第4章 特殊から一般へ


【わかっても相対論 第4章 特殊から一般へ】

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1.なんか変じゃない?

特殊相対論から、一般相対論へと話を移す前に、これまで書いてきたことの補足をしておこう。

第2章 1項で私は次のように書いた。

   光がエネルギーを持った粒子であると考えると説明がつく。
   つまり、光とは波長に対応したエネルギーを持った粒子の性質をもったものなのだ。

光電効果」のところで出てきた話で、

   アインシュタインは決して、光を粒子だとは言っていない。波長に応じたエネルギーを持つなにか、
   つまり光量子だと言ったのである。 なに、詭弁だって?

とも言って、そのあと何となく話をはぐらかしたのであった。ちゃんと説明しておこう。

質量の定義には、「慣性質量」と「重力質量」とがあってその両者に違いが見つかっていない、と書いた。
光は、「慣性質量」は持たないが、どうも「重力質量」は持っているらしい、ことになっている。つまり、

 @光には「慣性質量」はない。なぜなら「静止質量」がないからだ。なぜ? 事実が証明している。
  光は常に光速度で走るのであり、静止できない。よって、少なくとも慣性質量は持ち得ない。
  「わからない」のではなく「無い」のである。

 A光もどうやら落ちるらしい、と言うことが一般相対論の方から出てくる。そうなると光は「重力質量」は持つらしい、
  ということが言える。(ところが、この重力というのがやっかいで、これは一般相対論で話すことにする。)

とりあえずの答え、光の質量は無い。ゼロだとしている人もいるが、止めようがないんだから「無い」というのが正解と私は思う。

第3章 6項で私は次のように書いた。

   つまり、質量を持つ物質は、光速になる前に、光になってしまうと言えないか?

これも誤解を招きやすい表現であった。
正しくは以下である。

質量を持つ物質は、限りなく光速に近づくことはできても、光速にはなれない。なぜなら、質量が限りなく無限大に近づき、それ以上いくら力を加えても加速しなくなるからである。
だが、加速の問題は、一般相対論の範疇なので、なるべくなら触れたくなかったのである。
但し、物質が高エネルギー(光速に近い速さ)で、他の物質の近く(本当は、「電磁場」と言いたいのだが、「電磁場」を説明し出すと長くなるので、そのうち説明)を通過すると、相互作用(これも話し出すと長くなる、「かまいあい」の事だと思っていてちょうだい)して、光になるのである。長くなる話ばかり出てくるので、上記のように書いた。

第2章 2項で私は次のように書いた。

   光速度は、いかなる慣性系から測定しても同じである(光速度不変の原理

ところが正確に言うと次のようになる。

   光速度は、真空中では、いかなる慣性系から測定しても同じである(光速度不変の原理)

この「真空中では」という条件を付けると、話がややこしくなるので書かなかったが、実は、真空中でなければ、光の速度は変わるのである。正確には「屈折率nの透明媒質中では光速はc/n(cは真空中の光速)になる」のである。例えば、水の屈折率は1.333だから、水中での光の速度は真空中での速度の75%となる。荷電粒子(例えば電子)は、水中でもほとんど速さが変わらないので、場合によっては、電子が光の速さ(あえて光速とは書かない)を超えることがあるのである。
「光速が変わったら特殊相対論はどうなるんだ!」と思う人へ。

上記の「水中の特殊相対論」はその言葉がすでに矛盾している。なぜ? 水中で、光は周囲の電荷を持った粒子と相互作用(前に、「かまいあい」といった。今回は、「運動量の交換」といっておく)する。光は電子と衝突してこれをたたき出す。従ってこの場合は、「慣性系」ではないのだ。相手の速度を変えれば、それは「加速系」であり、だから特殊相対論での議論である「慣性系において光速度はいつでも一定」は、成立しない。というより、光速は変わっていないのだが、余計な仕事をして、ジグザグに走っているので見かけ上、遅くなると考えればよい。
マックスウェル電磁気学の結論として、電磁波の速さを計算した有名な式が出てくる。それは

   c=1/√(μ0ε0)

μ0は、「真空の透磁率」で、ε0は「真空の誘電率」。
なんのこっちゃと思うかもしれないが、真空だと上の式で光速度が計算できるのである。「真空の」というのが付くのが、くせもので真空でないと、透磁率・誘電率は変わる。また真空でないと、光の波長によっても透磁率・誘電率値は変わる。(プリズムで、白色光を七色に分けられるのも、この理由である。)
とりあえず、「真空の」場合、上式で計算した(c)は、実験で確認した光速度と完全に一致する。そして物質中の光速度も、真空でない物質中の透磁率と誘電率で求められるものと一致する。

つまり光も物質中では、その物質と相互作用(道草)をするので、見た目の速度が変わるのだ。

とは言え、見た目でも、光速度(c)が変わるなんて、理屈でなく、感覚的に許せないんだよなあ、と私も思う。

宇宙空間の真空に浮かぶ巨大な水のかたまりに飛び込んだ光を、その水のかたまりの外にいる存在が、あらゆる方向からそれを観測して本当に相対論に矛盾しないか、誰か思考実験してみません? おかしなことが起こることを予言して、実験でそれが確認できたら、多分ノーベル賞だなあ。(でも、特殊相対論だけではだめですよ、念のため)

物質中の光は、あくまでその速度を減じるのであり、真空中の光速を超えることはないし、また物質中の光の速さはゼロにはならない(「透磁率」「誘電率」が無限大でないと光は止まらない)ので、相対論には矛盾しない。

一言いいたい!





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2.名問・珍解

この章では、次のような疑問にも答えておこう。もしかすると、特殊から一般へと話を移すためのいい手がかりになるかもしれない。

【ご質問】

   「光もどうやら、落ちるらしい、と言うことが一般相対論の方から出てくる。」
   重力レンズ効果によって光が曲がったり、ブラックホールからは光も出てこられないという、
   よく (?) いわれる話のことなんでしょうか?

【お答え】

   そうです。

但し、質問そのものの意味が不明な人が多いと思うので以下注記

ブラックホール:
ものすご〜く、重い星というイメージがあるでしょう。でも違うんです。
地球もブラックホールになれます。但し地球を丸ごとビー玉1個分の大きさの中に押し込んでしまわなければなりません。つまり、ブラックホールとは、光でさえ出てこれない密度になってしまった星(物質の塊)である、ということができます。
なぜブラックホールというか? それは、重力のためその中に入り込んだもの(光を含む)がいっさい出て来れないからです。この宇宙で質量がなく、最も速い光でさえ出て来れないまでになったもの、つまり何物もでてこれない、吸い込むばかりで、吐き出すことのないものをブラックホールといいます。
地球がビー玉1個分だったように、ある物質の塊がブラックホールになってしまう大きさを、球の半径で現したものを「シュワルツシルドの半径」といいます。地球の例の逆にそれほど高密度でなくとも大きさが巨大であればブラックホールになれます。この宇宙が、全ての質量から計算されるシュワルツシルドの半径より小さければ、我々のいるこの宇宙だってブラックホールであるということもできます。(はっきりしていませんが、この宇宙の全質量と大きさは、ブラックホールになる条件のぎりぎりのところにあるらしいです。)もしかすると自分たちもブラックホールの中にいるのかもしれない、というのは新鮮な驚きではありませんか?

なぜ月は地球に落ちないか:
プロローグで書きました。ニュートンは、りんごが落ちるのを見て万有引力を思いついたのではなく、なぜ月が地球に落ちて来ないかを考えて万有引力を思いついた、と。ちょっと考えてください。なんで月は地球に落ちて来ないのでしょう?
その答え、落ちているのです。月は地球に向かって落ちている。しかし水平方向に速度を持っているので、落ちた先に地球がない。落ちているんだけれど、地球にたどりつかない。人工衛星もこの原理で地球の周りを回っています。地球が太陽に落ちないのも同じこと。

重力レンズ:
ブラックホールのような星があったとすると、光は、その星の近傍で、星に向かって引き付けられる(「若干落ちる」と言い換えてもよい−月と地球の例参照)。例えば地球から見て、その星の背後にあり、その星にさえぎられて本当は見えないはずの別の星が、そこから来る光が曲がってしまうので地球から見えてしまうような現象を「重力レンズ」といいます。


【ご質問】
   ブラックホールの中にひとが無事に生きていたとして
   そこには空気が満ちていて
   その中のひとが助けを求めて叫んだら、ブラックホールの外までその声 (波) は届くのかなぁと

【お答え】

   ものすごいこと考えますね。

でも上記のブラックホールの定義でいうと、もしかするとこの宇宙全体がブラックホールであるかもしれないのだから、その中で人が生きているという表現もあながちナンセンスとはいえません。ただし、シュワルツシルド半径より外には絶対出て行きません、というのが回答かと...

【ご質問】

   無限大に限りなく近づいた質量というのが、エネルギーになっちゃったというふうな捉え方って、間違ってます?
   もし間違っていない場合、「慣性質量」=「重力質量」であるにも関わらず、片方は無くて、片方はあるというのが
   どうもよく判らないのですが。

【お答え】

   非常に鋭い質問です。
   お答えします。(ここからは、ですます調をやめます。)

光は「重力質量」を持っている、という話は、決して間違っているとは思えない。「重力質力」を定義どおりに受け止めれば、絶対光は、「重力質量」をもっているはずだ。でなければ、光がブラックホールへ落ちるわけがない。
第1章 1項で私は次のように書いた。

   光は、地球の周りは回らない。

確かに地球の周りは回らない。が、相手がブラックホールだとシュワルツシルド半径ぎりぎりのところで、ブラックホールの周りを回るかもしれない。多分回るだろう。月と地球との運動が、「重力質量」による現象なら、ブラックホールと光だって同じだろう。
となると、これまで前提としていた「慣性質量」=「重力質量」は、間違いで、少なくとも光については、「慣性質量」≠「重力質量」なのだろうか?それ以上に光の「重力質量」はどう観測すればよいのだろうか?

この件については、一般相対性理論で説明する。
気をもたせて以下次章。

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