那須野妖狐紀行

第一夜 大妖怪・玉藻の前と対決

 先週末、栃木は那須の温泉へ相方と行ってきました。先月も私は友人連中と会津・東山温泉に遊んできたばかりで、なんだか最近身体が温泉を欲しているようです。おウチの風呂に湯の花をほりこんでも癒されませんわ。お湯は、ほんまもんでないとあかんのよ。


 那須と言えば、古典の徒である私などは、九尾の狐の伝説を思い出すのですが、このシャトルバスのキャラみたく可愛いもんじゃございません。天竺・唐土わたりの、仏敵・王敵・傾城の大妖怪・玉藻の前でございます。国を次々と滅ぼしてきた無敵妖怪。なのに、このキュービー君ったら、えらいかわいいやんけ。
 されど、安易なキャラクター化というなかれ。柳田国男の『桃太郎の誕生』(筑摩書房、新版全集第6巻)によると、「野州那須郡では清水文弥翁の『郷土史話』に、毎年四月八日から月末までのうちに、狐様・山犬様の初衣祝
(うぶぎいわい)と称して、村内各戸より米銭を集め、油揚・わかさぎなどを調理して狐塚に供える。これをするのは狐、山犬が、いたずらをせぬようにという趣意であったとある」なる記述が見え、那須にはもともと、山神の御遣いとしての狐信仰があったのだとしています。道理で、シャトルバスでもロープウェイの駅でも道端の看板でも、キュービー君がコンコンと鳴いている訳ですな。


 玉藻の前は鳥羽院の上童(女官)として宮中にいましたが、陰陽師・安倍泰成(晴明の子孫)に正体を見破られ、那須の地に逃れてきて悪さを為すので、東国の武士・三浦介と上総介に討たれて遺恨を石に残したとか。妖怪の怨念の籠る殺生石は、近づく人や鳥や獣、虫、悉皆、毒気にて取り殺す魔所として恐れられました。松尾芭蕉も『おくのほそ道』でこの地を訪れた折、「石の毒気いまだほろびず」と書いています。、虫の屍骸が山のように積み重なっていたそうです。
 しかし、謡曲の『殺生石』では、「石魂」すなわち狐の霊が、那須にゆかりのある高僧・源翁心昭によって鎮められたとされています。お能の話にはありませんが、一説に源翁が石を調伏する時、巨大な金槌でぶっ叩いたので、大きい金槌を「げんのう」と言うようになったとか。ほんまかいな。お能の『殺生石』は佐阿弥の作と言われていますが、その頃には既に示寂していた源翁師の頌徳のために、殺生石の説話が利用されたものと思われます。
 お能の『殺生石』は、石の作り物が舞台に据えられていて、後半になるとその石が割れて、中から野干(キツネ)の霊が、小飛出の面を被って出てきます。けっこうスペクタクルな舞台です。ご覧になる機会がありましたらぜひ観るとよろしいですよ。
 『半七捕物帳』の作者・岡本綺堂の小説に、『玉藻の前』という長編がありますが(現在、光文社文庫『修禅寺物語』に併録)、こちらは妖狐の霊に身体を乗っ取られた少女と、陰陽師の弟子となった少年の悲恋を描いた甘々なもので、兇悪な妖怪の素顔がいまひとつ霞んでしまっているような気がします。
 芭蕉の時代にはまだ鳥獣を殺していた火山性の有毒ガスも、現在ではさほどでもないのか、私たちは秋の夕闇迫る中、殺生石と対面してきました。なかなかの異空間でした。確かに見に行くだけの価値のある名所だと思います。


 午前中に埼玉を発って、羽生から千円高速で那須へ向かいましたが、お昼をナイショのすてーきなお店で食べたので、観光は午後遅くになりました。
 那須のインターから那須街道を上がっていくと湯本の町にたどり着くのですが、紅葉の季節ということもあって、車が混んでいるかも知れません。ですので、お昼を戴いたお店で教えて貰った裏道を抜けて、我々の車は那須ボルケーノハイウェイに出ました。ハイウェイのほうから逆に湯本に下りてゆくと、そこに殺生石と那須与一ゆかりの温泉神社、そして、那須温泉郷のはじまりとされる、共同浴場の「鹿の湯」が湯川沿いに並んでいます。
 殺生石の駐車場に車を停めて、石のほうへ歩き始めると、そこには異様な風景が拡がっています。「賽の河原」とも呼ばれる、湯川の川原に千体地蔵や石積みがびっしり。こ、怖ええ……。夕まぐれの殺生石は、京都・化野の念仏寺よりも怖いかもしれません。
 「サイの河原」と言えば、かの草津温泉にも同じ名の共同浴場「西の河原」の露天風呂があります。そこも熱湯滾る地獄風景が周辺に見られます。温泉番付で東国の横綱と大関である、草津と那須湯本と、双方に賽の河原があるのは、偶然ではありますまい。
 温泉は人々に癒しを与えてくれると同時に、地下のマグマの活発な活動を垣間見させてくれるものでもあり、地球のマントルのことなど知らなかった時代には、地下の炎熱はまさに泉下の地獄に他ならなかったのでしょう。
 そこを狐の隠れ家に見立てた人々もまた、見えない火山ガスが遍く生物を殺すことに、大いなる畏怖を抱いたのでしょう。現在も那須火山帯は活発な火山活動をしていて、ガスも時々人に害を与えることもあるそうです。殺生石もいつ、その牙を剥くかもしれませんなあ。


 九尾の狐の伝説は、そんな地獄のありかを、広く言い伝えたものだと思われます。しかし、時代が下れば、大妖怪もかわいいキャラ・キュービーと化して形無し。しかも、相方が話してくれたのですが、今、世界中で人気のマンガ・アニメの『NARUTO』の主人公ナルトも、九尾の狐だというではありませんか。その身の中に九尾の狐が封印されているとか。は?
 私は生憎、少年漫画は見ないものでハナシは知らんかったのですが、顔にヒゲの書いてあるキャラは存じておりました。ああ、そうなの、狐だったのね。でも玉藻の前は女性ですぜ。いつの間に性転換したんだ?少年の中に女が宿っていいもんか。…まあ、頭固いことは言わんときましょ。(画像はテレビ東京のサイトから頂戴しました。著作権関係でなんか言われたら削除いたします)


 我々もせっかく殺生石を見にいったんだし、いっちょ、狐妖怪と対決をば、いたしてやろうかと、わざわざ謡の教本の『殺生石』(檜書房)を持っていきました。そして、夕闇迫る山あいの毒ガスの中、それを鼻先に突きつけてきましたよ。対決中の画像がコレです。とりゃあ、九字でも切ったろか?それとも、持って来るべきはトンカチのゲンノウだったのか?
 なんなら天津・木村みたいに、狐折伏の一説でも吟じてやろうかと思ったのですが、相方に「やめてくれ」と言われました(笑)。けっこう観光客がたくさんいましたしねえ。そこで是非ともひとくさり、素養のほどを唸ってやりたかったのですが。あ、そうですか、恥ずかしいから、ダメですか。日本の伝統芸能もこうやって廃れていくんですね。殺生石を見に来て、お能の『殺生石』を知らんかったら恥ずかしいから教えてやろうと言ってんだがね。
 まあこういう押し付けがましい馬鹿はほっといて、ぞろぞろとご来訪の皆様は、殺生石をご覧になっておられました。殺生石の周囲はさすがに立ち入り禁止で、石の近くは急斜面のガレ場で、入ったらごろごろ転がってきそうで、その上、石の本体に注連縄が張ってありました。
 ちょっと待て。シメナワは神様のご神体にかけるもんとちゃうんかい?妖怪の成れの果てにシメナワ張るってどういうこっちゃ?私はかるーく頭が混乱しましたが、妖怪がマンジュウになったりドリンクになったり弁当に化身するご時世です。九尾の狐も、もはや人気キャラ。拝んどけば、ありがたーいご利益でも授かれるかもしれませんなあ。空から油揚げが降ってくるとかね。


 そんな狐のすみかにコンコンと湧く名湯の話を、次回はいたしたいと思います。

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