日本橋 東京都中央区 2009年(平成21年)11月6日(金) 午前6:00 出発 戸塚まで41キロ
江戸から京都に行くには東海道と中山道がありますが、総距離は東海道の場合一二三里、現在の四九二`です。これを十二泊しました。中山道は草津まで129里、516`です。これから三条大橋まで26`です。トータル542`。順当に歩けて十五泊かかりました。中山道は東海道と比べて山道であるため体力が要り、日数がかかりしましたが、川留めされることが少なく日程通り京都にたどりつけたといいます。この二つの街道の起点が日本橋で、京都の手前の草津で一緒になります。江戸の頃の利用率は東海道が圧倒的に高かったといわれます。伊勢参宮は東海道を通りました。総距離116里 464`「里」という距離の単位は中国からのものです。万里の長城というのがありますが、里が万あり、果てしないというところで名称が誕生したといわれます。街道には一里塚があります。一里、約四キロです。旅人は歩行の目安になり、馬や駕籠の料金の目安にもなりました。「お江戸日本橋」という歌に「お江戸日本橋七つ立ち」と歌われています。七つ、今の午前四時になります。
品川 東京都品川区 (日本橋〜品川)7.8キロ
日本橋から二里ですから泊まる人はありません。旅人にでる家族の者達をここまで見送ることになりました。知り合いは旅に出るものに餞別をわたし、品川まで見送りに来ます。見送られるものは見送る人たちに朝ごはんをご馳走したりしました。ですからここは他の宿場よりも旅館よりも物を食べさせる料亭が多かったといわれます。落語「品川心中」に出れ来るように遊女が多くいました。行版にはヒビからのりをとるところがみえるし、穴子が名物だということがわかります。二日目マッサージから始まる。品川寺1200年前に建てられた。お地蔵さんは六街道にお地蔵さんが建立された。広重の絵の場所と同じ所で写真を撮ることを決めていた。八ツ山線路の手前らしい。
川崎 神奈川県川崎市 (品川〜川崎)9.8キロ
神奈川 神奈川県横浜市 (川崎〜神奈川)9.7キロ
保土ヶ谷 横浜市保土ヶ谷区 (神奈川〜保土ヶ谷)4.9キロ
帷子川にかかる帷子橋あるいは新町橋とも言います。縦絵には「境木立場」があり、これは武蔵野国と相模国の国境を示していました。権太坂は保土ヶ谷から戸塚の間にある。はじめの難所と言われました。
一里塚について。戸塚まで。一週間終了。神奈川から保土ヶ谷に。街道の分岐点追分。八王子と東海道と別れる。
戸塚 横浜市戸塚区 (保土ヶ谷〜戸塚)8.8キロ 戸塚から小田原までの走行距離40キロ
栄楽1泊目
宿泊場所 モリヤ旅館 6000円 JR戸塚駅から5分 11月6日 17:00着 11.7. 6:00発
日本橋から戸塚宿まで41キロになります。江戸の頃この地はが宿泊場所になりました。初めの予定ではJR戸塚駅の近くのホテルに宿泊するこのにしていました。ところが予約をしようと電話をすると通じません。旧街道を下見にいくと営業をやめていました。戸塚は中途半端なところになります。ビジネスマンはこのあたりに仕事に来ると、横浜か藤沢に向かいます。よって戸塚にはホテルがなくなるというわけです。
泊まるところがありませんから、藤沢の鵠沼伏見稲荷神社にお世話になることになりました。此処の宮司さんは大学の先輩に当たります。先輩はありがたいことです。
もとい
藤沢の神社にお世話になる予定でしたが、戸塚に旅館を紹介してくれる人がいました。ありがたいです。よってモリヤ旅館に宿泊します。藤沢までいくにはは48キロあります。初日ですからどうなるかと思っていました。円楽一門会期待の星、橘也さんのごひいきのりつけさんの紹介でした。
藤沢 神奈川県藤沢市 (戸塚〜藤沢)7.8キ
保版には境川にかかる大鋸橋(おおぎりばし)が描かれ、江ノ島弁財天の鳥居が描かれる。この橋の上には大山に収める大太刀を担いだ男が描かれる。また時宗の大本山遊行寺に納める物か石を持っている。
平塚 神奈川県平塚市 (藤沢〜平塚)13.7キロ
保版は高麗山を背景にして飛脚と駕籠をたたんだ駕籠屋を描いている。隷版も同じような構成です。高麗山の麓には高麗神社があります。この神社は六六八年高句麗が滅亡した時、王族の一人 若光が大磯に上陸してこの山に住み始めたという謂れがあります。行・縦版は大山の後ろに富士を配している。
9 大磯 神奈川県大磯町 (平塚〜大磯)2.9キロ
小田原 神奈川県小田原市 (大磯〜小田原)15.6キロ 小田原から三島までの距離31.2キロ
栄楽2泊目
宿泊場所 相州旅館 国道一号線沿い 5500円 11月 7日 16:00着 11月8日 6:00発
箱根 神奈川県足柄下郡箱根町 (小田原〜箱根)16.5キロ
この箱根の絵は好きです。前の小田原の絵が今ひとつ普通であったため、この箱根シリーズはすごく際たっているように思います。批評にも傑作としています。保版は国立演芸場の緞帳になっていますが、隷版は箱根の山道を松明の灯りに照らされ、駕籠に乗った人、荷物運びなど構図が好きです。行版は伊豆と相模の国境の石碑が描かれています。縦版でも箱根の急坂が良く描かれています。
箱根から三嶋に行くルートは三通りありました。北は足柄山を回る道、南は熱海を廻る道、そして中間の箱根道です。歌に「箱根の山は天下の嶮」といわれています。正月大学駅伝でその険しさがわかります。標高900メートルあるのだそうです。知り合いの人が東海道の難所のベストワンにあげていますた。登りよりもくだりの方がつらいそうです。というのは私がスキーを初めてしたときにホテルの階段は登りよりもくだりの方がつらい、太股の筋肉がたまらんのです。箱根標高700メートル石畳永遠と続く。
三嶋 静岡県三嶋市 (箱根〜三嶋)14.7キロ 三島から由比までの歩行距離 38.4キロ
栄楽3泊目
宿泊場所 三島シティーホテル 055-972-8100 駅前 5250円 11月8日 16:00着 11月9日 6:00発
三嶋大社は源頼朝が挙兵する時に祈願した神社といわれます。鰻が名物となっていますが、元々三嶋では鰻を食しませんでした。というのは鰻が神様の化身と考えられていたからです。二代将軍秀忠は家臣の中で神の池から鰻を捕り食べたことから、打ち首にしたといわれています。幕末に薩長が来た時に食べ始めたということです。
沼津 静岡県沼津市 (三嶋〜沼津)5.8キロ
保版は月に照らされ、天狗の面を担いだ白装束の人物が描かれています。行版に描かれています。沼津は鰹ぶしがめいぶつです。
原 静岡県沼津市原 (沼津〜原)5.9キロ
この宿は富士と愛鷹山から水が流れこみます。そのため大雨が降ると湖になりました。五十三次の中でも最も富士を近くに美しく見ることが出来る場所といわれています。
保版の富士が最も気に入っています。隷版を除いて富士がフレームからはみ出して突き抜けているところがエネルギーを感じます。岡本太郎の太陽の塔と同じ感じです。
蒲原は織物が名産。蒲原は清水市です。薩田峠 由比は海岸が六キロ続きます。桜エビが名産。塩が名産で、米一升と交換していたこともあった。
吉原 静岡県富士市 (原〜吉原)11.7キロ
左富士のわけ
保版の絵は松並木を馬に乗った子供が富士を左に見ている絵です。この描かれたところは吉原から六〇〇bいったところです。ここを中吉原といいます。本来街道は海沿いを通っていました。ところが地震津波で一六二〇年寛永のころと一六八〇年の二度内陸に移動しました。そのため地理的に道がくねっています。そのため富士が左に見えるようになりました。土地の人たちは「左富士」と呼ぶそうです。左富士神社あります。この名称は昭和に入って付けられた名称のようです。古名は『悪王子神社』というそうです。コノハナサクヤ姫さまなのであろうか。?
行版には名物しろ酒を売っている茶店が見える。吉原本町に鯛屋旅館があり次郎長と鉄舟の定宿といわれています。明治元年榎本武揚は銚子港から咸臨丸で北を目指そうとしていた。ところが台風にあい、咸臨丸は傷み清水港に停泊していた。官軍は船を襲撃し、死体を海に捨てた。これを次郎長が拾い上げ回向をしましたが、これに大変感動した鉄舟と次郎長と付き合いが始まったといわれています。
蒲原 (かんばら) 静岡県庵原郡蒲原町 (吉原〜蒲原)11.1キロ
保版の雪景色は名作とされますが、静岡出身の人に聞くと蒲原で雪が積もったことは一度もないといっていました。昔はよく降ったのか。それとも創作か。
由比(ゆい) 静岡県庵原郡由比町 由比から岡部まで歩行距離 37.1キロ
11月9日 16:00着 11月10日 7:00発
※11月9日夕方由比に到着。その後、島田市金谷の旧山下呉服店での落語会に電車で向かう!
島田市金谷の旧山下呉服店で落語会開催! やったー
場所 旧山下呉服店
日時 11月9日 19時開演
木戸銭 1000円
栄楽4泊目
宿泊場所 島田市金谷の山下さん宅で宿泊し、11月10日朝jRで由比駅にもどり由比からスタートします。
薩?峠(さつたとうげ?)から由比の浜を見下ろしその上には富士山があります。よくこのアングルはテレビで放送されています。
奥津 静岡県清水市 (由比〜興津)9.1キロ
保版には相撲取りが乗っているようです。山部赤人が田子の浦・・・を歌ったところです。お羽織屋という店があります。この店は秀吉公から頂いた羽織がある。ここから峠を越えて戦に行き、勝ったため、そのお礼に羽織を置いて行きました。興津に望獄亭というところがありますがここは元旅籠だったようです。幕末に勝海舟の命を受けた山岡は西郷に会うために駿河に来ました。そのとき薩長の兵に追われ、この家に逃げ込んだそうです。この家の主人は山岡を命がけでかくまったそうです。蔵にかくまわれていた。ここから浜に逃げた。もし山岡が殺されていたら、江戸は火の海になったといわれます。
興津をすぎたところに広重の海越しのフジの絵がある。由比から興津の途中にある。北斎は引っ越し魔で九三回のしましたし、三〇回の改名をしました。
江尻 静岡県清水市 (興津〜江尻)4.1キロ
この江尻は現在の清水市です。保版の中央には三保の松原が描かれています。羽衣伝説があります。隷・縦は三保の松原から描いています。
日本武尊
ここに草薙神社があります。この神社は日本武尊の足跡をたどって父景行天皇が訪ねられてここに社を作られたといわれます。日本武尊は吾妻を平定されて伊勢の能褒野(のぼの)でなくなりました。景行天皇は悲しまれ、皇子の手柄を見るために吾妻を旅されました。焼津の地名は葦原に火を放たれたところからこの名称がつきました。この町で名の知れた人に清水次郎長がいます。この人は維新後三保の新田開発。巴川の架橋・油田の開発・英語学校・海運会社・富士の裾野の開墾をしたそうです。この開墾では自ら鍬を取り開拓したそうです。現在もその茶畑があるそうです。
府中に西郷と山岡会見の場
幕末、幕府の陸軍総裁勝海舟は官軍の西郷隆盛と日蓮入滅の地、本門寺で会談し無血開城となりましたが、この海舟は西郷隆盛に密書を腹心の山岡鉄舟に託しました。この時の護衛役をしたのが清水次郎長でした。それ以前二人は知り合いであるかどうかはわかりませんが、次郎長は鉄舟に心酔しました。そして親分のためなら命に代えてお守りいたしますと千人が動いたといわれます。咸臨丸は清水港に停泊していましたが、官軍に襲われ、乗組員は殺されてしまいました。港の者達は仏を葬りたいが官軍に難癖付けられると困るというのでだれも手出しは出来ませんでした。次郎長は「死ねば仏、官軍も賊軍もない。これでお咎めをうけるなら喜んで受ける!」といったといいます。これで次郎長の名声はますます上がった。あった瞬間にまいっちゃった。なんでもします。ドラマチックです。次郎長は街道の治安を管理していました。
山岡鉄太郎 天保七年〜明治21年(1836〜1888)
「無我と至誠」の人。小野鉄太郎で生まれ、後に山岡の姓を名乗る。山岡鉄太郎は徳川慶喜が官軍に恭順することを駿府の西郷隆盛に伝えるにあたって勝海舟に了解をえなければいけない。明治元年(一八六八)に尋ねます。当時官軍の中に行くのは命がけです。鉄太郎は江戸百万の命を守るために自らの命を落とすことを厭わない。「晴天白日の如く、一点曇りなき赤心」の思いでした。海舟はどうやって敵の本陣に行くとの問われたときに敵陣に行けば斬られるか、縛られるかするだろうが、刀を投げ出し、自分の思いを総督に伝えるだけ、是非も問わずに斬られることは無いだろう。斬られればそれまでと微動だにしない。海舟はこの迫力に圧倒され一任しました。山岡鉄太郎は陣中にかかったとき「朝敵徳川慶喜家来山岡鉄太郎、大総督府へ通る!」その鬼気迫る様子にその通行を止めることは誰も出来なかったといわれます。
鉄太郎は西郷に慶喜の恭順を伝え心情を吐露します。西郷は主君のため、江戸百万人のため命を顧みない鉄太郎の心持に敵味方かかわりなく感動し、その意の汲みました。鉄太郎は使命を果たします。海舟は西郷と芝の薩摩屋敷で会談する前に愛宕山に誘いました。そして町並みを見て、この町を焼くわけには行かないと述べると西郷はそれを納得しますが、鉄太郎のことを話します。徳川公は山岡鉄太郎という偉い宝をお持ちで幸せだ!山岡鉄太郎は私心なく、捨て身の働きに心から感服したと述べます。西郷が「命も名も金もいらぬ人」言ったことになっていますが、鉄太郎の言葉でした。西郷は鉄太郎を無我無私の忠胆の人といっています。
鉄太郎の母 無我至誠
高山で生まれた鉄太郎は剣と書と禅を習っていました。書道で母親に「忠孝」の意味を尋ねたところ、忠とは場所であったり、解釈もさまざまあるが、主君に仕えるということ。孝は親に仕えること。この二つは根本的に同じ意味合いがあるという。そして母様は私はいたらなかったから、お前は大事にしなければならないと語られたことがあったそうです。
山岡静山は槍の名手 鉄太郎の師
鉄太郎は山岡静山のことを槍の名人で内面的には忠孝仁義の人の道を究め、無我の境地に達していると評しています。山岡静山は鉄太郎のことを度量の大きい、菩薩様の再来と称しています。天下に名声をとどろかせるだろうと述べています。この人は二十七歳でなくなっていますが、妹お英は鉄太郎の気性に惚れこみ一緒になれなければ死ぬといったといわれます。生活に困窮していましたが、お英はそんなこととには驚きませんでした。噺家のお嫁さんはこんな人がいい。山岡家は小野家より石高がかなり下でしたが好きな師の山岡家を相続しました。鉄太郎は墓参を欠かしませんでした。夜に行くことが多く、和尚は鉄太郎がでかいため化け物と思ったそうです。それを弟の泥舟に伝えた。泥舟は正体を見届けようとある日雷雨の日に物陰から見ていると傘も差さずに大男がやってきて墓石に羽織を掛け、生きている人のように「先生鉄太郎はここにおりますから安心なさりませ1」これを見て感涙したということです。鉄太郎の至誠心をあらわすエピソード。勝海舟は静山の口にした言葉を紹介しています。「道によってなすことは勇気が出るが、我が策をめぐらせるときは何か気が抜けるといっています」山岡静山の木刀には「人に短をいう無かれ、己の長をとくこと無かれ」と刻まれていました。「人に勝とうと思うならばまず自分に徳を身につけよ。徳が勝れば敵はおのずと降参する。真の勝ちとはそのようなものだ」
府中 静岡市
家康が少年期と晩年をすごしたところ。十辺舎一九の生まれ故郷。徳川慶喜の隠居したところでもある。この街道に山岡西郷の会見場がある!安倍川を渡る。峠の過ぎたところに甘味があった。東林寺 お灸をしてくれる。旅人もここでお灸をしてもらったか。予防のお灸もした。命がけで伊勢参りをし、保版には駕籠ごと乗せて、馬が荷物をはこんでいます。安部川を渡ります。隷版には按摩さんが笛を吹いています。行版には山伏がいます。
鞠子(まりこ) 静岡市丸子 (府中〜鞠子)5.6キロ
とろろ汁が名物です。三枚にとろろが描かれています。 宇津ノ谷峠をこえて岡部に。 難所でした。細い道になり、軍勢がとおりにくかったはずです。芭蕉の句があります。「うめ若菜 丸子の宿の とろろ汁」
行版は「東海道道中膝栗毛」の弥次・喜多をモデルにしたようです。
岡部 静岡県志太郡岡部町 (鞠子〜岡部)7.8キロ 岡部から袋井まで歩行距離 42.2キロ
栄楽5泊目
宿泊場所 きくや 054-667-0151 6500円 11月10日 16:00着 11月11日 6:00
鞠子と岡部の間に宇津山があり、難所となっています。この道を蔦の細道と呼ばれています。細道を薪を背負った人を描いてます。行版には十団子を食べている人がいます。この岡部は山道の険しさと厳しさを感じさせます。
藤枝 静岡県藤枝市 (岡部〜藤枝)6.7キロ
保版は無料の幕府の荷物と正規の値段をとる荷物が入り混じっています。荷物確認等良く描かれています。また隷版は雨の中先を急ぐ人。背には田中城が見えます。傑作とされます。
嶋田 静岡県島田市 (藤枝〜島田)8.6キロ
嶋田と金谷は一里ですが、この間に大井川があります。「箱根八里は馬でもこすが、越すに越されぬ大井川」という言葉あります。大井川は赤石山脈に源があり、全長百八十五`です。一番の暴れ川といわれました。五万石で一五〇人七五〇〇〇石で一九〇人の供侍がいました。
金谷 静岡県榛原郡金谷町
落語会をどどーんと! 11月9日 19:00から旧山下呉服店で落語会
この場所は山下さんの実家のあるところです。山下さんはデザイナーですが、同じくデザイナー関徹郎氏の多摩美の同級生です。関さんが私の落語会に連れてきてくれました。
山下さん宅は旧街道に面していて、江戸の頃は呉服屋さんだったということです。呉服屋さんですから大広間があります。此処で落語会をひらく運びになっています。
11月24日千住神社で「栄楽伊勢の旅壮行会」が開かれましたが、山下さん夫婦が着てくださり、実家の報告を受けました。お父さんが落語会の段取りを付けてくださって、張り切って下さってるとのこと。ありがたいことです。
開催時間は確定していませんが、大体六時半くらいではないかと思われます。 山下さんのお父さん!開催時間に必ず到着します。よろしくお願いします。
山下さんのお父さんにお願いがあります。ここまで使うわらじは18足になる計算です。このわらじを燃料にしてお米を炊きたいと考えています。竈が何とかなりませんでしょうか。公の場を借りてお願いします。
日坂(にっさか) 静岡県掛川市 (金谷〜日坂)6.5キロ
金谷を過ぎると佐夜の峠をこえなくてはなりません。日坂よりに夜泣石があったそうです。昔妊婦が賊に殺されました。子供は幸いにして助かり、付近の人に水飴で育てられました。この子が成人して仇を討ったそうですが、母親の魂は傍の石に入り、毎夜泣くそうです。ここを通りかかった弘法大師はお経を上げたところ泣き止んだということです。
この絵に石が四枚とも描かれていますが、無間山も描かれています。ここにある無間鐘をつくと現世で無限の財をなすことができるが、あの世では無間地獄に落ちるそうです。地獄に落ちなければたたきたいものです。この鐘が山の中に埋もれているそうです。
掛川 静岡県掛川市 (日坂〜掛川)7.0キロ
山之内一豊のお城だった。この掛川から九里半(三十七`)で秋葉神社があります。住所は浜松市天竜区春野町にあります。秋葉山は標高八六六メートルです。その頂上に神社はあります。火之迦土大神(ひのかぐつちのおおかみ)が祭神です。この神様はイザナミの神さまが神産みをして最後にお生みになった神様です。火之神様だったため、いざなみの神さまはなくなりましたが、火之神様を祀っています。全国に八〇〇社の総本山になっています。七〇一年(大宝元年)に行基によって開山したとされます。昔は神仏習合でした。秋葉の名称は嵯峨天皇が寺に送った歌に由来しているとされる説と行基が秋に開山したためとも言われます。平安初期に戸隠・蔵王権現などで修行した三尺坊とい修行僧が秋葉山に来て開いたといわれる。江戸幕府は秋葉さんを庇護しました。綱吉の頃から全国区になりましたが、特に江戸は火事が起きましたので信心されました。「秋葉講」というのが組織されて、伊勢講のように人気を博しました。
与太郎話「牛褒め」に出てくる「秋葉様の火伏せのお札」はここが総本社です。保版は二瀬川にかかる大池橋が描かれていますが、以外は秋葉山と鳥居が描いています。隷版では田植えをしているようです。
一八六九年(明治二年)に暮に大火事がありました。明治天皇の勅命により明治三年に現在の秋葉原駅構内に鎮火社を勧請しました。しかし江戸っ子は秋葉権現を信心していたし、そそっかしいため、秋葉さんと呼びました。鎮火社は火除け地で秋葉っ原(あきばっぱら)といい、これで秋葉原になったということです。誤解から誕生した地名です。江戸っ子はそそっかしい。落語「雁風呂」「牛ほめ」
袋井 静岡県袋井市 (掛川〜袋井)9.5キロ 袋井から新井までの距離 38.9キロ
栄楽6泊目
宿泊場所 たたみや 0538 42 2020 11月11日 16:00着 11月12日 6:00発
袋井という地名は四方を丘で囲われ、袋のようであるからこの名称がついた。そしてこの中ほどは井戸がありました。それでこの地名です。静岡は凧揚げが盛んですがこの袋井はそのメッカです。保版は立て札に鳥が止まっていますが、それを男が見ています。
見附 静岡県磐田市 (袋井〜見附)5.8キロ
この宿は天竜川の渡しがりました。天竜川は諏訪湖に源を発し全長250キロメートルあるそうです。四枚とも渡し風景を描いていますが、保版の二艘をどーんと描き、煙管をくわえた船頭と棹を持つ船頭と最も際立ってうまく描かれています。
浜松 静岡県浜松市 (見附〜浜松)16.4キロ 赤坂までの歩行距離 42.5キロ
保版には枯れ田で大樹に寄り添い、焚き火している。この焚き火の煙と煙管をくわえてその煙がまっすぐに舞い上がって、なんとものどかな風景です。他の三枚は「さざんさの松」を描いていますが、能狂言に歌われています。足利義教がこの下で宴をもようしたといわれる。
舞坂 静岡県浜松郡舞阪町(浜松〜舞阪)10.8キロ
ここから船によって荒井に行きますが、浜名湖です。ここを今切といいます。ここは元々湖でしたが、一四九九年の地震で海水が入りました。行李を船に載せ優雅ですが、縦版では杭を見ることが出来ますが、これは地震で水の逆流を防ぐものです。
新井 静岡県浜名郡新居町 (舞阪〜新居)5.9キロ 新井から岡崎までの距離 45.6キロ
栄楽7泊目
宿泊場所 清風荘 053-594-0125 6300円 11月12日 16:00着 11月13日 6:00発
ここは船で渡ってくると関所があり、取調べの厳しいことで有名でした。隷版縦版には関所が描かれている
白須賀(しらすが) 静岡県湖西市 (新居〜白須賀)6.5キロ
四枚とも「汐見坂」を描いていますが、ここから遠州灘の砂丘と松林を見ることが出来る。また富士を望むことが出来る。保版では大名行列を半分描いている構図がおもしろいし、伊勢湾に浮かぶ帆掛け舟が雲と溶け合っているところが面白い。行版では旅人が煙管をくわえて眺めてほっとしているところが描かれている。
バイクで浜名バイパスを通り、浜名橋は大変景色のいいところです。橋をのぼって降りる時の景色のよさといったらありません。それから国道1号線から四二号線に左折し、伊良湖に向かいますが、その途中に汐見坂があります。ずーっと遠州灘を見ることが出来ます。
二川(ふたがわ) 愛知県豊橋市二川 (白須賀〜二川)5.7キロ
この宿は東が浜松・舞阪。西は御油・赤坂があるため、ここは小休止のための宿と考えられていました。柏餅を食べる人たちを描いている。二川本陣は一般にも公開している。この本陣はたいへん貴重な本陣。名高い本陣二川から吉田の途中に名産の豊橋筆がある。
吉田 愛知県豊橋市豊川(二川〜吉田)6.1キロ
現在の豊橋市です。豊川に橋がかかっています。豊川橋といいます。隷版には吉田神社のお祭りが描かれています。この神社は疫病の神様で疫病の流行り始める6月十五日が例大祭になっています。
御油(ごゆ) 愛知県豊川市(吉田〜御油)10.2キロ
この宿には百軒ほどの旅籠が軒を並べていました。店先では呼び込みは女の人であったようです。どの宿でも客引きはあったのでしょうが、保版にはその様子が描かれています。旅人が女の客引きに首を絞められているところがとってもユーモラスです。その様子を店の女が頬ずえをついて冷静に見てるところも面白い。宿屋の中には「彫工冶郎兵衛」「摺師平兵衛」とこのシリーズの彫り物師と摺り師が何気なく描かれています。隷と縦は女の人は渡しを怖がったので歩いた。これを姫街道といいました。それを描いています。
赤坂 愛知県宝飯郡音羽町
保版には旅籠の様子が描かれていますが、当時の旅籠の様子が良くわかります。現在この赤坂に大橋屋というはたごがあります。357年の老舗だそうですが、この宿の庭を描いたのではないかといわれます。そてつという植物があつたそうですが、今はありません。松並木が素晴らしい。行版では小田原提灯を下げて歩いている姿がある
藤川 岡崎市 (赤坂〜藤川)8.8キロ
保版には馬二頭に御幣が立っていますがこれは幕府から朝廷に献上の馬と思われます。町人が土下座していますが、犬が描かれているのがおもりろい。行版は藤川に入る手前の山中村を描いている。縦版は雪の藤川です。
岡崎 愛知県岡崎市 (藤川〜岡崎)6.6キロ 岡崎から宮まで32.4キロ
栄楽8泊目
宿泊場所 ビジネスホテルいとや 11月13日 16:00着 11月14日 6:00発
保版には木曾の山中から流れる矢作川にかかる矢作橋がえがかれる。この橋は東海道で最も長い橋です。全長二〇八間(三七九メートル)あります。この橋は秀吉が野武士蜂須賀小六とであったところといわれています。岡崎吉田は徳川の譜代大名のため橋が掛けられている。岡崎の法蔵寺には 家康が竹千代と呼ばれた時に学んだお寺ですが、ここには家康が描いた絵があります。
池鯉鮒(ちりゅう) 愛知県知立市 (岡崎〜知立)14.9キロ
保版にはこの土地で毎年四月二十五日から五月五日までの間馬市が開かれた。4500頭がつながれていたそうです。縦版は伊勢物語の在原業平が吾妻くだりをしたとき、ここで杜若を見て歌を拵えました。「かきつばた」をつかって「唐衣 きつつ馴れにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」この場所を描きました。
鳴海(なるみ) 名古屋市緑区 (知立〜鳴海)11キロ
鳴海は有松しぼりが有名です。四枚ともこの着物の店を描く
宮 宮から四日市までの歩行距離 37.5キロ
栄楽9泊目
宿泊場所 エクセルイン名古屋熱田 052-683-1611 5500円 11月14日 16:00着 11月15日 6:00発
宮宿とは熱田宿のことです。熱田神宮があります。ここには天照大神の分身の剣があります。御祭神は伊勢と同じです。旅人はここをお参りしました。神宮の中に塀がありますが、これは信長が桶狭間の戦いで勝ちそれを記念して熱田神宮に寄贈しました。保版は6月二十一日馬追祭がおこなわれますが、これを描いています。「七里の渡しを復活する会」当時は帆船です。三時間半の船旅でした。帆船は早いときには二時間、長いときには四時間かかったどうです。落語「桑名舟」
桑名 三重県桑名市 (宮〜桑名)28キロ
風向きがよければ二時間で到着するそうです。この場所が航路になったのは長良川・揖斐川・木曽川が暴れ川で街道を通しても壊れてしまうそうです。幕府はこの河川の工事を薩摩藩に命じました。
島津藩への無理難題
宝暦三年(一七五三年)幕府は琉球貿易により財力を得ていた島津藩を恐れて、揖斐川と長良川の治水工事をさせました。これを宝暦の治水工事といいます。工事費用は薩摩藩が全額負担。大工など専門職人は雇っていけないと条件付でした。藩の中に潰されるなら一戦交えることを主張の声が上がったそうです。この時の責任者が家老平田靭負(ユキエ)でした。一年半で完成させましたが死者が九四人の犠牲者が出ました。総事業費四十万両、現在の三百億円になるそうです。大阪商人から二十二万二九八両を借入しました。この時サトウキビを渡すことが条件としていたようです。奄美では大変厳しい環境におかれました。平田さんは大勢の死者を出したことと藩に負債を負わせた責任をとって切腹しました。享年五〇歳でした。岐阜県海津市油島に一九三八年(昭和十三年)に祀られています。治水神社。幕府の不当な処遇が倒幕の伏線になっているといわれています。
死者の数名は海蔵寺に葬られていますが、平田さんの銅像が建っています。鹿児島から出てきて国に帰ることがなくなくなった。 土地の人たちに「薩摩義士」とたたえられ、小学校の校歌になったりしています。
北・中央アルプスに源流を発する。水量が豊富。
四日市 四日市から松坂までの歩行距離 37.5キロ
栄楽10泊目
宿泊場所 四日市スーパーホテル 駅前 5289円 11月15日 16:00着 11月16日 6:00発
出光四日市支店を皆さんご利用を!
四日市ではどうしてもお礼を言わなければならないところがあります。四日市市の出光さんです。というのは9月のシルバーウイークに愛馬、バイク青に跨り、旧東街道の下調べに行っていました。日本橋からずーっと進み、四日市まできました。青はその頃、調子が悪い状態でした。四日市市に泊まり、朝六時にガソリンを入れ、伊勢に向けスタートしました。するとギアが壊れ、動かなくなりました。どうしようもありません。仕方がありませんから、ガソリンをいれた出光にいきました。すると店長、入野さんがバイク乗りでした。とんとん拍子に話が進み、高校時代から通っているバイク屋さんに修理に出してくれることになりました。私のバイクはスズキです。、入野さんのバイクもスズキみたいです。
修理するバイク屋さんは四日市から30分ほどの一宮市でした。スズキ専門店でした。後ほど情報が入りました。「青の修理代はクレーム扱いで無料!」でした。
出光四日市支店を皆さん、ありがとうございます。必ず顔を出します。待っててね
保版では笠が飛んでいっているのを追いかける様子が描かれています。もう一人は風に向かっています。名作とされます。隷版行版とも鳥居を描いています。山田まで一六里、62.4キロです。この四日市から石薬師の途中で伊勢に行く道が分かれています。
日永追分
ここで京都と伊勢にいく分岐点です。東海道四十四宿の四日市から四十五宿石薬師の途中に伊勢に向かう道、伊勢路があります。日永追分といいます。
神戸 伊勢街道 三重県
白子
上野
津
雲津
松坂 三重県松坂市(四日市〜松坂) 伊勢までの走行距離26キロ
栄楽11泊目
宿泊場所 松坂スーパーホテル 059-354-9000 駅近く 4980円
11月16日 16:00着 17日 6:00発
栄楽12泊目
伊勢 11月17日 14:00着
宿泊場所 皇学館会館 伊勢市楠部町字広瀬乙187-5 電話 0596-23-9316
※神宮会館から此処に変更になりました。
この両日中にお参りする予定です。お参りは紋付ハカマとなります。
11月18日
皇学館大学で13時より「江戸の芸能史」の講義
10月7日が1回目で、(1)(2)でした。18日は(7)(8)です。90分を二回の講義になります。今回は江戸の旅を体験を通して講義をします。落語には旅の噺があります。