めがね飛ばして 9月26日 
 …と言っても横山やすしのめがね飛ばしではありませんことよ。過日、シネコンで『めがね』を観てきました。前作『かもめ食堂』がいたく気に入った荻上直子監督の新作です。『かもめ』の主演・小林聡美さんが、今回も自分探しの女です(笑)。
 今回は南国の島が舞台。旅人は小林さん演じるタエコ。理由もなく訪れた南の島で、中年男ユージ(光石研)が営む民宿「ハマダ」に泊まることになるのですが、ここで、何故か朝イチ枕元で微笑む謎の女・サクラ(もたいまさこ)や、地元の教師らしいハルナ(市川実日子)の醸し出す超マイペースな空間に悩まされます。
 一度は島内もう一軒の民宿に逃れようとするのですが、そこがまたトンデモ宿、すぐさま逃げ出す羽目に。途方に暮れるタエコをサクラが自転車の後ろにピックアップして、助けてくれるのです。
 さて、このマイペース連中が好むのが、「たそがれる」こと。ぼんやり海辺に座って、何か有意義に過ごすでもなく、とりとめないことを考えつつ、ひねもす暮らすことを「たそがれる」と言うらしい。やがてタエコも「たそがれる」こつをつかんで、一人であるいは連中と共に「たそがれる」ようになります。やんわりとしていて青い海。南国の春のうららかなひとときにたゆたう悦楽。
 この映画を楽しめるか否かは、この海にたゆたうような感覚を感じ取れるかどうかにかかっています。感じ取れなければ、あとは甘美な睡魔の虜になるしかないわな(笑)。実際、映画館のシートで眠りに墜ちた人もちらほら。観る人を選んでしまうのかな、この映画は。
 私も子供の頃からこの「たそがれる」という行為を殊更好んで生きてきたので、この映画の世界観にすごく魅せられたのですが、皆様におかれましては如何でしょうか。日ごろせっかちな人は、多分「たそがれる」のが苦痛かも知れませんね。
 何もドラマティックなことは起こらない映画で、なんか、ありがちな「感動映画」やテレビのドラマへのアンチテーゼにも思えるのですが、まあ、むつかしいこと言わんと、だらだらーっと観に行ってほしい素敵な有閑映画です。
 さて、たそがれバディどもがみんな、何故かめがねをかけているので、この映画は『めがね』と称するのですが、このめがねに何か深い意味はあるのかないのか、相方と観た後で語り合ってみました。声高にテーマを叫ぶていの映画ではないので、「よくワカラン」という結論になったのですが、ここだけのハナシ、私は「めがね」は「たそがれる」ために必要なアイテムなのだと思います。
 映画の最後近くで、ついに島を離れることになったタエコは、ハルナの車で空港に送ってもらう途中、めがねを風にぶっ飛ばされます。そして、何だか嬉しそうな納得したような表情を浮かべます。彼女は「たそがれる」時間を持つことが許されない世界へ帰還するのですから、めがねは島に置いていったのかもしれませんね。
 前作でもおにぎりパワーで私たちをノックアウトした荻上監督ですが、今回も民宿「ハマダ」のメシが旨そうなのな。相方は南の島が舞台と聞いて、てっきり、ウチナー食がてんこ盛りで出てくるものと思っていたらしいですが、ほれ、フィンランドまで行ってほとんど日本食しか出さなかった監督だもの、オキナワン・フードはほとんど出てきません(笑)。その代わりに手を抜かない日常の美味が沢山ね。
 それにしても、イセエビを豪快に丸かじりするシーンは旨そうだったなあ。ロケ地は与論島だそうですが、相方と近々そっちのほうへ旅行でも、とかねてから計画していたので、もしかするともしかするともしかすると………
 …あの浜辺でたそがれてたりしてな。罪な映画ですね。

追記 『めがね』のパンフレットもイカしてます。表紙にボール紙を使用し、本体をサンドイッチした独特の製本。見返しになんと、映画の中で毎朝行う「メルシー体操」の詳しい手順が!映画を観たらゼッタイ欲しくなることウケアイ!
ジャパニーズホラーに溺れる 9月1日 
 二、三週間前、相方と話をしていて、「今年の夏は、公開されるホラー映画が少ないね」「ほんとに怖いホラーって観たことある?」など、定番の話題になりました。ホラー映画というと、このHPの日記でも数年おきに取り上げる話題なのですが、こういう話題が出た後、ついつい過去に観た作品とかを再鑑賞したくなるのが常です。
 で、ご多聞に漏れず、耽溺していたのですが(唐沢俊一言うところの芦屋小雁状態…毎晩寝る前に二三本、ホラー映画を観ないと寝れない(笑))、既に八月尽、秋の声を聞いてしまいました。
 季節が変わったからといってホラー映画が嫌いになるはずもなく、この種の話題が世間で尻すぼみになるのがイヤなので、ついつい長文を書いてしまいます。私なりにジャパニーズホラーってなんだろ?と感じたことを、つらつら陳べさせて頂きたいと。
 まず、「ジャパニーズホラー(以下、Jホラーと略す)」って世界レベルで知られるようになった昨今ですが、私が思うに、この種のものを好む人々の心の深奥に眠っているテレビ番組があるのではないでしょうか。それは、あの新倉イワオ氏のナビゲートが素晴らしかった「あなたの知らない世界」です。
 夏場の小僧っ子を心胆寒からしめたあの名物番組、1970年代から1995年に幕を閉じるまで、ガキのお休み時期の風物詩だったのですが、そろそろ過去の遺物となろうかとしています。私も、もの心ついた頃からこの番組が楽しみで楽しみで、休みの頃になると、お昼時を待ちかねたものです。お昼のワイドショーの特番として放映されていましたっけね。
 視聴者から寄せられた体験を実写にしたおどろおどろしい「再現ドラマ」が、つまりは私のその後の嗜好を方向付けたのかもしれませんね。心霊好き、オカルトマニヤ、ホラー愛好、幻想志向、etc.etc.……
 1970年代80年代、バブル以前のテレビでは、特にワイドショーなる媒体において、頻繁に心霊特集が組まれていました。あの頃は簡単に検索をかけられるネットもケータイもなく、テレビのみで取り上げられる心霊現象の数々は、子供心にもの凄く怖かったと記憶しています。
 そして、今にして思えば、ハリウッド映画の描くモンスターやサイコキラーの世界とは異質の、「霊」「怨念」「恨み」「呪い」「因縁」「因果」と言う、日本古来からの闇の司祭たちの世界を、お茶の間に再現して見せたのが「あなたの知らない世界」だったのです。
 残念なことに、「あな知ら」の再現ドラマは基本的に使い棄て、これだけJホラーの珍作駄作までもがソフト化されている現在においても、もはや観ることはかないません。今観れば、CGとてろくすっぽない時代の産物、さぞかし安っぽい映像が溢れているのでしょうが、その怖さ無気味さは、昭和の子供の僕たちの心に、しっかとトラウマとなって焼き付けられています。
 バブルの頃、ホラーと言えばサイコが主流で、要は「実体のない霊よりも生きてる人間のほうが怖い」という認識が、世間に蔓延していたのですが、やがてそれに飽き足らなくなった「あな知ら」育ちの子供達が、90年代に、一方ではJホラー黎明期を後押しし、一方では新興宗教等に帰依する誤ったオカルト志向派を生み出したのかもしれません。オウム事件がいったん、そういった百花繚乱のオカルトの草原を焼き払った後、現在のJホラー全盛期が訪れたのでした。
 もちろん、今でも怪しいオカルトの世界はネットワークを通じて蔓延していますし、「都市伝説」という新たな要素を孕んで、無限に拡大しつつあるのですが、Jホラーの基本は、あちこちのサイトで指摘されている通り、「霊」「恨み」「呪い」「死女」といった湿っぽいテーマがあればよし、ということになるのでしょうね。貞子(『リング』)も伽椰子(『呪怨』)も美々子(『着信アリ』)もこれらの湿っぽい主題に則って、我々の傍に彷徨い出てくるのです。「四谷怪談」「累ヶ淵」「牡丹燈籠」「皿屋敷」の昔から何一つ変わっていない湿っぽさの王国、それが私の偏愛する世界のモチーフだったのです。
 現在のJホラーの主だった作品をまとめて鑑賞して、多彩な方向性と質の高さに感じ入ったのですが、私が偏愛するホラー映画の達人たちの名を上げれば、何を差し置いても、黒沢清の名は上げなければなりませんね。90年代のサイコホラー『地獄の警備員』『CURE』から始まって、独自の心霊ホラー路線『回路』『降霊』『LOFT』『叫』を生み出した彼は、まさに「ホラー映画界の世界のクロサワ」です。私のような凡人には理解不能な実験作『大いなる幻影』や『カリスマ』までもが愛おしいです。『黒沢清の映画術』(新潮社)も愛読書。
 かつてこの日記で「怖くない」とこき下ろした『呪怨』シリーズも、まあ、年々カヤコとトシオが愛しくなりつつある今日この頃で、清水崇もホラーマスターと言ってもいいかなあ。時々ショッカーが過剰すぎて笑いを誘ってしまう作風ではありますが、『稀人』『輪廻』は個人的にグー。
 そして何よりも、Jホラー黎明期からの代表選手、中田秀夫。ヒット作『リング』『仄暗い水の底から』に先立つ『女優霊』や『呪死霊』の禍々しさは、ひと言で言い表せません。今年の新作『怪談』はなんと円朝怪談「真景累ヶ淵」の完全映画化ですが、時代物嫌いな相方に拒否されて、まだ観に行っておりません(泣)。
 ホラー達人はなにも、映画監督ばかりではありません。『リング』の脚本家、高橋洋。彼は元祖『女優霊』やホラコメ怪作『発狂する唇』『血を吸う宇宙』の脚本も手がけていて、そのオフビート感は激しくマニヤ心をくすぐります。低予算で4人の監督が競作した珍企画「ホラー番長」で公開された『ソドムの市』など、マカロニウェスタンや座頭市のパロディをもう好きにやっちゃって〜って感じでたまりません。『死霊の盆踊り』並の駄作なのですが、私は定期的にレンタルしてしまいます。
 また、ホラーに関して独自の「小中理論」を唱える脚本家、小中千昭も目が離せません。平成元年の『邪願霊』や清水監督作『稀人』、決してホラー作品の数は多くないのですが、『ホラー映画の魅力』(岩波アクティブ新書)という名著があり、Jホラーの理論的主軸を為す人だと思います。
 他にも、『サイレン』でドラマ『TRICK』『ケイゾク』と地続きの土俗ミステリ系ホラーを撮った堤幸彦監督。米国テレビ競作企画「ホラーマスターズ」で、日本人でただ一人招待され、ジョン・カーペンターやトビー・フーパー、ダリオ・アルジェント、ジョー・ダンテ、ジョン・ランディスと肩を並べてしまった上に、その『インプリント〜ぼっけえ、きょうてえ』が全米でテレビ放映禁止を食らってしまった(誉め言葉です)三池崇史監督。『ほんとにあった怖い話』『学校の怪談』『怪談新耳袋』の短編ホラーに強い鶴田法男監督。楽しみな監督さんはたくさんいます。
 そして、最後に、Jホラーの立役者、プロデューサーの一瀬隆重の名を上げておきましょう。古くは『帝都物語』から、一連の乱歩映像化、『リング』に『呪怨』に『仄暗い水の底から』『予言』『輪廻』『ノロイ』『叫』『怪談』まで、Jホラー全盛の裏の顔。この人なくしてはもはやJホラーは語れません。
 いやはや、なんともテンションの高い羅列長文で、読者の皆様には誠に申し訳ない限りですが、ひと夏を小雁状態で過ごした私の溺れっぷり、如何だったでしょうか。もうね、アホちゃうかあ?で、最終的にいちばん怖い映画って……思い浮かびませんな。結局、フィクションの世界、浸って楽しんでこそナンボ、トイレに行けなくなるようなことはないですね。私に怖い映画はない、という結論に達しました(苦笑)。。。
服部まゆみ氏逝去 8月21日 
 こないだ仲間内の飲み会で「服部まゆみは凄い!」とおだを上げたのだが、今日、服部さんの訃報を聞くことになってしまい、茫然自失としている。なにしろ今年は作家生活20周年の節目で、4年ぶりの新作が5月に出たばっかりであったのに、あまりの不意打ちに言葉もない。58歳、肺がん。残された夫の正氏の胸中を慮ると悲痛である。
 思えば、昨年、夫婦で本格ミステリ作家クラブを退会されたのも、何も「本格理解派作家」の某先生一派に嫌気がさした訳ではなく、闘病に専念するためだったのだと、今にしてみれば思い当たるのだが、それにしても寝耳に水で、つらい。
 2ちゃんねるの服部スレにもお悔やみを書いてきたが、2ちゃんではもっぱら、服部さんは、皆川博子さんの後を継ぐ「貴腐人」女流幻想作家として将来を期待されていた。皆川先生がまだばりばりのご健在であるものの、その後を襲うに一番適材と私も思っていたので、服部さんが50代の若さで、師匠より先に亡くなるなんて、こんなことがあっていいものだろうか。
 今年は5月に大庭みな子さんの訃報をお知らせしたばかりなのだが、あちらは闘病10余年で年齢も往生と呼ぶに相応しかったのだが、服部さんのことは、そういうふうには受け止められない。これからも寡作だけれども作品を読む歓びは与えられると、信じて露ほども疑わなかったのに。
 20年の作家生活で出した本はたったの10作。駄作はない。どの作品も宝のように愛でながら読み込んできたのだが、もはや次の作品を待つ歓びは奪われてしまった。悲しい。幻想文学の名花がまたひとつ枯れてしまった。あとに残るのは、美しき幻想のかけらもない、茫漠たる空白だけである。悲しすぎて言葉が出ないので今日の日記はこれにて。
利権と権利 8月10日 
 民というもんはホンットにテキトーなので、小泉の郵政「改革」選挙の時はこぞって自民に票を入れたのに、このていたらくである。まあ別に珍しいことでもないが、今回は確かに安倍総理には痛い選挙であった。それでも辞めないんだからある意味大物である。多少鈍感力なこの人物が真に何をしたくて首相の座にしがみついているのか、とくとこれから見届けてあげたいものである。彼の言う「改革」が如何なるものか、それを形にしてもらいたいものだ。って別に、判官贔屓になってる訳ではありませんよ。
 年金問題一つとっても、不透明なことが多いのだが、結局、利権にまみれた政治家と役人がタッグを組んで、民の眼をごまかしている構図はどこの業界も変わらないだろう。安倍総理の弱り目をいいことに、各所で公共事業の増加復活を叫んで狼煙を上げている土建屋どもがいるが、とんでもない話である。野党が郵政改革を阻止しようという法案を出しているのも甚だ笑止である。お前らやっぱり同じ穴の狢だったんだな、と思わず妖怪でも見るような眼になってしまう。
 利権について思いを馳せる今日この頃なのだが、最近もの凄く面白くてはまっている本がある。かつて久米宏のニュースステーションの特派員で顔を知られた元朝日記者・秋庭俊氏の一連の東京地下本である。新潮文庫の『帝都東京・隠された地下網の秘密1・2』、講談社α文庫の『新説 東京地下要塞』、二見文庫の『大東京の地下99の謎』がそう。
 もうね、トンデモ本に近いすっごい話が展開されているので、最初のうちは戸惑うが、東京の様々な地下事情を鑑みると、段々信じる気になってくるから不思議。
 要は、江戸時代から連綿とこの東京の地下には民の知らない地下網が張り巡らされていて、一部の人間(江戸なら侍、明治以降なら軍部と役人、占領期はGHQ、その後は政府官僚)だけが特権的に使用してきた。しかもその地下網に戦前から地下鉄を張り巡らしていた、というもの。
 ここだけ聞いたらはっきり言って、宇宙人がアメリカ政府とコンタクトしている(『Xファイル』や『ロズウェル』かよ、懐かしの)等の、壮大な国家陰謀論になってしまうのだが、お立会い!東京近辺にお住まいの方なら色々思い当たる節がちらほらあって、最終的に首肯してしまうのだ。
 オオヤケの歴史を申せば、戦前に掘られた地下鉄は銀座線ただ一本だけなのだが、軍部が使用した地下鉄網は形を変えて戦後改修され、段階的に民間に下賜されているそうだ。例えば首都高速のあの三宅坂ジャンクションの恐怖ポイント(本線を走っているつもりがいつの間にか新宿線に入っていてパニックで事故を引き起こしそうになる!)も、戦前地下鉄の切り替えポイントをそのまんま高速に再利用した結果であるという。
 東京の地下鉄がくねくねと不思議な線を描いているのも、元々存在したトンネルを無理矢理再利用した結果であるとか。地図の白描問題や、池袋サンシャイン地下の謎、など刺激的な論考がたくさんで、言葉は悪いが読んでてワクワクしてしまった。
 もちろんトンデモ本扱いされるくらいで、ほんとに
ほんとにほんとにそうなのか?と問い詰められたらなんとも答えようのない本だが、私は信じるよ。都市計画を担当している知人がかつてぽろりと「東京の地下は利権だらけ」と言ったのを聞いたことがあるからね。「都市計画は利権の甘い汁の宝庫」というのも言ってたぞ。一人でなく複数の人物の口から聞いた言葉だから間違いはないだろう。
 「権利」と「利権」は字を逆さまにしただけなのに、与えられている相手が全然違う。国民の権利として地下を知る権利、年金の用途を知る権利、土木工事のカラクリの裏を知る権利、政治家の歳入歳出を透明化する権利、防衛費の本当の使い道を知る権利、等等は当たり前の権利なのだが、そこに利権が立ちはだかる時、真実はいつも闇の中である。陽の当たらない場所に掘られて放置された地下道のように…。
 大きな利権構造がもしかすると自民から民主へと移行してゆくのかもしれない。現代、そんな岐路にこの国は立っているのである。ああ、こんなに真面目に政局を語るなんて、このHPらしくないっ!!!
のお願い 7月28日 
 うるさいのである。暑いさ中に毎日毎日街宣カーで「最後のお願い」に来られると、こっちとしてはトマトか卵かでも投げつけてやりたくなるというもんである。それで選挙妨害というなら、よほど馬鹿げたウグイス鳴きのほうが他人の仕事を妨害してるだろうに。
 もはや、痔見ん党の政権は末期症状である。毎日のように大尽(大臣ではないのよアヤツラは)や棺凌(官僚じゃないね)が不祥事を起こして、人を小馬鹿にしたような「陳謝」を述べる。メソッド通りの謝辞などいい加減聞き飽きた。地震で原発が危機に陥ってても色々隠してくれるので、世界中に注目してもらえてマコトに嬉しい限りである。
 ダメでしょう?あの国は。僅かな年金でさえ年寄りにやらず、地獄のような環境で働かされる若者から年金の金を吸い上げ、それでいったい何を作るというのだろうか。「美しい国」なんてタワゴト抜かす馬鹿野郎が総理だもんな。「美国」と書いてミーコーと読めば中国語でアメリカさんのこと。なるほど、政府のトップたちはあの国をもっとアメリカさんの支配下に置きたいらしいね。
 かと言って明日は惨疑院選挙であるが、いちおう行きますけどね、最大野党らしい眠衆党なんかに誰が票を入れるもんかね。痔見んの一番ばばっちい部分が外におん出されて出来た政党ですぜ、まともなことをしてくれるはずがないのが自明の理。そりゃあ、道理の判った市民が絶望するわな。
 どこの党も最後のお願いで走り回っているが、私はさっきからどこの党が何回来たのか、しっかりカウントしている。できれば小うるさい「お願い」に一度も来なかった候補者に入れたいと思っているが、それは多分無理だろうから。選挙資金の無駄使いをしない候補者を選ぶのも見識のひとつであろう。美しい国、というものが本当にあるとするなら、たぶんそれは、会話を遮られることのない、騒音のない静かな国であろう。声がでかい(主義主張だけの激しい)ヤツが権力を握る国ではないはず。
 願わくばこのお願いが、与党既成権力の「最期のお願い」とならんことを。無理だと思うが……
ハリポタ最終巻狂想曲 7月20日 
 ニューヨーク・タイムズの書評欄でハリポタ最終巻の粗筋がバラされて、原作者のJ・K・ローリング女史が大層ご立腹なのだそうであります。バラしたのはNTの名物文芸評論家、ミチコ・カクタニ女史。はは、女史対女史の一騎打ちですか。ハリーとヴォルデモートの戦いよりも見応えありそうですな。
 私は映画しか見たことないのでナンとも言えないが、正直、このシリーズの国内外での売り方にすっきりしないものを感じていたので、まあ、少々ザマーみろ、な気分になったのは否めない。なにせ、最終巻の粗筋を隠すためだけに、出版社と原作者サイドは1000万ポンド費やしたということだし、この話がガセでないならば、なんという無駄なことをするのだと思う。こんな膨大な死に金、使うなっての。慈善にでも使え。世界中の貧しい子どもにワクチン打ってまだお釣りがくるってば。
 サンスポの記事だと、「『多くの読者、特に子供たちの願いを踏みにじる行為』(ローリングさん)」ということだが、自分だって以前から、「主要人物の少なくとも二人は死ぬ」などと思わせぶりなことを言っていたのだし、その時点で読者の悲鳴が聞こえていなかったとしたら、随分、鈍感な人だとしか言いようがない。
 たかがファンタジーと言って済ますのは論外だとしても、「一将功成りて万骨枯る」という出版業界の一大独占企業と成ったハリポタなので、業界の中でもねたみそねみは当たり前、そりゃあもうゲラでもプルーフでも書き反故でも虎視眈々と狙われて当然ですな。単純に結末を人より早く知りたいというIT長者の欲張りさんが無駄金積んだのか、いやはや。
 フィンランドのある街では、スーパーの店員が取り決めを知らず、ハリポタ最終巻を店に並べて一冊(笑)誤って売っちゃったとか、馬鹿な話は尽きない。日本でも発売解禁(あくまで原著ね)が明日に迫っているが、今頃世界のどっかでこっそり本の包みを破いている書店員はいると思うよ。エピローグだけ読んじゃえ、とか言ってね。
 最初のNTの記事内容に戻ると、さしてネタバレしているとも思えず、いつも辛口なはずのカクタニ女史がわりと誉めてんの。誉めてんだから多少フライングしてもいいじゃん、と神保町フライング発売派の私としましては、原作者サイドの「なによ!ぷりぷり」な態度がますます気に食わないのであります。これで実は話題づくりのリークだったら、段ボール肉まん並みに腹立ちまんなあ。
 まあ、最終巻に関する謎は総て、夜が明けて書店のシャッターが開いてから明らかになるわけですが、さしもの私も原作はゼッタイ買う気になれんなあ、と苦笑い。商売高い原作者&出版社&翻訳出版社様に於かれましては、益々のご清栄をお祈り申し上げる次第です。ぶひぶひ。最後っ屁に、最終巻の書影を特別に立体版で載せてみますた。皆様ご覧になって〜〜