5月1日
 まことにめでたいことに、引越しも無事終わり、念願のYahooにも推薦することが出来ましたm(;_;)m。前のプロバイダでは、推薦の作業すら出来なかったんですよね。「このサイトのアドレスは不正規です」なんて言われちて。ま、AOLもいいところは沢山あるんだけどね、なんかビル・ゲイツに楯突いているって評判よ。
 GWのさなかではありますが、私、徹夜で引越しと、Yahooの登録作業を行っていて、目がしょぼしょぼしています。そのくせ映画のビデオはしっかり観ていたりします。昨夜は『アイズ・ワイド・シャット』。スタンリー・キューブリック監督の遺作です。まあ、監督の急死がなかったら、さして評価もされんかったような
駄作ですね。長かったし、その割にたいした内容でもなかった。内容はないよお(ああ、また偏頭痛が)。
 さて、某大学ミステリ研究会の皆さんには、新しい掲示板をご用意致しました(化人のHP内)。好きなこと書いてもいいけど、ネチケットは守ってね。あと、必ず日曜の夜にその週の予定や、行事を書きこみますので、予定に直前変更などもあるやもしれません。だから月曜くらいには目を通してね。

5月2日
 まー、連休だと日記がはかが行くわ。書評のほうも書けよって、もう誰も突っ込んでくれないのよね。さびし…。
 最近、怪奇作家・倉阪鬼一郎が元気です。倉阪氏は1997年、『百鬼譚の夜』(出版芸術社)でブレイクし、翌年の『赤い額縁』(幻冬舎)でその作家としての位置を不動にしたのですが(褒め過ぎ)、去年はエッセイも含めて5冊、という隔月刊行ペース。今年は既に3冊上梓し、HP「Weird World」(「牛込櫻会館」内)の日記を見ると、どうやら年内にあと6冊出版されるかもしれないらしい濫発ぶり。
 一度1987年に『地底の鰐、天上の蛇』(幻想文学出版会)でデヴューしたものの、その後10年を逼塞せざるを得なかった鬱屈が爆発しているかのような勢いです。まだ正直、代表作と呼べる作品には恵まれていない気もするのですが、要注意の作家であることは変わりません。ほとんどの作品はハードカバーですが、『死の影』(廣済堂文庫)や『迷宮』(講談社ノベルス)といった廉価版書き下ろし作品もあり、その辺から手にとってみては如何でしょうか。
 最初からこの「幻想ミステリ博物館」を見て下さっている方なら、最初の頃のコンテンツに倉阪氏もあったのを覚えておいででしょうね。重要な作家になりそうな気配なので、いずれまた折を見てコンテンツに復活させることとしましょう。
 なお倉阪氏、数々の奇行(?)でも知られ、黒猫のぬいぐるみ・ミーコ嬢を秘書に、お出かけしたりするらしいです。サイン会やオフ会などもぬいぐるみ同伴で来るらしい。それにかつて会社づとめをしていた頃のことを綴った『活字狂想曲』(時事通信社)は奇行のオンパレード。その上、涙なしでは読めません。

5月7日
 このHPに日記を載せようと決めたとき、時事批評だけはするまいと思ったのでした。私は怒り始めると止まらなくなってしまうから。色々と義憤に駆られることは多いけれど、このサイトのカラーと言うものもあるので、あんまり真面目な話題は合わないのです。
 でもこのGW中に起きた事件はあまりにも酷いですね。血管に温かい血が通っていないかのような少年たちの犯した犯罪。私は平成の最初の頃からずっと、「想像力の欠如が非人間的な犯罪を生む」と言い続けてきましたが、近頃はまさにその通りの様相を呈してきました。人間として感じる痛みの感覚が脱落した者たちが存在するという恐怖を味わいました。いったいこの先、どんな時代が待っているのでしょうか。
 私はミステリや幻想文学がゴハンのような生活を送っていますが、まさかそこに描かれた世界が具現するとは思っていません。ところがゲームやアニメ、映画といった映像ヴァーチャル文化は、まさに存在し得ないものの具現化をいともたやすく行ってくれます。その結果、与えられる反社会的な知識に無批判な層が生まれます。私たちが日々守って行かねばならない規範を、ただの障害物としてしか見做せないのは、人格的に大いに問題があります。そんな人格を不幸にも持ってしまった人間を如何に矯正するか、がこれから必要な措置ではないでしょうか。重大な犯罪を犯したから即死刑というのも私は反対ですが、こう次から次へと血も涙もない事件が多発したのでは、死刑廃止論など風前の灯です。平成時代の理由なき残虐犯罪に対して、人道的な思想―ヒューマニズム―は無力に思えてなりません。
 「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」。『論語』の孔子の言葉です。死を知らぬ子供たちは、死を軽んじ、時には弄びます。かつて大家族で住んでいた時代、子供たちは老人の老いさらばえて死んで行く姿を目の当たりにして、死の厳粛さ、死に行く人の痛みを知ったのでした。現代は核家族化が進み、子供が老人にかかわる事も少なくなりました。万事が一事そうと言うつもりはありませんが、死を正しく知ることこそ、この荒んだ時代の救命策になるのではないかと思うのです。

5月17日
 なんか今日はへこんでいます。私は言いたいことをちゃんと言えない、だらしのない人間です。エラそうに書評書いたりリーダー面出来る人間ではありません。今日も社会人の読書サークルに出たのですが、言いたいことの10%も言えぬまま、すごすごと帰ってきました。そればかりか、年齢層の高い人たちへの当てこすりめいたことを言ってしまい、講師の先生(評論家のK氏)に叱られました。
 私はだめな人間です。文学だけが拠り所だと思って生きてきましたが、時々慣れぬ場所で失言したりして、自己嫌悪の嵐が吹き荒れることがあるのです。
 もう…。みんな、俺のことはほっといて。明日は蒲団の中で一日過ごしてるかもしれません。でもそんなことではドツボから抜け出れないでしょう。嗚呼…。

5月21日
 今日、ノンフィクションを一冊、読み終えました。佐野眞一の『東電OL殺人事件』(新潮社)です。実はこの本、本屋の平積みの棚で私を呼んでいたのです。予想通りの面白さでした。
 この事件は私も、発生当初からかなり関心を持っていました。良家に育ったエリートOLが、夜は立ちんぼの売春婦に身をやつして何年も身体を売り続け、結果、渋谷円山町の一角、淋しいアパートの一室で殺されたというものです。当時から週刊誌に興味本位で取り上げられて、ワイドショウなどを賑わせた事件でもあります。
 本書はその最初に、坂口安吾の『堕落論』の一節が引用されていて、なるほど、私もその安吾の言葉に思わず惹き込まれたものです。ここに安吾の文を引いておきます。
「堕落自体は悪いことにきまっているが、モトデをかけずにホンモノをつかみだすことはできない。表面の綺麗ごとで真実の代償を求めることは無理であり、血を賭け、肉を賭け、真実の悲鳴を賭けねばならぬ。堕落すべき時には、まっとうに、まっさかさまに堕ちねばならぬ。道義頽廃、混乱せよ。血を流し、毒にまみれよ。先ず地獄の門をくぐって天国へよじ登らねばならない。手と足の二十本の爪を血ににじませ、はぎ落として、じりじりと天国へ近づく以外に道があろうか」。
 人間がいかにして堕落し、そしてその中で限りない聖性を放つか、そのことをテーマとした、まさに戦慄の一書です。
 また、日本警察のどうしようもない特性を暴き立てた告発の書でもあります。外国人差別、代用監獄問題、冤罪。あまりにもドラマティックな事件だったと申せましょう。
 作家の創作意欲を書きたてる事件と見えて、この事件は鳴海章の『鹹湖』や久間十義の『ダブルフェイス』などで小説化されていますが、いずれも被害者の心の闇に焦点を当てた作品でした。とにかくおすすめなノンフィクションです。我々もこんな心の闇を持っているかもしれないと、戦慄して戴きたいものです。

5月26日
 最近話題のドラマと言えば、TBS系の『QUIZ』でしょうか。誘拐事件をゲーム感覚で楽しむ、見えない犯人を追うのは、切れやすいサイコ刑事、という、いかにも今時な設定です。『ケイゾク』の路線を狙ったものですね。
 でも、笑っちゃうのが登場人物の名前。宮部夏彦とか緒沢在昌とか、ミステリ作家をもじった名前に苦笑です。高野舞(『らせん』?)なんてのもいて、「おい!」って感じです。
 こういうパロディともギャグともつかぬネーミングを見ているとなんだか、想像力ってナニ? って思っちゃいます。ドラマ自体も、残虐な部分が多くって、今時だねえ、と感心してしまうのです。現実が先かフィクションが先か、よく判らないのが今の時代なんでしょうかね。

5月30日
 私事で恐縮なのですが、また怪我をしてしまいました。1月に転んで頭に大きな裂傷を負う事故を起こしたばかりと言うのに、今度は足です。左の脛の靭帯を痛めてしまいました。切れてはいないのですが、2、3週間入院して安静と言うことで、この日記の更新もしばらくお休みさせて戴きます。
 ここ数日、歩けないので家から出ることも出来ず、TVを眺める毎日です。こんな時に限って、ニュースは悲しい陰惨なものばかり。「テレビやラジオが毎日告げるのは/悲しい事件ばかり/命は軽くなるばかり」とさだまさしが「聖域(サンクチュアリ)」で歌っていますが、まさにそんな感じ。
 でも自分の心の中も均斉が取れていて、安定しているかと言うと、今までの日記の通りで、そんな平穏とは縁がない状態だったりします。何故、心の飢餓感から人は逃れえないのでしょうか。不安、憎しみ、充たされなさ。そんな心を汚すものたちと日々を過ごしています。どうして?
 答えが見つからない時は、仕方がないから寝て忘れることにいたしましょう。