みどり濃き 新宮町

 永福院のある福岡県糟屋郡新宮町は、もともと農漁業中心の静かな町でした。いまは、福岡市、北九州市のベッドタウンとなっていますが、神話時代、山幸彦が野山を駈け、海幸彦が海に乗りだした面影をとどめる、みどり濃きやすらぎの町です。
 昭和26年(1951年)8月、縄文時代晩期の夜臼貝塚(ゆうすかいづか)で突帯文土器が発掘されました。この形状の土器が、国内初の発見であったため、夜臼式土器(ゆうすしきどき)と名づけられました。標式土器と言われる所以です。いまでは、縄文期の集落もあちこちで発見され、珍しくもなくなりましたが、当時では大発見でした。

(新宮町発行、「わたしたちの町新宮」より)

 町内のシンボルは立花山(標高367メートル)です。原生樟の北端で、樹齢300年を越える巨木には圧倒的な存在感があります。戦国時代には、立花道雪という強い武将の居城があった所で、石垣の一部が残っています。














千 年 家  新旧
( 改修前の外観と法火の竈)
 伝教大師最澄ゆかりの千年家は、県内最古の民家で、昭和52年国の重要文化財の指定を受けています。   竈には最澄が唐の天台山から招来した法火が、1200年もの間守られてきました。
 比叡山延暦寺の法火が、織田信長の焼き討ちによって絶えたとき、この法火が移されたとも伝えられています。(新宮町発行、新宮町誌より)
 春秋の千人参り巡拝の際は、番外札所として竃火を見学し秘仏毘沙門天像を遥拝します。春期は4月13日ご開帳当日巡拝日が重なり秘仏を拝することがあります。
 平成15年5月、2年2ヵ月を要した改修保存の新築工事が完成。町報「アクティブ新宮」に工事の期間中から完成まで13回にわたり「千年家物語」としてご当主横大路夫妻のご苦労や工事現場の様子などが地域に紹介されました。 
 又、6月5日には天台宗開宗1200年大法会慶讃行事の一環として、比叡山延暦寺より西郊宗務総長はじめ高僧がたの御出仕があり、格別に千年家新改築落慶伝教大師報恩法要が厳修されました。非公開の中、特別に参観を許され独鈷寺様わきで法要を拝しました。 (写真右は、横大路ご当主と比叡山延暦寺西郊宗務総長を中心に記念撮影…中外日報社提供)
 その後、ご当主横大路文彦氏が亡くなられ、法火は千鶴江奥様が守ってこられましたが、平成22年死去。後継者が広島在住の為、継承護持が不可能となり、千年家ゆかりの独鈷寺、天台宗、横大路家で協議が重ねられ、延暦寺へ奉納など検討された結果、伝教大師入山の史実ある宝満山に移転奉安が決まり、平成23年11月4日法要が営まれました。(古来伝統の護持方法と異なり、ふもと妙香庵でハイテク管理)    新宮町としては、貴重な文化遺産が散逸する残念な結果になっております。 


























玄界灘に浮かぶ相島(あいのしま)には、古墳時代の珍しい積石塚があります。
(下記写真はいずれも、神宮寺住職、中澤慶輝氏撮影)
 同島は、江戸時代、朝鮮通信使の宿泊島でもありました。

みどり濃き新宮町を、ぜひ一度おたずねください。


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