幻想ミステリ博物館館長日記番外編 うどん空海?紀行(二) 2015年3月7日

ここでUDONのお勉強

 先日、ネットのニュースで香川に関して話題になったことがありました。口コミサイト「食べログ」の香川県の2014年度ランキングが全店うどん屋だったという、香川らしい笑撃ニュースです。我々が遠征しようと思っていた店もそのランキングに両方とも入っていて、どうなることやらと思われました。

 かつて私が「地上の楽園」(そこまで誉めたかしら?)とまで称した某うどん店が過去の食べログ年間一位に選ばれて、その結果、近所トラブルから閉店を余儀なくされたという笑えない事件もありました。

 香川のうどんに限って言えば、食べログの評価は他県からの観光客がするものであり、地元の人はそれぞれ自分の贔屓の店を大切にする傾向があるので、人気うどん屋を盛り上げるのも追い詰めるのも、ひとえに私たち観光客のマナー次第です。早朝に行列しても騒がない、とか、駐車場を遵守する、とか、東京と違って田舎の人は行列に好意的とは限らない、とか、よーく、肝に銘じておきましょう。マナーは守って楽しいうどん巡礼を。

 ところで、讃岐うどんに関して私がかねてから気になっていたのは、その起源です。日本全国に個性的なうどんがあるのですが、その中で、狭い地域でガラパゴス化した様相を呈しているのは、讃岐うどんにおいて一番顕著です。どうしてこうなったのか?

 今回も二日目、高松から西の観音寺方面に車で往復してきたのですが、途中見かける外食の店は半分以上がうどん…。相方は「ラーメン屋とかないんか!」と苦笑していましたが、まあ、有数のうどん地帯を走ったのですから、そら、他の麺類はあれへんわな。たとえ、あったとしても潰れてました(^^;;)。

 しかしものの本(『香川「地図・地名・地理」の謎』北山健一郎 実業之日本社)によると、「うどん県」などと自称している香川県ですが、あくまでうどん地帯は、高松から坂出・丸亀・琴平の中讃、善通寺・三豊・観音寺の西讃地域限定で、東讃地域や四国山地の山間部はもともと蕎麦を産出するそば地帯のようです。狭い香川のさらに狭い地域に、何百軒といううどん屋がごちゃっと犇めいているというのも、何やらホラーです。気候が温暖で雨の少ない平野部で小麦が沢山採れるから、うどん文化が栄えたのですね。

 うどんの起源の話に戻ると、文献を見るだに、麦のたぐいを粉状にして打ち延ばしそれを切って麺状にして食すものを探すと、以前から「アレかな?」と私が考えていたものがありました。『今昔物語集』に登場する「麦縄」というものです。「麦縄」はどうやらうどんや冷や麦の祖先と考えられていて、巻十九第二十二話「寺別当許麦縄、成蛇語(てらのべったうのもとのむぎなは、へみとなること)」に、「而ル間、夏此(なつのころ)麦縄多ク出来ケルヲ、客人(まらうど)共多ク集テ食ケルニ、」という一文があり、夏に水で冷やして食されていたようです。

 まだ製粉技術の未熟だった平安時代、この麦縄は高貴な人の御馳走だったと思われます。しかも、この後の文章に、「旧麦(ふるむぎ)ハ薬ナド云タレバ、」とあって、麦はクスリ喰いの一環として食されていたことが判ります。この説話は、心邪な寺の坊主が、麦縄の食べ残しを人に与えずに戸棚に仕舞い込んで、一年の後、それを開けてみたところ、麦縄が小さな蛇に変って蠢いていて腰を抜かしたが、他の邪心なき人が見るともとの食べ物になっていたという、生臭坊主を戒める話です。

 麦縄は油で揚げてお菓子としても供されていたようで、お菓子のほうは現在でも奈良県のお土産で手に入るようです。私も大好きな三輪そうめんの老舗「山本」さんが、左の画像((C)楽天市場)のようなパッケージでお菓子の「麦縄」を発売しています。かりんとうに近いのかな〜。王朝の貴族の食卓では、このような揚げ菓子がよく食べられていたようです。

 麦そのものは弥生時代頃、大陸から我が国に伝わって来ていたもので、それを麺状に加工する技術は、奈良時代から平安初期にかけての頃、遣唐使によってもたらされたものと思われます。

 しかし何故讃岐? という疑問は残ります。そこで登場するのが、この紀行の題になっている空海、弘法大師様です。

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