狼ギャングのステーキって? 4月11日
 この日曜に、相方の誕生日を祝って、ポッポンギにお肉を食べに行った。「ウルフギャング・ステーキハウス」。店の名前からしてコワモテふうでちょっとビビったが、予約が取れたのでいそいそと出向いたのだ。

 春の日曜の朝のギロッポンは、カオスだった。どこからか飛んで来た桜の花びら舞い散る中、何故か街中で卒塔婆をかついだ喪服の一行がぞろぞろと歩く向い側で、ハダカのあんちゃんが一人で吠えていた。木の芽どきだからだろうか、○ャブでもキまっているのか。警官と罵りあう外国人。ここはパラレルワールドの日本である。歌舞伎町でも池袋北口でも最近は大人しいものだが…。

 なんでこんなカオスなところに店…と思いつつ、店に早めに行くと、調度品は落ち着いたシックな感じで、店員さんの応対も感じのおよろしい店。白金マダムが群れ為しても不思議ではありませぬ(実際その後それらしき団体さんがやってきた)。

 お肉は28日間熟成肉という。映画の『28日後…』みたいに兇暴化したお肉だろうか。沖縄旅行でミミタコ状態の「♪おにく、おにく、おにくたべよ」が脳内エンドレス再生される中、席に通される。

 またもや画像を撮り忘れたが、最初に「オマール海老のビスク」をいただく。「ビスク」は甲殻類の出汁で作る濃厚なポタージュだが、以前、私は家で作ったことがあるが、食べるのは一瞬なのにトンデモなく手間暇のかかる料理だ(もう二度と自分では作らん、と堅く心に誓った)。だから有り難〜くおしいただく。パンを浸して食べると完璧。スープ一皿でトンカツ定食喰えるような値段だが、まあいい。

 そしてしばし待つこと、肉が来た。この店の看板メニュー「プライム・ステーキ」である。「ア、アフリカ大陸?」…のような形をした、素敵なお肉である。向って左の、モロッコ、セネガル、コートジボワール方面が、テンダーロイン、すなわちヒレ肉である。スーダン、エチオピア、大地溝帯からケニア、タンザニア、モザンピーク、南アへと続く右側大陸が、サーロインである。つまり、これは米国人の大好きなTボーン・ステーキなのですな。

 皿ごとオーブンに放り込んで焼くらしいので、肉汁がはねて皿がキタナイようだが、これもまたこの店の流儀。大皿を傾けて出してくれるのは、澄ましバターの焼き汁に浸り過ぎて火が通り過ぎないようにするため。ちまちまとした我が国の鉄板焼きなどとは違う豪快さがウリだ。

 さっそく、西アフリカ方面から国際会議で協議の上、領土割譲する(第一次大戦前の国際連盟か!)。ヒレ肉なので貴重だ。焼き加減はレアなので、実はこんがりとした見た目以上に中は生である(後で相方が「ちょっと赤過ぎる」と言ったくらい)。阿弗利加大陸の大地の如く、赤い。大地を焦がす太陽のようなバターを掛けながらいただく。

 意外とさっぱりしたお肉だ。和牛ではないので、脂肪のねっとりと絡み付くようなテイストはない。アミノ酸の旨味が主体となって、舌の上に拡がる。塩胡椒だけで食べられるお肉だ。亜米利加人にとっての塩むすびのようなものだろうか。とある翻訳ミステリで、「風邪を引いたら朝からテンダーロインを食べなさい」などと書いてあるのを昔読んだことがあって、「アメリカ人は風邪を引いたら、お粥がわりに肉を喰うのだな、うげ〜」と思ったものだが、確かにこれならいける。

 そして東アフリカ(もうこの喩え、いい?)。こっちはロースのはずだが、やはり脂の少ない上品な味だ。間違っても場末の焼肉屋のカルビではない。テクスチュア的には、こちらのほうが噛み応えがあり、お肉感が増す。この店のオリジナルらしい瓶詰ソースを付けて喰ってみたが、普通のケチャップ。ワサビで食べたい(私は知らなかったが、頼めばあるらしい)。

 サイドメニューのクリームスピナッチがカレーを入れるポットに入って出てきたが、食べてびっくり。美味しい。「ロウリーズ」でもこのクリーム法蓮草は出て来るのだが、あっちのははっきり言って「脂っこい緑の泥」なのだ。付け合わせでお値段は無料だけど、頗る、まじゅい。ここのはいっちょまえに金を取るだけあって、ホウレンソウの風味がちゃんとあって、しかもまったりと旨い。

 よーく考えると、「ロウリーズ」で私は、かつて、「ダイヤモンドカット」なる巨大な肉の塊をヒイヒイ言いながら食べたので、付け合わせなど味わうのも論外だったのだが、こちらのお店では二人前で180ぐらいと、チョー少ないので、スピナッチも充分に味わえた訳。どちらがいいとか悪いとか申せませんが、よりお上品なセレブリティを目指すなら、このウルフギャングだろうか。

 席はほぼ満席。予約が取り辛いと聞いていたが確かにそのようで、埼玉のイナカから来たおのぼりさんが決して袖触れ合うことのなさそうなセレブ一家が近くにいらっしゃっておりましたな。美男美女の若いパパママに、小学校上がる前のお子様も「プライム・ステーキ」っすか? ついつい「○ストのお子様ランチでも喰ってろ」と小さく毒づいてしまいました。もちろんお耳に届きませんことよ、ほほほほほ。

 相方がミョーに気になったのが、向うの方に座るお一人様の男性客。なんせ予約がないと入れないお店なので、わざわざ予約して、ぼっちでご来店なのですね。すごく馴れた感じで、ランチのハンバーガー(\2600、税抜き)を召しあがっております。「あの人には、ここのランチが日常なんだよな〜」と相方がぼやいていた。他の客に噛み付く我々のような招かれざる客はいい加減退散したほうがよさそうです。

 私は実は熟成肉にはウルさい。実家のあった和歌山県のド田舎の肉屋が、熟成肉を何十年も前から実行していたので、子供の頃から熟成肉を食べていたのである。というと、さっきのセレブ餓鬼の悪口を言うなんて、と思われそうだが、和歌山県は牛肉消費量日本一、肉にこだわるのは当然なのだ。そしてその肉屋の熟成肉は28日を上回る期間寝かされているので、ちょっと表面が緑がかった色と化していて、正直、馴れていないと食べるのに二の足を踏んでしまいそうなシロモノだった。ダニー・ボイルの映画のようにゾンビ化していたのだ。

 はっきり言おう。甘味旨味はその和歌山の超熟成肉のほうが上だ。しかし、それはもともと脂の多い和牛を熟成させたからであり、「ウルフギャング」のお肉は、東京で味わえる肉の中ではたいへんおよろしいものだ。それに、田舎のその肉屋はもう数年前に跡継ぎがないので廃業して、もはや味わうことの出来ない思い出の中の味となってしまった。だから思い出補正で美味しくなっているのかもしれない。

 まだまだ東京では珍しい熟成肉を堪能することが出来て、相方も喜んでくれただろうか。私はこれで充分である。

 ところで、店名がコワモテだと最初に書いたが、よくよく考えて見れば、「ウルフギャング」とは“Wolfgang”、つまり、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)のクリスチャン・ネームでお馴染みの、ドイツ系の名前「ヴォルフガング」の英語読みだった。レストランの創業者の名前だったのだ。ニューヨークや六本木にあわせた「狼ギャング」などではない。アメリカ人が英語読みするからややこしくなるのだ。「狼ギャングのステーキ」ってば、DQNぽいとか思ったけれど、ごめんなちゃい。

 そして店を出て地下鉄に向うと、いきなり雨がぱらついてきた。慌てる我々の向うで、「Mo**erf**ker!!!」と叫ぶ外国人が!!! 一瞬ムカついてそっちを見たら、白人が別の同胞に挨拶代わりに叫んでいたのだった。なんちゅう不良外人…。やはりキの芽どきのポッポンギはカオスなのでした。
そういう人たち 2月10日
※ あまりの文章のイヤさ加減に一度はお蔵にしていたが、二ヶ月経ってもまだこのような憤懣やる方ない気持がいっこうに晴れていないので、そのまま載せる。その後のS氏騒動は本人の会見などもあったが、余りにもお粗末な大根っぷりに苦笑した。マスコミは怖い(4月11日)。

 S氏事件が連日ワイドショーを賑わしている。「
全聾」で「被爆二世」で「難病を患う」「音大出身ではない」一人の作曲家が、マーラーやブルックナーにも匹敵するような長大な交響曲を作曲し、それがオケで取り上げられCD化され、あまつさえ、国営放送を始めとするテレビでやんやと持て囃されて、結果、18万枚を売った。他にもたくさんの曲を発表し、皆注目されていた。「震災」で親を失った少女のために作曲されたレクイエム、ソチ五輪でフィギュア某選手が演技に使う予定のソナチネ、などなどなど。

 …私は今悪意あってこの一文をものしているので、これを読んで「うさん臭っ! うわっ!」と思った貴方は正しい。ただ問題なのは、世の中の大多数が数日前までこのような状況を目の当たりにして「
うさん臭い」とは思わなかったことだ。

 実はこのS氏にはゴーストライターがいて、その人N氏は現代音楽の世界では少しは名の知れた人だったようだ。そのN氏が色々あって週刊誌にゴースト問題を嗅ぎつけられ、観念して記者会見を開いてしまった。それから数日経つが、S氏側の会見は予定されていない。

 な ん で こ ん な こ と に な っ た の か 。

 純粋に見れば、単なる詐欺事件である。興業的にこの作曲家の曲を取り上げようとしていた人たちはいざ知らず、多くの人たちはコンサートに行ってCD・DVDを買って、まあ、オレオレだの母さん助けてだの株価暴落だのには足許に及びもつかぬ、微々たる散財をした。音楽を聞いている間は、ココロ洗われ戦災や天災の不条理に憤激し感動を覚えたはず。だのに、今、このS氏やN氏を石をなげうって罵りそしる。いや〜、まさに、聖書の「罪なき者まず石を擲て」だな〜。

 私はS氏のCDなどは残念ながら買ったことがない。国営放送でお見かけしたことはあるが、まあ、そのようなヘレン・ケラーみたいな身の上でやっていくのは大変だろうな、と思っただけだった。しかしそんなテレビで煽られてCD屋さんに走ってしまう人のいかに多いことか。ある時からHMVにはS氏の特集サイトが出来、タワレコの店舗にはS氏のコーナーが麗々しく飾られるようになった。Amazonでは礼讃のレビューが山のように書かれた。いやー、テレビってすごいんですな。

 そしてメッキが剥がれた今、被害者面で「被告人S」を断罪している。金返せ、時間を返せ、人生を返せ(笑)。その程度で失う人生なら早いとこ首でも吊りなはれ〜〜。

 メディアも見事な掌返しである。CDコーナーは撤去され、Webからは削除され、テレビで取り上げ利権に群がった連中が率先して、被害者面して損害賠償を検討している。転売屋がヤフオクで、SのCDを大量出品しているしな。

 素晴らしき哉、大衆社会。楽しき哉、消費社会。この騒動を側見していて私はふと、私が嫌悪する「大衆」とは実は
そういう人たちだったのではないだろうかと思った。むろん、私もその一員である大衆だが、私はそういう人たちのような厚顔無恥になれない。そういう人たちとは、では何か。ここに具体例を山ほど挙げておきたいと思う。

 佐村河内(あ、名前言っちゃった)の交響曲は聞くけれど、そのルーツとなったマーラーやショスタコや、ましてや現代音楽の鬱然たる傑作は聞かない人たち。

 ハンリュー(死語1)やトレンデー(死語2)やハリポタ(死後3(笑))は見るけれど、過去の名画は見ない人たち。

 新本格ミステリーや京極やなんとか維新(ハシシタちゃうで)は読むけれど、そのルーツとなった過去の名作は読まない人たち。

 A賞やN賞や本○大賞(全くの茶番、全部の書店員が読書のプロだなんて、でたらめもいいとこ)の受賞作は読むけれど、その候補作には微塵も目もくれぬ人たち。

 沖縄行って海には入るけれど、伝統的な食堂には入らない人たち(「芸能人」や「知識人」に多い。要するに沖縄の食べ物もファッションの一部なんだな)。

 売れてるマンガは読むけれど、消えて行った佳作には一顧だに与えぬ人たち(これで世界に冠たる日本文化とは片腹痛い)。

 いざ戦争になったら進め一億火の玉だとか言うくせに、負けた途端被害者面する人たち(多分今、戦争やっても同じだろう。近々やりそうだし)。

 …私も近頃、世をはかなんでいるので、こういうことしか言えないのが残念です。

 しょせんエンタメだからとやかく言うのも野暮だが、文化に属するものは何でも伝統というものがあり、背景があるからこそ、そのジャンルを楽しむことが出来るのだ。しかし太古の昔から「そういう人たち」は「個人の趣味嗜好」の御旗をふりかざし、文化的教養を切り棄てる。知るという行為をはなから放棄した「そういう人たち」が世論を作り、選挙を決定し、この国の行く末を決める。

 識者は「そんなの世界のどこに国に行っても一緒だよ」と言うかもしれない。ただ、「そういう人たち」ぶりがことのほか、近頃のこの国ではヒドイ。「そういう人たち」のある層の新しい呼び名として「B層」あるいは「マイルドヤンキー」なる言葉もあるらしいが、「ヤンキー」を誉め言葉のように思っているのだとしたら、とんだ浅墓ものである。

 厭世感と無力感しか感じられない昨今、こんなことをふと思ったのだ。
初詣は『浅草紅団』 1月9日
街灯は夜通しともっている。その明りが朝霧の中にまず目覚めてゆく。
 鈴蘭型の装飾灯が並んだひさご通、俗に「米久通」――その通にある、そして公園でただ一軒の夜明し店の、あづま総本店で牛鍋の朝飯を食べているうちに、ラヂオ体操の号令が聞えて来た。
川端康成『浅草紅団』「ピアノ娘」六

 今年の初詣は例年通り浅草寺でしたが、いつものどぜうに行かず、ちょっと足を延ばしてきました。お目当ては戦前の浅草紹介小説に出て来る老舗です。


 浅草寺に参る前に下見とて、浅草六区の奥へ行って見たのですが、小説に出て来る「あづま総本店」は影も形もありはせぬ。色々調べたら、通りの名前の由来になっている同業種の老舗の向いにあったとか。

 その同業者が創業明治19年の「米久本店」。ひさご通りの中ほどにあります。11時前と言うのに行列が出来ていたので、たまらず相方と並びました。皆さまお気付きでしょうが、初詣前、でございます。先になまぐさを喰うとは、とんだフトドキモノです。

 しかし意外とすいすい入れてもらえて、お出迎えの太鼓まで叩いてもらい、ご機嫌でお座敷に通されますと、そこもお庭の見える特等席。文豪並みの待遇いたみいります、余は満足ぢゃ。

 満足したので特上牛鍋を二人前。とは申せ、目の前のコンロの上に鎮座ましますのは、どぜう屋や桜鍋屋でもお馴染みの、小さい鋳物のすき焼き鍋。量は…多分少ないねえ。ま、ここで腹いっぱいにしなくても、と言いつつ、お肉が来るのを待ちます。

 泉水には錦鯉が優雅に泳ぎ、庭滝が豪快な音を奏でています。下町情緒纏綿たる老舗の雰囲気にうっとりします。我々が行ったのはお正月の5日だったのですが、わりと落ち着いていました。団体さんと別の座敷だからでしょうね。それに仲見世かいわいから結構離れているので、知る人ぞ知るってことでしょうか。

 そんな感じで待つことしばし、お肉が来ました。これは確かに素敵な和牛の霜降り!最近は健康のためにもっぱら赤身の舶来肉ばかり食しておりましたが、初詣だし、まあいっか。

 それにしても久々に見た立派なお肉です。量は案の定…でしたが、大切に食べたいもんですな。店のお姐さんがマッチでコンロに火をつけるのも風情があってよろしいです。ヘットを鉄鍋に敷き、鍋の一式を並べてくれて、割り下を注ぐところまでやってくれます。

 さて、肉はたちまち煮えます。若干リーズナブルな感じの玉子を解いて、お肉をくぐらせます。赤みを残した肉が玉子に絡まって、うわ、旨そう。

 熱いところを頬張りますと、舌の上ですぐ融ける。ギューがモー融けた(オッサンの悪癖やな〜)。しかも甘い。普段喰っとる某大陸産とえらい違いじゃ。和牛はそうしょっちゅう喰うもんじゃありませんぜ、罰が当たる。

 割り下も上品で、私の口にあいました。実は京大阪風のザラメ焼きのすき焼きは、ワタクシ、嫌いなんですね。折角の肉を甘露煮にして、お肉の味をわざわざ台無しにしているようで、あれで関西のほうが舌が肥えているなんて、よう言うわ、と思います。出身は和歌山ですが、我が家は代々、割り下です。

 数少ないネギや豆腐を有り難くおし戴き、最後に残した肉と鍋の割り下を玉子もろともご飯にかけますと、元祖牛丼です。見た目が悪いので載せませんが、これが一番美味しいものかもしれません。

 こうして「すき焼き」ならぬ「牛鍋」を堪能しましたので、やおらお寺参りに。お水屋で口をすすぎ洗い清めましたが、はて、詣でる前に肉を喰ったのを観音様はお咎めなさったのか、おみくじ引いたら「凶」でした。新年早々、へこむわ〜。でもここ数年おみくじでいい卦が出た例がないので、これもまた仏の教えか、はたまた、新年のご一興か。

 ま、そんなことで、拙いHPですが、皆さま、今年も宜しくお願いいたします。