序章
【なにはさておき量子論 序章】

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20世紀、物理理論の巨峰といえば、私は、『相対性理論』と『量子論』の二つをあげたい。(と偉そうに言ったが、物理学に多少とも関わりのある者なら誰でもそう言うだろう。)

そして、この『相対性理論』と『量子論』以前の物理学を古典物理(ニュートン力学)と呼ぶことが多いが、現在においてすら、高校で習う物理は、この古典物理だけであるということを、みなさんご存じだろうか。高校を最後に物理学から離れてしまう人も多いことを考えると、これは憂慮すべきことである。なぜなら、それらの人々は厳密に言うと『嘘』を教わったまま、それを真実と思いこんで一生を終えることになるからである。これは大げさな表現ではない。詳細を教える必要はないが、古典物理が近似的に正しい理論であり、現時点では『相対性理論』と『量子論』が正しく自然現象を説明できることくらいは教えてやって欲しいものである。

しかし、なぜこのようなことになっているかには理由がある。
それは次のふたつが原因となっているのである。

   人間が『相対性理論』を実感するには、人間は余りにも小さい。
   人間が『量子論』を実感するには、人間は余りにも大きい。


最初の相対性理論を考えてみよう。光速度は、約300000Km/秒、地球から月まで、1秒ちょっとで届いてしまうほど速い。光速度に比べると、通常の人間の営みの中に現れる速度は、あまりにも小さい。だから、相対論効果を身近に感じることがなく、長いこと、ニュートン力学が正しいと思われて来たのだ。
光速度が、300000km/秒という日常ではあり得ないほど大きな速度であったことに我々は感謝しなければならない。(まだ未読の人は、是非『わかっても相対論』を読んでください)

そしてこれから話をする量子論である。相対性理論の不変定数が光速度(c)であったように、量子論にも不変定数が登場し、それは、(h)で表わされ、プランク定数と呼ぶ。

   h=6.6261×10-34 J秒

これが、プランク定数の値である。ちょっと見ただけで、非常に小さいことが理解できるだろう。単位の話はおいおいして行くが、光速度がとんでもなく大きかったので、我々は相対論効果を現実には感じることがなかったように、プランク定数があまりにも小さい(限りなくゼロに近い)ので、我々は量子論効果を実感することを免れている。

これは、とてもありがたいことなのだ。もしプランク定数が大きかったら、我々が見る世界は、かなりもうろうとした世界になるだろう。空を飛ぶ鳥が、今どこにいるかを見ようとすれば、鳥が向かっている方向や速さがわからなくなり、鳥がどちらの方向にどのくらいの速さで飛んでいるかを確かめようとすれば、鳥の姿は、奇妙にぼやける。

こんなことが起きなくて幸いであるが、プランク定数が小さいということは、極微の世界では、変なことが起きていることになる。そんな話をはじめよう。


   (※)『わかっても相対論』を読んでいない人は、これを読む前に、是非読んでください。


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