってたのに。ちゃんと聞いてないんだろうな・・・

機内食が運ばれてくる。相変わらず寿司あり。
かっぱ巻きと、トロなのかサーモンなのか判別不能な握り。
「Beef with Rice」これがまた、これまでの人生で最悪な機内食だった。
とにかく味付けが濃い。
前にも書いたけど、テリヤキなんてただただしょっぱいだけ。
アメリカ人って醤油をエキゾチックな香辛料だと勘違いしてないか?
ライスはベチョベチョだし。
あと、サラダとクッキー。
コーラを飲む。

食べ終えて、ひたすら「カンバセイション・ピース」を読む。
面白くてやめられない。一気に読み終える。
満足して眠りにつく。

機内は乱気流に巻き込まれることが多かった。

7月4日(金) ニューヨーク その35(6月6日)

寝たり起きたりして、そのうちのあるときは夜食を配ってて、
丸パンのサンドイッチをもらう。腹減ってないけど、貧乏性でついつい手が出る。
着陸前の朝食。
Rice を選んだら混ぜご飯みたいなのが、・・・味についてはやめとく。
あと、フルーツ。イチゴ、パインなど。フルーツだけでもよかった。

村上春樹の「シドニー!(コアラ純情篇)」を読み始める。これまた面白い。
やめられなくなる。家に着くまでに読み終わりそう。

無事、着陸。
あー日本に帰ってきた、帰ってきてしまった。
仕事のことを思うと憂鬱な気持ちになった。

入国審査はあっさりとしたもんで、税関もなんとかなかった。
IKEAの袋、「これなんですか?」と聞かれたらどうしよう、と思った。
「冬物のコートです」続けて、「古着屋で買いました」とでも答えるべきか。
それとも宿泊先から頼まれて持ってきたと正直に言って、
申告書の「他人から預かってきたものがありますか?」にチェックしてないのは
酒が何本まで、煙草が何本までという免税範囲を超えたものを預かってないか?
の意味だと間違えました。ととぼけようか。
結局、IKEAの袋を床に置いて申告書を提出したら何も聞かれなかった。
ビジネスですか、と質問されて観光ですと答えてそれで終わり。

到着ロビーは韓流スターが到着することになっていたのか、
おばさんたちが群れを成して待ち構えていた。
誰だったのだろう?

銀行でドルを日本円に両替する。121ドル。結構残った。
前の日倒れてあんまり使わなかったのと
お土産にあれこれ買わなかったのがよかったんだろうな。
DoCoMo の携帯を返しに行く。
次の上野行きスカイライナーを予約する。
1時間近く先で、出国ロビーまで上がって行って
本屋で「シドニー!」の続き、「ワラビー熱血篇」を探す。
あるいは、山本文緒の「プラナリア」
どっちもない。
しかたなくそのままスカイライナーのホームまで。

母に電話する。無事日本に戻ってきたよと。
絵葉書がまだ到着してないけど、出したか?と聞かれる。
出したよ、と答える。
(絵葉書は結局次の日、7日に母の手元に届いた)

スカイライナーに乗っている間、「シドニー!(コアラ純情篇)」を読む。
上野駅に着いて、京成線の駅からJRの駅へ。
山手線のホームに立ったとき、日本は湿気があって暑いなあと思った。

東京駅から丸の内線に乗る。
荻窪駅に着いて、スーツケースをアパートまで転がす。
部屋まで戻って来て、さっそく大家さんにチョコレートを持っていく。
スーツケースをトランクルームに持っていく。
帰りに「シドニー!(ワラビー熱血篇)」を買う。
夜食べるものを西友で買おうとするのだが、食欲がない。
機内食がずっと腹に残ってる感じだし、そもそも疲れている。
うどんが3袋冷蔵庫の中にあったよなあ、とあとはネギだけ買う。

土日はこのうどんしか食べなかった。
ネギと増えるワカメと鰹節だけのうどんを3回食べた。
調子のよくなかった腹もようやく元に戻った。

時差ぼけが日本帰ってから出てくるタイプの僕は、
金曜の夜、01:00に寝る → 土曜、04:00 に目が覚める、7:00に二度寝したら 16:00 に目が覚める
土曜の夜、23:00に寝る → 日曜、04:00 に目が覚める、ここで寝たら戻せないとずっと起きている
日曜の夜、22:00に寝る → 月曜、03:00 に目が覚める、・・・
ずっとこういうのを繰り返した。火曜の朝も水曜の朝も3時や4時に目が覚めた。
この週から前みたいに7時に出社する必要は無くなり(というか正確にはできなくなり)、
起きていたり、二度寝したりで8時になるのを待って家を出た。

6月に入って会社はクール・ビズで半袖になる。
一週間忙しく過ごす。夜遅くまで仕事する。
あっという間にニューヨークが遠くなった。

その時差ぼけも土日にはなくなり、昼まで寝てた。
そんなこんなで、ニューヨーク旅行はおしまい。

7月5日(土) 社長のビデオレターを撮影する

先月のことだけど、
会社の後輩から頼まれて、社長のビデオレターを撮影することになった。
隣の事業部の顧客交流会で流すという。
その時社長は海外出張中。海外投資家に向けての、・・・ということで。
社長に接する機会ってなかなかないだろうしと引き受けることにした。

事前に打ち合わせをする。
・「ビデオ編集で何ができるか?」
  テロップを入れられる、画像を嵌め込めるなど。音楽も入れられる。

・「どういう形式にすべきか?」
  インタビュー形式にするか?
  その場合はインタビュアーは画面に映った方がいいか。声だけか。
  それとも「さんまのからくりTV」みたいに
  クイズ形式でそれこそビデオレターっぽくするか?

といったことをざっくり1度話し合って、その時に交流会の企画書をもらって、
結果普通にインタビュー形式となる。
その質問事項を後輩が考えることになって、撮影前にメールでやりとりする。

後はぶっつけ本番。
本社ビル最上階の役員応接室(もちろん初めて入った)にてカメラをセッティングする。
フカフカとしたソファーに社長が座って、インタビュー。
1台は三脚に固定して、もう1台は僕が手持ち。

開発でも営業でもなく、役職者でも総務でもない
「ビデオを撮る社員」ってのが珍しかったのかなんか妙に気に入られる。
「オカムラ!ちゃんと撮れてるか?」
「オカムラ!編集頼むぞ!」
「オカムラに向かってズームアップ!」
その場に何人かいたのに、なぜか僕だけ何回も名前で呼ばれた。

学生時代に映画撮ってました、会社にも映画部を立ち上げましたと言うと
「お、そうなのか!」と。しっかりアピールしておく。

昨年までの社長のことは正直、よく分からない。
見かけたこと、1度か2度しかないかもしれない。しかも全く接点がなかった。
今の社長は人の心を掴むのがうまいね。
個人的には好感を持った。
(さらにその前の社長は僕が新人の頃だったけど、
 社食で食べてると「ここいいか?」と座ってきて世間話をしたことが何度かあった)

社長がまたよく喋る。5分のビデオレターのはずが質問を5個用意したら、
初めの挨拶・終わりの挨拶含めて30分を超えた。
これを編集するのがまた大変だった。
質問のいくつかはカット。いいこと言ってても泣く泣くカット。
何よりもまず5分という制約ありきってのは難しいね。

土日に編集して、平日の夜遅く帰ってきてから
チェックしてもらった結果を修正。
タイトなスケジュールだったけど、なんとか完成した。

顧客交流会は7月2日。懇親会で上映されたはず。
果たしてどうだったか・・・

---
編集しているときに BGM があったほうがいいなあと
あれこれ探しているうちに見つけたサイト。
http://www.sound-juke.com/index.html

当たり障りない、いかにもーな BGM が著作権フリーで購入できます。
1曲500円ぐらい。今回は僕、自腹で買った。

「映画」的作品ではなく、
ちょっとしたものを撮影・編集して人に見せるときには便利かも。

---
この作業、なかなか楽しいので(仕事と比べたらそりゃ当たり前か)
社内のビデオ撮影と編集を一手に引き受ける担当ということで
総務に移籍したい、と思った。

7月6日(日) 「蔵六の奇病」

先日、mixiに書いたこと。

---
「狂った世界の中にただ一人狂わない者がいたとしたら、
 はたしてどちらが狂っていると思うだろう?」

出典は楳図かずお「洗礼」であるらしい。未読。
読んでみたい。

楳図かずおは全然通ってなくて、
「漂流教室」と「14歳」はまずは読んでみたいところ。

ついでに今思い出したけど、
諸星大二郎も読まなきゃなーと思ってずっと読んだことない。

日野日出志も読みたい。
「蔵六の奇病」とか。トラウマになった。

---
ということで、まずは、「蔵六の奇病」を取り寄せて読んだ。

小学生の頃、表紙を見てほんとトラウマになったんですよ。
気持ち悪かった。とにかく気持ち悪かった。
布団の上を這い回る×××を捕まえる主人公の七色の××が。

昨日の夜、読んだ。読むべきかどうか本気で迷った。
送られてきた封筒を開けちゃいかんのではないかと。
開けたら最後、夜、眠れなくなっちゃうんじゃないか・・・



いやー・・・

あの頃、勇気を出して読まなくてよかった。



「怖い」とか思う以前の
なんかもっと根源的にやばいものがそこにあって・・・

「怖い」だけじゃ済まされない。その奥にある何か。
叙情性とかノスタルジアというのでもなく、詩的というのもなんか違う。

目が覚めてドアを開けたら
僕のよく知っている世界なんだけど、どこかが何か決定的に違う異世界が広がっていて、
もう2度と帰ることができなくなった。
そういう感覚。
その、寄る辺ない気持ち。

人間が怖いとか、この世界は本質的に怖いものだ、とかその類いのレベルじゃなく、
目の前の異世界が、割け目が見えてしまう恐ろしい能力があって、その通りに描いたというか。
そしてその苦悩が、絶え間ない苦痛が透けて見えてくる。

今この年で読むと、素晴らしいと思う。
天才だ。

7月7日(月) 七夕

最近、神保町の客先に週の半分ぐらい常駐している。
(残り半分は新宿のパートナー先)
先日、机に向かって仕事をしていたら「オカムラさんもどうぞ」と短冊をもらった。
もちろん、七夕用。

短冊なんて久し振りだなあ。もしかして小学生以来?何を書こう?
っつうか何を書くべきだろう?
客先の笹に括りつけるものとして、どういうのがふさわしいものなんだろう?

「プロジェクトがうまくいきますように☆」

こういうの?
でも、なんか、普通だよね。普通過ぎるよね・・・
適度なユーモアとか、存在感の発揮って難しいもんです。
結果、書かなかった。

「プロジェクトマネジメント層がまともな判断を下しますように☆」

ってのを書こうかとも思ったけど、「大人気ないな」とやめにした。
(事情を知らない人には何のことかよく分からないですよね)

---
僕個人で書くとしたら。
そりゃやっぱ何を差し置いても、毎回くどいぐらいだけど「新人賞を取る」ってことになる。
(3月後半に青森戻ってきてから書き始めて、ゴールデンウィークに一気に書き上げた
 100枚の作品「見張り塔から、ずっと」があれこれ手直しを経た末に、
 ようやく完成した。とある新人賞の応募にギリギリ間に合った。
 応募すると、期待感が出てくるので前向きな気持ちになる)

それ以外なら、熱海から南極まで、どこでもいいから旅行に行きたいってとこかねえ。
でもこれって、短冊に書くまでもなくどこかしらふらっと行っちゃうからね。
さすがに南極は難しいか。金貯めて、会社辞めないと行けない。
「30代の内に南極行ってみたかったんで会社辞めました」ってのもありかな。
人によっては「アホか」と思うだろうけど、これ、ありだよね。
そうだ。このために金を貯めるとしよう。

ちょっと前の僕なら現実的な願いとして「痩せる。」と書いたんだろうけど
これは最近、あっさりと叶ってしまった。
春先から痩せなきゃなーと思ってるうちにあまり食べなくなって
ニューヨーク行って帰ってきたらさらに食べなくなった。
最近、日によっては1日1食。昼だけ。
夜は腹減っても食べたいという気にならない。
家帰ってトマトジュース飲んでるだけ。
食べるとしてもサンドイッチとかサラダだけ。
ここ1・2年の一番太ってた時期にはきつくて履けなかった細身のジーパンが
遂にまた履けるようになった。素直に嬉しい。メタボ化しない人生を歩めそうだ。

ここまで書いてきて、一番切実な願いに気付いた。
「意中の女性を前にして、しどろもどろにならない」
これじゃないか。いや、これだ。
30を半ばにして改善される気配全くなし。困ったもんだ。どうしたらいいのか?
この夏も仕事して、終わりですよ。
江戸川区の花火大会を見に行きたいと思っても一人で行かざるを得なくて、
「だったらいい」とふてくされて今年は見ないままになりそう。あーあ。
いや、ま、花火を見たいだけなら友達集めて行けばいいわけですけど・・・

7月8日(火) 人間を襲うようになったカラス

先日、こんなことがあった。
6月のどっかの土曜か日曜、近くのクリーニング屋に行った。
歩いていたらいきなり後ろから何か鋭いものが頭にぶつかった。
イテッと思って見るとすぐ目の前を
低空飛行のカラスが黒い羽をばたつかせながらスーッと飛び去っていく。

神社の前を縄張りにしているのか、
1羽のカラスが行き交う人々の頭を嘴で突付いている。
通りがかる人がいると背後からサーッと近付いて、ザクッと突き刺して、サーッと逃げていく。
縄張りを守るための威嚇行動の一種なのだろうか?
それとも余りにも空腹で見境なく襲い掛かっているのか?

クリーニング屋はその神社の前にあった。
その時何人か先にいて列になっていたから、しばらくの間カラスを眺めていた。
バレッタで髪を留めていた女性を襲ったときはすごかった。
ザクッと音がするぐらいの。よろけて、倒れそうになる。
打ち所が悪かったら、死んでいたかもしれなかった。
バレッタを食べ物だと思ったのだろうか?
道行く人たちは立ち止まって、電線に止まったカラスを指差して、
「どうにかならないかしらねえ」と話し合う。

次の日以後見かけない、というか襲われなかった。
保健所に通知されて捕獲ないしは駆除されたのだろうか?
(そもそも、野良犬や野良猫は保健所って聞くけどカラスの場合はどうなる?)

人間を襲うようになったカラス。
どうしてこんなことになったのか?
都会に住むがゆえのストレスなのか。そんな気がする。
極度のプレッシャーに耐え切れなくなって、錯乱・・・
怖いよね。
これが人間だったら、秋葉原の例の・・・
(青森出身ってことで気になって調べてみたら、高校が一緒だということが分かった)

東京のあちこちでこういうカラスが増え始めて、っていうのをだいぶ前に聞いたことがある。
その数は、該当するエリアは、年々増え続けているのだろう。
こういう本を見つける。「カラス、なぜ襲う 都市に棲む野生」
http://www.bk1.jp/review/0000000679

「人間を襲う」という本能を見つけた、共有した東京のカラスの群れ。
それはそれで進化ということなのだろうか?

7月9日(水) 新事業創出タスクフォース その1

事業部で「新事業創出タスクフォース」ってのが始まって、
選ばれたというか自ら手を上げたというか行きがかり上そうなったというか
とにかくそのメンバーになった。

SIer として、受注開発べったりだとこの先明るい未来はないんじゃないか?
人月単価で勝負されたら安いところなんていくらでも出てくる、というか、ある。
大規模PJならまだしも、規模の小さいPJなら既にして価格で負けている。
よほどの付加価値や顧客との深い付き合いがない限り取れない。
新しい事業ドメインを見つけて、広げて、
新規事業を立ち上げるぐらいのことしないとダメなんじゃないの?と。

あんまりモノを知らない僕はビジネス用語なりIT業界の用語でうまく説明できないが、
前から同じようなことを考えていた。全然別な角度から。
現場にいると「新規開発か保守開発か」ってとこに区分けされるけど、
僕からするとつまらないのはどっちも一緒。
お客さんの「これ作ってほしい」の言いなり。
「言いなり」は言い過ぎか。こちらでコントロールして導いていくこともある。確かに。
でもそれもやはりお客さんの手の平の上でのこと。
予算とか関係各部署の要望だとかあれこれあって
「なんでこんなもの欲しがるんだろう?」「こうしたらいいのに」
そんなモヤモヤ感がどこかしらに必ず付きまとったまま、
「ま、結局僕らゼネコンだからな」と割り切ってそのシステムを作り上げていく。

受注開発、お客さんありきになると、
「どこをターゲットとするか?」「どこにそのシステムの価値を求めるか?」
ってのがお客さんの中での尺度で全て決まってしまっているので、
つまり、お客さんの中の事業計画で方向性が定まっているので、
こちらが口を挟む余地はない。
よほど上流でコンサルとして入っているのでない限り。
僕らはそれを落とし込んで形にするだけ。
結果、スケジュールとコストとリスクと品質と、その辺モロモロを管理するだけの人たちとなる。
価値創造的な要素は入り込まない。
ほんとは探せばあるのかもしれないけど、
往々にしてタイトなスケジュールになってそれらこなすだけで精一杯となる。

つまらん、と思った。
この先、どうしてもIT業界に居続けなくてはならないのなら、
そういう「言いなりの仕事」から脱却したいと思った。
クリエイティブなことをしたい、生み出すものの価値は自分たちで決めたい、
どこの誰をターゲットにして何を市場に投入するのか、自分たちでしのぎを削ってみたい。

結局それも計画書に基づいて物事が進んでいくのだから
スケジュールとコストとリスクと品質と、その辺モロモロを管理することには変わらなくなる。
だけど、「お客さんの都合」でがらっと何かが変わって
おかしなことになるってことは少なくともないだろう。
というか「お客さんの都合」ってやつを
物事がうまくいかない理由になすりつけることは一切できなくなって、
全てを自分たちで解決していかなくてはならなくなる。全てが自分たちに撥ね返ってくる。
1度ぐらいはそういう緊張感の中で仕事をしてみたい。

というか、これぐらいのことをしなかったら、僕の中で「モノをつくってる」気がしない。
システムをつくるじゃないんですよ。それはただのアウトプットに過ぎない。
本当につくるべきは新しい価値、価値観なんですよ。

でも、今の僕がいきなりそういうことできるわけがないので、
「新事業創出タスクフォース」に入って、計12回のワークショップに参加している。
ゆくゆくは事業計画書を書いて事業部長の前でプレゼンすることになる。
そこまでうまくいくかどうか。途中でふるい落とされるか分からない。というかふるい落とされそう。
これまでダラダラと過ごしてきて、知識ベースの低い僕からしたらとてもハードルが高い。
正直とても怖い。
だけどぼやいていても仕方ないんで、やるしかない。
ここでちゃんとやらなかったら、
僕は一生、しがないアプリ保守担当でスケジュールとコストと品質の管理、
障害対応で夜間呼び出しの携帯が鳴るってところで終わってしまいそうだ。
そんなの嫌だ。金もらっても嫌だ。

---
1回目のワークショップが終わって、次の事前課題もまた作業量が多い。
前回の課題は会社、部門、自分の3つのレイヤーで
興味のあることや経験としてあることをキーワードとして抜き出すというものだった。
今回の課題はさらにそれを掘り下げて、ハンパない量のトピックを自分の中から搾り出して
5つの事業テーマを見つけてマッピングするというもの。
作業量が多過ぎて、なおかつ底の浅い自分が早くも露呈して、辛い。

でも、やるしかない。

7月10日(木) 新事業創出タスクフォース その2(ISPについて考える)

今のお客さんはISP業界の中堅どころ。
先日書いた「新事業創出タスクフォース」の事前課題として
事業のアイデアの元を5個ひねり出さなくてはならず、
自然と頭はISPのことへと向かう。
こんな事を考えた。

----------------------------------------------------------------------
@「自前で光回線を持っていなくて、
  NTTから借り受けなくてはならない中堅業者はやがて淘汰されるのではないか?」

今のお客さんも、ADSLだと eAccessだとか、ACCAとかと連携している。
IP電話も別な会社に。
その連携方法がバラバラで煩雑であっても、
商品ラインナップのバリエーションのために全て対応しなくてはならない。
プラグイン的に各接続会社と連携できる仕組みがあればよいのだろうか?

いや、それ以前に。
キャンペーンや価格はNTT東西の言いなりになってしまう。

自分でコントロールできない領域が多すぎる。
軒先を借りて商売しているようなものだ。
というか、ただの仲介業者・・・

そうなるとやせ細っていくのは目に見えている。
このご時世、新規でインターネットを始める人も少ないだろうし、
ここから先はいかに既存顧客をつなぎとめるか?が大事となる。
そしたら手っ取り早いのは価格を下げることしかない・・・

----------------------------------------------------------------------
A「中堅ISP業者同士で差別化をはかるものがない」

@でいっしょくたになって、さらに、の話。

エンドユーザーに提供できる画期的な新しいサービスというものが今のところ存在しない。
デジタルコンテンツのバリエーションであるとか?
それでもいいっちゃいいけど、自前で持ってないとこがほとんどでしょ?
それは辛いよね。

より速いFTTHの接続コースの提供って言っても
それってやっぱNTTに依存するじゃん。

----------------------------------------------------------------------
Bもっと根本的な問題として、
「例えば、彼ら中堅ISP業界の人たちは2011年の通信情報法にどう向き合っていくのか?」

大きく世の中が変わっていくはず。
地デジになるんで家のテレビ買いかえないと。
ぐらいの他人事感ではまさか無いでしょ?

通信情報法のスタンスに基づいて通信業界の会社を以下の3つに分けるならば、
 @コンテンツ
 Aプラットフォーム
 B伝送インフラ

自前の回線を持っていない中堅ISP業者ってのはAのプラットフォームに当たると僕は思う。
(ユーザー認証、課金、セキュリティなどなど)

@のコンテンツは人目を惹く
Bの足回りを持っていると強い

真ん中にあって、Aプラットフォームの会社はどこに活路を見出すべきなのか?

例えば、ISPはAの中にあってさらにその範囲が狭い。
上下は他の業界・他の会社に握られていて、入り込めない。連携していくしかない。
横への広がりは果たしてあるのか?

あとさ、例えば、NGNとどう向き合うのか、とか。

----------------------------------------------------------------------
じゃあ、そういうのを解決する何か、ってことになるんだけど。

僕の知識レベルではなにも思いつけず・・・

7月11日(金) 試しに書いてみたサンプル

「耳になーんかついてると思ってつまんで引っ張ってみたら、それ、ピアスで。
 そしたら目ぇバチッと開いて女だったんだけどさ、
 それまで寝てて、口開いてて、
 ンガーッて。あんな顔初めて見たよ。
 俺の隣にいてさ、横になってるわけよ。
 サマーセーターっつうの?水色の着て。
 俺も酔っ払ってたからさ、
 跳ね起きてそいつ『ちょっと何すんのよ!?』ってえらいケンマクで。
 大声なって。みんな見てる、こっち。
 んで『ごめん』って謝ったんだけどさ、も一回『ごめん』って手まで合わして。
 で、『ピアス』って。
 『ピアスがなによ?』
 『怒んなくてもいいじゃん』
 いや、そりゃ俺が悪いんだけど、まあ、その、怒って帰っちゃった。
 『気分悪い』って、カバン持って。
 …ピアスの穴がさぁビローンって広がって。ありゃ痛かっただろうな。
 そういえばさ、昔、小さい頃、
 例えば直径5ミリぐらいの輪っかみたいなのが耳からぶらさがってたら
 それがそのまま耳に穴開いてるって。
 思わなかった?ない?ない?
 そうじゃないんだよね。
 オマエは開いてるからさ、知ってるだろうけど。
 小さな細い針金みたいだって知ったとき、騙されたと思った。
 …あー。いや。悪いことしたなあ。
 今頃どうしてるだろうなあ。
 夢とかさ、見てたんだよ。それがぶち壊しになって。
 そう思うと悪いことしたなあ。
 あーどんな夢見てたのか。
 それが思いもしない苦痛で引き裂かれるわけよ。俺なら怒るよ?だろ?
 開けたとき痛くなかった?俺痛いのダメなんだよね。
 女の人ってさ、みんな開けてんじゃん。
 あれって何を思って開けてんだろ?
 みんな開けてんから?美しくなりたいから?
 開ける瞬間って何思ってんだろ?
 『いたい』って、そんなチクって、どうだった?」

7月12日(土) 東新宿雑感

6月から、東新宿のパートナー会社に常駐している。
週の半分を神保町のお客さんのところで過ごしてて、往復してる。
芝浦のオフィスには最近全然行ってない。

丸の内線を新宿三丁目で降りて、大久保方面に向かって歩いていく。
花園神社に差し掛かる。
6月は唐十郎率いる唐組のテント公演があった。
「あー見たいなあ」と思っているうちに終わってしまった。残念。
テント芝居は1度見ておきたかった。
最近またテントが立って、椿組ってとこが公演を始めた。
タイトルは「新宿番外地」

浮浪者の姿を多く見かける。
ダイコクドラッグの大きな店舗があって、夜、店が閉まった後、
ここをねぐらにしている浮浪者たちがシャッターの下りた軒先に毛布を敷いて眠っている。
最近僕は仕事が終わるのが遅く、23時過ぎに通りがかると
いつもの決まったメンツ(3人だったと思う)がそれぞれ離れた場所で
だらっと死んだようになって眠っている。
顔や顔つきでは誰が誰だか判断がつかない。汚れきった真っ黒な持ち物で見分けがつく。
朝、8時過ぎに通りがかるともういなくなっている。
彼らは日中の間、どこでどうしているのだろう?どれだけの時間を持て余しているのだろう?
1人、眠っている間、義足を外している男性がいる。

通りを隔てて向かいには、ホストクラブの大きな広告が店舗の壁いっぱいに貼られている。
日本一とされるホストクラブ「愛」の伝説のホスト、愛沢光が復活。1時間5000円から。
歌舞伎町に近い界隈では風俗嬢向けの情報誌「モモコ」が無料で配られている。
スタンドに置かれているのをなんとなくもらってみて、仕事の合間に呼んでみる。
コンパニオン募集ってあって、日給が3万とか4万とか。
メールに返信したりするのが在宅可で時給1500円から。
ライブチャット系で顔出ししたりすると5000円ぐらいに跳ね上がる。
「学生、フリーターOK!」だとか、「1日体験OK!」だとか。
明るくて楽しくて仲間に出会えて、安全で、清潔で、未経験者大歓迎。
しかも高い給料が得られる。どこもそんなふうに書いている。

金曜の昼、仕事している部屋の空調が故障して、暑いから窓を開けた。
街の喧騒が聞こえてきた。
一足早く鳴き出した蝉の声。遠くの工事現場の音。
信号が切り替わって人や車の行き交いの流れが変わる、その雰囲気。
そういうの聞きながら仕事するのって久し振りだ。
オフィスビルの中にいると、外の物音は一切聞こえない。
生々しい空気は一切シャットアウトされる。
そんな場所では仕事というものがどことなく抽象的な響きをまとうようになる。

大久保方面に歩いていくとすぐ、コリアンタウンに差し掛かる。
何回か会社の人たちと飲みに行った。
どこ行っても絶対ブテチゲを食べる。インスタントラーメンを入れて。
あと、焼肉。昨日の夜は分厚いバラ肉を焼いて食べた。
昼は昼で食べに行って冷麺とか。
夜はどこで食べてもうまいのに、昼は時々当たり外れがある。不思議だ。

この夏ずっと東新宿にいることになる。
そろそろ梅雨明けか。
本格的に暑くなる。

7月13日(日) 最近夜型

昨日常駐先のことを書いた。
自社じゃないため、朝早く出社することができない。
ビルそのものの出入り口は朝早くと夜遅くと閉まってて、僕らはその開け方を知らない。
だから他の人の出社時間に合わせることになる。
7時まで寝てて、8時半過ぎに到着する。
かつてのように5時に起きたりしない。
夜はみんな残ってて、終電近くまで仕事している。自然と僕もそうなる。
ここ何週間か、飲みに行く予定がなかったら23時か23時半までめいっぱい仕事している。
丸の内線の終電の、何本か前で帰っていることになる。
帰ってきて、午前0時過ぎ。
1時に寝て、7時に起きるサイクルが定着した。
日によってはウイスキーの水割りをグラスに一杯だけ飲む。
飲みながらぼんやりする。ネットを見ていたり。CDで曲をいくつか聞いたり。
これといったことをすることもなく、眠る。

僕は絶対、朝方なのだと思っていた。
実はそんなことはなく、いとも簡単に夜型になった。というか適応した。
前は5時になると目覚ましが鳴る前に目が覚めた。今はそういうこともない。
仕事が大変で疲れてるから起きれない、というだけなんだろうけど。

22時に帰ってきて、23時に寝る生活と
午前0時に帰ってきて、午前1時に寝る生活と。
その間に1時間あったとしても、その1時間はどことなくなんとなく性質が違う。
22時に過ごす時間は、夜と呼ばれるもののかかわりが浅く、
楽しみ、寄り添ってないように感じられる。

「夜」は絶えず深まっていくものであって、
遅くなればなるほど夜という名の時間が濃密になっていく。
闇が果てしなく広がり、それを覆そうとする人工的な光がどんどん色褪せていく。
はっきりとした境目はやはり午前0時という時間にあって、
それより前はまだ、夜の始まりに過ぎない。
終電がなくなってどこへも移動できなくなってからが本当の夜なのだ。
1人きりになって、あるいは2人きりになって。
あるいは、同じようにはぐれたもの同士が寄り集まって。
眠りにつく平穏な、何の変哲もないただ過ぎ去っていくだけの夜があって、
疲れ切った体を奮い立たせて、
ひたすら朝を待たなくてはならない砂を噛むような夜があって。
ときには奇跡のような、享楽的な、永遠のようで一瞬にして消えていく夜もあって。

午前0時を過ぎてウィスキーを傾けながら音楽を聞くとき、
曲の表情がいつもと異なるように感じられる。
夜の世界へとそのまま連なっていくような。
だけど、「明日もまた仕事だ」と振り捨てるようにして眠りにつく。
夜型の人がとことん夜型になるのが分かるような気がした。
それは昼間とは違う、ある種の世界の住人になることなのだ。
そしてそれは意外と簡単なことなのだ。
平凡な世界と隣り合わせになって存在していた、幻想。
終わりのない夢。まどろみ。
夜の抱える闇が最も深くまで届くとき、僕たちは永遠の子供になる。
夜には、そういう瞬間がある。

7月14日(月) 「岳」石川真一サイン会

昨日の昼は神保町の三省堂に行って、「岳」の著者である石川真一のサイン会。

サイン会なんて大人になってからは、かれこれ以下の2回きり。

 ・学生時代の西原理恵子
  (吉祥寺のパルコブックセンターで「まあじゃんほうろうき」に)

 ・入社1年目にリリー・フランキー
  (新宿の今は無き青山ブックセンターで「日本のみなさんさようなら」に)

この2人が昨今の日本文化に与えた影響の大きさを考えたとき、
僕の中での「岳」の位置づけが分かると思う。
これはちょっと実物の著者を、リアルな人となりを見てみたいなあと思ったわけですよ。
現在雑誌で連載されている漫画で新刊が出るたびに買ってるのって実際これだけです。

昼まで寝て、神保町へ。
時間があったので、Disk Union で中古CDを物色して、
昼どこで食べようとウロウロ歩いていたら「大勝軒」を見つけて入る。
「東池袋チャーシューもりそば」だったか、
ボーナス直後だったので一番高いメニューを頼んで食べてみた。
東池袋の本店はついぞ行かずじまいで閉店。こういう味だったのだろうか。
食べログとか食べ物・ラーメン系のブログではことごとく評価低いね。
でも、それなりにうまかったと思う。

三省堂へ。階段に並んで待つ。
サイン会は14時開始、13時半から開場ってことで
13時半ちょい過ぎに着いたら既に階段は長蛇の列。
僕は1階からはるばる4階の間まで上っていった。人気あるんだねえ。

その後1時間ぐらい待つ。
みんな「岳」の最新刊である7巻を読んで待っている。

ようやく1階まで進んで、階段の陰からサインしてるのを見てみる。
作者の石川真一さんは山男だからか、真っ黒に日焼けしていた。
白のポロシャツを着ていて、そのコントラストが印象的だった。
サイン会に来た人とあれこれ話して、絵を描いて、最後に握手して、
人によっては一緒に写真を取っていた。
とにかくよく喋る。僕はもっと無口な人を想像していた。山男ってことで・・・

熱心なファンが多く、僕の前や後の人は
「あ、いつもどーも」って作者の方から言われてた。

僕の番になる。
「初めてですよね?はじめまして」と言われる。
しっかりと目を見て話すタイプの人。僕もしっかりと見つめ返す。
もしかしたらサイン会に来るファンのこと、
1人1人をきちんと覚えようとするタイプの人なのかもしれない。
作品同様、誠実な人なのだなあと思った。
「岳をどこで知りましたか?」と聞かれて、僕はこう答える。
「僕は普段、漫画全く読まないんですけど
 いつも行く床屋が山好きな人で、そこに置いてあって」
「ああ。よくあるんですよぉ、そういうの」と笑う。

主人公島崎三歩を書いてもらう。
サイン会に来た人の似顔絵かと思ったら違った。
だったらクミちゃんを書いてもらうというリクエストはありだったのかなあ。
「床屋さんにもよろしく」と最後に握手。

三省堂を出て、神保町は夏。
階段に並んでて暑かったので、ロッテリアに入ってコーラを飲む。
描いてもらったばかりの島崎散歩の横顔を眺める。

夕方、雨が少しだけ降った。
梅雨明けが近いかもしれない。

7月15日(火) 痩せた

先週の木曜、会社の年に一度の健康診断に出かけた。
今回のメインイベントは体重測定。果たして何キロ痩せたのか?

3月に青森帰って、温泉に入って体重計に乗ったら70キロを超えていた。
「もしかして僕は今、人生で一番太っているかもしれない」
危機感を感じた。
そこから先、4月以後、あんまり食べなくなった。
食べないようにした、ではなく、あくまで、食べなくなった。
昼は普通に食べる。でも、夜はあったりなかったり。
朝も、それまで毎朝ヨーグルトを食べていたのが、
6月に入って常駐が始まってからはいつのまにか食べなくなっていた。
1日1.5食。体に良くないだろうなあと思いつつも、食べる気がないのだから仕方がない。
空腹を抱えてひもじい思いをしているのではなく、
夜は腹が減っても、「食べなくても、ま、いっか」という気分。
仕事から帰ってきてトマトジュースを飲むか、
多少おなかが空いていたならサンドイッチかサラダを買って食べる。それだけ。

6月にニューヨーク行って帰ってきてからはさらに食べなくなった。
油っぽいフレンチフライを毎日山のように平らげていたことによる危機感の反動があった。
6月後半から本格的に痩せ始めて、ベルトの穴が1つずれた。
もう1つのベルトは切って短くした。
昔買って、太って履けなくなったジーパンがまた履けるようになった。
これはかなり「来てる」だろうと思って期待して健康診断に乗り込む。

結果、昨年が69.5キロで、今年が64.4キロ。
なんと5キロも痩せたことになる。予想外。多くて3キロぐらいかと思っていた。
60キロ台前半なんて学生時代以来ですよ。
もしかしてオレ、偉業を成し遂げたのではないか?
思い立って努力してみて結果が出たのってかなり久々の体験だ。

後はこれをいかにしてキープするかだな。
でも、今の食生活を続けていけばいいのだから、あっさり長続きしそう。
たぶん、もうちょっと痩せるはず。まだまだ行ける。
めまいがするとかわき腹が痛いとかそういうこともなく。疲れやすいってこともない。
日々、いたって健康。
特にスポーツすることもないのに、これまでがいかに食いすぎだったか。
土日の夜なんてさ、メシ食ってさらにツマミありで飲んでたという。
そりゃ太るよ。
それがつい何年か前まで続いていた。今からすると、ほんと恐ろしい。

ダイエットって簡単だと思った。
食べなきゃいいのだから。
その一点を死守できるのなら誰だって痩せられる。
痩せたい、痩せなきゃ、という強い思い。危機感。それさえありゃ食わなくなるよね。
後はどんなふうに、どれだけの量を、どれだけの期間で、というコントロールだけの問題となる。
世の中の女性たちの多くが「痩せたい」とダイエットに興味を持ち、実践している。
なかなかうまくいかないようだ。
ダイエットしなきゃ、って言いつつも「これは別腹」って言ってる女性がやっぱ多いんじゃないかと。
そんなの痩せるわけないじゃん。
「食べたら、太る」そんなの当たり前のことじゃん。

要するにさ、僕はこうすりゃ痩せられると思った。
おいしい食事を食べるっていう機会は日々の生活費とか時間的余裕とかであれこれ限られてくる。
そんな中おいしい食事に出会えるなら、それは十分に楽しめばいいと思う。
そこを削ってしまったら生きてて楽しくない。
だけど、それ以外の食事。
1人きりで夜、その辺の店に入って食べる、あるいはその辺の店で買って食べる。
その程度のどうってことない食事だったら、食べないか必要最小限だけにしてしまえばいい。
そこのところを豪華にしたところで贅肉にしかならないんだからさ、減らせばいい。
どうせさ、たいしておいしいもの食べてるわけじゃないんだよ。
そんなのに金かけるだけ、無駄。

・・・ってことをトウトウと周りの人たちに語っていたら
「本にしたら」と言われた。
本にしたいのは山々だが、書くことがない。

「オカムラ式ダイエット」
「第1章 食うな」
以上、終わり。

世の中に星の数ほどあるダイエット本っていったい何が書かれているんだろう?


All Rights Reserved. Copyright (c) 2000-2009 岡村日記