今年のベストダズンはコレです 12月31日 
 国内編が三つ巴だったのですよ。こりゃー、嬉しい悲鳴だね。今年も楽しく毒書生活を営めたのでございますが、この期に及んでパラパラと再読をしてみても、どれも棄て難く、また、どれも魅力的です。いっそ三冊とも1位にしちゃおうか。えーい! そうすべえ。…ってそういう訳にもいかんやろ? くだんの三作はいずれも、是非とも皆様に読んでいただきたい名作でありますが、泣いて馬謖を斬るつもりで順位を付けました。泣き濡れて馬謖は斬りましたが、『レッド・クリフ』は観ておりません。ぶひぶひ。
 ちなみに、篠田節子の『仮想儀礼』(新潮社)と鈴木光司の『エッジ』(角川書店)が、31日までに読了しませんでした。読了してたら、もしかするとこの熾烈な1位争奪戦に絡んでいたかもしれません。だからさー、12月の下旬にもなって上下巻のクソ分厚い本を出すな、っつうの! 年内に読めんわっっ!

国内編
 6位 『デス・ナビゲーション』坂野康隆 徳間書店
 5位 『草祭』恒川光太郎 新潮社
 4位 『ファミリーポートレイト』桜庭一樹 講談社
 3位 『伯林星列』野阿梓 徳間書店
 2位 『造花の蜜』連城三紀彦 角川春樹事務所
 1位 『テンペスト(上・下)』池上永一 角川書店

国外編
 6位 『閉店時間』ジャック・ケッチャム 扶桑社ミステリー文庫
 5位 『サイモン・アークの事件簿1』E・D・ホック 創元推理文庫
 4位 『リーシーの物語(上・下)』スティーヴン・キング 文藝春秋
 3位 『20世紀の幽霊たち』ジョー・ヒル 小学館文庫
 2位 『ポドロ島』L・P・ハートリー 河出書房新社
 1位 『カニバリストの告白』デヴィッド・マドセン 角川書店

 今年は国外編から話題をふりましょうか。国外6位は定位置になりつつあるケッチャムさんの、中編4作が収められたオトクな作品集。集中、とりわけ「雑草」の最悪感はまさにケッチャム真骨頂。心臓の悪い人には薦められません。いえ、そういう方こそゼヒ読んで、泣いて嘔吐してください。悪意ある私からの、くりすまそぷれぜんとです。
 キング先生とヒル君の親子が並んで入ったのは偶然ではありません。短編においては息子のほうが親父よりも優れているんでないか、と思った次第。ご子息の長編『ハートシェイプト・ボックス』(小学館文庫)と比べれば、まだお父さんの近作の方が遥かに達者なのです。
 創元推理文庫の名アンソロジー『怪奇小説傑作集』の第2巻冒頭を飾る名作がタイトルになった『ポドロ島』は、とにかくコワキモチワルイ。幻想文学好きには長年待ち望まれた一冊ですね。オカルト探偵サイモン・アークの事件簿が一冊にまとまったのも嬉しい(続刊もあるらしいし)。今年はホック氏の急な訃報に接して切ない気分になりましたけど、長年にわたってこつこつと書き溜められた短編は、永遠の輝きを持って残るのですよ。
 で、再びの問題作、『カニバリストの告白』。いやー、面白いっす。人肉&ゲイテイスト好き(そういうジャンルあるんかーい!)にはたまらんわ。グルメな皆様におかれましては、ぜひともご賞味いただきたい、素晴らしきグルメ小説でございます。ブラックでダークでキ印。両刀遣いの天才料理人オーランドー・クリスプの、料理愛に充ちた半生記です。物語を彩るおいしそうな肉料理の数々には、ちゃんとレシピが添えられています。うーむ…実践的?
 マドセンは覆面作家で、本国えげれすでも正体がさっぱりわからんらしいですが、第1作『グノーシスの薔薇』と第3作『フロイトの函』(ともに角川書店、どっちもブラックでクールな傑作!)が先に紹介されて、第2作は随分待たされましたねえ。案の定、問題作だったってえ訳ですな。ついでに言うと、作者は本気で、『オーランドー・クリスプの肉食料理ブック』(未訳・ディーダラスプレス社)なるレシピ集⇒⇒ を出版しております。奥様、今夜の献立にお悩みの時にはゼヒ。
 さて国内に目を移しますと、6位『デス・ナビ』は、チープ感漂う都市伝説ホラーとして楽しめました。もちろん「チープ」は褒め言葉ですよ。5位『草祭』の、怪談文芸としての格調高さも大好きですが。
 桜庭一樹の直木賞受賞後第1作(出版上の第1作『荒野』文藝春秋、はリライト作品ですからね)の『ファミポー』は、幻想的な前半の逃亡生活編が、浮遊感溢れる寓話となっていて、心地よい。ここでリアリティがないとか言い出すバカはそもそもこの種の小説を手にすんなよな。後半の作家成長編は、なんだか桜庭氏本人の顔がコマコにダブって見えましたね。これって、けっこうホンネ?
 さあ、三つ巴の三作ですが、いずれも前作からけっこう待たされましたの新作です。野阿氏『ソドムの林檎』から8年、連城氏『流れ星と遊んだころ』から5年、池上氏『シャングリ・ラ』から3年。待たされた甲斐があったなあ。
 3位の『伯林星列』については、今年の2月2日にこの日記で紹介済みなので、擱くとして、2位『造花の蜜』。連城氏の騙しのテクニックが冴え渡る逸品で、誘拐事件を描きながら、話はまったくセオリー通りには進みません。これでもかと読者は欺かれます。『私という名の変奏曲』や『どこまでも殺されて』の頃からの連城氏のお家芸「多重どんでん返し」が存分に味わえて、失神寸前の快感を感じるでしょう。千枚を超えるボリュームなのに全然たるみがなく、終章まで一気に引きずられていきます。
 氏の数ある長編小説でも、『褐色の祭り』や『牡牛の柔らかな肉』の淫靡さはありませんが、同じく誘拐を扱った、休筆直前の話題作『人間動物園』を凌ぐとんでもなさです。長年連城氏のファンをやっててよかった〜〜!! と素直に喜べる傑作。ご家族の介護、ご自身の病気など、心配の種は尽きませんが、これを機に、氏には再びの充実した執筆活動をお願いしたいものです。
 連城氏や野阿氏の快作が一籌を輸した訳ではありませんが、1位の『テンペスト』はあまりのハイテンション・ジェットコースター状態に、失○寸前になること幾たび、でした。ホント、一気に読んだら座り○ょん○ん漏らすってばさ。
 時には男になり時には女になって首里城の裏表で活躍する、スーパーヒロイン・真鶴=寧温と、どこまで堕とされてもゾンビのごとく這い上がってきて真鶴を苦しめる、スーパーヒール・聞得大君=真牛の、女怪対決を縦糸に、滅亡直前の琉球王朝の、咲き零れるばかりの美意識に裏づけされた人間群像の面白さが横糸に、絶妙に絡まりあって止まるところを知らず、読んでる間中アタシゃ、鼻血が出そうな勢いで読み進めました。近年稀に見るページターナーです。
 なによりも感心したのは、今まで全く知らなかった琉球王朝の文化の爛熟ぶりで、「科試」と呼ばれる採用制度に基づく文民統制(シビリアン・コントロール)の行き届いた知的平和国家としての面、そして、ふたつの宗主国=清と日本の間で揺れ動きながら、大国に美と教養で一歩も引けをとらず丁々発止と渡り合う度胸ある独立小国家の矜持の面。いずれをとっても、現在の私たちの想像し得る「沖縄」のイメージをかるーく凌駕した、驚きの世界が描かれています。以前沖縄旅行に行った時、何気なく訪れた首里城でかつて、このような絢爛たる王朝絵巻が繰り広げられていたのかと思うと、その時は無知だった己が恥ずかしく思えてきます。
 実在の人物も多数取り入れられた歴史小説のふりをして、実はポップでキャラ立ち絶妙のファンタジー。しかもそこに日本人の大好きな『おしん』『大奥』『リボンの騎士』的な萌え要素がガンガン取り入れられた、まさにおいしいとこどりジェットコースター・ノヴェルです。年末のエンタメ業界内レースでは意外と点数が伸びませんでしたが、この分厚さに恐れをなすよりも、いざ手に取ってみれば忽ち、鼻面引きずり廻される快感に囚われることでしょう。
 個人的には、池上氏の作中作と思しき琉歌が、要所に挟まれていて、これがなんとも素晴らしく、私と同年生まれの作者に羨望を感じました。読み終えて私は、葛原妙子の「わがうたにわれの紋章いまだあらず/かなしみのごとくたそがれ来る」を呟いていました。
 二年前の大晦日に『安徳天皇漂海記』をオススメして以来のテンション上げ上げ状態となりましたが、いつかこの『テンペスト』を携えて、沖縄を訪れてみたいと願います。本来誇り高い独立国だった琉球から、主権も矜持も城も文化すら奪い、多くの人命までも奪った「ヤマト」の末裔として、その時何を感じるのでしょうか。
中島みゆきの最新夜会 12月19日 
 『夜会vol.15 夜物語―元祖・今晩屋』に行ってきました。実は今年はチケット先行発売に落選して、諦めていたのですが、複数の有志の方から、「物語がわかり辛いのでお主が行って見て参れ。そして解説してくんろ」と言われまして、ありがたくも千秋楽のチケットまで押し付…いーえ、お譲りいただけて(実費でな)、無事見ることができたのです。ああ、ありがたや、ぷひぷひ。中野のほうに足を向けて寝れませんわ。でもこの時期に不意のニマンエンは痛いぜ。
 ファンとしてノンキに見るだけでなく、今回は解説というオシゴト半分で参りまして、ちょっと頑張って観ちゃいました。シチュエーションがわからない、と仰った中野のB氏、あなた、原作の「山椒大夫」読んでないでしょ? それではオモロイはずございませんよ。あとから読んだという方もいて、まあ、悲喜交々。森鴎外の原作
[大正四年・1915年発表]を解読しながら、いっちょ感想を語ってしまいましょか。
 原作も充分に有名な作品だと思いますが、なによりも、まんが日本昔話でお馴染み、安寿と厨子王ものがたり、と言った方が分かりやすいかな? もともと鴎外のオリジナルな話ではなくて、中世に発生した説教節の有名作品「さんせう太夫」が基になっています。そもそも説教節とは、有り難い仏の御威光を広めるために語られた民間芸能で、「さんせう太夫」も本来は、丹後国におはします「金焼
[かなやぎ]地蔵」の霊験あらたかなお話であります。
 この「さんせう太夫」のテキストは、岩波新古典大系第90巻『古浄瑠璃 説教集』に収められておりますが、鴎外のリライトしたものに比べると物語がたいそう残酷です。佐渡に売られていった母親は、逃げないように足の筋を切られ目を潰されます。鴎外の「山椒大夫」では子ども達のことを案じて泣き過ぎて目が潰れたとされていますが、実は人為的にメクラでイザリにされていたのです。人身売買が違法でなかった時代の恐るべき実態です。
 姉娘・安寿の運命もむごいというか哀れというか、女の足では足手まといになるので弟ひとりを逃がし、事が発覚して山椒大夫たちに責め殺されます。鴎外はそれを、彼女自ら入水した、と書き直しています。「山椒大夫」の執筆について自家解説したエッセイ「歴史其儘と歴史離れ」
[大正四年]によると、歴史についてそのまま書くことに倦んで、歴史を離れて書きたかった、とありますが、そういうフィクショナルな動機とは別に、私見ですが、鴎外には当時、数えで十三歳になる長女・茉莉がいまして、二度目の結婚で授かった初の女子をたいそう可愛がっていたので、茉莉とほぼ同年の安寿を男たちに嬲り殺しにさせるのは、書くにしのびなかったものであろうと考えられます。ちなみに、森茉莉はのちに作家になります。
 ではようやく夜会の話に移るとしましょうか。
 今回、四人の登場人物が舞台に上がります。第一幕「縁切り寺」で「暦売り」を演じる中島みゆき様。「庵主様
[これはもちろん、アンジュと掛けている訳です]」を演じる香坂千晶嬢。唯一の男性、「ホームレスの画家[というか乞食]」を演じるコビヤマ洋一氏。今回からの登場、「逃げた禿[カムロです。ハゲではありません]」の土居美佐子嬢。それぞれが「安寿と厨子王」の登場人物の生まれ変わりらしいのですが、それがはっきりしない。各々が各々の生まれ変わりというよりは、物語の推移とともに変化してゆく。
 まず「暦売り」は水色の水干
[すいかん]姿で、どうやら平安後期から鎌倉の人物らしい。地べたに風呂敷をしいて暦を売っていますが、彼女の行李の中身を双眼鏡でじっくり観察しますと、「五穀」という文字のついた袋が見えます。穀類を扱うといえば、佐渡で粟を盗みに来る鳥を追う仕事をさせられている厨子王たちの母親です。第二幕の冒頭で、暦売りは安寿の靴を履いて出てくるので、そこが唯一、みゆきさんが安寿になった場面といえましょうか。けっして三人一役でややこしくなっていることはなかったです。安寿が乗り移った時にはそれぞれ象徴するものを身に着けているので、注意深く見ていれば、安寿の瞬間は簡単に見分けられます。
 しかし、暦売りはやがて、自ら目隠しをして鳥を追う竿を持って母となって、悲痛な歌「ほうやれほ」を唄います。この「ほうやれほ」は、「さんせう」では「厨子王恋し、ほうやれ、うはたき恋し、ほうやれ、安寿の姫恋しや」と唄われた歌に、鴎外が「鳥も生あるものならば、疾う疾う逃げよ、逐わずとも」というヒューマニズムの極みともいえる一行を足した歌に、さらにみゆきが追加の歌詞とメロディを付けた、まさに世代を越えた絶品です。この場面ばかりは観ていて目頭が熱くなりました。
 「庵主様」は名前からすると本来は安寿なのですが、同時に、他の連中の世話をかいがいしく焼いているし、何かの場面でコビ氏に「高えの〜」と言われて、「はい、たけ〜です」と答えているので、これは、佐渡に売られる船から身を投げたお女中・うば竹
[「さんせう」では「うはたき」と表記されています]と思われます。水死して現代に生まれ変わったうば竹は、水に潜る水族館の飼育員になっております。
 「逃げた禿」の「カムロ」はおかしなもんで、遊郭が整備された近世・江戸時代以降の人物に見えますが、カムロアタマ、すなわち、おかっぱ頭は、弟と一緒に山へ柴狩りに行くことを志願した安寿が、山椒大夫の息子・三郎の意地悪で童姿に髪を刈られた姿を表しています。王朝の時代、貴族の女性は伸ばした黒髪を削がれることがなによりの屈辱でした。髪を切られるということは、レイプされるにも等しいことだったのです。安寿はそのことを悲しんで、身を投げたのです。転生した現代編の「逃げた花嫁」もそういう、死によって守られた処女性と関係があるのでしょう。男に汚される前に逃げた=死んだ安寿のことですから。最初に「安寿の靴」を履いて登場するのもこのカムロですしね。
 厨子王役のコビ氏が何故乞食画家や現代の左官屋さんになるのか、必然性がよくわからないのですが、原作の厨子王や「さんせう」の「つし王
」はもともと受領階級の子息で、福者[鴎外は大胆にも実在の関白・藤原師実の名を出していますが、「さんせう」では架空の長者・梅津院]に拾われて、丹後の国司となるとされます。ただ、もしも厨子王が姉を棄てて逃げたことを後悔して死んだなら、もしかすると、転生して乞食者に身を落とすくらいのことはあるかもしれませんね。国司の衣官のひとつに「目」と書いて「サカン」と読ませる位があるので、左官屋さんはその連想か、とも思われますが、守[カミ]、介[スケ]、掾[ジョウ]、目[サカン]という順番でサカンは今で言うなら係長クラスですので、丹後守となった厨子王にはあてはまりません。
 それぞれに転生しながらも、前生の記憶はリセットされず、「今生で為した事は全部、次の生へと連なってゆく」というのが、今回のテーマです。この文言は公演パンフレットのみゆきさん自身の言葉です。つまり、前生の「属性」が今生・来生に重層的に受け継がれた状態を演じて見せていたのです。何度も唄われる「らいしょらいしょ」という毬つき歌は、前生・今生・来生の関係を唄ったものです。
 安寿と厨子王物語の苛烈な運命に泣いた四人にとって、それぞれに前生に残した煩悩をひと夜の幻に仕立てて我々に見せつけるのが、「今晩屋」なる最後に登場する人物の為せる業・幻術だったのでしょう。この「今晩屋」のコンセプトが、王朝時代に実在した職掌で、『源氏物語』などに登場する「幻術師
[まぼろし]」と瓜二つなのに気がついた方はいるでしょうかねえ。あるいは能に出てくる、シテと呼ばれる主人公の亡霊たちの出現の様子にも似ています。
 最後に彼らは「赦され河、渡れ」を唄いながら、船に乗って旅立ってゆきます。生前には同じ船に乗ることが出来なかった四人が同船して、煩悩から解き放たれた、解脱のときを迎えます。
 みゆきさんの夜会は、年々、「転生」が深く描かれるようになってきています。前回の『24時着00時発』の、メビウスの輪状になった別の人生への移行や、『ウィンターガーデン』の帽子をくわえた犬の素性、『海嘯』の津波のサナトリウムの場面など、魂の輪廻転生という現象抜きには語れないストーリー展開が多いのです。もちろん、みゆきさんが特定の宗教に帰依しているので、という悪意ある曲解は謹んでいただきたいですね。確かに特定の宗教をふと匂わす台詞がない訳ではないですが、そういう低いレベルの解釈ではみゆきの世界観を卑小化するだけですし、もっと大きな日本人の心性に関っているのだと私は思います。
 ディテールに拘泥し過ぎて、せっかくの夜会を楽しめなかった皆様、これで少しはご理解の程が得られましたでしょうか。ささやかながら、お役に立てましたらこれ幸いです。
 あと、蛇足ですが、パンフレットのみゆきさんたち女性陣の、市女笠の垂れ衣
[いちめがさのたれぎぬ]姿は艶やかですばらしいです。コビ氏の狩衣姿[かりぎぬ]も堂々たるもので、先にパンフ見て、てっきりこの衣装で夜会を演じるのかと、思わずうっとりしましたが、残念なことにパンフ撮影用のみ、でした(笑)。なんせ垂れ衣姿に狩衣って、王朝貴族の装いなもんで、古典研究家としての私の専門分野(平安時代)に陽の目が当たって嬉しかったのよ。
新聞小説の調査は大変です 11月6日 
 連城三紀彦氏の5年ぶりの新作『造花の蜜』(角川春樹事務所)が発売されたのですが、てっきり、新潟日報の単独連載と思い込んでいたら、なんと全国地方紙15紙への配信だったというオマケつきでした。したがって、他の地方紙の連載日程を調査せざるを得なくなった訳ですが、これが難物。
 以前、皆川博子氏の『幻夏祭』という新聞小説について調べたことがありまして(やるやる言うてまーだやっとらん、皆川先生ファンサイト用の調査なのですが)、これは地方紙8紙連載でした。これでもヒイヒイ言ったもんですが、今回はその倍、15紙連載です。ヒイヒイヒイ…。ひいっ!
 なにしろ、新聞調査に私が利用できるところと言えば、地方紙揃ってるところって国会図書館くらいしか思いつかないし、他の調査しがてら出来るので、どうしてもここでの調べ物になります。しかしまあ、新聞も新しければまだ一ヶ月分乃至半月分をバインダーに綴じたもの(これもねえ、ダンベルくらいの重さあって、見るだけでも汗みどろ)が閲覧できるものもありますが、半年以上経つと自動的にマイクロフィルムとなります。これがまことに見辛い。
 しかも連載の始まりと終わりがはっきりしていないものですから、だいたい見当をつけてカウンターに請求するのですが、これがまず当たった試しがない(トホホ)。新聞にはご存知の通り、月に一回休刊日がありまして、それを計算に入れてなかったり、あと朝刊か夕刊かでも全然回数が違ってきます。一回の請求はリール三本までで、出てくるのに15分以上かかりますしね。
 今回は新潟日報のほうの調査が予めあったので、全340回連載とわかっていましたが、それでも計算間違いすること多数。私はその夜、夢で数学の授業を見て魘されました(笑)。
 マイクロフィルムのリールってやつもとんでもない代物で、これを手動(!)の機械にセットして、小さな画面をせっせと見るのですが、この機械が年代ものでガタがきてて、ピントもボケボケ、手で巻きながら見るから、ぐらぐらして見辛いったらありゃしない。しかも半月分乃至ひと月分見終わって掲載されてなくても、全部また手動で巻き戻しね。泣けてきますわ、ほんま。
 大手の新聞社とかには、このフィルムを自動巻きでプロジェクターに繋いで楽々閲覧できる(しかもお探しの記事だけ検索もできるらしい)、すんばらしい機械もあるようなのですが、この天下の国会図書館が、ひたすら手動でシャカシャカ音させて見ております。機械が自動のデスクもあるのですが、何故かいつ見ても故障中です。
 今回、まだ『造花の蜜』については調べが終わっていないのですが、新聞小説を専門に研究しようという研究者の方にはまことに頭のさがる思いです。根気が必要だし、しんどい…。
 それでも数年前までは新潮社から出てる『文藝年鑑』に各紙新聞小説の連載情報が掲載されていたのですが、近頃は載せられていません。だから、新聞小説に関して調査となると、海の砂から砂金でも探すような労力が必要とされる訳です。
 かように大変な思いで調査しておりますので、このHPのデータはあたやオロソカに扱わないで、色んなところで役に立ててくださいますよう、ひらにお願い申し上げます。
きのこはうまいぞのっ 10月31日 
 ※画像が重いため、別のページに移動しました。
新旧『ウィッカーマン』を隔てるもの 10月2日 
 ※映画『ウィッカーマン』『ヴィレッジ』のネタばらしをしています。未見の方で結末を知りたくない方はご遠慮下さい。

 幻のカルト映画『ウィッカーマン』の
旧作のほうが、この八月にようやくDVD化(一般発売は初)されたので、探していたのですが、相方と何気なく訪れた坂戸のヤ○ダ電機にありました。やれ嬉しやと買って帰り、辛抱たまらず相方の家で見始めたのですが、のっけから引きずり込まれました。なんじゃこりゃ〜の悲鳴が驚きに変わるっていうか、脱力が快感に変ずるというか、前代未聞の珍作じゃありませんか。もうね、思考は停止、アドレナリンだらだら。確かに今まで見たことないような映画でしたよ。面白すぎる。カルトと称えられるゆえんです。私はホントそういうのにはまりやすい。
 スコットランドの西にあるヘブリディーズ諸島の孤島サマーアイル島で、少女が失踪したという一報に、駆けつけた警官ニール・ハウイーが主人公。このサマーアイル島は島の領主サマーアイル卿の支配の下に、なにやら閉鎖的な雰囲気。よそ者を受け付けぬ島に歓迎されざる主人公。島のパブに宿泊すれば、村人はどんちゃん騒ぎでエロ歌放吟。パブの娘はエロエロで、全裸で腰を振り振りとろけるような歌を歌って主人公を誘惑するが、お堅い主人公(中年になるまで信仰上の理由で童貞って…うーん、いくら堅物王国の英国でも、なかなかそんな御仁はいなかろう)は脂汗流して耐える始末。
 島の学校に聞き込みに行けば、これまたエロっぽい内容の民謡を歌いながら、男児達が腰を振り振りメイポールの周りで踊り狂ってる。教室ではメイデーのエロい意義を女先生が女児達に真顔で教えてるし(「メイポールは何の象徴ですか?」「そうです、皆さんの正解、
男根の象徴ですね」で思わず飲み物吹いた)、ストーンサークルの真ん中では全裸の少女達が、炎を飛び越えながら円舞。なんなんだこの島は?エロの王国、女護が島?どうやらハウイーには耐えられないような一大エロ・イベント、メイデイの祭りが明日に控えているようで、島人は老いも若きも大人も子供もエロエロまみれ。そこにいちいち歌が絡んできて、ほのぼのエロ・ミュージカル状態。面白すぎるぜ、このやろう。
 ここで、PCいじりながらチラ見していた相方は、「『ヴィレッジ』みたいな映画だねー」と感想言ってました。でも個人的には似てないような気がします。どちらかと言えば、『ヴィレッジ』にクリソツなのはリメイク版のほうだと思います。理由は後で比較して言います。
 エロ島の領主様を演じるのが、まだ三十代のクリストファー・リー。ホラー専門のハマー映画でドラキュラ伯爵とかさかんに演じてた頃で、この『ウィッカーマン』、リーがハマー・ホラーから脱イメージするために肝煎りで撮った映画らしいですね。それにしても長身で怪しい雰囲気があって、すごい存在感。あんまり若い頃なんで、相方は最後までチラ見して、領主様が『LOTR』のサルマンや『チャリ・チョコ』のパパ・ウォンカとは気づかなかったそうです。私も予備知識なかったらわからんかったかも。
 必ず物語に絡んでくるスコットランド民謡風の歌がどれも耳に残って、やみつきです。このフォークソング的なほのぼのさが、あけっぴろげなエロエロと相俟って、独特の映画になってます。こういうマヌケな感じの映画は個人的に大好きでたまらんわ〜。サントラ欲しい!
 映画はラスト、超脱力の仮装行進から戦慄のイケニエの儀式へなだれ込み、有名なスコットランド民謡の「夏は来りぬ」を大合唱の中、圧倒的に美しい落陽のエンディングを迎えます。後で色々調べたら、この映画、実際にヘブリディーズで撮ったのではなくて、スコットランド本土のダンフリーズ&ガロウェイ地方とサウス・エアシャイア地方でロケした映像が大半だそうです。でも孤島の感じが横溢していて美しいです。とりわけ、ラスト・シーンのBurrow Headの美しさ!
 スコットランドといえば、ケルト文化の中心地のひとつで、旧作『ウィッカーマン』はケルトの象徴に充ちた映画でした。歌も踊りも風景もケルト、ケルト、ケルト!おっさんがはいてるのはスカートちゃうで、キルト!アイルランドにしろ、ウェールズにしろ、グレート・ブリテン諸島の文化の古層にあるケルトの血脈は現代でも逃れようもないもので、そこに映画史上初めて眼をつけたのが、この映画の最大の美点だと思います。イギリスの十九世紀の小説なんか読んでいますと、よく“Pagan”という言葉に出くわすのですが、キリスト教が伝来する前の「異教徒の時代」を指す言葉です。地方へ行くと、このペイガニズムがまだ色濃く生きているのですね。ドルイドやストーンサークルやウィッカーマンはこれ全てケルト信仰に基づくもの。映画はこのケルト信仰のひとつ、太陽神ヌアダ信仰が先祖返りした島を舞台にしていたのです。多神教で自然崇拝でエロエロといえば、日本にも仏教伝来以前からある古代宗教。古事記神話の天岩戸のストリップとかもあることだし、親しみも湧こうというものです。
 さて、ケルトまみれの旧作はかくも素晴らしいということを、口を酸っぱくして力説しましたが、問題はハリウッドのリメイク版。ニコラス・ケイジが昔の恋人ウィローに頼まれて(「実は別れた時にあなたの子を身籠っていたの。その娘が失踪したから探して!」)、アメリカのどっかにあるらしいサマーアイルズ
島を訪れるのです。あとはだいたいオリジナルと同じ展開ではありますが、やたらとマッチョを振り回すケイジと、クリストファー・リーならぬエレン・バースティン演じるシスター・サマーアイルズが対決ということになりまして、女と相対峙するシーンが多くて、なんだかハリウッドらしいミソジニー(女性嫌悪)映画でしかないという印象です。しかも舞台がアメリカなのでケルトを出す訳にもいかず、苦し紛れの蜜蜂崇拝を引っ張り出してきて、まさに時代錯誤の『ヴィレッジ』状態。オリジナルは普通に文明生活をしている現代人の島人たちがケルト信仰に凝り固まって狂気を宿していたからこそ面白かったのに、のっけから開拓時代テーマパークのような島では、つまらんこと。ここがリメイク版の最大の勘違いでしょう。
 そもそもウィッカーマンという供犠儀式はブリテン諸島特有のもので(紀元前に書かれた、カエサルの『ガリア戦記』に紹介されて資料として残った習俗)、アメリカにはないんだよね。アメリカ・インディアンの古層文化には似たようなものはないし、新大陸に移住した清教徒がウィッカーマン持ち込むはずがないし、だいたいイギリス国教会やアイリッシュ・カトリックからはペイガン扱いされてるのがケルト文化だからねえ。ほんと、アメリカ人は民俗学的な知識がないわ。上っ面だけ真似したって同じものは出来ないんだよ。『ヴィレッジ』は例えば、『刑事ジョン・ブック 目撃者』などと同じく、現代アメリカの中で孤立して開拓時代の生活を営むアーミッシュの村がモデルで、アーミッシュはあくまでキリスト教の一派でしかないのですが、文明生活を拒絶し中世を生きる人々ということでは、リメイク版『ウィッカーマン』の島もまさにそんな感じ。オリジナル『ウィッカーマン』は、僻地ではあっても一応現代の文明生活を営む島に、ぬうっとケルトの供犠が顔を出すからこそ、ホラーとして恐ろしいのです。そこんとこ勘違いしちゃ困るな〜。
 しかしまあ、最後になりますが、実に悩ましいことには、今回入手したオリジナル版のDVDは、初の公式DVDということで劇場公開された88分バージョンなのですが、数年前にHP「all cinema ONLINE」のStingray社から99分バージョンのDVDが限定発売されていて、後者のほうが監督や主演のリーの意向に沿った編集がなされて、背景をちゃんと説明した場面も追加されて、映画としてのクオリティが高いそうな。私もカルト映画として名前だけは知っていたけれど、かなり高価な限定発売の時にはスルーしちゃって、リメイク版を観てあらためてオリジナルが観たくなったクチなので、いまさらロング・バージョンは手に入りません。こないだ買ったカット版で満足するしかないなんて、ああ。。。Stingrayのロング・バージョンのDVD、たまにヤフオクに出てるけど、信じられないような値段ついてるのよ。悲しい。