横溝正史シリーズDVDコレクション 3月7日
 いや、昭和52年から53年の連続ドラマ版は全部、昔出たジュエルケース版でDVD持ってんですよ。でも、色々と情報が満載のムックが付いてるのでつい…。ああ、何故このようなことに…。

 今回の目玉は何と言っても、昭和58年から平成17年まで二十年以上にわたって二時間サスペンス枠で作られたシリーズのほうです。かつて見た感想は…いや〜、ひどかった(笑)。お茶の間が凍りつく不必要なエロシーン、短い時間にムリヤリ押し込めるために原作レイプは毎度のこと、それでも金田一だもの、耕助だもの、見ましたね。舞台化まで為された、古谷一行氏の最大の当たり役ですね。

 連続ドラマ版のほうが先に発売のため(ちっ!)、二時サスシリーズは早くても今年の年末以降の発売となりますが、まだ連続ドラマ版を見たことのない方がいたら、それはそれで幸せかもしれませんね。二時サスは…正直マニア向けとしか言いようが…うっ…(刺客の真珠郎が!)

 闇にまぎれて真珠郎も虹之助もやっては来ませんが(って、どっちも本当は由利先生シリーズのキャラだよね)、身の危険を感じるので、ここで宣伝させていただきます。朝日新聞社から先月末より隔週刊で刊行中。

 私はこの毎日放送の連続ドラマの始まった頃は、まだ小学校低学年だったのですよね。でも怖いものが大好きだったので親に隠れて見ました。そしてトラウマになること数知れず…。それから数年後には原作を手に取るようになるのですが、これもまたトラウマまみれ…。でも未だに書架に麗々しく存在しております。一時期は処分しちゃったこともあったけどまた集め直したりして、三つ子の魂百まで、です。

 さて、問題のムックの内容は、ほとんどビョーキなマニアにしてみれば珍しくもない感じもありますが、とにかく、15作造られた連続ドラマと、32作放映された二時間サスペンス、全作最後まで刊行されることを願います。
新春あさくさ乱歩さんぽ 1月8日
 今回は乱歩の『陰獣』をネタばらししております。未読の方はお気を付け下さい(1月6日の「新春あさくさ正史さんぽ」の続きです)。

 さて、観音様にお参りしてからやおら足を向けたのは、隅田公園の一角です。ここに「山の宿の渡し」の石碑があります。「山の宿(やまのしゅく)」とは何ぞや。これもかつて浅草の旧町名で、現在では消えてしまった地名の一つです。浅草寺の山号「金龍山」に参る人が宿にしたことで、山の宿、と呼ばれたらしいです。かつての浅草山ノ宿町は、現在の住所上では花川戸や浅草に併合されました。

 この山の宿に和洋折衷の邸宅を構えていたのが、碌々商会の役員・小山田六助氏です。小山田氏は乱歩初期の大名作『陰獣』(昭和3年8月〜10月<新青年>)の登場人物です。

 主人の留守を幸、召使は使に出して、ソッ
と私を呼び寄せるという、このなまめかしい
形式が、一寸私を妙な気持にした。勿論それ
だからというのではないが、私は直様承諾し
て、浅草山の宿にある彼女の家を尋ねた。小
山田家は、商家と商家のあいだを奥深く入っ
た所にある、一寸昔の寮といった感じの古め
かしい建物であった。正面から見たのでは分
からぬけれど、多分裏を大川が流れているの
ではないかと思われた。だが、寮の見立てに
ふさわしくないのは、新しく建増したとみえ
る、邸をを取り囲んだ甚だしく野暮なコンク
リート塀と(その塀の上部には盗賊よけのガ
ラスの破片さえ植えつけてあった)母屋の裏
の方にそびえている二階建の西洋館であった。
その二つのものが、如何にも昔風の日本建と
不調和で、黄金万能のどろ臭い感じを与えて
いた。
 『全集第3巻』(光文社文庫、平成17年11月刊)

 文中「彼女」とあるのは、小山田氏の夫人・静子で、語り手の理性派探偵作家・寒川はこの静子と知り合ったことで、奇々怪々の殺人事件に巻き込まれます。大江春泥なる怪奇派探偵作家が雲隠れしてしばらくして、春泥が静子の若き日の恋人で、静子が幸せな結婚生活を送っているのを探り当てて脅迫の手紙を送り付け、静子が思い余って寒川に相談することから事件が始まります。静子の生活を覗き見してまるで屋根裏に潜む陰獣の如き春泥の脅迫状に、読者は戦慄を覚えるのですが、いつしか脅迫はエスカレートし、ついに静子の夫が悲惨な死を遂げることになります。浅草対岸の友人宅に碁を打ちに出掛け、明くる朝、吾妻橋の汽船乗り場に漂っているのが発見されるのです。

 ここでネタばらしになってしまうのですが、静子の夫の死は、自宅の洋館の窓から落下し、泥棒除けのガラス塀に貫かれた挙句、隅田川に転落したのが真相とされています。それが自ら落下したものか誰かに突き落とされたのかが最後まで曖昧なことが、この作品の要点であり、作者は敢えて最後まで疑惑を残すことで余韻を与えています。

 私はこの『陰獣』の舞台を下調べしていて、その当時の東京府の「震災復興公園計画地図」を発見しました。その地図によると浅草地区の隅田川沿いは、この『陰獣』事件の昭和初年代には既に現在と同じように川沿いは公園化されており、個人が隅田川べりに邸を構えるのは出来ないように見受けられます。そもそもこの震災復興公園とは、大正12年の関東大震災の時、下町が火災で壊滅的被害を受けたことを教訓にして、川沿いに大幅な防火帯を設けたものです。初年代初頭には公園が整備され、吾妻橋と言問橋の間の唯一の運河である山谷堀川も埋め立てられたのでした。従って、裏を大川(隅田川の別名)が流れている邸など、あり得なかったのではないでしょうか。

 色々調べていても埒が明かないので現地を見てみますと、吾妻橋と東武伊勢崎線橋脚と言問橋の付近は、見事川岸が公園として専有されています。おそらく昭和初頭からずっとこの形だったのでしょう。

春陽文庫版『陰獣』をお供に。山の宿に
はかつて、舟渡し場があった。
かつての吾妻橋の汽船乗り場。今では
水上バス桟橋が波に揺れている。

 乱歩が浅草山ノ宿町に小山田邸を設定したのは、吾妻橋を二等辺三角形の頂点とした川のトリックを使いたかったからでしょう。乱歩自身「大きなUの字」と例えている死体移動のトリックです。そしてそれを実現出来るのは、たまたま浅草山ノ宿町だったということです。川辺に個人宅を建てることがもはや無理とも思える場所に小山田邸を設定したのは、吾妻橋の汽船乗り場に死体を漂着させるためでした。しかしこのトリック、死体が禿頭にかつらを被ったまま川を数百メートルほど流れて来るという実現し難いもので、やはり真相は、小山田氏は自宅で殺されたのではなく、対岸の小梅から山ノ宿町に帰る途中、この吾妻橋付近で春泥の手にかかったと見る方がよろしかろうと思います。そもそも隅田川べりに直接した邸などあり得ないと思われますし、乱歩は復興事業が始まる前のイメージで設定してしまったのではないでしょうか。

 松山巌氏の『乱歩と東京』(PARCO出版、昭和60年刊)によると、『陰獣』作中で春泥が居を転々とする場所はいずれも浅草を中心とした都市スラムであり、それを地図上で記すと中心地が浅草の住宅地である山ノ宿町だったということです。当時の東京一の繁華街であった浅草の水辺にある住宅地こそ、世間にまことの顔を隠した陰獣の栖だったのかもしれません。

 乱歩がこの『陰獣』を掲載する直前、雑誌<新青年>に宣伝の一文が掲載されました。その当時博文館の<新青年>の編集長は、他ならぬ乱歩の盟友・横溝正史でした。この宣伝文は、乱歩が生涯自己愛の赴くままにスクラップを貼り続けた『貼雑年譜(はりまぜねんぷ)』によると、正史自ら筆を執ったものだそうです。その煽り文句はこう書かれています。「懐しの乱歩! 懐しの『心理試験』!/我々は再び昔日の江戸川乱歩氏に見(まみ)える事が出来るのです」。

 乱歩の描く世界は常にノスタルジーを湛えていました。それは、平成の私達にも、昭和初年代の読者にとっても等しくということです。執筆された当時の「現在」を描いているはずなのに、何故か懐旧の念を持って読まれることが、乱歩作品には予め必然とされています。それは探偵小説の宿命である、時間軸を後方へたどり事件の真相に逢着するという構造がそうさせているのかもしれません。しかし乱歩においては、前回も述べた通り、衰退の様相を呈している浅草を描くことで、読者に懐旧の情を多く与えているのです。

 乱歩には『目羅博士の不思議な犯罪』(昭和6年4月<文芸倶楽部>)という短編があります。その冒頭に乱歩自身の告白とも読める、語り手の作家の一文が存在します。

 私は探偵小説の筋を考える為に、方々をぶ
らつくことがあるが、東京を離れない場合は、
大抵行先が極っている。浅草公園、花やしき、
上野の博物館、同じく動物園、隅田川の乗合
蒸汽、両国の国技館。(あの丸屋根が往年の
パノラマ館を聯想させ、私をひきつける)今
もその国技館の「お化け大会」という奴を見
て帰った所だ。久しぶりで「八幡の藪不知」
をくぐって、子供の時分の懐しい思出に耽る
ことが出来た。
 『全集第8巻』(光文社文庫、平成16年6月刊)

 これはまさに『陰獣』に登場する舞台のオンパレードであり、乱歩自身が過去の東京に強烈な懐旧の情を抱いて小説を執筆していたことの証しです。乱歩はそれこそ繰り返し、浅草を過去の東京の象徴として甘美かつ陰惨に描くことを好みました。

 乱歩の「浅草」は短編『モノグラム』(大正15年6月<新小説>)、『木馬は廻る』(大正15年10月<探偵趣味>)などに登場し、長編『一寸法師』(大正15年12月〜昭和2年2月<東京朝日新聞>)で非常にうらぶれた様子で描かれ、『押絵と旅する男』(昭和4年6月<新青年>)では、浅草十二階のことが事細かに語られます。

 『陰獣』はそんな乱歩の浅草趣味時代を代表する作品なのです。やがて、乱歩の世界も浅草を離れて行きます。前述の『乱歩と東京』において松山氏は、『陰獣』の発展形が後の長編『吸血鬼』(昭和5年9月〜6年3月<報知新聞>)であると述べていますが、この乱歩最長の長編では犯罪の舞台は、麹町・上野・青山・代々木・両国・品川・目黒と目まぐるしく変わります。そもそも小説の発端が塩原温泉です。もう浅草だけにノスタルジーの源泉を見出していた時代は終わったと言わんばかりに。新しい時代がそこに到来していたのでした。
新春あさくさ正史さんぽ 1月6日
 今年の初詣はいつもの浅草寺でした。そのついでに、浅草所縁の江戸川乱歩の『陰獣』と、横溝正史の『幽霊座』『トランプ台上の首』の舞台を歩いてきました。今回は浅草公園や六区のほうへ行かず、水辺の浅草をご案内いたします。猶、これらの作品のネタを割ってしまうので、これから読んでみたいと思っている方は、お読みになるのはご遠慮ください。

 まずは正史編から。帰省帰りの相方と「どぜう」の店で待ち合わせをしたのですが、どぜうを堪能した後、その近所と仮定された『幽霊座』の舞台を通って雷門方面へ。

 駒形橋から雷門へ抜ける並木通り沿いは、浅草材木町、浅草並木町、浅草仲町などの旧町名が付けられていました。その中に、浅草茶屋町なる町名が見受けられます。その名の通り、かつて浅草寺の門前に、水茶屋や芝居小屋が立ち並んでいたのです。正史が描く『幽霊座』(昭和27年11月〜12月<面白倶楽部>)の舞台・劇場「稲妻座」も、その中のひとつと思われます。

 駒形橋の西詰、駒形堂のある三叉路から、
雷門へむかってあるいていくと、道の左側に
古色蒼然たる劇場がある。
 これが稲妻座である。
 あるひとの説によると、いまもし、東京七
不思議というようなものをえらぶとすれば、
さしずめ稲妻座など、まっさきに入選するだ
ろうということだが、いかさま、この古めか
しい建物の外観は、周囲の建物といちじるし
く調和をかいていて、ちょっと明治時代の風
俗写真を見るかんじである。

 『幽霊座』(角川文庫、昭和48年9月刊)

 旧町名が整理統合により消えたのは昭和9年、『幽霊座』の端緒となる佐野川鶴之助失踪事件が起こるのは昭和11年の設定となっています。金田一耕助の友人の歌舞伎役者・鶴之助が、金田一をはじめとする観客の衆目環視の中、夏狂言「鯉つかみ」の舞台上から忽然と姿を消しました。そして、探偵として売り出し中の金田一が出鼻を挫かれた、未解決事件となりました。

 そのまま時は流れ戦後となった昭和27年、鶴之助の十七回忌公演として、弟の紫虹と遺児の雷蔵、失踪時の共演者だった水木京三郎が顔を揃えて再びの「鯉つかみ」の演目の最中に、殺人事件が起こるのです。

 歌舞伎の舞台上で事件が起きるという、なかなか派手な趣向を凝らした正史中期の傑作ですが、映像化があまりされていない(古谷一行の二時間ドラマで一度きり、しかも舞台を確か地方に移していた)せいか、知名度はいま一つだったりします。現在では角川文庫の現行作からも省かれて、古書でしか手に入れることができなくなっているのも、他の作品に比べて知られていないからでしょう。角川書店は猛省を、そして再刊を。

 それにしても、大正初期に建てられ震災も戦災も免れた古色蒼然たる劇場が半ば朽ちかけたようにして残っていて「東京七不思議」と呼ばれている件りは、正史らしいマニエリスムを感じます。歌舞伎好きで歌舞伎の趣向をミステリの見立てに使うことで独自の美意識を確立した正史らしい一作で、岡山を始めとする地方での活躍に隠れた、金田一の東京事件簿の一角を為す名作と申せましょう。

 正史作品に浅草近辺が取り上げられたのは、戦前の代表作・由利先生シリーズだけでも、長編『夜光虫』(昭和11年11月〜12年6月<日の出>)や短編『猿と死美人』(昭和13年2月<キング>)などがあり、正史も乱歩ほどではないにしても浅草は馴染みの場所だったようです。

 そもそも、浅草寺の門前、新吉原遊郭の玄関口、そして芝居街として浅草は江戸時代より栄えて来ましたが、明治中期になって浅草公園が整備され凌雲閣(通称・浅草十二階)が建設されて、浅草は庶民の娯楽場として繁栄しました。しかし、大正14年、現在の山手線環状運転開始により東京の繁栄の中心が新宿を始めとする山の手地区に移ったことで、山手線外の浅草は徐々に衰退しました。正史や乱歩はこの衰退期の浅草の、謂わば頽廃の美を描いたのでした。

 戦後、浅草六区は歓楽街として隆盛を取り戻しました。戦災で全てが焼け野原になったことで、かえって一度リセットされ、浅草も再びの脚光を浴びるようになります。正史はこの『幽霊座』で戦前馴染みの浅草を再び取り上げました。戦前の事件と戦後の事件が絡み合う展開は、戦災でも消えることのなかった浅草の灯を象徴しているのですね。

 これを皮切りに、正史は金田一シリーズで浅草近辺を多く描いています。その中でも浅草のストリッパーを絡めた作品が増えます。中編『堕ちたる天女』(昭和29年6月<面白倶楽部>)から始まり、『魔女の暦』(昭和31年5月<小説倶楽部>)、『火の十字架』(昭和33年4月〜6月<小説倶楽部>)などです。その中で今回は『トランプ台上の首』(昭和32年1月<オール讀物>)を取り上げます。

 アパート聚楽荘で猟奇殺人が起きます。ストリッパーの生首がカード・テーブルの上に鎮座し、窓のほうを向いていました。切断された身体のほうが見当たりません。どうやら窓から運び出されて遺棄されたようです。この被害者は浅草の「ミラノ座」のトップ・ダンサーでした。事件現場となった聚楽荘は次のような立地です。

 新しい客種というのは、隅田川の河岸すれ
すれに建った、聚楽荘というアパートの住人
たちだ。このアパートはかなり大きく、四階
だての各階に、十五世帯くらいずつ収容して
おり、したがって六十世帯という家族が、隅
田河岸すれすれに、住居していることになる。

 『トランプ台上の首』(『幽霊座』同上)

 詳しい住所などは記されていないのですが、浅草近辺で隅田川沿いで江東方面が川越しに見えているということで、現住所で言えば、今戸1丁目、浅草7丁目、花川戸1丁目2丁目、雷門2丁目、駒形2丁目辺りが考えられます。次回で詳しく述べますが、この辺りの隅田川河畔は昭和初年代に整備された隅田公園があって、河岸すれすれに建物を建てることが出来るのは限られております。今戸1丁目南半分から花川戸1丁目までは、川沿いは隅田公園地内となります。公園北側の今戸1丁目北半分も考えられるのですが、今戸河岸には事件の別の容疑者が住んでいてアリバイがあるので、今戸のほうは聚楽荘候補地から外れます。

 となると公園南側となりますが、現在の雷門2丁目や駒形2丁目付近は、かつては浅草花川戸町という地名でした。ものの本に『トランプ台上の首』の事件発生場所が「浅草花川戸」とされているのは、こういう地理的条件を考えてのことでしょう。私もその説に従って、かつて花川戸町であった水辺を歩いてみました。うなぎの老舗やむぎとろの有名店が暖簾を構える裏は確かに隅田川の流れでした。江戸通りから一本狭い通りを挟んで、川べりにコンクリート建ての船宿やマンションが建ち並ぶ中に、築半世紀以上になる聚楽荘もあるような気がしました。

 正史はこの中編にモーターボートで川べりの住人に総菜を売る商売のことを書いています。偶然でしょうか、本作発表と同じ年の11月に封切られた映画『肉体女優殺し・五人の犯罪者』にも、浅草のヌード・ダンサーや船のおかず売りが登場します。雑誌の性質上、正史作品のほうが前年末に発表されているので、映画の脚本家が雑誌で読んでインスパイアされたのかもしれませんね。当時のプログラム・ピクチャーの即製ぶりを考えると充分あり得るかと。

 では恒例の書影入り現場写真です。場所は駒形橋交差点より遠く雷門を望む並木通りと、うなぎの前川近くの川沿いのマンションに挟まれた更地です。片袖の幽霊が佇んでいたり、恨めしい生首が川を見ていたりはしません。

角川文庫『幽霊座』初版本と並木通り。
稲妻座のあったと思しき場所は喜多方
ラーメンの奥。
ストリッパーのアケミの生首も、スカ
イツリーを見たか。セメント工場の煙
突なら見たかもしれない。