7月9日
 ようやくHPにカムバックできました。実は、実家で療養するにあたって、ホームページ・ビルダーをちゃあんと持っていったのですが、肝心のサーバ名などを記した書類を忘れて、全く更新できなかったのです。
 それで日記も、6月分はまるまるお休みになってしまいました。
 思い返せば、一ヶ月半前、怪我をして入院(結局実家での療養)という事態になった時、まさかこんなに長くお休みを戴くとは考えてもいなかったのです。でも、私は体重があるせいで思うように怪我が治らず、ここまで来てしまったのです。今もまだ片手杖(クラッチ)が取れていません。不自由な身でまたひとり暮しをするのは不安ですが、いつまでも親の世話にもなっていられないし、とりあえず復帰です。
 でも、健康な時なら十分とかからない駅まで歩くのすら大変です。本屋さんもなかなかいけません。半月板損傷は、プロの運動選手なら選手生命を棒に振るような大怪我なのです。
 けれども、実家に帰るとき、親に迎えに来てもらって有り難かったし、空港の職員やスチュワーデスの皆さんにお世話になって、口では言い表せないほど感謝しています。俄かに身体障害者になってみて、やはり、大変さと人の親切をしみじみと感じました。
 この一ヶ月半、他の仕事や論文を忘れ、一心にミステリを読んでいました。そして日がないちにちパソコンで古本をサーチして、今まで探していた本をあらかた手に入れました。これで我が「幻想ミステリ博物館」の充実も図れようと言うものです。
 特に『虚無への供物』の初版本と、日影の『一丁倫敦殺人事件』が入手できたことは、欣快に耐えません。うふふふ、とほくそ笑みながら本を撫で返したりしています。
 という訳で、これからもひとつ、宜しくお願い致します。ちなみにまだYahooには登録できていません。もう訳わからん。

8月3日
 まあ、どうしたことでしょう。せっかく帰京したと思ったら、今度はパソコンがクラッシュ。おかげでまた一月ばかり間があきました。
 文句を言っても仕方ないので、言いません。私は再びネットが見れるようになっただけで、感動です。これでまたHPの更新が出来るかと思うと、涙が出ます(うそ)。これから今年の後半は忙しくなるので、今のうちに書評などの面で充実を図っておきたいものです。日影丈吉の長編のあらすじなど一両日中にUPできたらいいな、と…。

8月7日
 週末もパソ子さんのご機嫌取りに追われていました。ほんとに気難しいっつうか、気まぐれってゆっか、よく壊れてくださって、おほほほほ、私もキレる寸前よ。いきなりモデムが消えていたのには、びっくり。なんかマズいことでもしたっけ? イヤガラセされてるみたいで、内心穏やかではないって。
 また今週半ばから田舎へ帰ってきますが、今回は更新を絶やさぬよう、ちゃんとHP関連書類を持っていこうと思います。日影のちょっぴりの更新だけでは、いずれ大きなサーチエンジンに登録するときに恥ずかしいからね。もっと充実を…。
 それにしても、暑いですね。私はあんまり家から出れないので、エアコンの効いた環境で一日中過ごすことも多いのですが、一歩でも外に出たなら、炎熱ぢごく。もう立秋だってのに、暑さは増すばかり。夏らしくっていいのかもね。海にも山にも縁のない今年です。
 昨日、谷川岳で鉄砲水の事故がありました。私も山国育ちですので、鉄砲水の怖さは経験済みです。水の中にもぐってやり過ごすという方法もあるのですが、やはり天気があやしい時は、川に近づかないことですね。私の田舎の川は普段はたいしたことないのですが、鉄砲水の時には水かさが倍くらいに膨れ上がったものです。おおこわ。

8月16日
 ほぼ十日ぶりに日記を書いています。日記というと毎日書かなけりゃならないもののように思われがちですが、私の専門の平安日記文学なぞを見ましても、毎日せこせこと綴るもんではないということが判ります。なんちゃって、とっても言い訳。めんどうくさがりやさん。
 夏も半分過ぎてしまい、そろそろ夜の空気などに秋を感じる季節となってきました。俳句の季語に「夜の秋」とあるのも、こんな夏の夜に忍び込む秋の気配のことでしょう。今、山の中の実家にいるもので、ことに秋の気配が感じられて、GOODですな。
 昨日までお盆でした。あちこちでお祭りがあったり、花火が上がったり、いやもう、生きてる人も死んでる人もともに、交歓のときですね。別に思い出したい死者がいるということでもないのですが、お盆の独特の雰囲気はいいものです。生死一如というのは仏教の言葉ですが、まさにそんな感じ。現代人は死を忘れようとして文明を築いてきたのですが、死を遠ざけた環境に生まれ育つと、人間は死への尊厳を失ってしまいます。昨今の世相を見ていると、死を忘れた人間の愚かさばかりが目に付くのですが…。

8月21日
 最近、かつて親しかった人たちの夢を見ます。夢に現れるということは、その人たちが遠くなってしまったことの証明の、何もの以外でもないのですが、心が激しい空虚感に襲われます。かつて語り明かした友人、深く思いを通わせた恋人、みんな疎遠になった人ばかり。今私が彼らに悩みを打ち明けようとしたところで、多分、話も聞いてはくれぬだろうという失望。懐かしさを感じながらも、おそらくぎこちないままで終わるだろう会話。などなど。
 私はもともと他人に対する依存度が高い性格で、そのため嫌な思いも一度ならず何度となく味わってきて、人間関係には慎重になってしまったきらいがあります。
 私の好きな作家で、アメリカの女流作家のカーソン・マッカラーズというひとがいます。彼女は並外れて人を愛する力を持った人だったようで、常に心頼れる人を欲しながら裏切られ、懊悩を持ちながら短い一生を終えました。彼女の作品はどれも、好きな人(恋愛だけではなく人間関係全般)との「WE=私たち」であることの喜びと、それが叶えられぬ悲哀を書いています。長編が生涯にみっつだけ(『心はさびしい狩人』『結婚式のメンバー』『針のない時計』)、中編がふたつ(『黄金の眼に映るもの』『悲しき酒場の唄』)、あとはいくつか短編を残しただけですが、どれも私は好きです。
 『結婚式のメンバー』という長編があります(邦訳は『夏の黄昏』で文庫にもなっています)。主人公の少女とふたりの友達との楽しい夏を描いたものですが、いずれはこの夏が終わってしまうことを少女は噛み締めています。永遠に「WE」でいられることなど、この世にはないのだと悟ったかのように…。
 遠くなった人たちの夢を見て、悲しい思いで眼が覚める。人生ってこんなわびしいものなのでしょうか。

8月22日
 夏の甲子園で、私の母校が優勝しました。卒業自体は十ン年前のことなので、もう直接の後輩とも言えないのですが、それでも嬉しいものは嬉しいですね。同級生たちも仕事ほったらかしで観戦に行ってたらしくって、携帯電話がうるさいっつの。おまえら、仕事サボるな!
 もう何度も優勝はしているので、初々しい感動はないのですが、今年の母校のチームは打撃力が凄まじかったようで、色々な記録も塗り替えたとか。二十世紀最後の優勝旗を手にした訳で、やはり特別な感慨があります。私も憂鬱な無気力症になってられないな。
 そういや、実家に滞在することほぼ二週間。ほとんど本を読んでいません。うーん、こりゃ重症だ。

8月27日
 とーとつですが、骨が好きです。と言っても焼き鳥屋のナンコツが好きとか、そういう話では、ないのよ〜(by茨城弁のオカマ、さとみちゃん)。
 私はおよそ骨の感じられない体格なのですが、骨を見るのが好きです。清潔な白い骨は、美しいとさえ思います。こんなこと言ってても、わからん人には永遠にわからんのでしょうが、私の夢はいつか、ボーン・コレクターになることです(うふふっ)。といっても某アメリカン・ベストセラーの『ボン・コレ』(略すとパスタみたーい、オッシャレ〜)に出てくる、力ワザ殺人鬼になりたいんでは、ないのよ〜。
 要するに、ホネ、を扱った小説のアンソロジーを編んでみたいのです。今、ここにかる〜くラインナップしてみませうか。
 ◎「骨」小松左京 集英社文庫『骨』
 ◎「雙笛」皆川博子 角川ホラー文庫『うろこの家』
 ◎「無妙記」深沢七郎 中公文庫『妖木犬山椒』
 ◎「復顔」草野唯雄 角川文庫『私の中のあいつ』
 ◎「花曝れ首」赤江瀑 講談社文庫『花曝れ首』
 ◎「骨餓身峠死人葛」野坂昭如 中公文庫『骨餓身峠死人葛
 ◎「私の骨」高橋克彦 角川ホラー文庫『私の骨』
 ◎「骨の肉」河野多惠子 講談社文芸文庫『骨の肉』
 ◎「脛骨」津原泰水 廣済堂文庫『異形コレクションW 屍者の行進』
 ◎「死の都」ダン・シモンズ 文春文庫『ブルー・ワールド』
 ◎「頭蓋骨に描いた絵」マッシモ・ボンテンペリ ちくま文庫『わが夢の女』
 ◎「詩人」テネシー・ウィリアムズ 白水社Uブックス『呪い』
という感じですが、他に魅力的な骨の話をご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ私にご連絡を…。女の作家が少ないので、そんな作品をぜひ!