鴨ちゃん死す! 3月21日 
 「鴨ちゃん」こと、フリーカメラマンの鴨志田穣が亡くなった。漫画家の西原理恵子のダンナである。4年前にサイバラと離婚して、それを毎日新聞連載の『毎日かあさん』でバクロされていたが、訃報を読むと、最期は復縁していたらしい。
 サイバラの公式HP「鳥頭の城」の「日々まんが」26回(2003年9月)に、こんな独白が書かれている。
 そんなに飲んで死んじゃってもいいの?という問いに、君のところで死ねるんなら大満足といっていたあなた。/できれば自分のとこで死なせてあげたかったけど、/死ぬって実はすっごく大変で、あんたはなかなかくたばんないし。毎日毎日ただ前のみえないけんかばっかし。/ああこのまんまじゃ一家心中まで、いっちゃうんじゃないかって。/今は自分から手をはなしてしまった事が、残念でしかたありません。/どうかどうかお酒をやめて、また元気にかえってきて下さい。
 マンガでも壮絶なアル中ぶりが描かれ、このやりとりでてっきり関係にピリオドを打ってしまったと思っていたが、「自分のとこで死なせてあげ」ることが出来たんだな〜、ってぼんやりと思った。よかったねって。死んでよかったも何もあったもんじゃないが、アル中を克服して、愛妻の元に戻って果てたのだな、と思えば、果報者ではないか。昨年以来、腎臓癌で闘病していたそうだが、この病気も壮絶な生き方と全く無関係ではあるまい。まだ42歳の若さでねえ。。。間近に迫った娘の入学式は見れなかったんだね。。。
 破天荒でアツくて涙もろく、無責任ぽいけど憎めないキャラだった鴨ちゃんの最期を知って、なんだかしんみりしてしまった。思えば西原理恵子ってひとも、実の父が彼女の生まれる前に生き別れ間もなく死んでいるのを皮切りに、なついていた義父を高校生の時に亡くし、男運に早世の星でも背負っているんだろうか。彼女のマンガが、あの稚拙すれすれの絵面にも関わらず、多くの人々の心をとらえて離さないのも、こういう運命を知っているからこそなんだな。
 またひとつ背負ってしまった宿命を、サイバラは描いていかなきゃならないね。辛いけど。これからますます彼女のマンガは深くなっていくのかな。でも鴨ちゃんがここ数年発表してきた言葉足らずだけどアツい文章は、もう読めないんだな〜。。。
『パフューム ある人殺しの物語』 3月12日 
 パトリック・ジュースキントの『香水 ある人殺しの物語』(現・文春文庫)がついに映画化されたので、観に行ってきました。原作は昭和63年に翻訳された幻想文学の名作です。18世紀フランスを舞台に、鼻男グルヌイユの殺人遍歴を、馨しきも悪臭もふんぷんと幻覚的に描いて、実に見事でした。出版されて間もなく読んで、未だに強烈に印象が残っています。この映像化不可能な難物を、どう料理したのか楽しみです。
 監督のトム・ティクヴァは私は知らなかったのですが、なんでも『ラン・ローラ・ラン』で日本でもカルト人気を誇っているとか。新しいドイツ映画の旗手(という触れ込みがかつてヘルツォークやヴェンダースの名に冠されていた頃が懐かしいですね)と言ってよい人材です。物語の舞台は最初から最後までフランスですが、原作者も監督もドイツ人。果たしてどんな仕上がりになっているでしょうか。
 主人公は体臭が全くない男です。孤児である彼は、匂いを持たないことでアイデンティティを予め喪失しています。だから失われた匂いを獲得すべく、調香師となり、処女を幾人も殺し、その芳香を我が物としようと試みます。
 なお、彼につけられた名前の「グルヌイユ」は仏語で「蛙」を意味し、彼が原作ではカエルのような醜貌の持ち主であると書かれています。某ちゃんねるで「撫で肩の杉本哲太」(笑、確かにそっくり)とか書かれていたグルヌイユ役のベン・ウィショーですが、それでも原作のグロテスクさには程遠いと思いますよ。
 原作のエピソードを生かして、戦慄すべき映像を次から次へと繰り出してくるティクヴァ監督は、まさに映像の魔術師、芳香の魔術師を描くに相応しい人物でした。一緒に観に行った、原作を知らない相方Tさんは、最初どんな話なのか狐に鼻をつままれたような気分だったでしょうが、最後には「面白かった〜」と歓声を上げていました。
 南仏グラースが物語の主な舞台となりますが、ここは世界の香水の首都と言うべき芳香精油の一大産地です。赤江瀑のエッセイ集『オルフェの水鏡』(文芸春秋・絶版)に、グラースについての一文があります。
 グラースという名のその南フランスの美しい町は、地中海に面した有名な紺碧海岸コート・ダジュールを見おろす海抜三百五、六十メートル余の高みにあり、カンヌから十七、八キロ北の山岳部に位置している。ほとんど一年中花の香の絶えない、広大な花野にかこまれた町である。
 すみれ、ヒヤシンス、ミモザ、オレンジ、水仙、黄水仙、薔薇、チューリップ、すずらん、リラ、ヘリオトロープ、ジュネ、百合、レセダ、くちなし、マグノリヤ、すいかずら、カーネーション、インモルテル、勿忘草、ジャスミン、チューベローズ、ラベンダー、カッシー……などの花々が、このグラース一帯の花畑には、季節を追って四季絶え間なく咲きあふれている。(「変幻の花の香を生け捕る」)
 赤江氏は最初の長編『オイディプスの刃』(現・ハルキ文庫)で、香水の世界を描いていて、調香師の兄弟がひとつの香水を巡って殺し合うという物語になっています。ジュースキントに先んずること、十一年前の昭和49年の作品になります。また、耽美派巨匠・中井英夫も昭和50年刊行のカラー新書『香りへの旅』(現・創元ライブラリ文庫版、中井英夫全集11巻)でグラースを訪問しています。グラースは芳香を愛する人々の間でつとに有名な香都だったのですね。ジュースキントがこの町を舞台に、至高の香水の誕生を描いたのも当然でしょう。
 さて、原作は唖然とするような結末で賛否両論でしたが、映画のほうもこのとんでもない結末を踏襲しており、従って、ブラックユーモアやファンタジーに耐性のない方は、なんじゃそりゃ〜、と思っちゃうでしょうねえ。まあ、万人向けでないことは、この私がこのHPで取り上げていることで明瞭なのですが(苦笑)、グロテスクな映像美溢れる傑作です。クライマックスの数百人のラブシーンなど、呆気にとられるような実験的映像がいっぱいで、楽しめます。
 相当グロテスクだし、残酷な描写もありますが、やはりこれもまた壮大なホラ話の系統に入るのではないでしょうか。かつてスタンリー・キューブリックやティム・バートン、ミロス・フォアマンといった名だたる幻視系映画監督たちが、競って映画化を交渉したというのもうなずけます。ですが、原作者が首を縦に振らず、原作刊行から20年の時を経て、今回、ようやく映像化されました。それだけでも一見の価値ありますね。
 
3.23 追記 気になって原作文庫を買って再読したら、ブサイクとは書いてあったが、グルヌイユが蛙のごとき面相とはどこにも書いてなかった。すまんな、ジャン=バティスト、わしの記憶もスが入っとるわ。でもグルヌイユちう名前を作者が与えたのは、言外にそう滲ませているのだ。
幻想と情念の年代記『赤朽葉家の伝説』 2月16日 
 昨年末に刊行された、桜庭一樹の新作『赤朽葉家の伝説』(東京創元社)は、桜庭本来のライトノベル読者のみならず、江湖に広く知らしめたい傑作である。鳥取の山と海に挟まれた架空の「紅緑村」を舞台に、昭和から平成へと移り変わる製鉄一族の女三代を描いた大河小説なのだが、そのアプローチが独特のマジックリアリズムに彩られていて素晴らしい。ちょうど、30年ほど前に読書界を席巻したラテンアメリカ文学の味わいを持っている。最近、そのラテンアメリカ文学の一番の稼ぎ手であるガブリエル・ガルシア=マルケスの小説全集が新潮社から出始めたばかりで、実にタイムリーである。なかんずく、マルケスの最高傑作『百年の孤独』にこの『赤朽葉家』は似たテイストを持つ。
 マルケスの『百年』は、ブエンディア一族の作った町「マコンド」の百年の歴史を通じて、一族の、アウレリャノ、ウルスラ、アルカディオ、といった同じ名前を持つ子々孫々が何代にも亘って、それぞれの孤独な人生を送るという物語だが、それをぐっと縮めて昭和から平成への五十年間の戦後史に置き替えて、元サンカの棄て児にして赤朽葉に嫁いでからは「千里眼奥様」と呼ばれた超能力者の万葉、その娘で中国地方を牛耳ったレディースの総番長から少女漫画家へと転身した毛毬、さらにその娘で特殊な能力の持ち主だった祖母や母に似ず平凡な己に生き惑う瞳子、の三代の女たちの情念を、ラノベで鍛えた軽やかさで描いた小説である。
 この祖母母娘の三代に、泪、百夜、鞄、孤独、という奇妙な名前の毛毬の兄弟姉妹たちと、旧家の周囲の人々の傍系の物語が絡まって、まさに大河を為す小説であるが、その三代の間に、たたら場から身を起こした製鉄業の発展と衰退が重ね合わされ、今は遠くなりにけり、な昭和の戦後の御世を記憶化している。この製鉄一族にはどうやら実際のモデル(坂口家という製鉄業の名家)もあるようだが、舞台の紅緑村もおそらく米子市及び上流の日野川流域を主たるモデルに使っているようである。
 もちろん現実にない舞台をわざわざ拵えているくらいで、単に一地方の歴史のみならず、普遍的な世界像を作者が意図しているのは明らかなことだが、作者が自身の出身地である鳥取と面と向かって取り組んだことには、自分の創作する虚構を自らのルーツの中に組み込みたい神話化の目的があるのだろう。伝説は長大なサーガとして見事に再話された。
 昨年は同種の小説が同時多発的に、鳥取の隣、岡山の岩井志麻子によっても書かれていて『べっぴんぢごく』(新潮社)という傑作に結実しているのだが、岩井が自らのテーマである因果応報のカルマの世界をよりハードな原色図会として描いているのに対し、桜庭の大作は淡彩の幻想に溢れた口当たりの柔らかいクロニクルである。家の桎梏に逆らわずいとも容易く受容する女たちは、けして旧時代的な家の犠牲ではなく、彼女たち自身がたたら場の守護霊のように見えてくるから不思議。
 今回、この長編は吉川賞新人賞の候補になっているそうだが、賞をもらっても不思議はない作品である。それだけでなく、私にとっては、大切なパートナーの生まれ故郷がこの作品の舞台になっていることで、なお一層味わいが増した。「野性時代」の桜庭一樹特集号を本人に見せて確かめると、確かに紅緑村は米子市近辺を模しているらしい。
 日本海側の寒冷な気候が生んだ、幻想と情念に充ちたクロニクル。桜庭ファンはもちろんのこと、幻想文学アンテナを張り巡らす人や、宮尾登美子調の女の一生ものが好きな人、世界文学のマジックリアリズム読者にも、受け入れてもらえるのではないだろうか。
横溝ガジェットの是非を問う 2月3日 
 いささか旧聞だが、正月明けの5日にフジテレビ系で稲垣吾郎版『悪魔が来りて笛を吹く』が放映された。今までの稲垣金田一が非常に出来がよかったので期待して見たら、あにはからんや、微妙な出来だった。
 原作にもあるのだが、金田一が珍しく関西に赴き淡路島へ行く場面がある。そこに妙海尼という人物が登場するのだが、本作ドラマでの妙海尼はせっかく芸達者な銀粉蝶が演じているのに、銀髪振り乱し、見たまんま、『八つ墓村』の濃茶の尼であった。隠された秘密をみみずののたくるような文字で破れ紙に書き付けて残したことろなども、そのまんま『八つ墓村』の脅迫状。
 また、榎木孝明演じる椿子爵が、失踪前に既に狂気に囚われているかのような演技も余計。もっと原作の雰囲気を歪めない、重厚な人間像を描いてほしかった。殺される被害者たちもそれぞれに、嫌悪感を催させる人物として描かないと、何故犯人がかくも陰惨な犯行に手を染めたのか、自ら悪魔と成り果てたのかが観ている者に伝わらない。こういう「横溝正史っぽい小道具・仕掛け」、つまり横溝ガジェットを多用して、原作の上っ面だけを撫でて単なる怪奇作品にしてしまってはいけないのだ。
 こういう無意味なホラー化が、原作の品位まで貶めかねないと思うので、敢えて文句一発かます次第。
 かつて昭和52年4月から10月にかけて、毎日放送系で放映された「横溝正史シリーズ」の中でも『悪笛』は映像化されていて、こっちは信じられないような高品位なドラマ化である。沖雅也の三島、草笛光子のアキ子夫人はじめ、名優・加藤嘉の玉虫伯爵やコケティッシュな中山麻里の菊江など、原作のイメージ通りのキャストが目白押し。わけても、江原真二郎の椿子爵と、長門裕之の新宮子爵が対照的なダメ貴族っぷりで、素晴らしい。ここまでのレベルを現代の稲垣版に求めても詮無いこととは承知の上だが、この横溝シリーズ、昭和52年の第一シリーズはどれも気が遠くなるくらい素晴らしい出来で、まさに横溝映像化の金字塔と言ってよかろう。
 何故、昭和52年の段階でこんな原作に忠実で凄い映像化が可能だったのか、以前から気になっていたのだが、翌53年4月から10月に放映された「横溝正史シリーズ」第二シリーズは、現在も連綿と続く古谷一行版二時間ドラマ金田一のノリで、はっきり言ってあんまり出来は芳しくない。しかも第二シリーズ開巻の『八つ墓村』は大胆な翻案が施されていて、すっかり因果応報ホラーと成り果てていたのである。
 この52年と53年の間にまさしく、実写版金田一を堕落させた根本原因があると思われる。
 そこで思い出されるのは、映画の動向である。昭和51年11月に東宝で、市川崑監督によって史上初原作通りの形で金田一映画『犬神家の一族』が封切られた。その後、52年4月の『悪魔の手毬唄』、同年8月の『獄門島』、53年2月の『女王蜂』、同年5月の『病院坂の首縊りの家』と石坂浩二版金田一シリーズが上映されている。そして連動するように松竹も52年10月、寅さんの渥美清で『八つ墓村』を封切っていて、これが「やつはかむらのたたりじゃ〜〜〜」の流行語を生み出し、大ヒット作となったのだ。
 しかし、この渥美版『八つ墓村』がすべての元凶だった。東宝の市川監督は久里子亭のペンネームで映画の脚本を書いているが、これがクリスティーのもじりであるからもわかるように、古典的な謎解きミステリに造詣が深かった。松竹の野村芳太郎監督も松本清張原作のミステリ映画を沢山撮っていてミステリの文法に通じているはずなのだが、後年クリスティー『ホロー荘の殺人』やエラリイ・クイーン『災厄の町』といった古典的パズラーを換骨奪胎して大変な愚作映画(『危険な女たち』『配達されない三通の手紙』)にしてしまったように、古典的パズラーに向かない人選だった。当然、日本の古典的パズラーである『八つ墓村』も充分に理解していなくて、結局、すべて尼子の落武者の祟り話にしてしまったのである。作品全体が謎解きを眼目とせずホラーを目指してしまったのだ。
 ここでいわゆる映像化における横溝ガジェットが生まれてしまった。祟りだの呪いだの因縁だのは確かに横溝の全作品を覆う影のようなものであるが、あくまで近代的謎解きパズラーとして描かれる金田一シリーズは、それらの因縁悪鬼を払い落とすことで物語を終えるのだ。必要以上に「祟りじゃ〜〜」とこられては、大切な謎解きの邪魔になる。
 結局、今回の稲垣版『悪笛』も、横溝ガジェットに深く囚われすぎて本来の雰囲気を台無しにしてしまった悪例と言えようか。横溝ガジェットは本来原作に忠実であったはずの古谷版でも横行しており、ことに近年の二時間ドラマ版は見る影もない。短編「雌蛭」と「蝋美人」に基づいた『白蝋の死美人』や、金田一シリーズじゃない『真珠郎』を原作とした「神隠し真珠郎」など、見るに耐えないものだった。
 古典的パズラーとしての性格をもっともよく残していたのが、「横溝シリーズ」第一シリーズとなるわけだ。今後、ここで放映された『犬神家の一族』『本陣殺人事件』『三つ首塔』『悪魔が来りて笛を吹く』『獄門島』『悪魔の手毬唄』は映像化のスタンダードとして、テレビで再放映でもして多くの人に見てもらいたいものだ。
日本五大名飯「忠七めし」を食らう! 1月16日 
 その日はさぬきうどん紀行を書き上げた仕上げに「イーハトーボ」の行ったのだが、正午過ぎに行ったにもかかわらず、うどんが品切れで、途方に暮れたわたくしたちは、寄居町の近く、小川町にぶらぶらっと出向いた。埼玉の小川町、ここは学生時代以来、私が家族友達連れやひとりでしばしばぶらりと訪れてきた小京都である。何故か由緒ある建物や、芭蕉の句碑、埼玉には珍しい酒蔵(松岡醸造の帝松はわりと手ごろだけど旨い酒だ)などがちらほらあって、この町は低回趣味のある爺臭野郎にはもって来いだ。
 以前から気になっていた「忠七めし」なる名物をこの際食ってやろうと、相方と相談して、この名物を出す割烹旅館「二葉」さんにお邪魔したのだった。
 この「忠七めし」、お店のHPで調べると、日本五大名飯のひとつらしい。他の四つの名飯ってどんなんや、と一口に言うと、岐阜の「さよりめし」(塩さんまの混ぜご飯)、東京の「深川めし」(あさりご飯)、津和野の「うずめめし」(野菜や豆腐を煮たものを山葵と共に白ご飯の下に隠し、出汁をかけて食べる)、大阪の「かやくめし」(アゲや鶏の炊き込みご飯)となる。いつ五大名飯が決定されたのかというと、昭和十四年の全国郷土料理大会というから微妙。洋食も中華料理も花開くモガモボ時代の後だと言うのに、素朴なものばっかりである。ま、郷土料理だかんね。ちなみに「深川めし」と「かやくめし」は我が家の献立に入ってたりする。
 肝心の「忠七めし」は、HP引用すると「この地方でとれます柚子・ねぎ・山葵と海の幸の鰹と海苔のハーモニー」とある。由来は、「二葉」の八代目当主忠七さんが、常連客の山岡鉄舟のふれあいの中で生まれたそうで、幕末三舟の一人として高名な鉄舟とはまた、オソレオオイことである。書画に通じ、剣客としても有名な鉄舟の極めた三つの道「剣・禅・書」にちなんだ「山葵・海苔・柚子」のハーモニーですかっ!…それって居酒屋の海苔茶漬け…とか言うた暁には、鉄舟居士に斬って棄てられますがな。
 さて、「二葉」は小川のメインストリートから一歩すっこんだ場所にあった。隣は「女郎うなぎ」という艶っぽい名前のうなぎを出す「福助」。ここは私の贔屓の店のひとつで、ちょっとしたデブなら歩くと崩壊しそうな古い店の二階にある、次の間つきのお座敷で、うなぎの白焼きで一杯やるのがオススメ。
 「二葉」の駐車場から裏口みたいな通路を歩かされて、旅館の玄関にたどり着いた。本館の古い建物は隣といい勝負だが、食事だけの新館「梅香亭」に通された。ここはラウンジ風のロビーや、エレベーターも完備で、車椅子老人を抱える私の家族でも来れるかな、と内心丸をつけた。エレベーターの中にはちょっとした生花もあって、小京都らしくていいんじゃないかな。
 お座敷に通されて、お膳についた。何を食べようか考えたが、今日はさすがにうどんの心積もりだったので、あまり高価なものは避けて、竹かごに盛られた「忠七めし御膳 里」を頼んだ。相方はうなぎにも心を動かされたようだったが、同じ「里」にした。
 二階の座敷の外には山水のお庭があって、由緒ある旅館らしい雰囲気が楽しめる。日帰りで来れる土地なので、さすがに泊まろうとは思わないが、泊まってみてもそれなりにいいんじゃないかな。
 待つことしばし、籠盛りの料理が運ばれてきた。まあ「忠七めし」込みで2940円だし、そんな期待はしてませんが、それなりの料理が中に鎮座ましましていた。卵焼きに松風、お浸しに茶碗蒸し、牛蒡のかき揚げ、などなど。素朴…ん〜、貧相とか言っちゃイカンのだろうね。まあ、いかにも田舎の旅館のご飯って感じ。
 それをつついていると、例の「忠七めし」が運ばれてきた。海苔のまぶったご飯と、鰹出汁の土瓶、そしてお櫃に入った海苔ご飯のお代わり。それにさらし葱と柚子と山葵の薬味。お新香に浜納豆。さすが剣豪鉄舟、貧相を通り越して無の境地である。やっぱり海苔茶漬け…と顔を見合わせてからおもむろに汁をかけて、ずぞぞっ…と啜った。出汁はなかなかよい鰹をお使いのようで、味は悪くない。おのおのお代わりできる飯の量だし。
 ここで私はかつて味わった貧相系名物を思い出した。江戸文化の名残高い根岸の「笹の雪」の豆富(豆腐、ではないの豆富)料理である。あんかけ豆富だのちり豆富だの出てくるのだが、いずれも少量かつ貧相であっさり、飽食の現代人に対する優れたアンチテーゼであった(皮肉ですからね〜)。
 ああ、これならうなぎ食っときゃよかった、という後悔にも駆られたが、そんなんではイケナイ。ここは禅味溢るる鉄舟ゆかりのめしをじっくりと味わわねば。うんうん、葱は近所の深谷の名物だし、柚子も小川の特産、山葵も外秩父の清水で育まれ、実に結構なお味でした。ぬか漬けの山牛蒡も、塩を吹いた浜納豆もいいね。それぞれ少量で堪能いたしました。歴史とか書画とか俳諧とかそういう向きの皆様にオススメです。あと「開運なんでも鑑定団」をご覧の方にもいいかもね。ぜひとも小川町で出張鑑定団のロケしてほしいな。
 皮肉半分、誉め半分のご報告となったが、のんびりとした雰囲気の中で幕末の往時に思いを馳せるのも一興かと思います。
湯島詣筆塚由来 1月9日 
 七日も過ぎましたが、あけましておめでとうございます。今年も独自のレトロサイトを貫きます。ブログでもなくトラックバックもリンクもなしメールも受け取らない一方通行文句あっかの放談サイトですが、今年もひとつ御贔屓よしなに。
 2007年の初詣は、5日に湯島天神のほうにお参りしました。朝の間に築地市場を初体験もしてみました。ではその時の道中記をどうぞ…。
 築地市場は初めて訪れたのですが、「ターレット」と呼ばれる立ち乗りの運送車がかまびすしく走り回っていて、えらい所に来たもんだ、と内心びびってしまいました。素人がうっかり迷い込んだら危ないかも。5日は仕事始めの日、とにかく私と相方は、初仕事の邪魔をしないように、肩身の狭い思いで市場を探索しました。場内市場のほうは朝のせりも一段落して、観光客が有名な鮨屋に行列をつくっていました。場外市場のほうはまさに迷路、狭い路地がくねくねと続くラビリンス、探検心をそそられて、あちこち見て回りました。まぐろの解体ショーも堪能し、迷宮の中の喫茶店にも立ち寄り、昼過ぎまで楽しんだのでした。
 鮨も食ってみましたが、そんな取り立てて凄いもんではなかったです。まあ魚の揚がる港って訳ではないですからね、あくまで取引する場所だし。逆に場外のラーメンが印象的でした。湯切の甘いベチョとした麺でしたが、スープは懐かしい鶏がら系の味でした。Tさんはけっこうこのラーメン気に入ったそうです。
 テリー伊藤の実家・丸武の卵焼きを買い込んで、一路、湯島へ。途中、上野広小路の「うさぎや」に寄ったのですが、ここも正月初仕事と見えて、人だかり。この和菓子屋はあの怪奇文学の泰斗、平井呈一翁のご実家なのです。翁の双子のお兄さんの創業したお店、といったほうが正しいかな。ここのどら焼は誰からともなく東京一と言われております。行列に並んでどら焼を無事買うことができました。皮がもちもち、餡がまだ温かいどら焼でした。
 さて湯島天神へ中坂を上がって…けっこう急な坂道ですね。他にも天神様の参道は男坂女坂とあって、ここが台地の頂上であることがわかります。泉鏡花の長編『湯島詣』には天神様から町並みを見下ろす場面もあるくらいですが、現在では、ビルの谷間に埋れてしまって形無しです。
 天神様の細道を抜け、御手洗で漱ぎ手を清め、お参りに。まだ三が日の余韻が残って、参道には露店が並び、振袖こそいないものの、お参りの人出で境内は所狭し。お賽銭収めてお参りを済ませ、おみくじもそこそこに、境内にあるはずの筆塚を探しました。
 泉鏡花の『婦系図』の一場面(というか実は本編では登場人物の語りで説明されるだけ)、湯島の別れを脚色した「湯島の境内」で有名なお蔦主税
(ちから)の別れの場面。それにちなんだ筆塚が建立されているのです。「湯島の境内」所収の種村季弘編のちくま文庫版集成片手に、写真を撮ってきましたよ。
 新派悲劇の舞台で明治以来多くの婦女子の紅涙を絞ってきた、ヒロインお蔦の、「死ねとおっしゃいよ。切れろ、別れろ、と云うから可厭
(いや)なの。死ねなら、あい、と云いますわ。私ゃ生命は惜くはない」という決め科白を、つい口ずさみたくなります。白梅はまだ蕾も固く、春まだ来ですが、祈祷所の暗がりから主税が出てきては、真砂町の先生に言われた通り、「俺を棄てるか、婦(おんな)を棄てるか、さあ、どうだ――と胸つきつけて言われたには、何とも返す言葉がなかった」とこれまた有名な言い訳を口にします。ここは鏡花の言霊が生き残る筆塚、さりとてあらむ。
 お蔦のモデルとなった芸者のすゞと鏡花は、お前たち別れろと迫った師の尾崎紅葉が都合よく、別れの半年後に亡くなってくれて、晴れて結婚できたのですが、小説の主税はその後篇では復讐に燃える色魔と成り果てます。『婦系図』は、悲劇はむしろ傍系のストーリー、一代の悪漢小説としても読めますね。
 そんな婦女子の湯島詣も今は昔となりました。鏡花の『湯島詣』もこれまた悲劇、堕胎して狂気に陥ったヒロイン蝶吉と恋人の心中立て物語、舞台映画でかつては有名だったメロドラマです。雑誌「幽」の鏡花特集で東雅夫編集長曰く、「土地の地霊に敏感だった」鏡花のこと、江戸っ子に愛された天神様(そういや天神様・菅原道真公も大変な祟り神じゃないか)を、ご挨拶のつもりでしばしば登場させたのでしょうね。
 その後、門前の老舗「鳥つね」で親子丼食べて、境内に戻り、丸武を丸かじりしました。天神様、みっともないとこお見せいたしました〜〜。
 地霊にご挨拶、これこそ、幻想者の心がけですよ。本年もよろしくってね。なんか讃岐紀行の沙弥島の回とリンクしてしまった今回の道中記でした。