宝満山峰入り紹介
“150年ぶり英彦山への峰入りルート登拝行” 冒頭のトピックス欄からをご覧ください。
平成20年(2008年)5月11日 宝満山修験会結成以来二十七ヵ度目の峰入り行が厳修されました。例年通り竈門神社本殿で出立勤行、登拝修行者へスケジュール説明、入峰の諸注意のあと、股木を持った前鬼役の山伏が先駈けを努め、一般登拝者を挟んで股木を持った後鬼役山伏が後詰めを努める中、総勢90名が山頂上宮をめざしました。
一の鳥居で入山問答、中宮跡で勤行、キャンプセンターで昼食。
いつもはお昼の休憩時に宝満山にお詳しい森弘子先生の講話を頂きますが、今回はご都合で竈門神社までしかお出でになれませんでしたので、代わりに峰中先達の私が宝満山修験道の歴史について、一般登拝者に説明しました。
午後から佛頂山心蓮上人祠をお参りし、山頂に向かう途中神職より“入峰の証”の引換券が登拝者全員に配られました。そして、山頂 宝満宮上宮参拝、満行報告の後頂上解散となりました。特に今回は下山途中、若手山伏はじめ一般登拝の希望者に藤野賢隆大先達より入山の灌頂が授けられました。
5月25日には例年通りかまど神社本殿前で採燈大護摩供が厳修され、神仏のご加護を願う大勢の参拝者が、火生三昧耶法のあと火渡りに挑みました。
宝満山修験会の結成
平成19(2007年)年4月22日竈門神社において宝満山修験会(西高辻信良会長)による宝満山修験道の先達任命式が行われました。
明治維新の神仏分離令に伴う修験道廃止令、廃仏毀釈によって散逸した宝満山修験道は、廃止後も復興の願意強く断片的ながら明治22年の春秋、昭和初期、そして大戦後も細々と峰入りが行われていました。
昭和57年宝満山開祖心蓮上人1300年祭を期して、山伏の末孫、宝満山を修行の場とする方々、宝満山が好きで心の拠りどころとされる方々によって宝満山修験会が結成され、竈門神社本殿前で採燈護摩供が厳修されたのを機会に本格的な復興を見ました。
爾来『山伏と一緒に登ろう』と市民に呼び掛け登拝修行、採燈護摩供奉納を毎年行ってきました。そして、25周年を迎えた本年、宝満山独自の先達組織化と古文献歴史考証に基づき宝満山独自の四種の鈴掛(すずかけ)を再現し、先達任命式を行いました。写真は会長の竈門神社西高辻信良宮司(太宰府天満宮宮司)より先達任命を受けたあと、記念撮影したものです。
平成19年(2007年)新緑の5月 宝満山修験会による峰入りの行と採灯護摩供が、今年は5月13日(日)峰入り、27日(日)採燈護摩供の両日厳修されました。 一般登山者を伴った登拝修行の峰入りは、例年どおり永福院信光が峰中導師を勤め、宝満山に詳しい森弘子先生の講話が昼食時の休憩時間に行われました。又、27日は竈門神社本殿で琵琶歌『竃門山』の奉納に続き、採燈護摩供がそろいの新装束で大先達本行院賢隆師が採燈師を勤め厳修しました。
琵琶歌『竃門山』は作詞小原菁々子 作曲中村旭園によるもので、昭和57年より毎年筑前琵琶奏者中村旭園さんが奏されています。
近年の峰入り記録
地震で崩壊した仏頂山の心蓮上人祠は峰入り前に神社と宝満山修験会有志の皆さんの手で復元され、例年通りの行程で登拝修行することができ、永福院信光が峰中勤行の導師を勤めました。又、採灯護摩供は採灯師 本行院住職 賢隆師により厳修され、火生三昧耶法(かしょうさんまやほう)では山伏に続いて大勢の参拝客が火渡りに挑戦しました。
竈門神社本殿前での出立勤行
上宮での勤行
キャンプセンターでの森先生の講話
明治維新後はじめての峰入り
明治22年峰入り 聖福寺山門前
明治4年宝満山を下山後17年を経て、永福院住職南ノ坊51世賢俊は、修験道再興の願望強く、遠く往年の統括寺 聖護院、三井寺へ届出ると共に、所轄の県知事許可を請願し続け奔走しました。大津の三井寺長吏 大僧正山科祐玉上人の特許状や、当時の内務卿、福岡県知事安場保知の許可文書が『鎮西竈門山入峰伝記』に記されています。
維新政府が修験道廃止、廃仏毀釈を断行した時期にあっても民衆の篤い修験信仰は根強く残っており、多くの寄進者の後援を受け、困難な中
明治22年春秋の峰入りを慣行しています。入峰再興に際し、寄進1005件の内訳、春峰56名、秋峰40名の入峰者記録が残っており、宝満山の修験信仰廃止後も、民衆と深く結びついた山伏の存在がわかります。
(写真には隆盛時の宝満山修験道のなごり 市松模様の鈴掛、板笈、七つの箱笈が見られ、多くの民衆が取り囲んでいます)
その他の峰入り
昭和初期 永福院を主体とした入峰 太宰府天満宮本殿前
上記以外にも、神変大菩薩1250年ご遠忌奉賛入峰や、聖護院門跡一行による国峰修行などと、個人やグループでの登拝修行が行われました。
大錫杖を持った南ノ坊五十二世智海、五十三世信明の顔が見える。
平成15年(2003年)、14年(2002年)の峰入り、採燈護摩供の様子