第2章 はじめに光速度ありき


【わかっても相対論 第2章 はじめに光速度ありき】

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1.アインシュタイン登場

さて、アインシュタインの登場である。
彗星のように物理学の世界へ登場したアインシュタイン。でも、『アインシュタイン=相対性理論』なのではない。

アインシュタインは、ノーベル物理学賞を受けているが、その時の功績は何だったか、ご存じだろうか?こんなことを尋ねるからには、相対論でないことはわかるであろう。実は、「光電効果」がそれである。

アインシュタインの「光電効果」が、日本に紹介された時、某新聞には、「写真電気効果でノーベル賞」と書かれたそうだ。なんだそりゃあ、と思う方、"Photo-Electric-Effect"を訳してみて欲しい。理解できますね。

金属の表面に光をあてると、そこから電子が飛び出して来る現象が「光電効果」である。アインシュタインはこの現象を説明したわけであるが、その時実に斬新なことを言ったのであった。それを述べる前に次の事実を書いておこう。
(1)波長の長い(赤外線など)をいくら長時間照射しても、電子は飛び出さない。
(2)波長がある値より小さくなると、ほんの少し照射しても、電子が飛び出す。
さて、この事実は、何を物語っているか? ちょっと考えてみてほしい。

光がであるなら、上記の現象は発生しない。波長によらず、ある一定時間照射し続ければ、電子に飛び出すエネルギーを与えることができるからだ。

それが成立していないのは、光がエネルギーを持った粒子(のようなもの)であると考えると説明がつく。つまり、光とは波長に対応したエネルギーを持った粒の性質をもったものなのだ。波長が短いほど、エネルギーは大きくなる。アインシュタインはこれを光量子と呼んだ。後の光子である。

余談
私たちが夜空を見上げた時を考えてみよう。ある一点を発した光は空間の全ての方向に拡がるのだから、遠くにある星ほど、地球に届くエネルギーは小さくなる。だから、(もし光が波動ならば)、遠くの星ほど見えるのに時間が掛かるはずである。だが、現実にはそうはなっていない。夜空を見上げたとたん、全ての星の光は我々に見える。これは、光がある一定のエネルギーを持った粒子だからである。


実は、これが、量子論の始まりにもなっているのだが、後に量子論は不完全であると問題提起したアインシュタインが量子論の黎明期にこんな形で関わっていたことは興味深い。

さて、光は電磁波であり、だから、光という波を伝達する媒体としてエーテルが考えられたのであった。
それが粒子だって! 人をバカにするんじゃない、と叱られそうだが、アインシュタインは決して、光を粒子だとは言っていない。波長に応じたエネルギーを持つなにか、つまり光量子だと言ったのである。 なに、詭弁だって?
そうではない。事実を述べただけである。この光量子説は、さっきも言ったように量子論に繋がって行くのだが、とりあえずここでは深入りしない 。

余談
相対論においても、アインシュタインの言い出したことが、理解されない時期は長かったし、驚くことに、今だに「相対論は大嘘だ」言う人もいるのだ。「相対論は完璧に間違っている」という論旨を展開するインターネットのサイトは、ちょっと検索すれば、簡単に見つけることができる。この手の輩は、「アインシュタインは大山師である」または「自分がアインシュタインを超えた」と言いたいらしいのだが、相対論が間違っていたら、原子力発電もできないし、今はやりの「カーナビ(GPS)」も使えない。相対論は、現実に確認された理論であり、今でも検証され続けている。絶対に正しい理論など存在しない。検証に耐え続ける理論があるだけである。(ここを間違わないように。)


光電効果も相対論も、その正当性は確認され続け、間違いが発見されていない(現実の宇宙との食い違いが見いだされていない)から生き残っている理論なのである。

アインシュタインが「光電効果」で、ノーベル賞を受賞したのは1921年。このとき、相対論は既に世に出ていた。(なんとこの二つの理論は同じ1905年に発表されている。)ところが相対論が受賞の対象にならなかったのは、相対論が素直に受入れにくい理論であり、認められるのに20年では足りなかったからだ。
なぜ認められなかったのか? あまりに難しい理論で理解できる人がいなかったからではない。特殊相対論は、数学的には、微分も積分も必要ない。本当に高校1年程度の素養があればよい。

相対論が認められなかったのは、理論が難解だったからではなく、その意味することが常識破りであり、誰もそれを正しいと認めることができなかったからである。

一言いいたい!





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2.二つの原理

(=電磁波)は、エーテルを媒質とすると考えて精密に速さを測定すると、実際の波(音波など)とは異なる結果が得られたことを前章で書いた。

それはエーテルに対して動く観測者が、どのような方向から来る光速度を測っても、その値は同じになるということであった。(ちょっと話が飛躍している? マイケルソンモーリーの実験は、エーテルに対して地球が動いているという前提で、進行方向とそれに垂直な方向での、光の往復時間を計り、それが厳密に一致することを示したのだが、同じことを言い換えると、どのような方向からの光速度も同じ、という結論になる。)

これに対して、ローレンツは、エーテルに逆らって進む物体は、その方向にある値(ローレンツ因子)をかけた分だけ縮むとして、状況を説明したのだった。
ただし、全ての物質がエーテルに対して縮んでしまうので、当然ものさしも縮み、その縮みを絶対に検出できないことも、前章で書いた。

絶対に測定にかからないものを仮定した理論は無意味である(つまり、エーテルは原理的に観測できない)ということから、「エーテルという仮説を捨ててみたら」ということを考えたのが、アインシュタインであった。(アインシュタインは、決してエーテルを否定した訳ではない。エーテルを考えなくとも、実験事実を説明できると考えたのである。)

詳しい話に入る前にひとつだけ整理しておこう。それは、光を波と考えたときの振る舞いが、実際は我々の知っている波と異なるという点である。
しつこいぞっ! と怒らないでね。これ大事なことだから。

まず、光が粒子であるとする。
これは、本当に私たちの常識で考えればよい。ある人が野球のボールを時速140kmで投げるとする。球場のピッチャーマウンドからボールを投げれば、バックネット裏で測定したボールの速さは140km/時である。ところが、ピッチャーが、センター方向からキャッチャーの方へ時速50kmの車に乗って、マウンド上に来た時、ボールを放ったらどうなるか。そう、バックネット裏では、ピッチャーの投げる速度(140km/時)と車の速度(50km/時)を加算した値(190km/時)を観測する。光に置き換えれば、光源の速さが観測する光の速さに影響することになる。

次に、光を波と考える。
この場合、観測する者にとって、波源(波を発する者)の速さは、観測者に影響しない。何度も言ったように、波は、その媒質に対して一定の速さなのである。しかし、観測する側が、媒質に対して動けば、観測する波の速度は変わる。

ところが現実に光の速さを測定してみると、
光源が動こうが、観測者が動こうが、どんな場合でも、光の速さは一定なのである。これは、光を粒子と考えても、波と考えても、これまでの常識とは相容れない。

わかりやすい例で言う。
光源Aがあって、ここから速さ(c)で光が出ている。そしてその光源に速さ(v)で近づく物体Xと、同じ速さ(v)で離れ行く物体Yがあるとする。みなさんの常識で考えれば、Xにとっては、光の速さは、(c+v)であり、Yにとっては、(c−v)に見えると思うだろう。(もちろん、Aにとってはcである。)光を波と認識していれば、それで正常である。

また、あなたから見て、光速の0.8倍で走っているロケットが、前方に光を発した場合、その光の速度は、あなたにとって、(0.8+1.0=1.8)つまり光速の1.8倍と見える、これは光を粒子と認識した時の常識である。

ところが、どんなケースでも、光の速さは同じ(c)に観測されるのである。
これは、アインシュタインが言い出したことでも、相対論における結論でもない。観測するとそうなってしまうのである。(ここを勘違いしないように!)

そこで、アインシュタインは考えた。光速度は、どう測っても同じになるのがこの宇宙の性質なのではないか、と。
なぜと言われても答えようがない。観測の結果、そういうもんだ、としか言えない。
そこで次の原理を提案した。

   (1)光の速度は、いかなる慣性系から測定しても同じである。

慣性系ってなんだ? 本当はこの原理に、慣性系という言葉はいらないのだ。だったら、はずせ! といわないでね。私はこれから「特殊相対性理論」を説明しようとしている。ここで出てくる「特殊」というのは、慣性系のことなのだ。
慣性系(外部から力が働かない系、つまり等速運動をする系)という条件付きで展開する理論を「特殊相対性理論」と呼ぶ。だから第1原理にもとりあえず慣性系という言葉を入れておく。
アインシュタインは、実験の結果から、光速度一定の原理を仮定したのである。(くどいようだが言っておく。現在まで、この仮定を覆す実験結果はない。)

余談
このアインシュタインの原理を言い換えると、この宇宙とは、『誰にとっても光を一定速度で走らせるところのものである。』という関係代名詞(英語の復習をしましょうね)でしか言い表せないものとなる。だってそういうものなんだから。
そして、この後、この関係代名詞的な言い方しかできないものが物理学では増えてゆく。
例えば、光とは、波として観測すれば波であり、粒子として観測すれば粒子である、そういうところのものである、という事実がある。これは量子論の結論なのだが、光ってそういうものなのだ。とりあえず相対論には関係ないので詳細は述べないが、そういう言い方をしないと正確に言い表せないものがどんどん出てくる。


閑話休題。
そして、もうひとつの原理を提案した。

   (2)どんな慣性系でも、物理現象は同じである。

なんぼなんでも、そのくらいわかるわい、あそことここで物理法則が違ったらそもそも物理学なんて意味ないではないか! と怒らないでね。実は、これも大事なのよ。

なんでかと言うと、これは、「全ての慣性系にえこひいきはない」と言っているのだ。なに、まだあたりまえ?
じゃあもう少し言い方を変えよう。「ある慣性系のみを特別扱いする理由はない」。なに、まだ言いたいことがわからん? じゃあもっと噛み砕いてみよう。「ある慣性系から、別の慣性系を見たとき、そこにあるのは、お互いの相対速度だけである」。なに、今度は話が飛躍しすぎてわからない? うーん、そうか。

   ○時速200Kmで走っている物体(A)がある。時速500Kmで走っている物体(B)がある。
    といったらおかしいのだ。AとBはいったい何に対して時速200Km、500Kmなのかを言っていないから。
   ○そこで物体(C)を持ってきてA及びBは、Cに対して、上記の速度だとする。(とりあえずCを基準にした)
   ○そうすると、Cを基準として、BはAにとって時速(500−200=)300Kmであることしかいえない。
   ○逆にAもBにとって時速(500−200=)300Kmであることしかいえない。

自分がどのくらいの速度で走っているのかは、単体では、どの物体もいえないのである。
いえるのは、AとBは相対速度、300Km/時であることだけである。

つまり、第2原理は、宇宙には絶対静止という特別な慣性系を定義できる何物もない、ということを言っている。
この原理の提唱により、エーテルは死んだ。(こう言うと、また勘違いする人が必ずいる。アインシュタインが、エーテルを殺したわけではない。正確には、「初めからエーテルなど必要ないということがわかった」のである。)

今回の話をまとめる。アインシュタインは、特殊相対性理論を展開する二つの原理を提唱した。

   (1)光速度は、いかなる慣性系から測定しても同じである(光速度不変の原理
   (2)いかなる慣性系でも、物理現象は同じである(特殊相対性原理


ある意味では、特殊相対性理論とはこれだけなのである。これですべてが説明できる。

一言いいたい!





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3.思考実験その1(動く物体の収縮)

物理をかじった人は、よく「思考実験」という言葉を使いたがる。単なる証明(もどき)を「思考実験」にしてしまう輩も多い。しかし、光速度があまりに速すぎて、日常の現象と全然マッチしないので、相対論では、ときに「思考実験」をしなければならないこともある。

次に示すのは有名な思考実験である。本当に実験すると光速度はえらい大きいので日常生活にあてはめられない。そこで、頭の中で次のようなことを考える(実験する)のである。(くどいが、実際には、本当の実験でも確かめられていますからね。)

【状況】
Yという人がいて、便宜上静止しているとみなす。(全ての慣性系相対速度しか持たないので、今Yを基準の系とする。)このYの目の前を、(Yから見て)右へ速度(v)で走っている列車がある。列車の中央にはXという人(列車に対して静止)がいる。列車の長さは、Xにとって(L)である。今、光速度を(c)で表す。(なぜか光速度はcで表すことになっている。理由を説明したものを読んだことがない。誰か知ってる?

【Xが行うこと】
列車の両端から同時に、をXに向けて発射する。当然光は、同時にXに届く。

【Yが行うこと】
同じ状況を、Yが見る。
列車は速度(v)で右に動いているので、Xも右へ動いている(ようにYには見える)。従って、普通に考えると、Yにとって列車の両端から同時に光が発車されれば、Xは、右から来る光を先に受けるはずである。ところが、XにとってもYにとっても、Xが同時に光を受けたという事実」は変わるはずがない。そして光速度は、Xから見ても、Yから見ても「同じ」なのであるから、Xが同時に光を受けるためには、Yにとっては、光の発射が同時刻でなくなる。
列車の後尾から光が発射されてから、時間(t)だけ過ぎてから列車の先端から光が発射されないと観測事実にあわない。そうでしょ。
Yにとっては、Xに光が届いたとき、列車の先端が列車の速度(v)に時間(t)を掛けた分だけ先にあるはずである。なのにXに同時に光が届く(ように観測される)のだから、Yにとっては、列車の長さが(vt)だけ縮んで見えなければならないということになる。

絵を使わないでこれを理解するのは難しい、と言わないで欲しい。絵を描いて説明するのは簡単なのだが、逆に曲解も発生するのである。上記の文章で充分に理解していただけたはずである。

これをより完全に納得したい人は、ここを見てほしい。(根性ないと理解するのに時間がかかるが、難しくはない)

ちゃんと計算すると、Yにとって、列車の長さは、Xにとっての長さをローレンツ因子で割ったものになる。(長さのローレンツ変換と呼ぶ)

   1/√(1-v2/c2) ・・・・(ローレンツ因子)

なので、分母は、1より小さくなる。だから因子全体では1より大きくなる。

まとめ

ある慣性系から見て、動く物体の長さは、静止しているときの長さをローレンツ因子で割ったものになる。(縮む)

一言いいたい!





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4.思考実験その2(動く時計の遅れ)

なんでこんな話をしているのか、わからない人は正常である。
アインシュタインの二つの原理まではわかったよ。でもなんで突然こんな話になるんだ?」と思わない方がおかしい。

そこで理屈を言う。アインシュタインの第1原理を思いだしていただきたい。

   光速度は、いかなる慣性系から測定しても同じである(光速度不変の原理

これを認めると、相対速度を持って運動する物体同士の空間(長さ)と時間の関係が妙なものになって来るのだ。
なぜなら光速度は、誰がどのように観測しても一定なのに、それを観測する側が様々に動いているとすれば、速度が「距離/時間」である以上、そのしわ寄せは、「距離」と「時間」の双方で負わなければならない。つまり以下のように言える。

   (1)私が見るあなたの長さは、あなた自身の長さと異なる。(前項にて説明済み)
   (2)私が見るあなたの時間は、あなた自身の時間と異なる。(本項にて説明する)


非常に不思議なことになって来ている。長さが異なる、というのは百歩譲って認めてやろうじゃないか(エーテルのところでも出てきたし)。でも時間が異なるとはなんだ、と思う人は健全だ。

アインシュタインが、こんなことを言い出したから、相対論は、初めは誰にも相手にされなかったのだ。

さて、唐突に、本項の説明に入る。前項と同じ方式でやってみよう。

【状況】
Yという人がいて、便宜上静止しているとみなす。(全ての慣性系は相対速度しか持たないので、今Yを基準系とする。)このYの目の前を、(Yから見て)右へ速度(v)で走っている列車がある。列車の中央にはXという人(列車に対して静止)がいる。列車の床から天井までの高さは(h)である。

【Xが行うこと】
Xは、列車の床にそなえつけた光源から列車の天井の鏡めがけて垂直に光を発する。その結果、光は、天井の鏡で反射されて床に戻る。

【Yが行うこと】
列車の外から、列車の中のXが床から発した光が、鏡で反射されて床へ戻るのを見る。

簡単な状況である。Xが列車の床から発した光が列車の天井と床を往復するのをYも見る、ということだ。
Xにとっては、光が、行った道をそのまま返るだけである。その事実はYが見ても変わらない。ただYから見てXが動いているので、Yにとっては、光の道筋が単純往復に見えないだけである。

【Xが測る光往復の距離】
長さ(h)を往復するのだから、光は(2h)走る。

【Yが測る光往復の距離】
列車は、Yに対して速度(v)で右へ走っているので、Yから見ると光は右上へ走り天井で反射してさらに右下に走る。このとき光が発して、到着するまでの時間を(t)とするとその間の距離は(v)×(t)である。そうですね。
そうすると、ここに底辺(vt)高さ(h)の二等辺三角形ができる。これもOK。
さて、光が走った距離は? 二等辺三角形の等辺を足したもので、ピタゴラスの定理を持ち出すまでもなく、Yが見る距離のほうが、Xがみる距離より長い。
そうすると、光は一定速度なので、今度は相手の時計が遅れていないと話があわなくなる。

絵を使わないでこれを理解するのは難しい、と言わないで欲しい。絵を描いて説明するのは簡単なのだが、逆に曲解も発生するのである。上記の文章で充分に理解していただけたはずである。

これをより完全に納得したい人は、ここを見てほしい。(根性ないと理解するのに時間がかかるが、難しくはない)

ちゃんと計算すると、Yにとって、Xの時計の進みはローレンツ因子を掛けたものになる。(時間のローレンツ変換

まとめ

ある慣性系から見て、動く物体の時間は、静止しているときの時間にローレンツ因子を掛けたものになる。(遅れる)

一言いいたい!





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5.美しいと思うか?

長さ(空間)と時計(時間)が綺麗な対象系となって現れた。これを「美しい!」と思う人は、物理屋の素質がある。大概の人は「ふーん」ぐらいとしか感じないはずで、それで正常である。

3項と4項の細かいことは無視してよい。ただ、以下を認めてほしいだけである。

   (1)私が見るあなたの長さは、あなた自身の長さと異なる。
   (2)私が見るあなたの時間は、あなた自身の時間と異なる。
   (3)上記(1)と(2)は単独ではなく、共に起こる現実である。


アインシュタインの発想のすばらしさは、長さ(空間)と時計(時間)を対等に扱おうとしたことである。

あなたと私は、異なるものさしを持っている。これは何とか認めるとしよう。ところが、アインシュタインは、さらに、あなたと私は進み方の違う時計を持っている、と言ったのだ。これは、実感するのが難しい。少なくとも20世紀初頭の他の人々にはこれが理解できなかった。(理解できなかった人は恥ではないが、実際にその事実が検証されても、「信じられない」という理由だけで、理解しようとしない人は恥ずかしいと思ってもらいたいものだ。)

とっても簡単な方法で、時間と空間を結び付ける式を示してみよう。

まず、三次元のピタゴラスの定理をおさらいしておこう。

   点A(x1, y1, z1) と
   点B(x2, y2, z2) があり、これが空間内の棒の両端であるとする。

点Aと点Bの距離がLである(棒の長さがLである)とすると、

   (x2 - x1)2 + (y2 - y1)2 + (z2 - z1)2 = L2

である。つまり、空間のどこに棒をもって行っても、Lという長さは不変量であることを言っている。
皆さん、当たり前だと思ったでしょ。しかし第3項で示したように、光速度一定を前提にすると、相対速度を持った物体同士では、相手の長さが変わって観測されることを思い出してみよう。

であれば、光速度一定の条件の元で、いかなる慣性系においても不変となる量があるのだろうか。
それを考えてみることにしよう。今度は時間も考慮して、

   点A(x1, y1, z1, t1) と
   点B(x2, y2, z2, t2) を考える。

時刻0においてAとBは、同じ場所にいた(つまり座標原点が一致していた)。そして、Bは、Aに対して相対速度(v)で動いているものとする。

AとBが時刻0(座標原点が一致していた時)に、各々光を発した。光は、その点を中心とした同心球状に拡がる。
ここまではよいと思う。問題は次だ。

Aにとって、時間(t1)の後、Aは(x1,y1,z1,t1)にいる。対してBにとっては、時間(t2)の後、(x2,y2,z2,t2)にいる。
時間にはt1、t2と隔たりがあるのだから、A、Bそれぞれの原点から発せられた光は、
   Aにとっては、ct1
   Bにとっては、ct2
だけ走ったところにいるはずである。そしてこれが、空間的な距離と一致するのだから、
球面の方程式より

   Aでの光の広がり: x1 2 + y1 2 + z1 2 = (ct1)2
   Bでの光の広がり: x2 2 + y2 2 + z2 2 = (ct2)2

ということが言える。(c)はもちろん光速度である。

さて、時空間の場合の、空間の棒にあたるものはなにか?
3次元空間のピタゴラスの定理は、棒の長さが不変だった。4次元時空間では、時間を含めた事象の隔たりが不変量になるのである。よって3次元のピタゴラスの定理から、これを4次元時空間に応用して

   (x2 - x1)2 + (y2 - y1)2 + (z2 - z1)2 - (ct2 - ct1)2 = τ2

である。

これを整理すると

≪3次元空間のピタゴラスの定理≫

   x2 + y2 + z2 = r2 ( r は、慣性系の座標原点からの距離 )

≪4次元時空間のピタゴラスの定理≫

   x2 + y2 + z2 - (ct)2 = τ2

である。
時間の項にだけ光速度(c)が掛かっており、さらに2乗の項がプラスでなくマイナスである。これは、えこひいきではないのか? と思う人は鋭い。しかし、不変定数(c)を掛けることにより、時間を、空間と対等な単位にしたとき、2乗項がマイナスになるというのは、時間というものが虚数だと考えることもできる。人は空間を自由に移動できる(体感できる)のに対し、時間は、人の意思とは関係なく流れゆき見えない(体感できない)のは、このためではないのか、という考えもできる。(が、これはかなりSF的発想なので、そう思いこまないように。)
さて、(τ)とはなんであろうか。ここでは、各々の慣性系の座標原点から事件(時間も含めた)への隔たり、と捉えておこう。

なにはともあれ、位置(事件)の四元量が定義できた。

   位置(事件)の四元量 ( x, y, z, ct )

である。そしてここに不変定数(c)が出てきたのだ。



さて、今度は、かの有名な E=mc2 を考えよう。特殊相対論というと、かならずこれを言う人が多い。しかし、意外とこれを導く方法を知らない人が多い。相対論に多少とも関心のあるあなた、ちょっと考えてみてほしい。どういうアプローチでこれを証明するだろうか?

一言いいたい!





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第2章の ま・と・め

アインシュタインは考えた。

   光速度を一定値にさせるところのものが、この宇宙なのではないか?

で、それを元に二つの原理を提唱した。

   (1)光速度は、いかなる慣性系から測定しても同じである(光速度不変の原理
   (2)いかなる慣性系でも、物理現象は同じである(特殊相対性原理

どんな立場にいる人も、等速運動している限り、光速は同じ、ということ。
従って、どんな人も、立場が違えば、長さ(空間)と時計(時間)の両方が、同一でなくなる、ということ。

   空間(x, y, z)と、時間(t)をえこひいきなく仲間にして、
   4元位置(x, y, z, ct)

を考えよう。

このとき、4次元時空間のピタゴラスの定理は、

   x2 + y2 + z2 - (ct)2 = τ2

である。

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