もう眼が離せない 3月24日 
 もちろん、ホリえもんVS不痔テレビの戦いのことである。うーーん、東京高裁の「審尋」結果も出て、旗色が悪くなった不痔サイドであるが、なんと今度は、ソフトバンクが乱入? 面白い。面白すぎる。これじゃ場外乱闘デスマッチだぜ(喩え古い?)
 しかもニッポン放送援護射撃に、タモリ、エモやん、、倉本聰、あげくに、みゆき様まで出てくる始末。面白っ! なんだか単なる企業買収劇を超えた、エンターテイメントを見せてもらっている感じである。最近、ここまで他人事で暗くないエキサイトな話題はなかったもんな。もう地震だの、拉致だの、不祥事だのって話題はもうごめんだ!(私が少し、日々の暮らしに倦み疲れているせいかもしれないが…)
 まあ、まかり間違っても自分とこに火の粉が飛んでくるはずがないので、ここまでいい気になって喜んでいられるのだが、それにしても、企業っていったい誰のものなんだろう。堀江君の言うように株主のものか(なんかホリえもん、最近顔は穏やかだが眼が座ってる。総会屋よりこわいかもな)? それとも社員のもんか(ニッポン放送の社員たちのコメントがずれてていいね。今までテレビにぶら下がってきたラジオの甘さがもろに出てる)? 広告主? いや、創業者? ここまでくるともう魑魅魍魎である。年寄連中の言うような公共のもんではないことは確かだね。産経なんて、偏向がないなんて口が裂けても言えない新聞だよ。『新しい歴史教科書』とかネゴト言ってる右○だろ?
 その右○グループのところに、在日の孫さん率いるソフトバンクがおっとり刀でやってくるんだもの、すごい展開なのだよ。金持ちケンカせず、いえ、金持ちケンカ大好きって訳か?
 何言ってるのか訳わからなくなってきたが、日々、ニュースで爆笑できるなんてありがたい時代である。もうどっちが勝ってもいいから、最後の最後まで泥試合を見せてくれ、という気分である。
ホリえもん 2月23日 
 先週からのライブドアによるニッポン放送の株取得「事件」について、何か言いたくなったので一言。
 ライブドアの堀江社長が個人的に尊敬に値するとは思わないが(だいいち彼はなんと私の年下だしな)、それにしても彼をバッシングしているおっさん達のみっともなさ、あれは何だ? 特に口火を切った盛り前首相とあっそう総務大臣。「金で全てを買えると思うような戦後教育」だってさ。あんたらが一番金に塗れてんのとちゃうんかい。政治を金で動かしといて「金で何でも買えるのは間違い」とか言うな。自分たちの既得権益が脅かされるとでも思ってるのか。
 あと不痔テレビ会長。こいつも女子アナのアイドル化やつまらぬお笑い路線を突っ走って、今のおちゃらけテレビを作った張本人。こいつにだけはエラソウなこと言われたくないよな。カラー紙面だけが取り得のヘタレ新聞にもなあ。
 資本主義社会で当たり前のことをやってバッシングされるんだから、ほんとこの国遅れてる。てか、国民はそこまでバカじゃないよね。街頭インタヴューとかでも意外とホリえもん支持が多いのね。既得権益にしがみつくオサーンどもには、そろそろお墓に行ってもらわないとダメかもね。なんとなくヘタな判官贔屓みたいでやなんだけど、今回ばかりはホリえもんがまともに見えますね。実はまともではないのかもしれないけれど、もっととち狂った人たちが一斉に吠え出したからそう見えちゃうのかな。
 それにしてもホリえもん、口下手すぎ。キャンキャン五月蝿いオッサンたちを逆撫でするようなことばっかり言ってちゃまずいっしょ。その辺まだ青いのよね〜〜。ん〜〜もうちょっとしたらわかるわ、オトナの口のズルさ(笑)
 やはりこの国ヘンだね。ドラえも〜〜ん。バカにつける薬はないのかなあ。なさそうですね。では狂はこれまで。
『オペラ座の怪人』 2月6日 
 ガストン・ルルーの、というか、アンドリュー・ロイド・ウェバーの『オペラ座の怪人』の映画化、観て来ました。なかなかの迫力で、楽しめました。
 開巻、何故か1919年(第1次大戦中かな?)のオペラ座のオークションがモノクロで映され、寂れ果てたオペラ座にかつて怪人と対決したシャニー子爵の姿が。彼はかつての怪人事件の形見を競り落としに来ていたのでした。惨劇の中心となったシャンデリアが競りにかけられ、再び灯りを点された瞬間、シャンデリアは空中に舞い、埃にまみれていたオペラ座がかつての姿を取り戻し、いっきに時空は遡り、怪人の噂で持ち切りの1871年に変わります。そこに荘厳に鳴り響くのがあの有名な「オペラ座の怪人のテーマ」。このオープニングで鳥肌が立ちました。
 かの名作ミュージカルの曲をほとんど網羅したようで、時には話の流れをさえぎってまで歌が歌われるのには苦笑しましたが(少し眠気にも襲われたりして)、どれも有名かつ耳に美しい曲ばかりで、陶酔のひと時でした。
 実は前の晩、おさらいにとルルーの原作(私の読んだのはハヤカワミステリ文庫の日影丈吉訳)を紐解いていたのですが、これまた久しぶりで面白く、朝まで読み耽ってしまった次第。原作は原作でサスペンスフルなスリラーなのですが、映画は怪人とラウル・シャニーとクリスティーヌの三角関係の話に集約されていて、これはこれで愛のもつれを荘重な調べに乗せて描いた怪奇ロマンス、満足しました。
 わけても怪人が、原作では黄金バットみたいな容貌のガイコツ怪物として書かれているのに、映画はバンデラスばりでかっこ良過ぎて、恋人役のラウルを食っちゃってました。途中から怪人に感情移入して見ていると、まさに感涙ものでしたね。ただ歌はどうだろう。怪人役のジェラルド・バトラーはドスとコブシの効いた声で、ちょっと甘さに足りなかったかな?作中「音楽の天使」とも喩えられるんだから、もすこし歌声の綺麗な人を使ったほうがよかったかもね。
 監督のジョエル・シューマカーも前の作品『フォーン・ブース』とはえらい金のかけ方違ってて、豪華絢爛金襴緞子なセットは大満足でした。エンターテイメントの王道ですね。唯一の難点は戸田なっちの字幕。乙女クリスティーヌに「情熱のプレイを〜」とか歌わせるなっちゅの。なっちったらいっつも直訳誤訳でザツなんだから〜。
 ところで相方が、怪人の髪がマスクをつけている時と外した時で違っていると言ってました。ファントム、劇中でヅラだったのか?マスクとともにシブい髪(ヅラ)も外れてしまったのね!髪ングアウト?だからクリスティーヌに愛されなかったのか。気の毒なファントム…。
『ゴシック・ハート』トークセッション 1月31日 
 高原英理氏の新刊『ゴシック・ハート』(講談社)の刊行を祝して、この週末の29日、池袋ジュンク堂の喫茶室でトークセッションが開催されました。お相手は『幻想文学』『幽』の編集長・東雅夫氏。かなりヘヴィーな幻想者の集まりとなったようでした(どこかで見た顔ばっかり)。一緒に参加したのは、津紫地YANこと、友人のS氏です。近頃では純文学やら幻想文学やらについてまともに語れる人が廻りに少なく、S氏とはよくこの種の話題で花が咲いております。
 高原氏をご存知ない向きに説明申し上げると、幻想文学の評論家として『少女領域』(国書刊行会)『無垢の力』(講談社)の著書を持ち、なおかつ幻想文学の書き手として、「少女のための鏖殺作法」で1985年に幻想文学新人賞を受けたという伝説の持ち主であります。
 さて新刊の『ゴシック・ハート』ですが、卒読の謗りを免れ得ませんが、一言で言うなら、ゴシックの心を持ち合わせたと高原氏が考える文学・音楽・美術・映画などについて広く語った、ゴスの入門書的作品です。語り口は澁澤龍彦の如く好奇の心をくすぐる軽やかさで、楽しい本です。ゴスのルーツである西欧のゴシック・ロマンスについても要領よく触れられており、初学者もディープな幻想者もそれぞれのレベルに応じて満足できる一冊です。
ちびクトゥルーちゃん 今回のトークセッションは、早稲田系幻想文学会のドンである東へんしうちょがお相手なのですから、まさに伝説上の逸話が取り上げられていて、私よりひとまわり近く年が若いS氏には歴史上人物と言ってよい澁澤や中井英夫の話が語られているのは、実に新鮮なことだったそうです(本人談)。倉阪や岩井といった売れっ子作家の話も出て、サービス満点でした。最近話題の某作家も会場に見えていたようですし。
 狭い喫茶室は40人を超える幻想文学愛好家でいっぱいで、高原・東両氏を目の前にしてのセッションで、贅沢な一時間半だったのですが、両氏の座る真ん中にもにゃもにゃとした緑のヌイグルミが鎮座していました(右画像)。事情をご存知の方と思しき女性がそのヌイについて質問しますと、高原氏が「ちびクトゥルーちゃんです」と笑いを取っておられました。
 それから「これはある人の遺品です」と高原氏はさりげない口調で仰いました。『ゴシック・ハート』の中で高原氏にインスピレーションを与えた女性として登場する人のものだな、と私はS氏とひそひそ。彼女は在野の幻想文学評論家と言ってよい人で、その愛書的日記がHPとして今でも閲覧可能に保たれているのです。ハンドルネーム二階堂奥歯として、知る人ぞ知る有名人だった人です。
 2003年春に飛び降り自殺を遂げた彼女の日記は、ひとりの幻視者の裸の魂の壮絶な戦いの記録であり、私などのようにまだまだケツが青いとは言え、うつし世を耐え忍んで生きねばならない半端者の自覚があるとやはり、心に訴えてくるものです。
 振り返ってみれば、いずれの幻想文学者も社会現実に絶えず悩まされ、彼岸を幻視して生き果せたもので、そんな茨の道を歩む生き方がゴシックの心なのだと、改めて感じ入りました。
 さて身辺を振り返れば、S氏も帰郷されるとかで、文学仲間を持たぬ私はうたた寂しさを禁じ得ないのですが、これもまた茨の道なればいたしかたあるまい、と思うばかりです。近頃は相方のT氏(この日記にも度々登場しますね)と休日を過ごすことが多いのですが、たまにはこんな内省的な日もいいかなと思います。ちなみにトーク・セッション前にS氏と駄弁ってる最中、上唇にじんましんが出て腫れちゃいました。思わずジャンヌ・モローになってしまった私であります(笑)
じんましんでチョーさん 1月28日 
 寒くなると私はよくじんましんに悩まされるのです。体じゅう至るところにボコボコと赤い発疹が出て、痒いやらみっともないやら、ナンギなことでおま。西のほうでは方言で「ほろせ」等とも言いますが、ホンマにほろほろ悲しい気分になりますね。
 しかも「固定蕁麻疹」なるものもあって、体調が不調になると例えば手の甲の親指の付け根などにボコッと巨大じんましんが出るのです。
 さて、今年はいつになく寒さが厳しいのか、ここ二週間ほどひっきりなしにじんましんに悩まされていますが、問題はその出る場所! じんましんって皮膚の表面ならどこにでも出るのです。しかも、これ出てる時は、体表のみならず体内の粘膜などにも出てると言うことです。胃や腸の中にもまんべんなくボコボコが出ているところを想像するだにグロいのですが、それにもまして変なところに!
 実は先週からクチビルに出るようになったのです。うへ、なんじゃ、こりゃ、朝起きると、唇が痒くて腫れてタラコになってんの。ものすごお〜くみっともないです(泣)。まるでいかりや長介の唇よ。朝っぱらからじんましんでチョーさんに変身なんて、おっしゃれじゃん(誰も思わんわ!!!)。だめだ、こりゃ〜〜〜…
 で、チョーさんの次は、顎に出ました。顎がみごとに腫れ上がって先割ゴッキンに! おお! マイケル・ダグラスのよな見事な先割に! それから耳の中にも出ましたね。耳掻きで掻くにも掻けず、思わず悶えちゃいました。
 なんでこうなるの〜〜〜〜〜! 冬にもかかわらずアイスを食べたりするのが悪いのかっ? それとも寝相悪くて腹ほりだして寝てるからかっ? とにかく痒くてミジメなので、カルシウム剤など買ってきて服んでる毎日です。ああ、早くあったかくなんないかねえ…
『富豪刑事』 1月21日 
 今クールのドラマで、私が唯一見たいと思って最初から見ているのがこのドラマ。しょっぱい(誉めてんのよ)!しょっぱいぞ、テレ朝!『ケイゾク』『TRICK』の完全二番煎じ臭さプンプンだが、そこがチープでいいのですね。堤幸彦はもう絡んでないので、いかにも先端なショットとかはないのだが、深田恭子にきめ科白「ちょっとよろしいでしょうか?」をシツコク言わせるのはなかなか。ただ中谷美紀や仲間由紀恵みたいな芸達者が主役でないので(深キョン、すまんな。でもほんまのことじゃ)、少しツライけどね。
 ところでこれ、筒井康隆の名作『富豪刑事』(新潮文庫)がいちおう原作なのですが、原作って、短編4編の連作のみで終わってて、それを消化してしまったらその先どうすんでしょうか。富豪の孫が刑事という設定を借りただけの『TRICK』となってしまうのか?(だったら山田奈緒子と上田次郎を出せ)
 しかし、昔から何故か映像化されなかった『富豪刑事』ですが、小耳に挟んだ話では、原作者が映像化を渋っていたと言われてたのに、なんだかあっさりと映像化されちゃって。まあ、二時間サスペンス系のアホリアリズムのお手軽ミステリドラマには到底出来ない設定だし、きっと時機が来るのを待っていたのだな、といいように解釈しておきましょうか。確かに、『金田一少年』以降の謎解き(もどき)ドラマの流れは、パズラー・マニアとしては、その軽いノリに辟易しながらも、いつしか慣らされちゃって楽しみになってたような具合ですしね。
 で、視聴率もスカ子のスカスカドラマ『渡る○○は○ばかり』を抜いたそうで、いやこれは期待大。毎回、大富豪のうなる金にモノを言わせた、奇天烈な捜査方法を編み出してもらいたいもんです。やっぱりケレンたっぷりの謎解きって面白いですね〜。
立原正秋再読 1月15日 
 久々の休みに何か心洗われるものを読みたいと思い、十数年ぶりに書棚から取り出してきたのが立原正秋の文庫だった。遺作となった長編『その年の冬』(講談社文庫)。読売新聞連載中に作者が闘病を余儀なくされ中絶した作品である。立原の端正な文章に、かつて文学を知り初めた頃の初々しい気持が甦る。やはり自分に向いている文体と、そうでないものの差は歴然としてあるのだと思った。馴染の文体は頭に心にすいすいと水の如く吸い込まれてゆく。最近は無理して色んな作家を読むようにしているので、殊更美味く感じるのかもしれない。
 小説のストーリーは、立原文学の王道、中年男女の精神的ステージの高い恋愛である。立原文学は総じて情痴小説という評価もあるが、即物的(エロ)描写の多い渡辺淳一などと違って、古典に根差した精神的風土が魅力だろうか。性愛、ではないのである。ましてや情痴でもない。あくまで、愛。しかも最近の子供じみた純愛小説など及びもつかない奥深さは、やはり大人が観賞すべき類のものだろう。未成年入るべからずの境地か。
 この作品は大人のメルヘンとも称される非現実的な面も持っていて、理想郷を築かんとする主人公たちの立場が見事に食物に集約されている。素朴だが手の込んだ美味の数々が主人公、深津荒太によって紹介される。作品中の食物に関しては、立原の子息・潮氏の幾冊かの料理本や『立原正秋食通事典』なる巻も編まれているので、しろうとでも再現できそうだ。
 昨今、立原の文庫が本屋の棚から消えて久しいが、単なる流行作家として忘れ去られるような作家ではないと私は切に思っている。この文章の美しさは、心有る多くの方にぜひとも味わっていただきたい。