12月16日(火) 「トロピック・サンダー」

引き続き、「トロピック・サンダー」
ベン・スティラーが監督、脚本、原案、製作、主演と大活躍の戦争ものコメディー映画。
「スクール・オブ・ロック」や「僕らのミライヘ逆回転」のジャック・ブラック、
最近は「アイアンマン」が大ヒットしたロジャー・ダウニー,jr. と曰く「BIG3夢の共演」

ハリウッド映画を揶揄。
ベトナム戦争映画を撮るつもりが、無能な監督が現場を仕切れず予算を垂れ流し、
プロデューサーのお叱りを受けて擬似ドキュメンタリー形式に方向転換。
ジャングルの中を演技しながら進んでいくうちに、
麻薬を密造するアジア人たちのテリトリーに迷い込み、本当の戦闘が始まる。
なのに出演者たちは映画の撮影だと思いこんでいて・・・

「地獄の黙示録」のナパーム弾の襲撃だとかカーツ大佐のやりとりだとか、
パロディー的な場面がたくさんでてきて、とにかく笑った。
映画の出来はイマイチだけど、娯楽映画として楽しむには十分な出来。
(パンフレットを見てて、ベン・スティラーって
 「リアリティ・バイツ」を監督してることに気付いて、驚く。テイストが全然違う)
進軍の途中で役者談義が始まって、
「フォレスト・ガンプ」でトム・ハンクスがオスカーを獲得して、
「アイ・アム・サム」のショーン・ペンが獲得できなかったのはなぜか?のくだりは相当面白かった。
あと、小枝で作ったオスカー像のとこが心の琴線に触れた。

でもやっぱ映画好きのための映画なんだよね。
笑える映画だって言うので見に行って、
なんで周りの人が笑ってるんだろう?とキョトンとしてる人が多そうな・・・
そんなわけで僕としては評価は微妙。

内輪受けなんだろうけど、いろんな人がカメオ出演しているのがいい。
最初にいきなり、トビー・マグワイアがいい感じに出てくる。
(パンフレットでばらされてるけど)トム・クルーズがものすごく意外な形で登場。
僕は最後まで気がつかなかった。
エンドロールを注意しながら見ていたら、ジョン・ボイトの名前があったなあ。
他にもたくさん出ていたものと思われる。

本編始まりの前に差し込まれた、
映画の中での主演3人の過去の映画の(架空の)予告編ってのが実は一番面白かったりする。
どれもとんでもなくB級で。
ベン・スティラーの、地球の回転を止める荒業(しかないと思われる)が売りの
アクション映画「スコーチャー」ってのが秀逸。
1作目がヒットして5作目まで作られ続けて、ジリ貧っていう。

ジャック・ブラックが元気なかったかな。
リーダー役を奪い合うロジャー・ダウニー,jr.とベン・スティラーの間に挟まれて、
あまり印象的な出番なし。
その一方で、マシュー・マコノヒーの無駄に近い快演っぷり。
トム・クルーズは僕がこれまで見た中では「マグノリア」か、これか。
実はいい役者だったのかも。

パンフレットを見たら、ものすごく手の込んだメイキングがあるみたいで、
そっちの方を機会があったら是非とも見てみたい。
でも、DVDを自分で買うほどじゃないんだよな・・・

12月17日(水) ちょっとしたことだけど、いろんなことがあった1日

昨日はちょっとしたことだけど、いろんなことがあった1日だった。

神保町直行。
昼、お客さんたちと本郷三丁目の「ファイヤーハウス」っていう
ハンバーガー屋にデリバリーを頼む。
http://www.firehouse.co.jp/
大食いの僕はもちろん、最大サイズの「MAD BURGER」を。
値段は何と\2,000なり。

12時に届く。
で、でかい・・・
「一口でがぶっとかじりつく」のは無理。顎がはずれる。
チビチビとかじりとって食べていった。
食べても食べてもちっとも減らない。

うまかったねぇ。
パティが3枚かなあ。あと、チリドッグとチーズ。目玉焼き。
バンズもモチモチしてよかったなあ。
また食べたい!!

---
夕方、打ち合わせのために神保町から芝浦へ。
三田線に乗ってすぐに、下りて地上に出て外を歩きたくなった。無性に。
次の大手町で下りて地下道を歩く。
OAZOの丸善に寄って行こうとも考えるが、「いや、そのまま行こう」と思う。
東京駅の地下街に入っていく。大丸を過ぎて、八重洲ブックセンター方面へ。

ばったり、昔、僕がOJTをしてその後別な会社に転職をした女の子に会う。
すれ違う瞬間、お互いシゲシゲと顔を眺めて、「あー!!」と。
こんなこともあるんですね。びっくり。
何年ぶりだろう。年賀状でやりとりしてただけ。
今の名刺を交換して年明けに飲もうぜ、ってなる。

CDを何枚かあげたんだよなー。
何をあげたのか、今でもなぜか覚えてる。

彼女の目に今の僕はどんなふうに見えただろうか?

---
新規事業のチームミーティング。
その後、トイレでここ何年か話してなかった先輩と会って、近況の話をする。
昔は毎週のように誘われて飲みに行ってたのに、部門が変わってからはとんとご無沙汰。
というか僕が、疎遠になりやすい体質だからな・・・

久々に話すことができて、嬉しかったです。

---
帰ってきて、途中の中華料理屋で
きくらげ、玉子、豚肉、大根、チンゲン菜の中華風炒めと、棒にら餃子を買う。
焼酎お湯割と共に食べる。

明日は、新規事業の事業部審査会だ・・・

---
先日買った Blood Brothers 「Burn, Piano Island, Burn」が
なかなか「面白い」CDだったので、この日2回目を聞く。
プロデュースはロス・ロビンソン。
音は破れかぶれの、メチャクチャ。だけどそれは、若さゆえに。
それが、何よりも素晴らしい。

12月18日(木) 汁講

日曜は編集学校のイベント「汁講」に参加。
教室ごとに番匠、師範、師範代、学衆が集まって、まあ要するにオフ会。
編集学校は意外とこういうの積極的に薦めてるんですね。
日々の稽古がネットで全て完結する一方で、
機会があったならリアルな人と人とのやりとり、息遣いも
大事にしましょうってことなんだろうな。
せっかく縁あって出会ったわけだし。

汁講について師範代の説明をそのまま引用すると
----------------------------------------------------
[汁講]は平安後期の京都に生れた宴会の様式です。
それぞれが酒や肴を持ち寄って集うものです。これが
やがて室町の会所(かいしょ)になり、そこから「雑談」
(ぞうだん)を遊ぶ寄合文化が生まれ、さらに茶や花や
能などを育んだ中世サロン文化へと発展していきました。
----------------------------------------------------

集合は14時に新宿西口のブックファースト。
「三冊屋」のコーナーの前。
青山ブックセンターやリブロと提携して、編集学校がプロデュースしている。
http://es.isis.ne.jp/sansatsuya/
松岡正剛校長曰く、「本は三冊で読め」と。
「おんな」「からだ」など与えられたテーマについて、自分ならこの3冊を、というのを選ぶ。
その3冊がバンドルされて書棚にずらっと並ぶ。いろんな人のいろんな3冊。
このブックファーストでのテーマは「東京」だったかな。
お世話になっている師範の選んだ3冊も並んでいた。
著名人では三輪明宏やしりあがり寿の名前があったなあ。

そんなこともあって
第一部の「特別稽古」(?)は三冊屋をやってみましょうということに。
お題目は「我が17歳をイメージする三冊」
ただし、「未読の本に限る」という制約有り。
これが難しいんですよね。
既読有りなら「キャッチ22」「ライ麦畑で捕まえて」辺りを即答なんだけど。

ブックファーストの中を散らばって、
番匠、師範、師範代、学衆全員でそれぞれ三冊を選ぶ。
制限時間は30分。
カードにメモを取っている人があちこちにいて、ちょっと怪しい。
本棚が斜めに交差していたり、ブックファーストの中はまるで迷宮のよう。広すぎ。

その後、ヨドバシカメラ近くの喫茶店に移動して、清書。
三冊のタイトル・著者・出版社、キャッチコピー、説明文を書く。
描き終えた後のカードを裏返しにして集めて、シャッフル、1人に1枚ずつ配る。
1人ずつ順番に読み上げていって、「これは誰の三冊か?」を当てる。
・・・なかなか当たらない。意外な結果の連続。

もう一周して、タイトルだけを読み上げた後に今度は作者が名乗り出て、
私の17歳というテーマで自己紹介をする。
世界が狭かったから、物事を考えているようで何にも考えていなかったなあ
というようなことを語っていた人が多かったように思う。

11人いて、選んだ本は全然重ならなかった。
でも、英語学習法の本を選んだ人が何人かいた。
17歳というと受験勉強のイメージが強いんですよね。

僕が書いたのは:
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「我が17歳をイメージする三冊」(未読の本)

三冊のタイトル・著者・出版社をお書きください。
◆「『悪なき大地』への途上にて」ベアトリス・パラシオス / 編集室インディアス
◆「エリック・ホッファー自伝」エリック・ホッファー / 作品社
◆「連戦連敗」安藤忠雄 / 東京大学出版会

●三冊をつなぐキャッチコピー
 「この世界はどういう場所なのか?どう向かい合うべきなのか?」

●説明文
 「私にとってこの世界はいったい何なのか。どう戦うのか」
 強烈な生き方を貫いた、
 圧政下ボリビアの映画プロデューサー
 アメリカの市井の哲学者
 日本を代表する建築家
 この3人が自らの人生・思想を語る。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

17歳って背伸びしてあれこれ難しいことを考えたくなる年頃。
すごい人の生き方に触れてみたかったり、国際社会の薄暗い部分を覗いてみたかったり。
そういう気分の三冊。
あの頃の自分に読ませたかったというか。

制限時間30分の間にこの3冊を見つけたかというと実はそんなことなくて。
集合時間よりもだいぶ早く着いていた僕は
この前できたばかりのブックファーストを眺めてみたくてあちこち回っていたら
カルチュラル・スタディーズの棚で「『悪なき大地』への途上にて」を見つけて。
一目ぼれ、即買い。
帯にはこうあった。
「ウカマウ映画集団(ボリビア)のプロデューサーの社会的ルポルタージュ。
 変化しつつある社会の断面を鋭くカットして、
 まるで文学作品のように差し出された18の掌編」
http://www.amazon.co.jp/dp/477380808X/

「エリック・ホッファー自伝」は買わなかったけど、次の給料で絶対に。
この2冊、最初から目をつけていて、後付で共通点をでっち上げて、
残り1冊は最近気になる分野ってことで建築から。これはけっこう悩んだ。


自己紹介が終わって、その後、ご歓談。
話題になったのは例えば、「どんなときに回答を考えてますか?」
多かったのは電車の行き返りだとか。
寝ながら考えて、いつでもメモ取れるように枕元にメモ帳を置いているという方もいた。

場所を移動して、第2部。
高島屋の向かいの「かこいや」という個室の居酒屋。
「沖縄紅豚と彩り野菜の炉端蒸し」がうまかったなあ。

「破」に進んだらどういう稽古が待っているかとか、
昔の編集学校はこんなだったとかそういう話を聞いた。
教室運営の難しさだとか。
なんか自分自身のことは何も話さなかったなあ。
やっぱり編集学校のこととか稽古のことが気になるんですよね。

2次会は店を出てすぐのおでん屋の屋台。寒かった・・・
選んだのは僕。ほんとすいません。
熱燗を飲んで温まった。
ここで解散。

気がついたら中野富士見町で終電。タクシーで帰ってきた。
22時には解散したはずが、時計見たら0時半。
1人ガバガバと飲んでいた僕は新宿で丸の内線に乗って、眠り込んで、
新宿→荻窪→(折り返して)新宿→池袋→(折り返して)新宿→中野富士見町
というルートを辿ってたのではないかと・・・

恐るべし、汁講・・・
というか僕の酒癖の悪さ。

12月19日(金) 「愛と追憶の日々」

11月の土曜は毎回出社。誰もいない場所で黙々と仕事して帰ってくる。
夜は必ず、DVDで映画を見た。
普通のときに普通に見るよりも、映画が心に沁みた。
日曜も見るから、これで10何本と見たことになるなあ。

見たい映画を見る。見たい映画を買う。廉価版のDVDで。
そんなわけで自然と70年代・80年代のアメリカ映画ばっかりになる。
「ダーティーハリー」とかさ。今更ながら、とても面白かったなあ。
クリント・イーストウッドって今のアメリカで最も優れた俳優にして、監督だ。
現時点で生きている映画人の中では最も、「アメリカ映画の父」にふさわしい。

先日書いた、マノエル・ド・オリヴェイラ監督の「家宝」以外に心揺さぶられたのは
「愛と追憶の日々」これはやられた。

1983年のアカデミー賞を受賞している。その年の主要な賞をことごとくさらっていった。
作品賞、監督賞(ジェームズ・L・ブルックス)、脚色賞、
主演女優賞(シャーリー・マクレーン)、助演男優賞(ジャック・ニコルソン)と5個。
立派な成果だけど、良くも悪くもアメリカ的な
お涙頂戴の大味なホームドラマという印象がどっかにあって、
これまで見てみようという気にならなかった。
いや、結局のところそうなんだけど。でもね、よかったですよ。
いい映画を見たときって始まった瞬間から背中がゾクゾクするんだけど、
「愛と追憶の日々」にはそれがあったんですよね。震えたなあ。
最後には、やはり泣いてしまった。

会えば喧嘩ばかりなのに、お互いに長電話しあったり。
まるで姉妹のような、シャーリー・マクレーンの母とデブラ・ウィンガーの娘、30年の物語。
子供が生まれて、大きくなって、夫婦は互いに不倫をして。
そんな日々がコメディ・タッチに描かれる。
母にちょっかいを出す、キザだけどどっかネジのゆるんだ元宇宙飛行士がジャック・ニコルソン。
他にも芝居巧者が集まって、一部の隙もない、瑞々しくてたおやかなドラマが演じられる。
(アカデミー賞では主演女優賞がシャーリー・マクレーンとデブラ・ウィンガーの一騎打ちとなり、
 助演男優賞はジャック・ニコルソンとジョン・リスゴーが争った)

なんと言っても、デブラ・ウィンガー。
これまで意識して見たことなかったけど、こんな素晴らしい女優だったとは。
デブラ・ウィンガーが主役として一番輝いていた頃の映画だというだけで
「愛と青春の旅立ち」も見てみたくなった。
ロザンナ・アークウェットが初めて監督したドキュメンタリー
「デブラ・ウィンガーを探して」を思い出した。
80年代を代表するスター女優の1人だったのに、90年代に入って突如として映画界から姿を消す。
いったい何が起きたのか?
デブラ・ウィンガーは人生に何を求めたのか?
ユニークなドキュメンタリーだったな。

ジャック・ニコルソンは言わずもがな。
この人のハズレって見たことがない。

12月20日(土) Rain King

学生時代の頃、雨が降り続いて世界が水没する小説を書いた。
100枚あったけどどういう話だったか全然思い出せない。
結末も。助かったのか、そうじゃないのか。
自分の書くものだから助からなかったんじゃないかと思う。
時間があったらもう1回書いてみたい。

夏休み、高層マンションの一室で引きこもっている主人公は
雨が7日7晩降り続けたところで、どこ吹く風。
ずっとゲームをやって過ごしてた。
両親は定年退職した両親は豪華客船で世界一周中。
コンビニにでも出るかと外に出て、初めて気付く。この世界の有様に。
水没とまではいかなくても、2階部分までは浸水している。
あちこちに助けを求めている人々。ボートで救助されている人々。
もちろんコンビニに行くどころの話じゃない。
ぞっとした主人公はドアを閉めて鍵をかけて閉じこもる。
ゲームをやって過ごす。
恋人がいるわけでもなく、友達もたいしていない。
世界がこんなことになっても、携帯に誰も電話してこなかった。
こんな世界なら、いっそのこと沈んでしまえばいい。
主人公はそう思って寝て過ごす。

ある日、電気が止まる。ゲームができない。
水道も出てこない。食料も付きかけた。
ドアを開けて外に出る。
雨は依然として降り続けている。水はすぐ下の階まで押し寄せている。
完全に水没。
見渡す限り人の姿はなし。避難したのか、逃げ遅れたのか。

このままだと、死ぬ。俺も死ぬ。どうやって逃げよう?どうしよう?
なんてことなくこれまで生きてきた主人公はここで初めて、この世界と対峙することを覚える。

今回書くならば、何らかの形で救助されてからのことをメインにしたい。
新しい世界、そこで生きていく人々、そのルール。

こんな荒唐無稽な設定、ありえないので全編ユーモラスに。

南極の氷が溶けたとか、科学的な解説もなし。
ようわからんし。
「そうだから、そうなんだ」で全編押していく。
宇宙人来襲とかそういう理由でもいい。

豪華客船で世界一周している両親とは果たして出会えるのか?
そっちの方はどんな事態となっているのか?

生き残った後の世界で、なんかすることはあるのか?
引きこもりがちなゲーマーの大学生に。
彼はそこで受け入れられるのか?
などなど。

12月21日(日) 大阪出張3回目

19日金曜はこのPJにおける、3回目の大阪出張。
3回目ともなると特に感慨はなく、ワクワクと心踊ることもない。

7時に起きて、8時40分の新幹線に乗る。1回目の出張のときと一緒。
訪問先への手土産としてモロゾフのお菓子を東京駅で買う。
行きの2時間半、先日買った松岡正剛の新書「白川静」を読む。

大阪駅に着いて、阪急三番街の地下で前から気になっていた
和風スパゲティーの店「こなな」に入ってみる。
とろろ、温泉玉子、柚子胡椒のパスタを食べる。うまかった。

1時間ほど時間が余って、ぶらぶらする。
梅田って阪急、阪神、大丸とデパートは多いけど
それ以外って何もないのだろうか?
東京で言ったら新宿みたいなもんか。

紀伊国屋書店に入って松岡正剛の本を探して、見つからなかったから
梅田の逆側、阪神の方に出て、Book 1st へ。
事前に調べていたのでタワレコがこの辺りの地下にあることを知っていて、
試しに行ってみようかとするのだが見つけられず、地下街をグルグルと回る。
ようやく見つけたときには時間切れ。
地下鉄に乗って客先へ。

午後からの打ち合わせとヒアリングがつつがなく終わって、また梅田に戻る。
タワレコへ。新幹線は19時で、まだ1時間以上時間があった。
CDを眺めているうちにあれこれ欲しくなる。
23 Skidoo と Tori Amos を諦めて、
最近出た、Teardrop Explodes と Ween のそれぞれ昔のライブを買う。
ポイントがたまって、Bruce Springsteen の旧作の紙ジャケと交換する。
なんかのはずみに財布の中のカードの類を全部床にぶちまけてしまい、大変なことになった。
こんなの入ってたっけ?ってものばかりだった。

Coldplay の先日出た新作の日本盤が限定盤だったみたいで、既に完売とのこと。
出たばかりじゃなかったっけ?僕はそのうち給料が出たら買うかぐらいに思っていた。
完売となるとなんとか探して入手したくなる。
梅田にもう1軒タワレコがあったはずだよなあと HEP FIVE や EST のある界隈を探し回る。
うろ覚えで記憶がおぼつかない。
どうにも見つからなくて諦めかけたところに阪急梅田駅に大きな広告が。
場所が分かって大急ぎで引き返す。ファッションビルの上の階。
時間もなくなりかけて焦りだす。
Coldplay はやはり完売。もう1つ探していた Ida のレアトラック集を見つけて買う。

残り30分。ギリギリ。JRの大阪駅へ。
改札の前で財布の中の切符を出そうとしたら見つからなくて、背中にサーッと冷や汗が。
さっきのタワレコで財布の中をぶちまけたときに、どっか行ってしまったのではないか・・・
今から行って間に合うだろうか?諦めて、自腹で買い直した方がいいだろうか。
ダメもとでもう1度探してみたら財布の中に見つかった。助かった・・・

新大阪の駅でいつも通り 551 の焼売と海老焼売を買う。
帰りの新幹線では先日の編集学校のオフ会の際に買った「『悪なき大地』への途上にて」を読む。

隣に座った女性は垢抜けた美人で、20代半ばだろうか。
携帯を売る店のスタッフマネージャーみたいな雰囲気があった。
灰色のスーツ、白のダウンジャケット。
背もたれのトレイを引き出すとそこにシルヴァーとピンクの携帯を置いた。
iPod Touch で音楽を聞いていた。
何か本を読んだりはせずに、ずっと窓の外の景色を眺めていた。
弁当を食べながらビールを飲んで、飲み終わると車内販売のワインを買って飲んでいた。

東京へと向かう夜の新幹線。
社内で本を読んでいる人は一握りだった。
眠ってるか、飲んでるか、スポーツ新聞や写真週刊誌を読んでるか。
大阪からの2時間半という時間は長いようで、何かするには短い。
ノートPCで仕事をしている人もいる。
ただじっとしている人もいる。

東京に着いて丸の内線に乗る。
疲れ切って、途中から眠ってしまう。

大阪出張、その3回目が終了。
年明けも何回か行くことになりそうだ。

12月22日(月) 12/13 - 12/19

12/13(土)

9時起き。
ボーナスも出たことだし、と freitag の鞄を買いに行く。
いつも通り、国立新美術館のミュージアム・ショップへ。
今回買ったのは LOIS というモデル。
1泊程度の旅行用にワインレッドと白の小さなボストンバッグ。
その後、六本木ヒルズ地下の鉄釜で全部乗せ。

銀座に出て、昼からの
「ブラインドネス」と「トロピックサンダー」のチケットを買って、
時間があったのでHMVでCDを眺める。
Aretha Franklin と System of a down のCDを買う。

帰りに駅前の西友に寄る。
いつも行くクリーニング屋の奥さんとばったり会う。

編集学校の課題を考える。
どんどん高度になっていく。
ありきたりの回答になってしまう。

夜、30%OFFの焼き鳥と辛味ネギチャーシューで焼酎お湯割り。
ノートPCのセットアップの続き。

---
12/14(日) 

9時頃起きる。
洗濯して、クリーニング屋へ。
夏に半袖のYシャツ2枚が紛失して、その後見つからず。
夏に受け取ったYシャツは見たこともないものだった。
誰か他の人のなんだろうけど、それを引き取って着る気にはもちろんならず。
半年経過して、お金で解決。4000円。

編集学校のオフ会ヘ。
帰ってきたら午前1時。

---
12/15(月)

神保町へ。
軽く二日酔い。かつ、眠い。
昼、すずらん通りのロシア料理の店へ。
ロシア風のサラダ、ボルシチ、つぼ焼きのビーフシチュー、ライ麦のパン。
おいしかった。
壁にはロシア語の絵本とマトリョーシカ。

19時半に客先のオフィスを出る。
家に着いて、夕食はサラダとサンドイッチ。
編集学校の課題を片付ける。

---
12/16(火)

この日のことは先日書いた。

---
12/17(水)

午前中、芝浦。
新規事業ワークショップの事業部審査会。
惨敗。終わった。
今後の過ごし方について意見を求められるが、何も考える気になれず。

オフィスを出て、東京駅へ。
OAZOの丸善で松岡正剛の最近出た新書「白川静」を買う。
サイン本とあったが、見てみたらそうじゃなかった。
サイン本は売り切れか。

東新宿へ。午後ずっとこちらで過ごす。
ジョアン・ジルベルトの公演中止になったチケットを払い戻しの為返送する。
新しくノートPCを買ってイーモバと新しく契約したため、
Willcomのカードが不要となる。
カスタマーサポートに電話して解約手続きをする。
その後ずっと打ち合わせ。
新規参画メンバーに顧客のシステムの説明を行なう、など。
23時頃まで仕事して、帰る。

1日に必要な野菜の1/2が取得できるサラダと、ポテトサラダを買って食べる。

---
12/18(木)

終日神保町。
午前中、打ち合わせの準備。午後、ずっと打ち合わせ。
夜、出張の準備。22時を超えていただろうか。

昼、忙しくて裏の小諸蕎麦でカツ丼。
夜、後輩を誘って、「背脂のあ」でつけそばを食べる。

---
12/19(金)

この日のことも先日書いた。

12月23日(火) 12/20 - 12/22

12/20(土)

9時起き。
六本木ヒルズのTOHO CINEMAにストーンズの「Shine A Light」を見に行く。
荻窪から丸の内線に乗って、中野坂上から乗り換えて六本木へ。

見終わって、青山ブックセンターに寄った後、日比谷線で銀座へ。
数寄屋橋のHMVで今月給料分のCDを買って、
パルミの地下のちゃんぽんの店「一点」で特性皿うどんとビール、餃子のセット。
数寄屋橋阪急の近くを歩いていたら、
サンタクロースの格好をした男女が街行く人々にメリークリスマス!と呼びかけながら歩いていた。
街は今、クリスマス一色。

半年分の通勤定期を入金。
有楽町線で池袋へ。
西武百貨店でハンカチ、トランクス、靴下を買う。
地下のLibloで読みたい本を買う。
ジェームズ・エルロイの「アメリカン・デス・トリップ」や
「このミステリーがすごい!」2008年1位の「チャイルド44」上下など。
カート・ヴォネガットのエッセイ集も買った。
さて、どれがこの年末年始の読書対象となるか。
松岡正剛の本が中公文庫もちくま学芸文庫でも見当たらず、ジュンク堂へ。
やはりごそっとなくなっている。いや、ほんと、「松」近辺がごっそり空いてるんですよ。
編集学校のやる気のある生徒が買っていったのではないかと思われる。
レコファンでCDを探す。

夜は飲んだくれて終わり。
Laurin Hill のアンプラグドなどを聴く。
焼酎がなくなって、近所のコンビニに買いに行く。
たまっていた新聞を読む。

青山ブックセンターではみうらじゅんのサイン会が行われることになっていて、1時間先。
迷ってまた次の機会に。それほどのファンでもないし。

---
12/21(日)

8時に目が覚めて、2度寝。9時半に起きる。
年賀状を作り始める。
インクが切れたり、プリンタを落っことしたり、大変だった。
印刷の合間に、洗濯、クリーニング屋。
タオルケットと枕カバーを洗って外に干す。
午後、インターホンが鳴って大家さんから風が強いから取り込んだほうがいいと。
乾いていたので、洗濯バサミを外して部屋の中へ。

昼は久し振りに肉野菜炒め乗せインスタント・ラーメン。
夕方、年賀状を出して駅前の西友へ。
松岡正剛の本を探す。「遊学I」と「ルナティックス」を見つけて買う。

夜はM-1を見る。テレビ番組を見ようと思ってみるのは年に1度、これだけか。
モンスターエンジンが面白かったけど、全然点数低かった。
笑い飯は昔の方が断然面白くてこのスタイルも今更ないよね、と思った。
飛び抜けていた non style とナイツ、この両者の対決かと思いきや
敗者復活戦から滑り込んできたオードリー、これはいいね。
でも、インパクト勝負じゃなくてあくまで漫才だから、
勢いのあった non style に軍配が上がる。
2005年のブラックマヨネーズを思い出した。

夜は缶ビール飲みながらM-1を見てた。
西友で買った、賞味期限間近で値下がりしたシュウマイ、加茂揚げなど食べながら。
夜に時間していた青森からの荷物が届く。リンゴや北里八雲農場のコンビーフなど。

聴いたCD:
Syrup16g, Nightmares on wax, The Killers, Linkin Park, Donny Haterway ・・・

来年のどこかで白川郷に行く話、メールでやりとりする。

---
12/22(月)

僕としては、12/19(金)から5連休のイメージ。
この日は連休の合間に酔狂で出社したぐらいの感覚。
なのでゴッテリとは仕事しない。
・・・というつもりが、大事なことけっこうしてた。

とはいえ、15時にはだいたいのところを切り上げる。
神保町から東新宿へ。
都営新宿線で新宿三丁目ではなく新宿まで行って、のんびりと歩いていく。
途中、西武新宿の方まで寄り道して、ペペの中のレコファンで
Sade, Super Furry Animals, Queen Adreena の CD を探す。

ちょこちょこ事務手続きをこなして、終わり。
PJの後輩たちとあれこれ立ち話程度に軽く打ち合わせ。

17時にはオフィスを出る。
新大久保まで歩いて行って、山手線で池袋へ。
腹が減っていたのでまずは夕飯。
池袋西武の通りの角のラーメン屋が、土曜に見たら大行列。
前は「無敵家」だったよなあ。変わったのだろうか?雰囲気が違う。気になる。
今日は平日の早い時間だったので混んでなくて、入ることができた。
前と変わらず、「無敵家」のままだった。
でもメニューが変わったように思う。いや、前回が印象に残ってないだけか。
ただ単にそういうことなのだろう。
徳丸麺とかいうのを食べた。
とんこつ醤油。分厚くて柔らかいチャーシューが入っている。
客観的にはおいしいんだけど、やはりここは僕にとって大事な何かが欠けている。
同じ並びの光麺の方が断然いい。
そういえば池袋だと「岡崎」というつけ麺屋がうまいと会社の先輩に教えてもらった。
今度行ってみよう。

池袋西武で靴を買う。
前回はキャサリン・ハムネットの靴を買ったんだけど、今回も全く同じ靴を買った。
一見細身のデザインなのに横幅があって、履き心地がよかったんですよねえ。
珍しく靴擦れしなかった。
27cmのサイズのが店頭に在庫がなくて取り寄せとなる。
履いて帰るつもりだったから会社帰りに来たのに・・・
靴磨きの職人が今日は店に出ているということで、
店員の方が問い合わせしてて待っている間に靴を磨いてくれる。
気が利いている。
26日の金曜日には受け取れそう。
25日までセールで15%OFFということになっていて、
26日以後になって受け取りとなっても15%OFFにしますとのこと。
ますます気が利いている。

Yシャツとネクタイも買う。それぞれ20%OFFと10%OFFで、
クリスマス・セール期間だということを知らずに来た僕は得した気分になった。
ネクタイ売り場は彼氏や旦那にプレゼントするのか、女性客でごった返していた。

その後、新宿のハンズへ。
明日の大掃除のためにスポンジなどあれこれ買う。
紀伊国屋で松岡正剛の「遊学II」を見つける。
レジのところで「今日の猫村さん」の一巻が発売されているのを見つけ、買う。
前から気になっていたけど、「そのうち買うか」で結局買わずじまい。
文庫になってようやく、手に取ってみる気になった。

夜、家に戻ってから編集学校の再回答。
昨日M-1が始まる前に「時間がない!」と慌てて回答したら、案の定やり直しとなった。

昼は蕎麦屋で「豚味噌蕎麦」だったか、そういうのを食べた。うまかった。
珍しく掛け蕎麦なのに蕎麦湯がついていて、割って飲んだ。これがまたさらにうまかった。
焼酎の蕎麦湯割りや蕎麦茶割りを家でできないか、そういう話をする。
インスタントの蕎麦湯はないにしても、蕎麦茶はありそう。
成城石井とかクイーンズ伊勢丹に行けば売ってるかな。

昨日年賀状を作って出したら、
今年という一年が既に終わったかのような気になった。
仕事に身を入れる気にならないのも、そういうわけです。

夜、The ピーズのタワレコ限定のシングル「ゲロ犬ボウズ」と「3連ノリタね」を聴いた。
これ、無茶苦茶かっこいい!!何これ!?
タワレコ限定がもったいない。
早くアルバム出してくれよ。

Luciano と Soulwax それぞれのライブアルバムも聴いた。
これまたよし。Soulwax は今年のベスト10に入るね。

12月24日(水) 年賀状を書く

20日を過ぎると気分はすっかり年末モード。
日曜は朝からずっと年賀状を作っていた。
ニューヨーク行ったときの写真を貼って、印刷して、一言書き添えて。
去年もらった年賀状も参考にする。
めんどくさいんで今年こそはやめたいと思うものの
大学の先生とか遠方の友人とか
年賀状だけの付き合いの人もいるのでやめるにやめられない。
父と同僚だった方ともやりとりしている。
そうなると逆に年賀状じゃないとコミュニケーションが成立しない。

時々会うに人は出さないとか毎年少しずつ減らしていって今年は25枚。
30代半ばの男性として、この数は多いのか、少ないのか。
会社で偉いポジションに着き始める年頃。
ちゃんとしてる人は年賀状が増え始めているのか・・・?

年賀状の替わりにメールで、というのが僕も年々少しずつ増えてて、
僕が今でもリアルな年賀状を出しているのは
メールが普及する前の時代に出したり届いたりしていた人たちとの
付き合いがずっと今でもそのまま残っているから、だったりする。
だとしたら今の若い人たちは物心ついたときからメールがあったのだから
年賀状なんて互いに出してないのかもな。
だから郵便局があんなに熱心にキャンペーンやってるわけだ。

それにしても。
その年結婚式のあった新郎・新婦が年賀状を出すという例のヤツ。
届くと僕も返すんだけど、その翌年の扱いに困ってしまう。
どうせ去年だけだろうと思ってこちらから出さずにいたら
また今年も来て、慌てて返したり。
間合いが難しい。

---
日曜はインクが切れて、
「やっべー買いに行かなきゃ、でもM-1見たいから時間がない」と
机の中を漁ってみたら何年か前の買い置きが見つかった。ラッキー。
机の上に不安定な置き方をしてたらプリンターが
ガチャンと大きな音を立てて床に落ちて、唖然。
電源を入れ直したらまた動いて助かったんだけど、何かと大変だった。

家のプリンタは5・6年前に買った CANON の一番安いやつ。
年に1度年賀状の時期にしか使わない。
普段は箱の中に入れてしまっている。
自宅だと他に、プリンタを使う機会ってないですよね・・・?
僕の場合、私用でもこっそり会社のプリンタを使ってるからなんでしょうけど。

12月25日(木) 「シャイン・ア・ライト」

土曜、六本木ヒルズに TOHO CINEMAS に
ストーンズのニューヨーク公演をマーティン・スコセッシが記録した
「シャイン・ア・ライト」を見に行った。
http://www.shinealight-movie.jp/

10時20分の初回だったのに、そこそこ客が入っていた。
30代以上、ストーンズの好きそうな人たちばかり。

2006年の「Bigger Bang」のツアーのうち、
最大級の会場となるリオデジャネイロの野外コンサートを撮る計画だったのが、
監督がスコセッシに決まってから
ニューヨークのビーコン・シアターという小さな会場に変更されたのだという。
正しい選択だと思う。舞台も狭く、客席との距離も近い。
まるでクラブで演奏しているかのよう。
ミュージシャン同士の、観客との親密な空間が生まれていて、
それをすぐ間近で見ているような錯覚、つまり臨場感があった。
さすがスコセッシはうまいね。

長らく無冠の帝王だったマーティン・スコセッシも
2007年に「ディパーティッド」でアカデミー賞を受賞。
「タクシー・ドライバー」や「レイジング・ブル」といった70年代のドラマ、
近年だとレオナルド・ディカプリオが連続して主演した
「ギャング・オブ・ニューヨーク」「アビエイター」が世間一般的には有名だけど
音楽系ドキュメンタリーのキャリアも充実していて、
あの「ウッドストック」で助監督、
The Bandの解散ツアーを題材とした「ラスト・ワルツ」では監督を務めてるんですね。
2000年代に入ってからは
「Blues Movie Project」や Bob Dylan の伝記「No Direction Home」も手がけている。
(なお、スコセッシはストーンズの曲を映画に使うのが好きで、
「Gimme Shelter」はこれまでに2回、使用されている)

最初のうちはそのスコセッシが「監督」として舞台裏の場面に出てくるんだけど、
いざ演奏が始まってしまうと後はひたすら18台のカメラを駆使してストーンズをダイレクトに映し出す。
無駄がなくて、フレッシュでタイトなストーンズを見ることができる。
ステージ上の息遣い、無言のやりとりもきちんと拾われている。
どう切り取ったらストーンズがかっこいいか、スコセッシはきちんと分かっている。

矢継ぎ早のショットで繰り出される、始まるまでの段取り・準備・打ち合わせの場面。
セットが気に入らないミック・ジャガーはマーティン・スコセッシのせいにし、
マーティン・スコセッシはミック・ジャガーのせいにする。
セットリストが直前になっても決まらなくて、完璧主義者のスコセッシはやきもきする。
「1曲目は何をやるんだ?ギターのリフからか?ロニーかキース。キースだろうな。
 ミックの歌からだったら?カメラを2・3台、顔に向かって張り付かせないと」ってな具合。
結局、セットリストが届いたのは始まる直前。
たぶんぶっつけ本番でカメラを動かしていったんだろうな。

ライブはビル・クリントン元大統領のチャリティー・イベントとしての性格もあったようで、
ヒラリー夫人の母親とストーンズのメンバーが挨拶して写真、みたいな場面も出てきた。
ライブそのものもクリントン元大統領の前フリからスタート。
ヒラリー・クリントンが民主党の候補になってそのまま大統領になっていたら
この映画、もっと別な性質を帯びたかもね。

演奏された曲目は以下の通り。
「Jumpin' Jack Flash」
「Shattered」
「She Was Hot」
「All Down The Line」
「Loving Cup」(The White Stripes のジャック・ホワイトと共演)
「As Tears Go By」
「Some Girls」
「Just My Imagination」
「Far Away Eyes」
「Champagne & Reefer」(バディ・ガイと共演)
「Tumbling Dice」
「You Got The Silver」(キース・リチャーズがヴォーカル、しかもギターを弾かずに)
「Connection」(キース・リチャーズがヴォーカル)
「Sympathy for the Devil」
「Live With Me」(クリスティーナ・アギレラと共演)
「Start Me Up」
「Brown Sugar」(ここからアンコール)
「(I Cant' Get No) Satisfaction」

ホール・クラスの会場とあって、選曲が渋い。ツウ好み。
スタジアム・ライブでドッカンドッカン行くような感じじゃない。
最初が「Jumpin' Jack Flash」というのはお約束としても、そこから先は「そう来るかぁ」と。
さすがスコセッシが映画にするだけあるね。
78年の「Some Girls」からの曲が4曲と多いのが印象的。
70年代後半から今に至るまでを後期ストーンズとするならば、やはりこれが後期の最高傑作なんだろうな。
後半戦はさすがに代表曲ばかり。
「Start Me Up」以後の観客の盛り上がりっぷりと言ったら!
僕もその場に居合わせたかった。悔しい気持ちにさせるねぇ。
これってつまり、ロックのライブを描いた映画として秀逸ってことだよね。

撮影はやはり、ミック・ジャガーが中心となる。
セクシーに腰をクネクネさせて踊りまくって、
着てるものどんどん脱いでって肌を露出させて客席を煽りまくる。
いまだに世界最高峰のフロントマン。誰も超えられない。
60代とは思えないほどの身のこなし。贅肉一つなく引き締まって、動きにもキレがあって。
(それでいてロック界随一のビジネスマンでもあるのだからすごいよな)

なぜストーンズだけが60年代から続いているのか?
この問いが映画の中で何度か発せられる。
答えはこの映像を見ればすぐにも分かる。というか、答えは要らない。
ミックのシャウト、それを支えるキースとロニーのギターのコンビネーション。
これらが存在しない世界がそもそも想像できない。

途中、過去のインタビュー映像が挟まる。60年代と70年代を中心に。
ミック・ジャガーは例によってふてぶてしく、チャーリー・ワッツは寡黙な二枚目で。
60年代のキース・リチャーズの不良としてのかっこよさ、再認識した。
全てのことに対してくだらねえと嘯いてるような顔つき。パンクよりも10年早かった。

キースとロニーのインタビューにてかっこいい発言があった。
司会者:「キースとロニー、どっちがギターがうまい?」
ロニー:「もちろん、オレだろ」
司会者:「キースは?ロニーは自分だって言い張ってるけど」
キース:「ロニーならそう言うだろうな」(笑う)
    「俺たちは2人ともギターが下手だけど、2人揃うと最強なんだよ」

ストーンズのファンならば
このセリフを聴くためだけにも、「シャイン・ア・ライト」を見る価値がある。

ジャック・ホワイト、バディ・ガイ、クリスティーナ・アギレラ。
ある意味今のアメリカの音楽を代表するこの3人、
三者三様の共演の仕方も映画のアクセントとして素晴らしかった。

12月26日(金) 戦い済んで日は暮れて

新規事業のワークショップ。
10日(水)に事業部長、部長たちへのプレゼンがあって、17日(水)に審査会。
あえなく撃沈。イチからやり直すことになった。
広告ビジネスです、っていうときにどう収益を上げるか?
といった理論とその検証が甘かった。
など、など。

とにかく、それがどういうビジネスモデルなのか、そのブラッシュアップに尽きる。
「やるから、できるんです」といったことは通用しない。
数字としてそれはどうなのか。どういう裏付けがあるからそれが言えるのか。
世の中は厳しい。
というか、社内、事業部の中ですらあれこれ手厳しく言われた今回、
いきなり独立してやろうとしていたらとんでもないことになってたんだろうな。
中途半端なものだったら、夢は見ちゃいけないわけです。

それにしても、疲れた。6月から半年。
今年後半はこれが日々の軸になっていた。
あっけなく終わって今、燃え尽き感でいっぱい。
当面、何もしたくない。とにかく休みたい。

何よりも感じたのが僕の力不足。無知。
これまでノホホンとシステムエンジニアをやってきて、何も勉強してこなかったんだなあと。
身についたのはバクッとした外観と小手先のマメ知識だけ。
いざビジネスモデルについて考えようとなっても、数字のことになるとお手上げ。
僕が出せるのは企画のアイデアだけ。
絶望的なまでの無力感。
これから先、僕はどうやって生きていこう?なんて思い悩んだこともあった。

じゃあ今から頑張れば身につくものなのか?
頑張れば、身につくとは思う。
でも、今回の活動を通じて痛感したのは、やっぱ僕はそういうの全く興味ないのだということ。
どうやって売るのか、どうやって儲けるのか。
一言で言って、向いてない。
得意なとこだけやるんでいいよ、とはいかないもんだろうし。

来年度に第2期があるみたいなんだけど、たぶん僕は参加しないと思う。
土日をつぶすなら、小説を書きたい。結局今年は100枚のを1つ書いただけ。
ワークショップの始まった夏以後、何もできなかった。

ワークショップそのものは否定しない。
とてもいい経験ができた。いろんなことを学んだ。
そもそも、社会人として視界が広がった。
夏前までの自分の事を思うと、ゾッとした気分になる。

でも、ワークショップの座長の方からは「研修じゃない」とばっさり切られた。
「具体的に新規事業が立ち上がらないことには駄目なんだよ」
そこなんだよな。
僕は結局心のどこかに研修としてやっているという受身の部分があって、
後半戦、チームに加わって検討しているときも「演習」と割り切っている自分がどこかにいた。
たとえ立ち上がらなかったとしても、いろいろ学べたからいいじゃないかと最初から達観していた。

本気で事業を立ち上げたかったのか?
そうとも言えるし、そうじゃなかったとも言える。
全12回のセッションのうち、10回目の頃だろうか?
最終発表の事業部長・部長向けのプレゼンに当たっては
「なぜその事業をこの会社がやらなければならないのか?」という観点を
きちんとアピールするように、というお達しを受けた。
ここで僕は足を掬われた。
僕はただ単に、「ここから出て行きたい」という一心で新規事業にのめりこんでいた。
新規事業が立ち上がったとしても、「ここからは抜け出せない」ということに気付かされた。
一瞬にしてやる気がしぼんで、なくなった。
そうか、僕は何を勘違いしていたんだろうと自分が悲しくなった。
危機感はあくまで自分に対するものであって、会社に対するものじゃなかった。
新規事業検討の場を提供した会社がメンバーに求めたものは、あくまで会社に対する貢献なのだ。

そこから、僕だけじゃなくて、チーム全体がトーンダウンしたように思う。
そしてプレゼンはグダグダになった。
後に残されたのは、徒労感だけ。

とりあえず今、砂上の楼閣が風に吹かれて崩れ去っていくのを途方にくれて眺めている。

僕にとってこの活動は、日々の忙しい仕事の中での、現実逃避に過ぎなかったのだ。

---
以下、おまけ。夏のまだ熱い気持ちがあった頃に、
クローズドな関係者用ブログに書いたこと。

今となってはこういう気持ちもない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回のタスクフォースとは直接の関係はないですが。

僕が今いるPJは割と大きくて、忙しくて、雑用をプロパーがやってる暇なんてないだろう、
ってことで派遣の人を雇うことにしたんですね。
で、派遣の女性の方が来ました。パッと見普通の女の子。

何をしているかと言えば今は、
外部設計フェーズの大詰めってことで外部設計書の顧客レビューが毎日休みなく続いていて、
持って行く設計書の印刷と人数分のコピーと、
僕なんかがその場にノートPCを持ち込んでガチャガチャ打ち込んだメモを、
会社標準フォーマットのレビュー記録のEXCELに転記とかそういうのなんですね。
誰でもできる、単純な仕事。

その子とこの前話す機会があって、聞いてみたら、あれこれ苦労してて、
前の仕事では飛び込み営業とか経験してて(もちろんうまくいくわけがない)、
でも、「世の中をもっとよくしたい」「こういうのがあったら世の中がよくなると思う」って
独学で企画書の書き方を勉強して自分なりに書いてみたりしてたんですね。
どこかに出したわけでもないですが。
それでも、自分がモヤモヤっと思ってることを形にしたくて、彼女は今も日夜頑張っている。

偉いなあと思った。心の底から。

---
「受注開発」というぬるま湯。
確かにそれは目の前の仕事になり、金になるだろう。
コバンザメのようにお客さんの脇腹にくっついていたら何かしらおこぼれはある。
だけどそれじゃいけないんだということ。
僕は10年目にして、ようやくそれがぬるま湯だということに気付いた。
部門の若手はさ、「オレずっと保守だけど、オマエ新規でいいなあ」とか言ってる。
新規ってもちろん、既存のお客さんの中での新規ってことですよ。
君らがそれでいいなら、それでいい。
部門がそれでいいなら、それでいい。僕がとやかく言うことじゃない。
でも、「それおかしいよ」と僕は思う。
派遣の女の子の方がよほどまともな感覚を持っている。僕は、そう思う。

---
正直僕は、ここから出て行きたい。
こんなグダグダした場所には何の未来もない。

とはいえ少なくとも、何かが少しは変わるべきだ。
変えられないのだろうか?だから、このタスクフォースに参加している。

---
僕なんかよりは彼女の方がよっぽど、このタスクフォースに参加すべきだ。
いろんなことを学ぶべきだ。

だけど世の中、そんなふうにはできていない。残念ながら。
やる気があるからと言って、派遣の子には金を出さないでしょ?
出すわけにはいかないでしょ?うちの会社は。

その反面、僕がいかに今恵まれた状態にいるのか、ということ。噛み締めた。
だから僕は頑張らないといけないのだな、中途半端な気持ちではいけないのだな、と思った。

12月27日(土) 12/23 - 12/26

12/23(火)

休み。この日は朝から大掃除。
ユニットバスを仕上げて、キッチン。
洗剤のいらないスポンジ「べっぴんさん」であちこち汚れを落とす。
一気にやったら1時間もかからないので1ヶ月に1回というか週に1回やったっていいぐらいなのに、
「年末だ!大掃除だ!」というムードにならないとなかなか着手する気になれない。

昼、ご飯を炊いてレトルトのカレー。
食べ終わって、西友に行って、ガスコンロの下に敷くマットや換気扇のカバーを買う。
部屋に戻って来て付け替える。

西友の2階の無印で2009年の手帳を買った。
薄っぺらいヤツ。どうせ予定なんて書かない。書いても読まない。
カレンダーとメモ帳として。

それにしても年賀状を書いたり、大掃除をしたり。年末は何かと忙しい。
平日に休みが1日あってとても助かる。

青森から送られてきたリンゴ、皮をむいて食べる。
今年初リンゴ。甘くてシャリシャリしてて、おいしかった。

夜、リンゴと一緒に送られてきたじゃがいもとタマネギで
ジャーマンポテトを作って食べる。
テリー・ギリアム監督の「フィッシャー・キング」を見る。思いがけず、名画だった。

---
12/24(水)

朝、芝浦のオフィスへ。出張の清算など行ってすぐ神保町へ。
昼、共栄堂でスマトラカレー。ポークカレーのソース大盛り。
そのまま「andonand」というおしゃれな内装のドーナツ屋に入って打ち合わせ。

リンゴ欲しい人いますか?という呼びかけに反応があった先輩に
青森から送られてきたリンゴを渡す。

18時を過ぎた辺りだろうか、顧客のオフィスの近くにある救世軍本部から歌声。
何を歌っていたのかは忘れた。クリスマス・キャロル?

19時にはオフィスを出て、家路に着く。
西友で蕎麦茶、マヨネーズ(松田のマヨネーズというやつ。高かった)など買う。
町のあちこちでケーキが売られている。
帰ってきて、編集学校の課題に答える。

昨日に引き続き、ジャーマンポテトを作って食べる。
油の替わりに、フライパンにマヨネーズを敷く。うまかった。
余計な油が飛んで、ほんのりとマヨネーズの味がして。
沸かしたお湯で蕎麦茶を作って、焼酎を割って飲む。
クリスマスイヴだし、とちょっと贅沢に
ツマミとして買った大好物の鶏レバーの甘露煮を食べる。

Idaのレアトラック集を聴いて、Aretha Franklin の「Lady Soul」へ。
たまってた新聞を読む。
ちょっと前まで、厚生事務次官殺害のニュースばかりだったのが、最近見かけなくなった。
同じぐらい猟奇的な事件が次々に起こる。当たり前になって、慣れてしまった。
というか今、話題にすべきはこの、先の見えない不況か。
この国の雇用はどうなるのか?
誰もが当たり前のように失業する時代が来るのかもしれない。

先日ばったり会った後輩と年明けに飲む日取りを決めて。
同期の友人たちと飲む店として銀座の「字」に予約の電話を入れる。

飯嶋愛死亡のニュースを見かける。
自殺の可能性が取り沙汰される。
ベストセラーとなった「プラトニックセックス」
僕も昔読んだ。本人が書いたものじゃないんだろうけど、とても面白かった。
あっけない。人の命はあっさりと軽い。

メリークリスマス。
世界中の僕みたいな人々に向けて。
部屋の中で1人きりで過ごして、
他の日と同じようにいつも通り眠りについた、全ての人たちに向けて。
寂しき、孤独な人たちへ。
もう1度繰り返す。
メリークリスマス。

僕はこれまでの人生で出会った、何人かの人たちのことを考えた。

---
12/25(木)

編集学校のオフ会、今月2回目。
東京駅周辺で、ということになって僕が店の候補を出して、
地下街の「黒塀横丁」にある焼き鳥の店「繁乃井」へ。
うまかった。
最初ビール、途中から焼酎。
この日もまた、たくさん飲んでしまった・・・
しかし前回ほど羽目は外さず。

オフ会の前、時間があって八重洲ブックセンターに行ったり、銀座のHMVに行ったり。
青森に帰ったときに聴くCDってことで世界の名だたる指揮者の名演10枚組ってのを買う。
カラヤンとか、フルトヴェングラーとか。
10枚組で1980円というオドロキの安さ。

年末年始に帰省した際に親戚の仏壇に備えるお菓子として
東京駅の大丸で虎屋の羊羹を買う。

神保町から東京駅まで歩く。
そう言えば出る直前に上司と面談。
今更ながら、隣の部門のPJを打診される。返答に困る。
年末年始気が向いたら考えてみることにする。

朝、東新宿。昼から神保町。
水道橋の「大熊製麺」というラーメン屋を開拓する。
つけ麺がメインらしいが、ラーメンを食べてみる。味噌。
意外とうまかった。

---
12/26(金)

会社としては31日の水曜日から年末年始の休みとなるが、
僕としては今日が仕事納め。
早めに帰るつもりが、モタモタしているうちに客先の納会に紛れ込むことに。
500の缶ビールを2本飲む。
東新宿ではPJの忘年会だったけど、不参加。
池袋の西武百貨店に行って、先日注文したキャサリン・ハムネットの靴を買う。
そのまま履いて帰る。
渋谷へ。HMVのポイントがたまっていたのでCDに引き換える。1万2500円分。
ツジコノリコの新作、Arthur Russelの未発表曲集、Tom Waits と Style Council の紙ジャケ。
中古屋でずっと探していた、Arab Strap 「The Last Romance」の新品がなぜか売られていた。
もう何年も売れ残っていたのか・・・
レコファンやブックオフも覗いて、帰る。
クリスマスの終わった渋谷は相変わらず人で一杯だった。

昼、「さぼうる2」でビーフカレー。

帰ってきて、母から留守電。
青森は今、大雪だという。
今日は東京も寒かった。

疲れ切っていて、22時には寝た。

12月28日(日) 青森に帰る

7時起き。新幹線はいつも通り、9:56発。
8時過ぎに家を出て東京駅へ。

時間があったので東京駅地下の「Gransta」ってのに初めて入ってみた。
何があるのかこれまで全く知らなくて、足を踏み入れてとにかくびっくりした。
あちこちの店のうまそうな弁当の数々!!まさにパラダイス!!
見るものみな食べたくなる。
何度も何度もグルグル回って、厳選して、新幹線の中で食べようと買ったのは以下の3軒。
・「串揚げ 門左衛門」の串三昧セット \1,000(エビ、イカ、レンコンはさみ揚げ・・・)
・「毬毬」の焼売のセット(エビやチャーシューなど6種類、12個入り)
・名前を忘れたが、さつま揚げの店で、「ねぎづくし」「海鮮チヂミ」「もんじゃ」
 (他のはレシートを取っといていた)

ついでに「京・料亭 わらびの里 霞中庵」で
母へニシンの佃煮を買っていく。

1軒ものすごく行列のできている店があった。かりんとうの店だったか。

次は「過門香」の海鮮あんかけ焼きそばと沖縄料理の店のチャンプルー3点セットだな。
「新宿アカシア」のシチューも気になる。

とにかく、ここを知ったら東京駅で普通に駅弁なんて買えないですよ。

いや、ほんと上で買った3つはどれもうまかった。
あれもこれもと欲張って食いすぎ・・・

---
新幹線のデッキはしゃがみこんだおやじばかりだった。
出稼ぎに出てて、年末でふるさとに帰るのだろう。
弁当を食べながら、酒を飲んでいた。
この新幹線は自由席がなくて、指定席だけ。
だから、通路に座るしかなくなる。
雫石でスノボをする若者たちも、同様。
固まりあっていた。

「ベスト・アメリカン・ミステリ」の2004年版、「スネーク・キング」を読む。
今回もまた、読んでて唸らされた。

仙台を過ぎて、大雪。
こんなに降ってるの久しぶりに見たなー。
吹雪と、小止みを繰り返す。
長野新幹線は朝から運休。
仙台と盛岡で前の新幹線がつかえてて出発できず。30分遅れで八戸に到着する。
青森行きの特急が発車せずに待っている。
この特急もまた、強風のため徐行運転。
さらに30分遅れて、合計1時間の遅れで青森駅に到着する。
とにかく、窓の外の吹雪はすさまじいことになっていた。
青森に着けるだけまだましか。

---
AUGA のPAX で CD を買う。
全快来た時に買うかどうか迷って買わなかった、The Kooks のアコースティック・ライブ。
東京ではとっくの昔に在庫切れ。売れ残っていた。

床屋に行く。
年末だからか、猛吹雪だからか、暇そうにしていた。
昔話の舞台となる場所を訪れるという番組を見た。
大分の吉四六ランドや、金太郎の足柄山など。

夜店通りの Milton Keynes でセーターのような柄の長袖のTシャツを買う。
Convoy に行ってみたら店がなくなっていた。
元の場所に戻ったばかりだったのに。
やはりあの辺りはやっていけないのか。

さくら野で滞在中に使うドレッシングやマヨネーズを買う。
あと、夜に飲む焼酎として「いいちこ」を。
年末とあって、さくら野や中三(共にデパート)の前では注連飾りなど
正月用品が売られていた。

---
バス停で降りる。
500の缶ビールの6本パックを買おうと酒屋に入る。
「田酒」で有名な西田酒造の真向かいにあるのだが、
僕の前に入ったオヤジが田酒を6本買っていた。
普通に売ってるのだろうか?
普通、市内でも手に入らないのに・・・
それとも特殊ルートでの取り置きなのだろうか。
そんな気がする。

銭湯に入りにいく。
帰り道、吹雪の夜空を眺める。
雲の薄くなった箇所は灰色というよりも黄色なのだな、と気づく。

夜は母の作ったイカメシを食べる。
偏頭痛と戦う医者の番組を見る。
赤ワインとチーズが、偏頭痛を引き起こすと知る。
その後「お笑い Dynamite !」というタイトルだったか、
108組のお笑い芸人がネタを披露するもの。
最初の数組がつまらなかったので途中でやめる。

もってきた新しいノートPCをネットにつないでみようとしたら、
イーモバイルが圏外だった・・・
僕はいったい何のためにこれを買ったのか。

Todd Rundgren のシングル集を聞く。
帰省するたびにいつも聞いている。

母は風邪を引いていた。
ここ数日の猛吹雪にやられたのだという。

12月29日(月) 青森2日目

8時に起こされる。
さっそく雪かきをする。
ふわっとした新雪ではない。時間の経過した、ベタッとした雪。
昨日の夕方までに降り積もって、その後、風は強かったものの雪は降らなかったのだろう。
屋根から落ちた雪が玄関を出てすぐにうず高く積もっている。
スコップで掻き分けて、庭先に放り投げる。
今日は快晴で青空が広がっている。解けた雪が雫となって地面に広がる。
すくって投げて、すくって投げて。無の気持ちになる。

母の風邪がよくならない。
朝食後、妹の運転する車で母は病院へ。その後、整骨院でお灸を受けるのだという。
「西洋医学のあと、東洋医学。おかしいでしょう?」と母は言う。

午前中、居間で一人、本を読む。今回持ってきた本の1つ、「コンゴ・ジャーニー」
今年あちこちの書評で取り上げられた旅行記。
コンゴの奥地に幻の怪獣「モケーレ・ムベンベ」を求めて
呪術師を訪問し、役人に賄賂を渡し、川を遡り、マラリアになり、と波乱万丈の冒険譚。
読み出したらやめられない。

このところの強風でテレビのアンテナの安定が悪くて、
屋根の上でゴトゴト動いているってことで昔からの付き合いの電気屋さんに来てもらって直してもらう。
居間の蛍光灯も新しいのを持ってきてもらって、僕が取り替える。
はしごを伸ばして上っていって、屋根の上をあちこちと動き回る音がする。
アンテナを固定する4本足の台が、古くなって2本折れていて、1本曲がっている状態だという。
そりゃアンテナもグラグラと揺れるよね。
わざわざ、近くのホームセンターに新しい台と取り付けるための金具を買いにいってくれる。
全て作業が片付いて、僕はお茶を入れる。
「トヨヒコ君何歳になった?」と聞かれて「1日で34歳になる」と答えると、とても驚かれた。
「30過ぎてたんか!」
もう何年も会ってなかったからなあ・・・
こういう話の常として、結婚はまだか、夏にはお嫁さんを連れてくるんでないかと言われる。
後は、東京の住み心地の話と、不況の話。

昼頃、母が帰ってくる。
入れ替わりで僕が出かける。昼は食べない。
インターネットに接続したく、街まで出る。
そのことを話したら、「さくら野」の地下で静岡茶を買ってくるように頼まれる。
昨日も書いたけど、ネットブック用のイーモバが圏外だったのは予想外だった。
イーモバ、かなり使えない。

快晴だったので外に出るのも苦にならない。空は澄んだように晴れている。
バス停で試しにノートPCを立ち上げてイーモバをつないだら、アンテナが3本立っていた。
あ、青森のこの辺まで来てるんだ。
そうか、国道沿いに伸びてるんだろうな。
だけど僕の家はバス停から結構歩くため、電波が届かなくなっている。
そういうことか。
明日からは遠出して街まで出なくても、この近くのミニストップで用が済むかもしれない。

バスに乗って青森駅の西口へ。
橋を渡って正面口のみどりの窓口の列に並ぶ。
4日の青森発八戸行きの特急を、3日発に変えて八戸で一泊するようにする。
4日に八戸から東京に向かうのは変わらず。
朝、親戚のおばさんから電話がかかってきて母の代わりに出たら
たまにはこっちにも顔を出しなさいと。
そういえばもう何年も行ってないなあと思い、今回長く来てるのでお言葉に甘える。
窓口で聞いたら途中下車しても乗車券はそのまま使えるとのことだった。
特急券も交換する。
15時ごろのをとろうとしたらいっぱいで、
次の臨時列車も1席だけ余りがあるというのを取った。
Uターンラッシュのピークだもんな。

AUGAの市民インターネット・センターみたいな場所に入って、
PCを借りてようやくネットにつながる。
メールを読んだり、編集学校の教室にログインしたり。
携帯からもアクセスできるはずが設定変更し忘れていたので、ここで手続きを行う。
(東京では参照だけ試してOKとしていたのが、書き込みには別の設定を必要としていた)

「さくら野」でお茶を買って、駅前にできたプロントヘ。
カフェオレを飲みながら、せっかく持ってきたネットブックでインターネットに接続する。
この辺りは余裕で電波が入る。
青森の喫茶店でノートPCを広げてる俺ってかっこいいんじゃん、なんて思う。

LOVINAで会社の人たちへのお土産を買う。
リンゴのクッキーや青森限定リンゴ味のアポロ・チョコなど。

バスに乗ってきて16時には帰ってきて、その足で銭湯へ。
早い時間に行ったら空いていて居心地がよかった。
17時半には早々と夕食。
貯金は毎月するようにしなさいと母に怒られる。
食後、母が食器を洗う横に立って、洗い終わったのを拭く。

東京で買ってきて持ってきていた、「20th Century Maestros」を聞く。
フルトヴェングラーやカラヤンなど名だたる巨匠の名演を集めた10枚組。
それでいて1980円だったか。破格の安さ。
フルトヴェングラーの指揮するブルックナーの交響曲7番を聞く。
昨日大型パックで買ったいいちこをお湯割にして飲みながら。
やかんでお湯を沸かして、ポットに入れておく。

その後、同じく10枚組で2000円ぐらいの
スペインのギタリスト、アンドレス・セゴヴィアの作品集を聴く。
1枚目はバッハの演奏。
ブラック・ジャックの20巻を読む。やはり、「ほろっ」と来る。
台風の夜の話、そしてその次のSLの話の、成長したピノコ。
「コンゴ・ジャーニー」の続きを読む。
現実が猥雑過ぎてマジック・リアリズムになってしまう。

夕飯どきの母との会話:
「お母さんは昨日の今頃と、今日と、どっちが元気そう?」
「今日のほうがつらそう」
「お母さんは、今日のほうが楽な気がするんだけど」
・・・世の中の母親という母親が、そういうものなのだ。

僕が3日の日の夕方、親戚の家に行くことになり、母にそれを告げると
だったら3日の昼にスパゲティーを食べに行きましょう、ということになる。
パスタじゃなくて、スパゲティー。
ほんとは今日の昼、行くはずだった。
アラスカ会館の裏に、その店はあるという。
風邪がよくならなくてそれどころじゃなくなって。
3日も怪しい。
「お母さんの風邪もその頃には、よくなってるから」

12月30日(火) 今年を振り返る

今年を振り返る。
まずはどういうイベントがあったか、何も見ずに思い出してみる。

<<1月>>
・1月1日。誕生日。元日早々、前のPJで作ったシステムでバッチが異常終了。
 出社して問題なかったことを確認する。誰もいない真っ暗なフロアに一人きり。
 せっかく出てきたのだからと大門・浜松町の増上寺に初詣。
 この年末年始は長編小説を書いていた。200枚ほど書いて中断。
 2009年はこの小説をまずなんとかしたい。
 部屋に閉じこもって、DVDで映画見て、焼酎のお湯割を飲んで、という毎日。

・デラ君の主催するエレクトロニカ系のイベントで渋谷へ。
 竹村延和(漢字違うような気がする)や i am robot and proud など。

・渋さ知らズオーケストラをラボの人たちと見に行った。

<<2月>>
・現在のPJと掛け持ちを始める。4月から専任。
 10年のSE人生の中で2番目に厳しいものとなる。
(1番目は30歳の誕生日を会社で迎えた例のやつ)

・The Police の再結成公演(超絶!)を東京ドームに、
 Bjork の数年ぶりの来日公演(孤高!)を武道館に見に行く。

・友人の結婚式でビデオ撮影。大雪に見舞われる。
・会社の後輩の結婚式で同じくビデオ撮影。またしても大雪。
 京都だったので前の日から宿泊して大学の同期と会う。
 友禅のアロハを買う。

<<3月>>
・父の27回忌で青森へ。野辺地の温泉に一泊。
 このとき読んだ「クラック・コカイン・ダイエット」と
 「オリガ・モリゾブナの反語法」が今年のベストか。
・確かこの頃見た、「4ヶ月、3週と2日」が映画ではダントツ。

<<4月>>
・前のPJの人たちと盛岡へ。缶ビールで新幹線の窓を埋め尽くす。
 仙台で記憶をなくし、その後大失態。
 翌日はわんこそば135杯と盛岡市内観光ウォーキング。

・Foo Fighters を幕張メッセに見に行く。

・エミリー・ウングワレーの絵を六本木に見に行ったのはこの頃か。
 最晩年、死の数日前の絵が壮絶。

・地下のミュージアムショップで Freitag の鞄に出会ったこともまた、衝撃的。
 工業製品のリサイクルで全てが一点ものというコンセプトが素晴らしい。
 デザインも優れている。

<<5月>>
・ゴールデンウィークは映画をたくさん見に行った。
「クローバーフィールド」「There Will Be Blood」など。

・あと、小説を書いていた。3月に青森に帰ったときのことを元に。
 100枚の作品に仕上がる。今年完成させたのはこれだけ。

<<6月>>
・念願のニューヨークへ。
 前半は郊外にある寮の同期の家へ。
 後半はブルックリンの映画サークルの後輩のアパートへ。
 メトロポリタン美術館、MoMA、グッゲンハイム、ホイットニーと美術館めぐり。
 「コーラス・ライン」を観て、メッツとドジャースの試合も見て。もちろん自由の女神も。
 ブルックリン橋を渡ったときの景色が最も印象に残った。

・新規事業のワークショップが開始。
 今年最も大きかった出来事の1つがこれ。
 7月・8月と個人で企画、9月から12月までがチームで事業計画。
 実にいろんなことを学んだ。
 特に7月・8月は仕事が半端なく忙しく、仕事とこれだけの毎日。
 「いきがい」ですらあった。

・東新宿常駐開始。当初は8月までというはずが、現時点も継続中。
 これほどまで長引くとは・・・
 芝浦よりもよっぽど家から近いので僕としては嬉しい。
 新大久保の韓国料理屋を精力的に開拓。

<<7月>>
・とにかく仕事が忙しかった。
 仕事以外に何があったのか、記憶になし。
 ボーナスでCDを買いまくってストレス解消してたことぐらいか。

<<8月>>
・忙しさがピークに。数えてみたら出社しなかった日が3日だけ。
 土日も出っぱなし。
 オリンピックも甲子園も関係なし。

・それでもサマソニを見に行く。
 マキシマム・ザ・ホルモンとPerfumeが素晴らしかった。
 どちらも、今まさに旬。
 Perfumeの魅力に取り付かれてこの前は写真集も買ってしまった。
 今年最も聞いた新譜はPerfume「GAME」となる。
 サマソニは The Band of Horses がなかなかかっこよかった。
 Sex Pistols を拝めたのもいい経験だった。意外と演奏が達者で驚く。

<<9月>>
・一段落して、のんびりと過ごす。
 それまで残業しすぎだったため、この月はノー残業と決め、早く帰る。

・PJのメンバーと横須賀の先にある猿島へ行ってバーベキュー。

・昨年の韓国ツアーの3人でバンコクへ。
 マッサージにタイスキ。アユタヤの遺跡を見る。
 バンコクは過ごしやすい場所なのでまた行きたい。
 政情不安なのが気になる。
 僕らが行ったのがちょうどいいタイミングで、
 直前に中心部でデモ、12月は空港占拠。

・青森帰省。墓参りなど。

<<10月>>
・奥多摩にキャンプ系合コン。
 今年は大学の先輩の引き合いで合コンによく顔を出したけど、
 これといって次に続かず。

・ISIS編集学校「20守」コース開始。
 今年最も大きかった出来事、その2。
 知的な刺激を求めて悶々としていた日々が続いていただけに、この出会いはでかい。
 38個のお題目のうち、28個を消化。
 あと10個で終わりか・・・
 2月頭まで。3月から続きのコースを受けて、さらにその先を。
 2009年は編集学校を中心とする1年になりそう。

・さいたまスーパーアリーナに同期と Radiohead を見に行く。

・神保町の客先常駐が本格化。3年ぶり。
 「覆麺」「背脂 のあ」「藤崎奈々子」など、今回はラーメン屋を中心に開拓。

・この頃、あれこれあって会社員としてのオカムラは精神的に大荒れ。

<<11月>>
・Queen Adreena と Juana Molina の来日を見に行く。
 対照的なこの2人が同じ週に見れたというのもなんかの巡り会わせか。
 どちらのライブも今年のベスト。甲乙つけがたい。
 ロックの猥雑な情念を体現する Queen Adreena と
 実験的な音楽では最先端を突き進む Juana Molina

・ウィルヘルム・ハンマースホイを上野に見に行く。

・仕事がまた忙しくなり、土曜は欠かさず出勤。
 夜は廉価版のDVDを見る毎日。

・ポルトガルの、現役最高齢の映画監督オリヴェイラの作品を3本まとめて見る。
 「家宝」の芸術的完成度の高さに背筋を正す。

・数年ぶりに大阪出張。
 帰りに新大阪の駅で「551」のシュウマイを買って食べるのが定番となる。

・泊まりの研修でマジギレ。
 しかし夜のオリエンテーリング、本気で走って区間賞を獲得。結構嬉しい。

・ネットブックと新しいデスクトップを買う。

<<12月>>
・大阪出張が2回。大阪に住んでいる、高校の同級生に案内してもらって新世界と通天閣へ。
 本当に履物屋だった「澤野」の本店に驚く。

・ボーナスで例によって CD と DVD をたくさん買う。

・4年ぶりに年末年始を青森で過ごす。

12月31日(水) 今年を振り返る その2

今年はいろんなものに出会ったと思う。
新規事業のワークショップを通じて学んだこと。
ビジネスというもの、あるいは社会の仕組みについて、視野が広がった。
編集学校はその存在そのものが面白い。
あるいは freitag であったり、ニューヨークであったり。
今年の自分を表す一語となると、「逢」ではないか。

だけどそれ以外のことで言ったら、いろんなことを先送り、引き伸ばし。
仕事が忙しいということにかこつけて。
その仕事も「糸の切れた凧」がずっと続いてて。

現実に追いつかれ始めたな、と思うことが何度もあった。
これから先、いくつかのことは諦めなくてはならないし、腹を括らなくてはならない。
明日から34歳。30代前半と言っていられるのも最後だ。
これ、ほんとずっしりくる。
何やってんだろう、自分。
何もかもが中途半端じゃないか。

例えば、年末年始に帰省したら母が風邪を引いて、ずっと寝込んでいる。
母の代わりに洗い物をしたり、米を研いだり・・・
還暦を過ぎた母が青森で一人きり。
ゆくゆくはどうするべきか?
遠い将来のことだろうとタカをくくっていたら、気がつけば案外近い将来に。
こういうこと、そろそろ真剣に考えなくてはならない。

仕事も見つけないと。
これから先、ずっと続けてゆけること。

2009年、34歳はあれこれ決断して、進めていく年でありたい。

---
昨日書き忘れたこと。

・六本木ヒルズの森美術館で見た、ターナー展。あれは3月頃だったか?
 ギルバート&ジョージの「Death After Life」(「Life After Death」?)と
 ダミアン・ハースト。

・今年前半はダイエットを心がけ、とにかく食べなかった。
 そしたら7月の健康診断で64kgという学生時代以来の体重に。
 だけど後半油断してまた太ってしまった。


All Rights Reserved. Copyright (c) 2000-2009 岡村日記