女に生まれて喜んでくれたのは 9月6日 
 なんかね、スルーしちゃいましょと思ってたのだけど、余りにもメディアが大騒ぎしてるでしょ。バーバラ姐さん、むかついて書いてます。某宮家に男の子が生まれたってね。へえ、そりゃめでたいね。でも親族じゃないイパーンタイシューまで何騒いでんの。この子で将来の天皇陛下決まりなんですか?
 ていうか、ちょっと前まで皇太子んとこのお子が女帝になるって、論議してたのどこ行ったの?自分が生きてる間に、十二単におすべらかしの女帝が見れるって喜んでたワタクシの期待を、よくも裏切ってくれたわね。
 そんで、今までさんざん槍玉に挙げられてきた女腹のプリンセスはどうなるの?つまり、M子さんとA子さん母娘ね。斎宮にでもして、伊勢にほかすんですか?テキトーな男に押し付けて追っ払うの?今日から私、フツーの民間人になりますってか?そりゃもう、M子さん、永久にオランダに逃げてたかったでしょうねえ。
 もうね、はっきりと誰か、ああいう「時代遅れの御簾の中を開け」って言ったほうがいいと思う。ドラマの大奥じゃあるまいし、お世継ぎがどうの、なんて世迷い言、21世紀の今になって聞かされると思ってなかった。
 私ゃなにも今すぐ皇室を撤廃しろって論者じゃありませんが、こんな世迷い言吐くオッサンたちが政治屋やってる今のあの国って、真の自由な未来がないと思う。そもそも男の子のほうがありがたいってのは、軍隊作る時の発想、お世継ぎから徴兵制まで、すぐそこよ!あんたたち、こんな時代に生まれたことを呪いたくなる日が、いつか来ると思うわ!
 昭和ヒトケタ生まれのうちの両親も、さぞ今日は一日親王誕生報道を楽しまれたことと存じますが、気持ち悪い皇室報道特有の敬語が溢れ返っていて、ワタクシなんぞゲロ吐きそうになりますた。
 本日の日記のタイトルになったのは、中島みゆき様昭和61年の御作「やまねこ」の歌い出しです。大いなる皮肉をこめて、ここに1コーラス目の歌詞を引用して差し上げるといたしましょう。
   女に生まれて喜んでくれたのは/菓子屋とドレス屋と女衒(ぜげん)と女たらし
   嵐あけの如月 壁の割れた産室/生まれ落ちて最初に聞いた声は落胆の溜息だった
   傷つけるための爪だけが/抜けない棘のように光る
   天(そら)からもらった贈り物が/この爪だけなんて この爪だけなんて

 ワタクシも医者の家のお世継ぎに生まれて、挙句医者にならずに医家を潰したもんで、いまだに親や親類にネチネチ言われて、男に生まれて楽しいことってのもあんまりないんですが(女と結婚せず跡継ぎを作らない、ってのが、生まれ育った状況に対する私の最大の復讐、絶えてしまえこんな家、ざまあみろです)、ああいう時代錯誤の御簾の奥に女として生まれることの悔しさは、到底わかりかねます。
 それに、人間滅亡教教祖・深沢七郎センセーも「子供を二人以上持つ奴は悪人だと思う」と仰っています。生めよ増やせよ地に満てよ、という国策的発想が諸悪の根源である、とヒチローさんは言ってるのですね。誰に対する皮肉かしら、何をか言わんや。
 ここまで悪態ついたら、吉外から放火されそうな過激なことだとわかって書いてますが、書かずにいられません。このような泡沫サイトで吼えてもまあ、だれも見てないでしょう。掲示板もブログもないので炎上しようがないし、メールも頂戴していません。
 しかしまあ…逆シックスナインの日に生まれたのね。いつかこの日が天皇誕生日になるんでしょうか。本日の爆弾日記でした。
うどん雑感 幻のT食堂 9月1日 
 思い起こせば、私の故郷の町には食いもん屋はかつて一軒しかなかった。おん年96の婆様が語るには、昔むかしのその昔(江戸時代?)は、市場街として賑わっていたので食べもんも沢山あったそうなのだが(洋食屋や弁当屋、饅頭屋も複数あったらしい)、私の幼少の頃は既に過疎が進んで、まともな食堂は一軒しかない状態になっていた。メニューはウドン、ラーメン、関東だき(オデンですな)、定食も多少ありました。
 そのT食堂のことは、かつて沖縄日記でちらと触れたことがあるが、ほんまに狭くてほんまにキタナかった。店は役場の前にあって、昼になると勤めの人で混んだが、うちの家族は近所だったのに、一度も店に足を運ばなかった。出前の岡持ちでいつでもうどんのラーメンのを取っていた。その岡持ちも、江戸時代からつこてんのか、というくらい、古くてボロボロで、時として中のウドンごと底板が抜けるシロモノだった。出前取って運んできたらイリュージョンだったりする訳だ。
 ここのラーメンはね……、子供心に「これなんかちゃう…」と呟いたくらいのシロモンで、うちの田舎は和歌山なのだが、和歌山でも山の中のとんでもないとこなので、今はやりの和歌山ラーメンでもない、他でもついぞ喰ったことのない、ある種独特のウドンハイブリッドなラーメンだった…。たまにしか食わしてもらえない徳島製粉の「金ちゃんラーメン」のほうがまだましな味がした…つまり、インスタントに負けてました。
 でも、ここのウドン、わりといけてたのだ。だしはコブとカツオの淡いだし、アゲとカマボコと青葱のっただけのキツネウドンだったが、聞けば、T食、麺は自家製だったとか。そうね、そうね、うちの田舎みたいに僻地まで、麺を配達してくれるキトクな製麺所はないもんね。だから、平成の初めごろ、Tのご主人が山仕事中に倒木に引き倒されて死んじゃってからは、店も一巻の終わり、あのウドンも幻となった。
 今度、さぬきにウドンを喰いに行くのだが、多分、Tんとこみたいなおそろしげな店ばっかりなのだな、と思うと、体がむずむずするような奇妙な感覚を覚える。懐かしいのか? それともびびってるのか? こんな便利な都会で身も心も爛れ切った私に、あのシンプルな味が評価できるというのか。さて、それは行ってみないことにはわからない。本やネットで調べた感じからすると、さしづめ、僻地代表の谷川米穀店など、私が懐かしすぎて涙ちょちょぎれるかもしれません。
うどん魂(ダマ)に導かれて 8月30日 
 日曜に映画『UDON』を見てしまいました。うどん、よ、うどん、最初にテレビのCMでタイトル見た時は、アンドゥとか誤読してしまいました(お絵かきソフトのコマンドじゃねーっつーの)。今でもそう思っている人は勝手にアンドゥして、何度でも人生やりなおしててください。で、ウドンね。
 この日はほんとはプールに行くつもりだったのですが、あまりの涼しさに身の危険を感じて、映画に行くことになって、前日から公開の『UDON』に行っちゃったのです。
 最初は期待してませんでした。だって、『踊る大捜査線』の監督じゃろ? わしゃ、あんまりあの手のドラマから出た映画は高く評価できないの。ブームだから取り上げてみました、ではイヤなのね。麺愛を感じられる映画になっていたのか否か。
 で、どうだったって? …あまり期待していなかった分、わりと面白かったかも。ちょっと泣かせも入ってて、うるうるきました。何よりうどんの食いっぷりよし。主演はユースケ・サンタマリアと小西真奈美、それにトータス松本。まあ、ウルフルズのヒット曲歌う場面は蛇足でしたが。出てくるうどんのうまそうなこと。
 埼玉は若葉のシネコンに行ったのですが、客の入りはまばら。子供連れも勘違いして来ているけど、基本的にコンセプトの見えづらい映画なので、客層ばらばら。来てる人みんな、そんなにウドン好きって訳じゃないよね。関東はなにせ蕎麦の王国だからね。
 この映画をこれからもしご覧になるとしたら、まず、原作の『恐るべきさぬきうどん 麺地創造の巻』『恐るべきさぬきうどん 麺地巡礼の巻』(新潮文庫 著者・麺通団)の二冊を読んでから見に行くことを、オススメします。麺通団の面々の実体験した、うどん絡みのお笑いエピソードが、そっくりそのまま映像化されていて、くすくす笑えます。逆に言えば、これ読んでないと全然オモロないかもな〜。悪いことは言わんから、読んでからいきなさーい。
 映画を見終わって、私と相方は猛烈にうどん食べたい病に取り憑かれたのです。こうなることはわかりきっていたのですが、映画がひけたのは夜の7時過ぎ、さぬきうどん系のちゃんとしたうどん屋はたいがい閉まっています。映画館の入ってるショッピングモールの中の立ち食いウドンに、何故か行列が出来てましたが、ここで喰ったら負け犬とスルーして、相方が見かけた夜もやってるさぬきうどんの専門店らしき店に車を走らせました。狭山まで…。とほほ。まさにうどん魂(玉、じゃないのよ!)の導きです。
 うどん屋はまだ営業してて、早速飛び込んで、かまたま! 多分、茹で置きだけど、けっこういけるうどん! 醤油と卵でシヤワセ。ずるずるっと瞬時に啜り終えて、次は冷やしたぬき。相方は冷やしちくわ。ぶっかけもまたよし。ずるずるずぞぞっ! もう一心不乱(^_^;)
 これでようやくうどん魂様も満足されたのか、腹八分になりました。
 しかも、わしら、来月麺地巡礼の旅に出ることまで、イキオイで決めてしまいました。いいのか人生そんなんで、いいのようどん魂様の導きだもの。脳内対話も成立したところで、乞うご期待。
新本格生みの親・宇山氏の訃報 8月7日 
 昨日の朝刊で皆様もご存知のことと思いますが、講談社の名物編集者、宇山秀雄(日出臣とも表記)氏が、今月3日、急逝されました。まだ62歳で、お酒が大好きだったからでもないでしょうが、肝硬変だったそうです。
 新本格ムーヴメントの生みの親、として有名なのはもちろんですが、当サイト的には、一部のファンにしか知られていなかった、中井英夫の『虚無への供物』を文庫化するために講談社に入社したという、伝説を記しておかねばなりません。彼がいなければ、今のように『虚無』が広く読んで親しまれ、「『虚無』の子ら」と言うべき作家たちが世に出ることもなかった訳です。
 ずいぶんとアクの強い人物だったようで、森雅裕の『推理小説常習犯』(現・講談社+α文庫)で、著者を干した張本人として名指しで非難されたりもしてますが(賛否両論ある本ですが、出版業界残酷物語としては、まあありそうなことだと思います)、『虚無』に惚れ込み中井を幻想ミステリの大家の道へ導いた功績は残るでしょう。
 三一書房の中井作品集(11巻本のほうね)のアルバムに、中井さんと楽しそうに語らう宇山氏の姿が収められています。今頃、酒聖だった中井さんとあの世で楽しくお酒でも飲まれていることでしょう。
2006年冷やしラーメンの旅 7月26日 
↑ちゅーしょーが ↑秘薬のかずかず
 それは五月、三社祭を見に行った日曜に序曲が奏でられていた!実は祭りは二の次、別に目的があったんです。
 東銀座にあるオサレ〜なカフェ「銀座プルーカフェ」で相方と私は、一杯のらあめんを啜っていた。かへと名のつくお店でらあめんでっせ。ああた、イキなかぷちーのじゃござんせんのよ。山形冷やしラーメン!!!
 その店のこだわり、魚介のうまみたっぷりの冷たいスープに、そのスープを凍らせた「スープ氷」をのっけた、五月にはちと涼しすぎなラーメンでした。でもね、わしのラーメン、大盛りにしたんでちょっと湯きりが甘くてぬるかったので、ちょうどよござんしたわ(^^;)
 なんだか気になる冷やしラーメン。甘酸っぱいタレの冷やし中華はもとよりあまり好まぬ私だが、冷たいうまうまスープは大歓迎。数年前から徐々に盛り上がりを見せている冷やしラーメン業界をちょこっと覗いてみたくなって、いろいろな店を探訪することとなりました。
 いつものなじみの池袋南口「光麺」の冷やし焦がし担担麺、これもいいですなあ。胡麻が濃厚な感じで私好み。
 代々木の「めじろ」の冷やしサワーラーメンにはまいった。ソーダサイフォンの中にごじまんのスープを冷たくしてぶちこんで、しゅわしゅわにして麺にまとわせる。うう、味わったことのない未知の味!めっちゃ涼しいっ!革命的?
 しかし色々味わってみて、これぞ芸術的とも言うべき冷やしにたどり着いたのです。それは東川口にある「むさし坊東川口店」のオリジナルメニュー、鶏白湯冷やし。う、う、美しい!ガラスのボウルの中に一幅の抽象画が!
 鶏白湯と豆乳をあわせたとろんとしたちゅめたいスープに、麺が浸っています。そしてそこにたよりなげに浮かぶ若葉のようなグレープシードオイル。
 スープはあるかなきかの塩気を感じるあっさり味。むしろ、これをうまくする秘薬が凝りに凝っていて、独創的。塩だれ、味噌だれ、醤油だれ。三種のつけだれにレモン、ライム、すだちの三種の柑橘のかほり、タバスコ、ハラペーニョ、スモークタバスコの三種のシゲキをそれぞれあわせて、白い薄衣をまとった麺にさらに色をまとわせて、王朝時代のかさねぎぬのようにして戴きます。これがまたうまい。
 よくもまあ、こんな冷やしラーメンを考えたもんだね。実は今回この店二度目だったりします。前回は画像を撮れなかったのです。それは何故か?くいもんに欲どおしい私が、画像撮る前にラーメン平らげてしまったからでした。はは。「むさし坊」さんは埼玉に3軒あるのですが、こういうオリジナルメニューは各店それぞれらしいので、芸術的冷やしラーメンに開眼したい方、ぜひ東川口まで足を運んでみてください。ヘタな画像の百倍美しいです。涼しいです。夏が終わるまでにぜひ!
『DEATH NOTE』映画版 7月10日 
 『DEATH NOTE』観て来ました。コミックも7巻までは読んでました。ただコミックの実写版ということで、期待はせずに行きましたが、合成の死神以外はまあまあだったんじゃない?最近の邦画の中じゃ、面白いほうだと思うよ。相方は「藤原竜也はマンガの夜神月よりはるかに顔がでかい」と批判してました。藤原竜也、ありゃ舞台顔だものしょうがねえやな(笑)
 近頃ココロがとみにマズしくなった私の口癖は、ニュースなどで許せない悪人が出てくると、すかさず「死刑だ死刑!」と言っちゃうんです。こんなヤツ死刑!ってね。欠陥マンションを知ってて売るヤツとか、世慣れぬ老人や主婦を騙して大金を振り込ませるヤツとか、ほんと、日々、死刑にしたくなるようなヤカラのなんと多いことか。私が法務大臣なら日に十人は死刑にしてますね。毎日ピストルぶっ放して「死刑だ死刑だ」って喚いてる、バカボンのキャラ、「目ん玉つながりのお巡りさん」のようで、微笑ましいですか?ええそうですか。微笑ましいけれど、言ってる事は正気の沙汰ではありませんね。
 この国は法治国家なので、ああいうマンガや映画をものの道理のわからぬ子供に見せるのはちょっとねえ。こんな私ですが、かつて一度目の大学生だった時は、法学部で死刑廃止論を真面目に考えていたものです。それから幾星霜、な〜んでこうなっちゃうんだろか。死刑廃止論には、日本の警察の岡っ引き根性のかかわった、「代用監獄問題」が深く絡んでいるので、冤罪を生みやすい警察の体質は今でもあまり変わっていないことは念頭に置いておいて欲しいです。
 さて、「法で裁けない悪人」っていますよね、確かに。でもそれは裁くべき法がきちんと整っていないか、機能していないかのどちらかです。ですから『DEATH NOTE』のマンガや映画に出てくる暴力犯的な犯罪者に限って言えば、たいがい裁かれている、のです。むしろ、子供の想像力の及ばぬ倫理的な場所にこそ、真の裁かれざる犯罪者は存在します。そこらへんが鷹揚なのは、やはり出が少年マンガだね、と言いたくもなります。
 その暴力犯的犯罪者たちを日に十人単位でぶっ殺してゆくストーリーの凄まじさ。一人ひとりに焦点を当てれば、『必殺』シリーズのようなカタルシスも得られようものですが、まとめてうん百人。そんなにいるんかい、本当に死に値するべき犯罪者。恐ろしいストーリーです。
 最近、犯罪被害者の遺族たちの過激な言動が世間を賑わせています。彼らは理不尽な犯罪で愛する者を奪われ、犯人が死刑にならないなら自分で殺してやる、とまで言います。確かに安穏と暮らす一般人には、彼らの断腸の思いを察するには余りあります。しかも犯人が被告席でせせら笑っているかもしれないのです。
 結局、日本の科刑制度にも問題があって、死より一等軽いだけの「無期懲役」が、実は死ぬまでおつとめをしなくてもいい、という皮肉極まりない状況にあるからで、人を殺したヤツがいつかは大手を振って街中を歩いてしまうかもしれないという矛盾。かつて世間を騒がせた東京・綾瀬の女子高生コンクリ詰め殺人の犯人が少年法のおかげでさっさと世間に出てしまって、また犯罪を犯しているという話も漏れ聞こえます。こういう話を耳にすると、この世に神も仏もないのか、と絶望的になります。
 そういう世相だからこそ、こういうマンガや映画が世に出るのでしょうね。私はつくづく今の殺伐とした時代がイヤになりました。毎日人殺しのニュース。一日一殺!いくらミステリマニアとは言え、実際の想像力のカケラもない単なる暴力が山積みでは、名探偵の出る幕すらないっすね。それこそデスノートが必要なのか。願わくば、今のコドモたちがまともな感性を身に付けて、面白半分で人を殺めたりしないような世の中になって欲しいですね。