『リング』から『ホビット』へ 12月27日
 『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』から九年が経ちました。その間に、ダイエットしてスリムになったピーター・ジャクソン監督は、トールキン作品のことを忘れていなかったようです。

 そして、ついに『ホビット』が完成しました。『リング』と同じく既にクランクアップしているのでしょうが、またしても上映は三年がかり。若干、再来年の第3作上映までこちらが生き永らえていられるか、不安になります。かつて、『水戸黄門』が上下回で放映されないのは、視聴者の老人たちが、来週まで元気でいられるかどうかわからんので、話を一話完結にしてほしいと言ったからだとか。気持ちは分かります(笑)。

 まあ頑張って三年かけて観るより他ないですが、とりあえず、第1作目『ホビット/思いがけない冒険』。原作は『指輪物語』より12年も前に発表された『ホビットの冒険』(岩波書店)。近頃は原書房から別の訳本も出ているようですが、やはり『指輪』と同じ瀬田貞二さんの訳で読み返しました。固有名詞が統一されているのが一番です。

 映画『リング』的に見れば、ビルボ・バギンズがゴクリ(ゴラム)から指輪を盗んだ経緯の物語になります。つまり壮大な『リング』の前日譚。しかし、そもそも、こちらが先に執筆されて好評を博したからこそ、『指輪』が書かれたのです。そこんとこ、間違いなきよう。原作は『指輪物語』の長大さに比べて、単行本だと一冊に収まる短さ。ビルボがドワーフたちを助けて、悪者のドラゴンから宝を取り戻す話です。善と悪がせめぎ合う壮大な戦いの話ではありません。

 つまり、原作はあきらかに子供向きの作品で、訳文のせいもあるのでしょうが、わりとのどかなファンタジイです。それが映像版『リング』並の、前中後編の前編だけで三時間越えの超大作に、どーやったらなるんでしょうか。ドキドキしました。はっきり言うと、ハナシを盛っているのではないかという疑いが濃厚でした。そしてその疑念は当たっていました。相当、盛りに盛ったアクション大作と化していました。

 登場人物も盛られていて、本作には出てこないはずの『指輪』の主要人物が次から次へと出て来る某場面は、観ていて開いた口がふさがりませんでした。まあ、あれだけのキャストなら、もう一度観てみたいという気持ちもあるので、そこはまあいいでしょう。あんまりこの話をするとネタばれになりますので、これ以上は口チャックです。

 物語も、色んな要素を付け加えることによって、映像版『リング』の世界観を踏襲していました。原作を少年の頃から読んできた読者としては、少し納得のいかないところもありますが、映像版『リング』の造り上げた絢爛たる美意識を愛するファンとしては、充分に満足出来る作品になっています。地下のアクション・シーンなどは前作そっくりで、激しく既視感に襲われますが、まあそれもご愛嬌ってことで。

 母国ニュージーランドの荘厳な自然美を最大に活かした、ジャクソン監督の映像造りは素晴らしいものです。まだまだ手つかずの自然がこれだけ残っている国は、そうそうありません。それにしても、神話が無い英国に新しい神話を作ろうと目論んで、作者が執筆したファンタジイが、一番本国から遠い英国連邦の島国で花開いたというのも、奇縁ですなあ。人間とウサギとのあいのことして名付けられた「ホビット」の暮らしは、そのまま英国のジェントリー(郷紳=地方紳士)階級のそれであり、ドワーフの文化は産業革命当時の英国を彷彿とさせます。

 映画『ホビット』、色々と杞憂しましたが、第2作『スマウグの荒らし場』、第3作『行きて帰りし物語』も楽しみです。願わくば『リング』同様、DVD化される時は、マニア心をくすぐるようなパッケージでお願いしたいものです。
天井桟敷からみゆきツアーを見る 11月19日
 昨年、私はみゆき様の『夜会vol.17 2/2』を最前列で観ると云う幸運に恵まれました。おそらく人生は糾える縄の如しで、今年のツアーは天井桟敷かねえ…といってたら、結果、11月の東京公演、おにはずれでした。でじなみから「1月まで待ってね」と言われてしまったのどす。まあ当たったには当たったが、第一希望とかじゃ、ぜーんぜんなかった、そういうことです。

 ならば○○な手を使ってでも11月公演に行きたい!!!ということで、オクしました。オクでお安く入手できたのは二階席の後方、すなわち、天井桟敷の糞席だったのでした。でもいいもん、これはあくまで下見よ下見、1月の。という訳で、ツアーの下見に行ってきました。
 或る日の有楽町は、整然と並ぶ熟年の行列で埋めつくされていました。かつてニッポン放送の出待ちで騒いでいた人々は、今はもはやオジンオバンと化し、そのオジオバの中に不肖42歳もいたのでした。みゆきツアーをこの目で見るようになって早20ウン年、まさかこのように高齢化の波が押し寄せようとは…。80年代の青少年は既に、四十肩やら更年期やら退職後の日々に曝される御歳頃となっていました。

 相方もこの日、近辺まで出張で来てて、コンサート観たいと言っていたのですが、もう、ダフ屋も立っていないご時世、当日券も電話予約だし、結局私だけがオクのチケットで観たのでした。
 ビルの五階に相当する天井桟敷。開場して間もなく席に行くと、がらがら。こんなところ他に客が来んのかね、と思っていたのですが、時間とともに、満席に。こんなひでえ席でも皆さん喜んで観に来るのね。文句言ってた自分が恥ずかしいわ。観れるだけでもありがたや。
 一年ぶりのみゆきさんは、相変わらずのお美しさで、私もしっかり双眼鏡で眺めて来ました。某掲示板でくさされているような林家パー子化も認められず、何より(笑)

 コンサートの曲目とか、印象とかは、1月の多分もうちょっと良席で観る時に書きますが、今回のツアー、驚きのあの有名曲が歌われたのでした。私が生で聴いたことのない、幻のアレ。私は平成元年の「野ウサギ」ツアーから一度も欠かさず観ておりますので、それ以前から歌ってないっつうことです。
 その曲は「世情」。もともと4thアルバムのラスト曲としてひっそりと収められていたのが、ドラマの学校内暴動場面で使われて、ある世代以上の人に知れ渡った名曲。

 みゆきさんは曲前のMCで、「この歌を作った時も、前にツアーで歌った時も、歌わなければという思いがあったのですが、今回もそのような気持ちで歌います」と仰ってました。彼女をして歌わしめる思いとは何なのか、その疑問を噛み締めて、この不思議な歌を聞きました。
 昔から私は、この歌の歌詞は、みゆきさんの500以上ある詞の中でも難解なもののベストに入る、と思っていまして、サビの、変らない夢を流れに求めてシュプレヒコールを挙げる人々が敵対する相手もまた、時の流れを止めて変らない夢を見たがっている、と歌うところに、なんとも悲哀を感じていました。すべての人がおしなべて夢見る「変らない夢」とは何なのでしょうか。幸せ、希望、パンドラの箱に最後に残ったもの…。

 昨年の震災以来、私たちの住むこの世界はいつも揺れているような気がします。未だに余震は衰えず、もう盤石の拠り所などないのだと、明日にも私たちは住む場所を失くし、愛する者を亡くし、拠って立つ国を無くすかもしれない、という不安で眠れない。内を見れば、いじめは横行し、自殺者は増え、大会社も軒並み大赤字、政治は全く頼りにならず、外を見ても、国境問題は辛い目を増し、戦争・天災はなくならず、世界経済も混沌としています。
 このような絶望的な状況の中で生きることへのエールを、丁寧な説明もなく言い訳もせず、ただ、歌だけをぶつけてくるのが中島みゆきと云うアーティストです。それはまさに豪速球の直球どストライク。受け取る側もなまはんかな気持ちでは怪我をします。

 とは申せ、コンサートそのものは、毎度おなじみお便りコーナーや、今回のご趣向、バンマスの小林信吾さんとの掛け合い漫才もあって、楽しいものでした。天井桟敷でこれだけ楽しめたのですから、次のもっとちゃんとした席ならもっと楽しい!!!
 1月の正規の席が、再度の糞席でないことを祈っております。ナムナム…。せめて一階席で見さしてくれ。

 コンサートがはけた後、近所で待機していてくれた相方を誘って、きたなトランに出たタイ料理屋に晩飯に行ったら、ちょうどそこが東京国際フォーラムの車両出口の前でした。そこには出待ちの、もと少年少女がずらり。私もしばし、出待ちといふものをしてみたのですが、バンドメンバーの富倉さんの車を見ただけでギブしました。腹がね…減ってたのよ。花より団子よ〜。
 飯食って店を出ると、出待ちの人だかりは消えていましたとさ。
『推理作家ポー 最後の5日間』 10月27日
 ネタばらししないと語れないので、この映画をご覧になる予定の人は読まないでください。

 北村薫氏と有栖川有栖氏と言う、当代きっての本格探偵小説作家が、二人してご推薦なのですね。題材はポオ(と、創元育ちなら、敢えてこう書きたい)。面白くないわけがない…はずだったのだが、あれれ?

 ポオねえ…。二十歳前の頃、創元推理文庫の小説全集&詩と評論集の全5巻を、そりゃもう当然のごとく読みましたよ。それ以来、ご無沙汰でした。
 今回、そのポオの死の前後を虚実交えて映画化したということで、観て来ましたよ。

 エドガー・アラン・ポオは1849年10月7日に合衆国はボルチモアの路上で、瀕死の状態で発見されて、「レイノルズ…」という謎の言葉を残して死んだのです。数年前の妻の死以来、酒を止めることが出来ず、小説も書けず売れず、尾羽打ち枯らしての死でした。

 両親の出身地(だったと思う)のボルチモアに舞い戻って、死ぬまでの五日間、彼には空白の時間がありました。その五日間に実は、コピー・キャット(模倣犯)との戦いに巻き込まれていたとするストーリーです。面白いはず。なのに、あれ?

 R-15+の指定が示す通り、殺害場面は残虐極まりありません。でもそれは、ポオの小説をそのまんま映像化したものです。「モルグ街の殺人」「陥穽と振り子」「黒猫」「早すぎた埋葬」「赤死病の仮面」「告げ口心臓」などなど。特に「陥穽と振り子」を模倣した場面は、『ソウ』を思わせるしつこさで、目眩がしました。グロテスクです。確かにポオが頭の中で考えた場面を忠実に映像化すると、かくもおぞましいものになるのかもしれません。でも、やり過ぎ。

 この映画を撮った監督は、ジェームズ・マクティーグという人。『Vフォー・ヴェンデッタ』の監督だと聞いて納得。アメコミをスタイリッシュに撮るのが身上なのですね。今回の『推理作家ポー』もそんなアメコミ風味が満載。今までポオの映像化と言うと、ダリオ・アルジェントやロジャー・コーマンなどを思い出しますが、そういうゴシック趣味ではなく、アメコミ風味が今回の作品の荒っぽさの原因だったようです。

 ミステリとしては伏線(磁石と髪の毛とか、犯人からの手紙からの推理)をちゃんと張ってあって、感心しましたよ。謎の史実もうまく活かしています。でもいかんせん、犯人像が荒っぽすぎ。全くポオを知らないで観に行ってくれた相方が、観終わって後、「犯人の身体能力高すぎ。犯人の職業と結び付かん」と感想を漏らした通りの、摩訶不思議な犯人像でした。教会の尖塔から飛び降りざま警官二人を殺傷とか、やり過ぎやろ〜〜。アメコミの見過ぎ〜〜。

 誘拐された令嬢の隠し場所も、ポオの「盗まれた手紙」のデュパンの推理を思い出させてニヤニヤするところなのですが、あんなところにあんなもの、ほんまに作れるのかいな?

 まあ突っ込みどころてんこ盛りの作品ではありますが、それでも、ミステリ・マニヤや幻想文学ファンにアピールするくすぐりも沢山あって、美味しい映画です。ポオ作品のモチーフが鏤められた、いささか猥雑なオマージュとでも申しませうか。今はB級駄作の誉れ高いかもしれませんが、将来、カルト映画と言われるかもよ。

 原題は“The Raven”、ポオの最も有名な詩「大鴉」です。それになんとも無粋な邦題を付けたもんですなあ。「大鴉は言いました“Nevermore”と」。これも映画で引用されていましたが、ネヴァモアに「二度と」とかツマラン字幕を付けるな、っつうの。名訳・日夏耿之介訳を参照して「またと啼けめ」とでもして下さい。お願いします。