「修行者たちよ」
釈尊は、次のように弟子達に尋ねた。
「まだ私の教えを知らない者にも、心楽しい時もあれば、苦しい時もある。が、すでに私の教えを知っている弟子たちにも、心楽しい時もあれば、苦しい時もある。まだ私の教えを知らない者と弟子のあいだには、どのような違いがあるのか」

 弟子達は謙虚に言った。
「分かりません。貴い人よ、どうか教えて下さい。私たちは貴方の教えを根本とし、貴方を眼目として生きているのですから」
釈尊は絶妙の譬えをもって答えた。

「不幸にして、矢に打たれた人があるとしよう。ここで、次にどうするのかに関して、二種に分かれるだろう。一人は、慌てふためき、第二の矢を受けてしまう人。もう一人は、矢に打たれても痛みに耐え動揺せず、第二の矢をかわすことの出来る人である」

 仏は続ける。
「仏の教えを知らない凡夫は、最初の人である。苦しさに嘆き悲しんで、混迷の心は深まるばかり。楽も、かえって迷いの心を増すばかりである。仏の教えを知る人は、第二の人である。苦しみを受けてもそれに耐え、苦しみに囚われることが無くなり、生死の束縛を脱する事が出来る」
「このことが、仏教を知らない者と知る者との違いなのである」
と、釈尊は結論づけた。
                         (サンユッタ・ニカーヤ)

ー考察ー
「仏教を実践していない人にも、実践している人にも、悩みがある。どこに違いがあるのか」
ズバリ、釈尊は切り出しました。ずいぶんと率直な質問です。おそらく弟子たちのほうが当惑したでしょう。仏道修行を行えば、悩みが無くなる。どうしてもそう考えがちです。そのような考えの過ちを、釈尊は指摘しているのです。そのような考えは、現実離れした”魔法”であり、仏法ではありません。

悩み、苦しみを自分の成長の糧としていくか、うろたえてますます苦悩を大きくしていくのか、そこに違いがあります。正しい智慧を持たない人は、楽しみも、自分を束縛するものにしてしまうでしょう。

人生の悩みに、正しい智慧を持って真正面から忍耐強く立ち向かうことによって、自己を鍛えることの大切さを説いたのが仏の智慧なのです。

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