あなたも庭師・番外編

2 ずくなし‐禁断の花
 

 秋葉山のずくなし(タニウツギ) 

 『ずくなし』と呼ばれる木があります。木の髄がやわらかい繊維質でできていて、普通の木のように芯がしっかりしていない。人で例えるなら、私のような怠け者の根性なし。それでついた名前が『ずくなし』なのです。
 その『ずくなし』。正式な名前は『タニウツギ』といいますが、新潟ではちょうど五月の田植えのころから、里山を赤く染めるように花をつけます。その咲き誇る赤い(濃いピンク)花は、遠くから見ると山が燃えているように見えるからなのでしょうか、『ずくなし』のほかにもうひとつ、『火事花』というあまりありがたくない名前をつけられ、火を呼ぶからと屋敷内に植えていけない忌まわしい木のひとつに数えられてきました。
 しかし一方で、『タニウツギ』を『正月花』と愛でている地方もあります。その鮮やかな赤が、まるで正月が来たようだと喜んだのでしょう。『ずくなし』、『火事花』とは大きな違いで、どこの家にも植えてあるおめでたい木のうちの一本なのだそうです。
 思い出のなかに登場する木々は、時に思い出のなかの人々に負けないくらい大きな役割を果たすことがあり、それがそのままその人の木への思い入れになることはよくあることです。少年時代の風景のなかにあった木々。忘れられない映画のなかで見た木。小説のなかで出会った木々。恋の季節を彩った木。そして子供の成長とともにあった木。人生の節目節目に登場する木々は、その節目の記憶とともに人々の心のなかに残っていきます。
 庭に植える木を選ぶとき、そのような思い出に残る木を選ぶのは至極当然のことといってよいでしょう。しかしもしその思い出の木が『タニウツギ』だったとしたら、当人にとっては当たり前のことのようにして選んだ木なのに、隣の家の人にしてみれば、『火事花』なんぞを庭に植えおって、なんて迷惑な、ということになりかねませんし、またお隣は『正月花』を植えたのね、と喜ばれることもあるのです。
 『ずくなし』、『火事花』と同じように、フジの花を、不治の病に通ずる、花が下に垂れ下がる様は勢いの下り坂を暗示しているといって敬遠する人がいます。ツバキの花の落ちるさまを、首の落ちる様子に似ているといって嫌った武士の禁忌を、そのまま信じている人がいます。ビワの木は首吊りの木だという人がいたり、かと思うと、ナンテンは、難を転ずるに通じるからと歓迎し、葉の形が人を招くようだからといってヤツデを植える。ことほど左様に、人の木々の価値を計る物差しは、その人の来し方を反映してさまざまで、なおかつ曖昧なものです。
 縁起であるとかジンクスであるとか、そんなもの取るに足らないと思いながら、ついついおみくじを引いたり、今日の占いに目を通してしまう。そんな経験は、だれにでもあるものです。それを迷信だなんだと他人がとやかく言う筋合いはありませんが、それと同じように、木々の良し悪しを記憶のなかの曖昧な感覚や、根拠のはっきりしない言い伝えで判断したからといって、それはその人の判断ですから、他人が口出しすべきものではありません。
 しかし口に出してこそ言いませんが、人は庭でその家の主人の価値観や、習慣、そして信仰心などを見ているものです。
 自慢の庭と思っていたのに、人に見せたがために、心のうちを見透かされてしまった。そんなこともあるかもしれません。そのことを恥ずかしいと思う人もいるかもしれませんが、人は人、庭は自分の楽しみのためにあるのですから、人の言葉など気にすることはありません。たとえそれが『ずくなし』でも、首吊りの木でも、自分の好きな木を植えれば良いのです。
 自分の庭に気に入らない木を植えるのはいやなもの。庭師に勧められたから、雑誌に載っていたから、といって植えたとしても、気に入らなければ決して愛着がわくものではありません。それはそうでしょう、庭は憩いの場所、憩いのときに一緒に酒を飲むなら『ずくなし』でも気のあったやつと。たとえその人がどんなに立派な人でも、気の合わないやつと酒は飲みたくありませんものねえ。
                                      (2005・5・25)
写真説明
花を気に入ってもらえて庭に植えたはいいが、『ズクナシ』の話をしたら植え替えてほしいといわれた、かわいそうなタニウツギ。

 白山公園のふじ棚、池の向こうには白藤が

こんなにきれいで重宝なおりこうさんの素材なのに、不治の病だなんて

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