蝋の気化する瞬間―『島野十郎展』 6月25日 
 水産学者としての将来を約束されていたのに、そのポストを棄てて、生きているうちはほとんど評価されず、それでも黙々と絵を描き続けた孤高の画家・島野十郎。その没後30年を記念した展覧会が三鷹で催されまして、行って来ました。前からこの人の描く月や蝋燭の絵が気になっていたので、それらが一堂に会したとあっては、これは見なければ損、と思ったんです。相方も絵が好きなので一緒に行ってもらいました。
 さて、お出迎えは画家の自画像。一目見るとヤヴァい感じの目つき。そこまで自分を追い詰めなくてもっ!…こ、これは、刺されるかも…(画家に、な)と思わずたじろぐ私。負けてはいけないので、自画像にメンチ切って(バカ?)、元気よく順路に従って奥へ、いざ。
 あの恐るべきまなざしは類稀なきカメラアイだったのですね。色使いは茶色が基調の色数少なめのものですが、その細密描写!建築家のファン・デル・ローエの名言「神は細部(ディテール)に宿る」を思い出しました。
 野十郎は熱心な仏教信者だったそうで、仏がすべてのものに偏在する、そしてそれを絵に描くことを「慈悲としての写実」と考えていたそうです。いい言葉ですね。東洋的な汎神論が、彼の精緻な描写を生み出したのでしょうか。
 みほとけの宿りたまふ天然を描くと、そこに目に見えないのにたしかに存在する大気まで描いてしまうのか、靉靆とした空気の一粒一粒までが描きこまれているかのようでした。風景画が素晴らしいなあ。
 長瀞の渓流を描いた絵(「流」)なんて、水の匂いまで漂ってきそうで、思わず
「うっわ〜〜、目で見るマイナスイオンや〜」と言いそうになりました(彦麻呂?)。こんなこと言ったら多分会場から即ほりだされますね。ゼヒ言うてみたかった…。
 晩年のムンクのような皓々たる太陽の絵ばかり集めたコーナー、そして空に穿たれた穴のような月の絵(そう言や吉行淳之介に『星と月は天の穴』という小説あったなあ)ばかりのコーナーと来て、最後に蝋燭のコーナーが。そこだけ照明暗くして、スポットライトで蝋燭が闇に浮かび上がるという、ココロ憎い演出がされてました。
 野十郎と言えばこの蝋燭の絵、なのですが、燃える炎の縁から蝋が気化してゆく瞬間を捉えているようで、同じような構図ばかり何点も並んでますが飽きませんね。以前どっかで見た印象は太い百目蝋燭だったのですが、違いました。普通のすっとした形の蝋燭でした。蝋涙がべっちょり垂れた百目蝋燭だと、まんま、ホラーですがな。
 しかしまあ、どの蝋燭の絵も、残った蝋燭の長さとか炎の揺らめく形とか瓜二つで、相方が思わず、
「こういう絵ばかり描くのって偏執狂」(違ってたらまた他日訂正ヨロシク→相方に業務連絡)とか言ってました。他の客に聞かれたらフクロにされるでホンマ。でも、さっきの自画像の印象から、私もそんな気がしてたのね、偏執狂。絵を描いてる側に行ったら刺されそう(まだ言うか)。
 相方の気に入った絵は「雪晴れ」という雪を抱いた山脈を遠くに望む雪景色の絵で、私のお気には先ほどの「流」と、「林辺太陽」なる、あかあかとした太陽を背にシルエットの木々が浮かび上がる幻想的なもの。なんか育った環境がもろに出た好みです。二人とも良かったのは「烏瓜」や「古池」でした。細密過ぎて鬼気迫ります。野十郎は画集とか出ていないので、私が欲しかった展覧会のカタログもGETしました。
 展覧会に行った後、立川まで足を伸ばして、真っ暗な店内でラーメン鉢だけピンスポットが当たってるというウワサの名店「鏡花」で冷やしラーメン食ってきました。前から行ってみたかった店だったのでホント偶然ですが、ピンスポット、怖いよ。野十郎の蝋燭の絵だよ、それじゃ。
この夏オススメのホラー(?)アルバム 6月13日 

これがホラ…いえ
カバーアルバム

こちらは
オリジナルリミックス盤
 中島みゆき様デヴュー30周年記念トリビュートアルバム『元気ですか』が発売された。ま、明日が正式発売日ですが、都市部ならたいがいフライング発売ということで。
 さて、今回は既出のカバー曲の他に、このアルバムのためにアーティストがみゆき歌を歌ってくれた、オイシイ曲も多々あるのだが、目玉はなんと言ってもタイトル曲(曲…曲なのか?)「元気ですか」。みゆき様初期の『愛していると云ってくれ』に収録された折は、その迫真の声色であまたの人々を恐怖のズンドコに突き落とした名曲である。ふられた男の新しい女のもとにさりげなく電話をかける女の独白。現代ではストーカーなぞと言われかねない、そんな恐怖の詩を、オルガンいっちょうのBGMにのせて、ページをめくるさらさらというホラー効果音(!)とともに、淡々と読み上げてゆく、そんな曲。
 しかも、初出アルバムでは、詩の終わった直後に次の曲「玲子」の歌い出し、♪るうぇ〜いぃ〜くをぉ〜、がグリッサンド(?)で蛇がのたうつように迫ってくるの。ホラー?ショッカー?とにかく、みゆき様の意表をつく演出に慣れたシモベでさえ、ぎゃああ!と叫んじゃう。あんた、世間である意味有名な「うらみ・ます」なんかメじゃないよ。
 この「元気ですか」をカバーするのが小泉今日子姐さん。機械的なノイジイなBGMにあわせて、本家もびびる、抑揚のない淡々ヴォイスで、「元気ですかと電話をかけました」と詠んでるの。こわ…
 さてそれだけならNHKラジオの朗読の時間だが、その次に島根在住アーティスト・浜田真理子の「アザミ嬢のララバイ」の歌い出し、♪ら〜ら〜ばぁい……(なんか伴奏で仏壇の鉦を叩きたくなる…)、が呟くようにやって来るのさ。怖っ!!!怖すぎる!狙ってんな、これ?
 まさにこれから暑い季節にうってつけのホラー・アルバムである。涼しくなるためにゼヒご一聴いただきたいです。同じ曲目のオリジナル・リミックス盤も同時発売。
 でもね、怖い怖いと言ってるけど、それは日本人が謡曲の「鉄輪」の女の執念を憐れみながら愛してきたように、それもまた愛すべき中島みゆきの一面だと思う。情念の怖さだけ、そこだけ取り上げられて特化して語られるのは、こんな日記書いてる手前の弁解にもならないのだが、ファンとしてはイヤなのですね。特にファンじゃない人に言われたないわな。ま、これを読んでる方でみゆきファンとは言いがたい方々には、
そこんとこひとつよろしく、とドスを効かせとこうかね。あんまり勝手な思い込みで物言ってたら、みゆきファンが祟るよ。
『コープスブライド』再見 6月10日 
 小泉八雲の『怪談』に「安芸之助の夢」という小編がある。安芸之助の魂が蝶と化して体を出たり入ったりする話である。洋の東西を問わず、蝶は人間の魂の化身と考えられていて、八雲=ラフカディオ・ハーンの母の生国ギリシャでも、美しいモルフォ蝶は死者の魂のうつしみと考えられていた。
 ティム・バートンのストップモーション・アニメ『コープスブライド』をDVDで再見していて、蝶が重要な役割を持っていることに気がついた。冒頭、主人公のヴィクターが、ガラスの籠に入れた蝶を模写している場面があって、その蝶を逃がしてやる。蝶=屍体花嫁エミリーの魂と考えれば、物語の最後を暗示しているかのようである。
 この短いアニメは、愛した男に裏切られ殺されて自縛の鎖に囚われた花嫁エミリーの、魂の再生の物語として見れば、実に味わい深い作品だと思う。ヴィクターのとんだ失敗から、彼を愛を誓う相手と思い込むエミリー。現世でヴィクターが結婚する相手のヴィクトリアとの三角関係のハナシ、と言ってしまえば身もふたもない。
 結婚式の決まり文句に、「死が二人を別つまで」というのがある。死によって解除となる約定なのである。しかし、ハナから屍体のエミリーは生者ヴィクターと結ばれることは出来ない。それにはヴィクターの息の根を止めてしまわねば。
 屍体のエミリーが泉下の世界で結構優しくてチャーミングな性格であることを知ったヴィクターは、現世から来た男にヴィクトリアが別の相手と結婚したと知らされ、エミリーと死者の世界で生きる決心をする。
 だがこの三角関係の最後は、エミリーが自ら身を引くことで決着がつく。ヴィクトリアと金目当てで結婚した男がエミリーを殺した犯人と言うオチもつき、エミリーは自己犠牲を払うことで浄化される。現世に屍体として存在していた彼女は、最後、無数の蝶となって空へ帰っていく。センティメンタルだがいいじゃないか。
 最初映画館で見たときは、正直、時間の割りに普通のチケット代だったり、『チャーリーとチョコレート工場』の興奮の余波を駆っていたこともあり、この静かな小品ではあんまり印象がよくなかった。つまらなくはないが、ありきたりな、イマイチな感じが否めなかった。しかし、今回、DVDで細かく見直すと、実にしみじみと良いことがわかった。一回見たくらいではわからん良さを持っていたのが、新発見である。
 音楽も『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』『チャーリー』で魅力的な曲を披露したダニー・エルフマン(最近この人のバンド「オインゴ・ボインゴ」を無性に聞いてみたかったりする…)。『ナイトメア』ほどははっちゃけてないが、本作でも、ガイコツのジャズバンドの歌なんか最高ですね。あと、ヴィクターのテーマというべきピアノのメロディがすごく気に入った。ヴィクターはこの曲を弾くことで自分を表現し、ヴィクトリアやエミリーの心に真実の自分の姿を伝えたのである。エミリーとの連弾の場面は、人形アニメと思えない忠実な指使いに驚嘆。この曲のスコア、どっかに売ってないもんかね。私もピアノのたしなみはあるので、弾いてみたい。こんな気持ちになったのは『ピアノ・レッスン』観て以来だね。
 DVDの特典で、バートン監督がヴィクトリア朝のイギリス社会を想定して、このストーリーを作ったと知ったが、このことも作品に奥行きを与えていると思う。モノカラーの生者の息詰まる世界=当時の封建的な上流社会、カラフルな死者の楽しい世界=活気溢れる庶民の世界、という図式化もできよう。普通なら死者の世界こそ色のない世界と考えがちだが(これも日本人が葬式の鯨幕から連想するだけでなくて、世界全体的な傾向である)、アノヨはカラフルで高歌放吟の楽しい世界。常識を引っ繰り返すことを得意とするバートンならではの世界観だ。
 たしかに『シザーハンズ』や『ナイトメア』、『バットマン』に見られる、異端者の悲しみのテーマは、ここではないこともないが存在が薄い。その辺、昔からのバートン・ファンにわりと評価されない原因かもしれない。でも、一回観たきりではわからないよ。たかが人形アニメと侮るなかれ。『ナイトメア』以降の十年を構想に費やした名作です。映画館で見た人も、も一度DVDでどうぞ。
プリンセスはラーメンを食わない 5月11日 
 今夜放映のフジテレビ系「東京Vシュラン」のゲストに、プリンセス天功様がご登場あそばされて、のたまったことには「生まれてこの方、ラーメン餃子なんて食べたことな〜い」ですと。はあ?あんた、80年代アイドル並のカマトトですか?新潟出身のしょっぱい手品アイドル朝風マリだった時には、涙でしょっぱい餃子なんか山ほど食ってたんでしょ、オイ。トンコツラーメンのスープが臭いって?あんたのカマトトぶりのほうが百倍臭いって。ラーメンの麺食って、「パスタみた〜い。チーズとかかけても美味しいかも」だって。他のメンツが突っ込めないコメントだねえ。
 なんか、突っ込みどころ満載の香ばしいプリンセス様にウケまくったが、天功様曰く、ラーメン(ギョウザもな)って「それぞれに味が違う」のよね、確かにね。私も今日、親を連れて武蔵浦和のラーメン・アカデミーに行って来たのだが、函館塩ラーメンと筑豊ラーメンを食して、あまりの距離感に、しばし考え込んでしまったものよの。
 函館塩はトリガラ魚介の澄んだスープに塩。関西人の両親も「これならまあええわ」と食べてました。一方、私と弟の食した二杯目筑豊は、かつて相方が放った名比喩「雨に濡れた犬の臭い」の久留米ラーメンには負けますが、ほんのり漂う犬っぽさ。灰色に白濁するエマルジオンなスープ。ん〜、食べきった俺はやっぱ偉いかも。弟はノックアウト、完食ならず。
 ここまで違うと、確かにプリンセス様でなくとも、同じ食べ物なのか疑ってしまいますね。なんだか色々考えさせられる食べ物ですなあ、ラーメンって。みんな好きでしょ?そして、やれ、どこの店がうまいのまずいの、どこそこの味が変わったの、どんだけ凝った素材を使ってるのと、カンカンガクガク。ラーメン特集のテレビはナイターよりも最近は視聴率いいしね。国民食というわりに、本質的な実態はナゾなラーメン。
 ふと思うのは、日本語の方言にラーメンは似ているってこと。日本は山稜が険しいので、これだけ狭い国土にもかかわらず、谷一つ山一つ隔てれば、全く違う方言が話されていたりするんですよね。私の出身・和歌山県なんて、川筋ごとに違う方言だったりして、方言丸出しだとどこの町の出身かまでわかっちゃう始末。
 こうなるとご当地ラーメンっていったい全国にどれくらい種類があるんでしょうか。考えると恐ろしいかも。町々にそれぞれのラーメンがあって、人々が毎日それをズルズル啜っているのです。別の町のラーメンには不慣れな人もさぞ多いでしょう。うちの両親もわりとそのクチ。和歌山ラーメンのきわめて限られた店の味だけを、ラーメンと言ってはばかりません。
 ラーメンは方言に似ている。今日なんか東北弁と九州弁で交渉したようなもんで、どうやら交渉は決裂した模様です。夜中の現在、私のハラはぐるぐるぴーです。ぐるぐる言わせながら、プリンセス様の年齢不詳のお姿を拝見しております。プリンセス様の寒いリアクションには、脳までぐるぐる言ってます。
餃子の肉汁にまみれて 4月30日 
 本日、池袋のナムコ・ナンジャタウン内のテーマ・パーク「餃子スタジアム」に行って来ました。まあね、GWだし、都内は人が少ないのでは、という楽観的な読みで出かけたのですが、お約束どおり、えれえ混雑してました。しかも混んでる上にテレビ局のクルーまでいる始末。GWのニュースのふりネタの映像で皆様にお目にかかりましたら、これ幸いでございます。フガフガ言って餃子をかっ喰らってマス。
 7、8年前に行った時は確かオバケ屋敷だったレトロな町並みが、そのまんまで餃子屋がしのぎを削るスタジアムに変身してました。おかげで通路狭いやら、人が多いやらなんやらで、ちょっとエキサイトしてしまいました。餃子を食べるために戦わなければいけないのっ!!!ってね。戦いました(笑)
 以前出かけた新横浜ラーメン博物館もそうだったんですが、こういうグルメ系テーマ・パークって、なんで昭和30年代の町並みに模したところが多いんでしょうかね。昨年の日本アカデミー賞の『ALWAYS 三丁目の夕日』で30年代ブームって訳でもないでしょうにね。飽食の21世紀の日本人の、食に関するノスタルジーは、まだ戦中戦後の飢餓の記憶(それはあの『火垂るの墓』のような)を濃厚に引きずっていた「あの時代」に戻っていくんでしょうか。まあナンジャタウンは営業当初から30年代テイストですがね。
 さて餃子どす。12店舗が狭い通路の両側にひしめき合い、そこに大量のランチ難民が押し寄せ、もはや殺気さえ漂う始末…ってオレが一番腹が減って殺気立ってたのか?目が血走ってても、お願いだから保健所とかケーサツとか呼ばないでねっ!とにかく、300円の入場料を払い、ナンジャタウンに飛び込んだはいいが、餃子ってそんなに地方や店によって違いってあるの?どこに入っていいのかさっぱりわからん。
 それでもなんとか入れそうな店に入って、相方と一皿の餃子をつつましく分けて食しました。腹減っとるし、気分は「一杯のかけそば」であります(そろそろこのネタも通用せんようになってきたかもな)。最初に入ったところは一皿4個を二皿に分けて出してくれたので、その飢餓感は辛うじてありませんでしたが、他のところは一皿を鼻先突き合って喰うので、なんかね、ひもじいやらいじましいやら。
 数店こなす頃には餃子のチガイがわかる男に育ちまして、うまいのまずいの、色々ありましたね。私と相方が高評価だったのは「包王(ぱおう)」という滋賀県から出店の店の餃子。たれを付けないでお召し上がりくださいって言うので、言うとおりにしたら、小籠包みたいに肉汁がじゅわ〜〜。うまい。
 反対にNGだったのは島餃子なるもの。皮にウコンとかイカスミとか練りこんだ色が鮮やかな五色の餃子。中の具がイマイチなのと、たれが黒酢なのもちょっと…。色がキレイなのでコドモを騙すのにえーんとちゃいまっか。あと牛スジの入った筋ネギ餃子も皮がイマイチだったな。たれも甘目の味噌だれが激しくNG。おのれの味覚がこの世で一番偉いと申すつもりはございませんが、やはりこの2軒は「なんで〜?」って感じっしょ。
 最後にハバネロソースの餃子というキワモノを食しましたが、これが大変なヤツで、熱々の餃子の上に超ど辛のハバネロソースが愛らしくトッピング!一口食べたら即死、息を吸ったらむせっけえる、三個喰ったら唇が腫れてタラコ、です。ギョンザとハバネロはちょっとおやめになったほうがよろしゅうござあますわ、皆様。
 以前、とある餃子のチェーン店で、調子ぶっこいて餃子大食い早食い大会に出たことがあるのですが、そのときは餃子を8人前(48個)喰いました。それ以来の餃子責めでした。大小取り混ぜ20個以上喰ったかなあ。
 帰り道、車の中で…
 私「……ゲップ」
 T「臭っ!臭っ!餃子臭い!!!」
 私「……ゲップ」
 T「……(無言)」
 皆様も餃子スタジアムいらっしゃるときは、ブレスケアとかマウスウォッシュとかご持参で、どーぞ。
居場所を探すひとりの女 4月18日 
 小林聡美は近頃、何故か自分探しをする役柄が多い。2003年に連続ドラマで放映された「すいか」(日本テレビ系)がその最たるものだろう。彼女が演じる主人公は信用金庫のOLで、30代半ばになっても親の家で暮らし、精神的自立とは程遠い環境にいるのだが、小泉今日子演じる職場の親友の3億円横領と逃亡をきっかけに、家を出て賄い付き下宿(いまどき珍しい)で暮らし始める。その女ばかりの下宿で、大家兼大学生の市川実日子や漫画家のともさかりえ、更に下宿の主である大学教授の浅丘ルリ子や近所のスナックのママのもたいまさこと心の交流を持つ、というハナシ。地味なドラマだったが毎回笑わされ泣かされた実に素晴らしいドラマだった。
 大林宣彦監督の「転校生」の昔から同時代人として聡美嬢を見続けてきたのだが、そんな最近の彼女の動向が気になるのである。彼女の当たり役である三女・きみえでお馴染み、「やっぱり猫が好き」(フジテレビ系)も2年に一本くらいの間隔で新作が作られてジミーに放映されジミーにDVD化されているが、連続ドラマだった頃のきみえは、しっかりものの仕切屋さんの、テレビ制作会社のADだった。しかしここんところの新作シリーズではなんと無職。ニートというかひきこもりというか、そういう役柄になっているのである。昔のドラマしか知らない人には驚愕かもしれない(そんなに驚いてくれるんなら光栄だが)。そこでも自分の居場所や存在理由を捜し求める姿が描かれている。
 特別美人でもなく、さりとて見れないご面でもなく、なんとなく同世代の女性が自分を投影しやすいタイプの女優なんだろうと思う。実生活は「猫」の脚本家の三谷幸喜と結婚して、『マダムだもの』(幻冬舎文庫)なんてエッセイを出して笑かしてくれるのだが、役の上では、ともすれば自分を見失って日常に流されがちな若くない女の役(しかもたいがい嫁き遅れ…)が廻ってくるのである。
 昨年深夜枠で放映された単発ドラマ「サボテン・ジャーニー」(日本テレビ)もよかった。写真家として成功した役だが、妹の結婚式に出るためにレンタカーを借りると、はからずも人間カーナビ(田辺誠一)がついてきちゃった、というおバカなドラマである。そこに結婚式を逃げ出してきた花嫁(市川美和子…「すいか」の実日子の実姉だ!)を乗せてしまって、なんだかヘンな道行になる。小林聡美はここでは不眠症の女を演じている。なぜ安らかな眠りがこないのか。そこに横たわる不安は、他ドラマで毎度居場所を探す女たちと同じ不安にほかならない。このドラマは車メーカーとのタイアップドラマでDVD化されていないのだが、もしご覧になる機会があったら、ひとりでも多くの人に見て頂きたいドラマである。
 今年連続ドラマで放映された「神はサイコロを振らない」(日本テレビ系)では、「すいか」以来のともさかりえとの共演が見られたのがよかった。時空を飛び越えて戻ってきた飛行機の乗客乗員の面倒を見る役が聡美嬢の主人公。やはりこのドラマでも主人公は、10年前に死んだと思っていた恋人(山本太郎)や親友(ともさか)と対面して、アイデンティティの危機に見舞われる。原作では男性管理職の役を無理にスッチーにしてしまったせいで、求心力の無い意味不明なSFコメディもどきになってしまったのが悔やまれるが、その分、久々の映画主役である「かもめ食堂」が見事な出来だった。
 前回の日記でおにぎりを喰ったのは、この映画を見たせいだった。聡美嬢が今回演じるのは、フィンランドはヘルシンキの日本食食堂(主なメニューはおにぎり!)の女あるじ。彼女はついに居場所を見つけたのである! ここが画期的! もうサトミは迷わないの!(笑) 居るべき場所でさ迷える女たちを暖かく迎える役に徹している。ヘルシンキにやってくるのは、もしかしたら遠い地で死のうと思ってきたとおぼしき片桐はいり(「すいか」でも小泉今日子を追う刑事役で登場)と、失くした荷物とともにすべてを棄ててきたかのようなもたいまさこ。3人のオバさんたちがいる食堂が地元の人に受け入れられて、やがて満席になる日が来る。そこまでの日を淡々と描いた映画である。
 地味のきわみだが、のれんに腕押しするかのような日常に疲れ、居場所をなくし、絶えず自己否定の嵐の中で生きている人たちには、一瞬の涅槃幻想のような映画だ。「すいか」で主人公はいつも、「私がここにいてもいいんですかね」「このままでいいんでしょうか」と、問い続け、作中の賢者である浅丘ルリ子やもたいまさこに「(そのままの自分で)いてもいいのよ」と慰められる。みんな、そういうささやかな自己肯定を望んでいるのだと、気づかされる映画(やドラマ)である。追い詰められて人を殺したり自分を殺したりしなくても、世界のどっかに居場所があるんじゃないか、と私は映画にかこつけてひとこと言いたくなってマス。
 たまたま純文学作家・保坂和志の名著『世界を肯定する哲学』(ちくま新書)を読んでいて、この世界のあるがままを受容し肯定することで生きる歓びに到達するのが、このいかんともし難い世に生きる知恵と(私の独自の解釈だが)考えさせられた。生きる歓びは一個のおにぎりであり、一杯のうどんであり、すがしい朝の空気であり、「したくないことをしない」勇気なのだ。小林聡美はそんな深い域を垣間見させてくれる得難い女優さんである。
 映画の最後近くに、聡美嬢がプールで「かもめ食堂が満席になりました」と呟き、その場にいたあちらの方々が拍手喝采をくれるという、ちょっとわかり辛い場面があったが、私はなんとなく、数年前に話題になった某哲学アニメの最終回を思い出していたのである。人間のレゾン・デトル(存在理由)が那辺にあるのか、ふと物思いに耽ってしまったので、こんな長文の日記(?)になりました。長文故に支離滅裂になってしまったが、映画「かもめ食堂」、なかなか地味によろしいです。乱文乱筆許してたもれ。
うどんリベンジャー 4月11日 
 うどんで歯が欠けるという屈辱に塗れた私のために、この日曜、相方Tさんがうどんを打ってくれた。なんとも心温まるハナシである。これを食いちぎってリベンジしろということだろうか。及ばずながら私もイリコとコブでダシをとった次第。
 いやあ、うどんってカンタンに打てるもんなんですね〜。感心しました。Tさんは最近なにやら暇があれば粉を捏ねていた様子だったのですが、手打ちうどん専用の粉が日清から出ていたなんて、オドロキ。
 フツウの小麦粉だと水の吸い上げが悪いとかで、すぐにうどんならぬスイトンになってしまうらしいが(私はスイトンも好きです。学生時代に金が無いときは時々捏ねてました)、うどん専用の粉は少量の塩水で効率よくまとまって、手触りもしっとり。それを袋に詰め込んで「オラオラ!」と脚で踏み潰して、いたぶりなぶり、チョーチャクし、ボーギャクの果てにうどんの生地が出来上がるのさ。けっこう回数は多めに踏まなければうまいうどんにはならないそうです。15回くらい?これにバターを挟んで千回やるとミルフィーユの生地になります(ホント!)
 打ちあがったうどんの生地はしっとりつやつや。思わずホホズリしてしまった私です。ああ、恍惚……。うっとり……。
 イカンイカン!今度は寝かせた生地を伸ばさんとな。麺棒と台がないとアカンやろ、と思っていたら、相方、麺棒はしっかりと買ってた。台はまな板でガマン。まな板が狭いのであんまり大きく広げられないので、量も二人分くらいしか打てませんが、うどん生地はちゃんと伸びるもんです。打ち粉をして生地を伸ばすと、見事な一反木綿状態に。相方の手際もよいので、この際、脱サラしてうどん屋でもどうよ?
 生地を折りたたんで包丁で切ると立派なうどんに! 専用の押切包丁ではないので、ちょっと太かったり細かったりして、奥多摩名物「オキリコミ」のような素朴なうどんになりました。
 普通の和食のダシは私もいちおう自信がありますが、イリコダシは滅多に作らないので、ちょっと心配でした。イリコは頭と腹をとったり割いたりと面倒なことが多いし、前日からつけとかないといいダシが出ないので、ここはズルをしてパックの削りイリコを使用しました。
 イリコとコブでとったダシを、塩と味醂と醤油少々で味付けし、粗熱とって冷蔵庫で冷やして、ヒヤヒヤ(冷や麺冷やダシぶっかけ。↓の項参照のこと)のダシにしてみたのさ。冷たくしたら少しイリコ臭さが出るけど、ええダシになりましたわ〜。
 さてリベンジ編(つまり喰ったってこと)。近所のスーパーで買ってきたテンプラとあわせてみますた。中段が釜玉うどん、下がヒヤヒヤです。ハゴタエはイーハトーボよりはソフトですが、もっちり感があってウドンうめえ。卵がちょっと生過ぎたけど、茹で立ての釜玉がオウチで味わえるなんて、カンゲキです。
 ヒヤヒヤのダシは繊細でした。うっかりテンプラと一緒に喰うと味が飛ぶくらい繊細。もっと主張の強いダシを作るのが、私の目標です。やっぱサバブシとかカツブシとかトリガラとか混ぜてWスープ(麺屋武蔵?)にせなならんのかねえ……って、それじゃラーメンだって!これはうどんよ!さぬきうどんなのっ!!!!
 見事うどんリベンジを果たした私たち。その傍らにはおにぎりが積まれていました。それは何故?それは日曜にうどんを打つ前に見て来た映画のせいです。その映画の名は……次回……って、続くのかっ?
さぬきうどん VS. オレの歯 3月14日 
 そこはイボイノシシも通らぬ山の奥にあるうどん屋での出来事だった。S玉県O里郡Y居町の山中に、そのスジでひそかに有名な、麺通団の団長も来たらしいうどん屋が存在する。そこでの出来事……
 関越道から車で10分と言う人跡未踏な(どこがじゃ)立地にあるうどん屋で、ワタシと相方はさぬきうどんを待ちわびていた。そこは関東人には未知の空間、つまり「セルフうどん屋」であった。前に一度来て、そのイリコでとったダシに感激していたワタシは、また性懲りも無く二週間も経たぬうちにダシを啜りに来たのである。日曜のお昼時で、果たしてうどんが品切れていないかドッキドキでかけつけたのだが、うどんはもうもうと湯気を立てて、無事山のように茹でられていた。
 この店でのワタシのオススメはなんと言っても「ひやひや」。英国人と電話で喋ってて「ヒヤヒヤ」と相槌打ってる訳ではなくて、茹でてシメたまんまのひやこいうどんに、ひやこいイリコダシをかけた素うどんなのである。このうどん、ものごっついかみごたへ。それはうどん屋の主が、讃岐の名店・やまうち(『恐るべきさぬきうどん』新潮文庫で見てね)で修行してきたことによるものらしい。火を通さない餅に似た食感。大変なハゴタエ。
 腹が減っていたワタシは、ひやひやの大を難なくサワヤカに飲み干して、お次の釜バターうどん(冬季限定)を啜っていたときのこと…。口中、ざりっ、と砂を噛むような音が…。ん? 大将、土ついたままでネギを刻みよったんか? しょーがねーなー。
 カトちゃんぺ、と吐き出してみると、白い石? 三保の松原に植えたネギ? ち、ちちちち、ちが〜う! これ、オレの歯やんけ!!! 前歯の一部がミゴトにぽっきり。
 なんじゃ! オレの歯! うどんに負けたんかあっ!!!!
 ショックのあまり、うどんをぐびぐび飲み込んでしまったワタシは、すぐ手洗いに駆けつけた。鏡の中に映る自分の顔は、まさしくハヌケのバカっ面であった。前歯の一番ど真ん中にぽっきりと穴が…。これでは歯を噛み締めたままでうどんを啜れてしまうではないか。あー、そりゃ便利…って感心してる場合でない。
 翌日、かかりつけの歯医者に電話したら、先生、インプラント学会で木曜まで帰らないとな。このまま木曜までワタシはハヌケマヌケで生活しなければなりません。なんたる恥辱。。。
 おお、まさしく、恐るべきさぬきうどん! 皆様も歯に自信のない方はお気をつけください。ちなみに店の名前は「イーハトーボ」と言います。店の人が賢治ファンみたいね。ここのダシ、めっちゃうまい。うどんはかみごたえありすぎのような気も。ワタシが関西人だから、ふにゃふにゃのうどんに慣れ過ぎてるせいかね。
 ここで店の名誉のために言っときますが、ワタシの前歯、以前削って詰め物をしていたので、そこが年月経って弱っていたのです。なにも普通の人が噛めないうどんを出している訳ではありません。そんじょそこらでは喰えない美味なうどんです。とにかく、高速使って車飛ばして行くだけの価値のある店です。