人の一生の能力を考える
COLUMN
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新規:2006年10月29日
 
時は金なり/少年老いやすく、学なりがたし
 自分にはどんな能力があるのか。これは誰もが一度は気に掛けることと思います。
 でも、そういう個人ではなく、人の一生の中で、人の能力が平均的にどのように変わっていくのか。今回はこの話題を、ちょっと考えてみたいと思います。
 なお、こういう能力に関しては着目する対象や見方、ならび経験などで千差万別ですので、ここに書いた内容はまくまでも一つの目安とご了承ください。
 
三つ子の魂、百まで
 人は3歳の頃に個性が表に現れ、それは一生変わらないと言います。
 その個性の中には、当然のことながら天賦の才能も含まれます。親がうまいこと才能に気づいてくれると良いのですが、残念ながら多くの親は自分の理想を押し付ける結果、あっさり見逃しているのではないかと思います。
 
環境的応力(3歳まで)
 発汗能力、免疫力など、生物学的な機能が完成する頃です。
 夏も涼しい地方に住んでいた人は、3歳の時点で必要のない汗腺がなくなります。
 
 アレルギーなどもこの頃までの衛生環境に影響を受けるのではないかと思います。まあ、最近多いアレルギーの多くは、あまりにも衛生的な環境が整いすぎたため免疫機能が働く場を失い、かと言って汗腺のように機能を止めることができないために暴走したのではないかと思えるのですが……。
 
対人スキル(6歳まで)
 主にマナーや礼儀作法など、他人との関わりに必要な能力が完成する頃だそうです。
 子どものしつけも、この頃までに済ませておかないと、口が汚かったり、身勝手になったりと、困った人になりがちだそうです。
 もちろん、対人スキルは思春期の頃にも再形成されますが、年老いてからはこの頃の状態に戻るみたいです。
 
神経系統(8〜10歳)
 この頃までに使われなかった能力は、急速に衰えていきます。
 有名なところでは絶対音感や発音を聴き分ける能力があります。[r]音と[l]音の聴き分けは多くの言語で行なわれますが、日本人の耳は3種類のラ音を1つの音としてまとめて聞き取ります。また「ん」も日本人は5種類を混在させて使ってます(主に使われるのは[m]と[n]で、次に[ng]が多いらしい)。
 他にも色彩感覚や文法能力、数学力、計算力などがこのあたりで固定されてしまうそうです。
 
 これに関する面白いエピソードがあります。
 昔、JR東日本が特急のデザインを一新した時の話です。その際、デザイナーたちが用意した候補案では数が少ないということで、わざわざ選ばれるはずのないダサいデザインで数合わせしたそうです。ところが、その時の選考委員たちが選んだのは、数合わせした中でも最悪のデザインだったそうです。
 選考委員たちの共通点は、子供の頃から勉強漬けで美術に興味はなかったとか。普通に育てば養われる感覚も、環境によって失われてしまう例かもしれません。
 
運動能力の発達(8〜13歳)
 運動能力を発達させるには、非常に適した年齢に当たるそうです。
 ただし、これには一つの大きな制約があります。運動するには走る時の一連の動作(以下「走り」)が完成されていることが前提です。走りが完成するのは個人差が大きく、生活や運動環境とは無関係に人によって8〜12歳。完成の遅かった人には残された時間がほとんどないことになります。
 
 ちなみに私の場合、走りが完成したのは11歳の半ば(小学校6年生)。完成の前後で50m走の記録が9秒台後半から一気に7秒台に突入、中学に入るとすぐ6秒台になったのですから、走りの完成がどれだけ足の速さに影響するのかわかってもらえると思います。
 
基礎能力や感性の確定(12〜13歳)
 よく「学ぶのは何歳になってからでも遅くない」と言われますが、実際は大ウソです。学ぶための基礎能力や論理的思考力が、このあたりで確定するそうです。
 同様にその後の一生を決める感性やセンスも、同時に決まるそうです。
 美的センス、言語能力、数学能力、科学センス、音楽センス、等々。それが失われたり未完成のまま確定してしまうと、当然ですが一生苦しむでしょう。
 
記憶力(ピークは10代半ば)
 意味を理解しないでも多くのことを丸暗記できる世代です。
 この頃に必死になって勉強した内容は、年をとっても意外と忘れずに覚えてます。
 
 私も春眠暁を覚えずなど、普段は使わないのに今でもそらんじてる漢詩がいくつかありますねぇ。
 理数系の公式も、このあたりの年齢の頃は丸暗記できてました。大学生になると暗記できなくなり、必要ならその場で組み立てるような考え方に変えましたけど。
 
法的成人(18歳〜25歳)
 国によって違いますが、親から独立して自立する年齢です。社会の中で自分の役割を見付け、自活するようになります。
 ですが、まだ経験が浅いため誰かから役割を与えられないと社会の中で生きていけません。社会的な成人となるには、まだまだ時間がかかります。
 
知力(10代後半〜20代前半、ピークは20歳前後)
 高校、大学時代は、まさにこの期間に入ります。
 知力の高まる高校生ぐらいになると、識者顔負けの論理力を発揮する人が出てきます。
 とはいえ、この頃はまだ知力を活かす知識や経験が備わっていません。そのため自分の理想の中だけで通用する空想論やべき論などを語る傾向にあるため、周りからは生意気と見られがちです。また発言の裏付けとなる実績も少ないので、意見も軽く見られがちです。それで経験と実績の重みを感じ取ってもらえれば良いのですが、残念ながら最近は「周りはみんなバカばかり」と思ってしまう人が増えているそうです。
 これには最近の努力するのはバカバカしいという風潮が影響してるのではないかと思います。
 物作り(適当なものではなく、ちゃんとした料理、工作、作画など)や、競技会やコンクールに挑戦(参加するだけは論外)した経験のある人は、その過程で「見るとやるでは大違い」という現実や「何かをやり遂げることの大変さ」を身をもって知ることができるのですが……。
 ところが、そういう大変さは理想と違って泥臭いものであるため、体験しないと理解できない苦労がたくさんあります。そのため経験がまったくない人の中には、経験者の語る事実が自分の理想から掛け離れていると、何かと屁理屈を付けて小バカ(時に相手を無知・無能呼ばわり)にする困った人がいます。これはその人の性格的な面もありますが、ここまでくると生意気を通り越して尊大・横柄・傲慢という感じです。
 相対性理論を理解できた(つもりの)少年が「こんな理論を組み立てるの何十年もかかったなんて、アインシュタインはなんてのろまなんだ」と言ったという逸話があるそうですけど、これなどは頭は良くても世間知らずなことを語る好例ですね。
 
 とはいえ新しい分野では、この世代の人たちが大きな成果を挙げます。最近ではコンピュータソフトやインターネットの世界が良い例でしょう。まだその分野の識者でも十分な経験や実績がないため、この世代の人たちの中から識者たちより高い成果を挙げる人が出てきやすいためです。
 中には高校、大学時代に新しい産業を興して、そのまま世界のトップに君臨した人もいます。
 
 それはともかく、20歳前後は本能的に将来を語り合う人が多いと言われます。知力のあるこの時に徹底的に語り合ったことが自分の将来像としてのイメージを固め、40歳近くになって活きてくるそうです。反対に語らなかった人は将来に何のイメージも持たず、無為に年を重ねるだけのつまらない人生になりがちとも言われます。
 それなのに最近は将来を語ることをダサいという風潮もあります。その世相を反映してるのが、昨今問題になっているNEET問題かもしれません。
 
反射神経(ピークは20代前半)
 まだ体力面では成長の余地を残してますが、その不足分を反応の速さで補えるのがこの頃だそうです。
 動きの激しいスポーツでは、このあたりの世代が一番活躍しています。
 
 この世代は運転免許を手に入れてから、ちょうど運転に慣れてくる頃です。それで反射神経で危険を回避してるのを自分の運転テクニックと勘違いし、安全面を考えない独りよがりから、つい走り屋になってしまう人がいるようです。
 そこまで極端でなくても、つい自分の反射神経で物事を考え、自覚のないまま強引な運転で周りに迷惑をかける人も出てきます。狭い道から大通りに出る時、十分に余裕があると思ってアクセルを踏んでも車が加速するまで時間がかかるため、結果的に強引な割り込みになってしまう。そんな失敗でしょうか。
 
体力/筋力(ピークは20代後半)
 人間も動物です。その動物として、もっとも完成するのが20代の後半と言われます。
 一部に職業的な例外がありますが、多くの人がこの頃で体の成長を終えるそうです。
 この頃は社会に出て3年以上。そろそろ仕事を覚え、まだ体力任せですが強引にでも課せられた仕事をやり遂げてしまう頃です。上司がうまくお膳立てすると、大きなプロジェクトでもやり遂げる人が出てきます。
 その反面、仕事をやり遂げた自分を優秀と勘違いし、態度が大きくなる人も出てくる世代です。まだ自分の周りの仕事しか知らないはずですが、もう業界のすべてを知ったと思い込む人も増える世代です。ネット上を流れる怪しい業界通ぶった情報は、たぶんこのあたりの世代の人が書いたものでしょうか。
 
 その一方でスポーツ選手の中には反射神経の衰えを感じ、それを体力の限界と思って引退する人が出てくる頃です。反射神経に頼らず先読みに磨きをかけられるか。それが問われてくる世代でしょう。
 
創造力の限界(26歳ごろ)
 作家の立場からは否定したい考え方ですが、歴史上の偉人たちが社会を変えるような発想や着想を得た年齢を考えると、このあたりが新しいものを生み出す創造力の限界になるそうです。つまり、この年齢をすぎてからの創造は、小手先ということでしょうか。
 この頃までにたくさんの着想を重ねておかないと、その後が大変になりそうです。
 もっとも新しい創造はできなくても既存の知識を組み合わせた創造は無数にありますから、頭を柔軟に働かせればまだまだ創造の余地はありそうです。
 
基礎学習力の限界(28歳ごろ)
 物事の考え方やその後の学習能力は、この年齢までにどこまで基礎を固めたかに左右されるそうです。
 パソコンで例えると、この年齢を境にOSの書き換えができなくなるようなものでしょうか。この年齢をすぎるとなかなか言葉遣いが直らないとか、考えろと言われても頭が回らないとか。せいぜい設定を変更できるぐらいで……。
 となると、その後の人生を決める重大な転換期のように思います。  
 
 最近は生涯学習熱が高まってますが、趣味の一線を超えるとこの限界を思い知らされるようです。
 
社会適応力(ピークは30歳前後)
 多くの人たちにとっては、このあたりで結婚したり、子供が産まれたりと変化の多い世代です。そのせいか、この世代は環境や社会への適応力が抜群に高くなっているそうです。
 
持久力(ピークは30代前半)
 すべての世代の中で、もっとも激務に耐えられる世代です。
 ただ体力の回復力が衰えてきますから、持久力があるとはいえ徹夜などがつらくなってきます。
 
人生で一番無能な世代(30代後半〜40歳前後)
 知力も体力も衰えたものの、まだ社会的な経験が浅い。そのため惰性で仕事をしてしまう人の多い世代です。
 職業に合わせた体形の変化も30代後半が限界になるそうです。そして知力や体力が衰えた分、物事に対して異常に保守的になり、変化を好まない人が増えてきます。
 この面白い例がパソコンです。普及し始めた頃にすでにこの世代を迎えていた人たちは今ごろは50代。すぐ下の世代はパソコンをバリバリ使っているのに、その人たちは今でも使えなくて困ってるのではないでしょうか。
 技術者だと新しい技術を理解できなくて、取り残される人が出てくる頃です。
 
 この世代は常に頭を使い臨機応変に対応しなければならない仕事や、体力勝負の仕事ではそろそろ引退を迫られる年齢です。ところが知力が衰えたために余計な部分に気が回らなくなるのか、これまで通りの仕事を続けるのならば、もっとも脂の乗った世代です。
 社員、中間管理職としては人生で一番優秀な世代。そんな奇妙な褒め方をする人もいますけど……。
 
危険な世代(30代半ば〜40代後半)
 俗に「40歳の危機」と呼ばれる世代です。
 このあたりになると知力も体力も衰え、若い頃のように行動できなくなってきます。
 優秀な後輩には追い越され、追い掛ける先輩との差は縮まらない。そんな感じで精神的に追い込まれる人が40歳前後に急増するそうです。特に要領を考えず、力任せで仕事をしてきた人たちにとっては、このあたりで人生の大きな壁にぶつかるのようです。ちなみに鬱症状で病院を訪れる人のピークは43〜46歳になるそうです。その真ん中である45歳は、すべての世代の中でもっとも今を不幸と感じる人の多い世代です。
 また若い頃には見えなかった社会の仕組みや自分の立ち位置、ならび自分の老後の姿も、だいたいこの年齢になる頃には見えてきます。そのため仕事に脂は乗っていても自分がどこまで出世できるか限界も見えてくるため、希望を失って鬱病になる人や、自暴自棄になって犯罪を起こす人が、この年齢のあたりに多く出てくるとか。中でも若い頃に持っていた夢を何一つ実現できてない人にとっては、もっとも絶望を感じやすい時期になるそうです。
 それとこの世代では事業を興して失敗する人が多いそうです。これは人生の壁や厳しい現実から目をそらし、自分を過信したまま行動した人の末路かもしれません。また周囲からは社会的に成功している人でも、思わぬ犯罪に手を出して人生を棒に振る例は珍しくありません。
 日本では40歳(数えで42歳)は、男性にとって人生の大厄の歳としています。これは経験から生まれた考えでしょう。
 
 それと最近では上の世代が管理職として詰まって出世が遅れているため、定年直前までこの壁にぶつからない(気づかない)人も増えているそうです。40代までに壁に当たってればまだ人生の残り時間があるので何かに挑戦する機会がありそうですけど、定年が目前になってから壁に気づいたのでは人生の残り時間に余裕がなさすぎます。
 
社会的成人(40代以降)
 40歳を不惑の歳とも言いますが、それは「危険な世代」で挙げた壁を乗り越えた人にだけ通用する呼び方だと思います。
 社会的に自立し、誰かに与えられる役割でも、誰かの敷いたレールの上でもなく、社会の中に自分に適った役割を作り出し、自分の足で世の中を歩き始める頃です。
 
経験活用力(ピークは40代半ば)
 よく世の中は学歴社会と言いますが、40歳を過ぎると学歴よりも社会に出た後の経験の方が物を言うようになります。昇進試験が実務とは無関係な暗記物(ただの業界雑学モノのペーパー試験)になってる職場でない限り……。
 若い頃はあまり勉強しなかった人でも、現場の叩き上げとして頭角を現わしてくるのもこの頃です。
 実際に大学を出ていないどころか若い頃は不良で高校を退学になった人が42歳で大手電機メーカーの社長になったとか、中卒でとび職となった人が46歳(この年齢は間違えてるかも)で建設会社の取締役になったとか、世の中はけして学歴だけではないと感じさせてくれる例も出てきます。
 実業家としては、もっとも脂の乗った世代でしょう。
 
 逆に高学歴にあぐらをかいて楽をしたばかりに、経験不足で何もできなくなった人が出てくるのもこの頃です。もっとも、そういう人は若いうちに周囲からは丸わかり。知らぬは本人ばかりでしょうけど。
 
判断力(ピークは50歳前後)
 十分な社会経験を積み、そこから広い視野で周りを見渡せるようになります。ただし少しずつ頭の回転が鈍くなり始める世代です。そのため経験をすぐには活かせません。まあ、これは知っているはずなのに思い出せないという感じに似てます。誰かが思い出させてくれれば、知識は十分に引っ張り出せます。十分に積み重ねられた経験により、洞察力は強くなっています。
 そこで、この世代は経験を活かすのは下の世代に任せ、その考えが良いか悪いかを洞察し、結論を下すのに適した世代です。要するに物事に判断を下すには一番の世代です。
 
 実務に携わる政治家や官僚としては、もっとも脂の乗った世代かもしれません。
 
指導力(ピークは60代)
 どんなに十分な知識や経験があっても、いつかは社会の変化に追い付かなくなるものです。
 そこで判断は下の世代に任せ、それを一歩退いた場所から吟味し、意見を求められたら答えるご意見番として、最後の能力を発揮できる世代です。
 もちろんピークが60代というのは一般論。人によっては亡くなる直前までピークのままかもしれません。
 
 
最後に
 さすがに50代以降となると私にはまだ先の話しすぎて、理解しながら語るには難しいですね。コラムはできるだけ自分の言葉で書くことを心掛けてますが、なかなか実感できないことを書くのは難しいものです。
 取り敢えず、各世代における能力の移り変わりとはこんなものだという話でした。
 
 それと繰り返し補足です。
 各世代で最大限に発揮される能力ですが、当然のことながらその世代になれば無条件に高まるものではありません。
 たとえば20歳前後で人生のピークを迎える知力ですが、それまでに勉強して知識を蓄えておかなくては何もできません。同じように40代でピークを迎える経験活用力ですが、何も経験してない人に発揮できるものではありません。60代にピークが来る指導力も同じで、周りの人たちがその人の実績や人となりを認めるからこそ発揮されるもので、信用されない人に発揮できるものではありません。
 何事も一つ一つの積み重ねが大切です。
 まあ、言うは易く行なうは難し。はたして自分の人生では、どこまで活かされるでしょうね?