新潟物語

16 白痴 ‐ 反骨の町

 新潟市の護国神社の参道の海側は小高い丘になっています。その丘はハゲ山と呼ばれ、子供たちにとっては護国神社に行くということはハゲ山に行くこと。つまりそこは近隣の子供たちはもちろん、ちょっと離れたところに住む子供たちにとっても格好の遊び場だったのです。
 そのハゲ山に、坂口安吾の石碑があります。
「ふるさとは語ることなし 安吾」
 いつできたのかわかりません。でも私が子供のころ、昭和三十年代の初めにはすでにそこにありました。
 故郷は語ることなし。小学生の私は、その石碑に彫られている言葉を、何となく変だなあと思っていました。
 故郷については、語ることが何もない。
 子供は、書いてあるものを字面どおりに読んでしまいます。自分の故郷のことなのに語ることが何もないなんて、もしかしたらこの安吾という人は、故郷が嫌いなのではないだろうか。そんな人の、そんな言葉の石碑を何で建てたのだろう。言葉の裏側にある意味や、裏を返した言い回しなど分かりようのない子供が、この言葉に、そしてこの言葉を発した安吾に、首をかしげても不思議はありませんでした。
 子供が抱く故郷への愛着など、他愛もないものです。自分の住む新潟の町を流れる信濃川が、日本一長い川だということが、訳もなくうれしい。ジャイアント馬場が新潟県出身と聞けば、それだけで誇らしく思う。逆に、高校野球ではいつも長野に負けてばかりで、甲子園に出ることもできないのが、無性に悔しい。その程度のことで一喜一憂する。それが子供にとっての故郷です。
 うれしい思いをいっぱいし、悲しい思いもいっぱいして、それが自分の人格を形作ってきたことに気づくのは、もうちょっと先のこと。そしてそういったさまざまな出来事の周りにあった風景、臭い、音、そして父や母や友達のことを思い出して初めて思う故郷が、「語ることなし」の故郷なのです。
 その坂口安吾原作の「白痴」が映画化され、新潟でロケをするというニュースを見て、久しぶりに坂口安吾のことが気にかかったのは、十年も前のことです。
 安吾ブームだったのでしょうか、そういえば坂口安吾の全集が文庫で出たり、「坂口安吾賞」という賞ができたり、その「坂口安吾賞」を作ったのは、安吾の出身地、新潟市でした。
 安吾賞は、新潟市が、坂口安吾のような、反骨精神の塊で、時代を読む力に優れ、そして創造力にあふれている人を選び、あなたはえらいと表彰する、そんな賞です。でも、反骨精神の塊のような人物が、「はいそうですか、ありがとう」と、お上からの賞をもらうとはとても思えません。それくらいのことはお役所でも分かりそうなものなのに、何で新潟市は、そんな賞を作ったのでしょう。賞金をはずめば、だれもが喜んで飛びついてくると考えたのでしょうか。どんな賞でも名誉は名誉、欲しがらない人はいないはずだと思ったのでしょうか。そして著名人が賞をもらえば、新潟市は文化に理解のある自治体として名があがる、とそんなふうにでも思ったのでしょうか。
 反骨とは、権威や権力とは正反対のところにある精神です。長いものに巻かれてたまるかという精神。理不尽な行いに抗おうとする精神。なにくそという精神。昔から、そういった精神が向かうところは、たいがい訳の分からない権威や、権力者の傲慢、頑迷へと相場が決まっていました。
「世の中に蚊ほどうるさきものはなし文武というて夜も寝られず」
 教科書にも出てくる、江戸時代の寛政の改革を皮肉った狂歌です。
 お上のやることに間違いはない。だから、お前たちはお上の言うことに従っていればいいのだ。いつの時代でも、権力者はそのように考えます。
 世の中のことを考え、大所高所に立ってまつりごとをしている。それなのに、民衆は事あるごとに逆らおうとする。不平不満を言い、それを煽る者まででてくる。この狂歌をみた松平定信のはらわたは、煮えくり返ったと思います。
 権力者は、庶民の文化をいつも自分たちの目の届くところに置いておきたいものです。一番よいのは、お上が文化を取り仕切る。そうすれば、庶民の気持ちを自在に操れ、なんでも自分たちの思うようにできる。とまあそんなふうに、松平定信は庶民のことを見下し、舐めてかかっていたのでしょう。文武、文武は、とかく贅沢をしたがり、風紀を乱そうとするおろかな庶民に節約を勧め、道徳の何たるかを教え示す掛け声です。でも江戸の庶民は、そんな窮屈なもの、はなからご免こうむる。お上の意に沿わないといって取り締まられても、膝を折ったりしない。次から次へと新しい趣向を考え、自分たちの生きる証を残そうとしたのです。
 元来、権力と庶民の文化は相容れないものです。お上が望む文化など、庶民にとっては余計なお世話。お仕着せの窮屈で退屈極まりない文化など、迷惑以外の何ものでもありません。
 それをお上は分かっていなかった。そういうことは、人類の歴史が始まって以来何度も繰り返してきたことなのに、ちっとも学習していない。北斎や、京伝、春水たちの仕事がなぜ実を結び、なぜ今にまで伝わっているのかが分からない。彼らが、彼らの反骨心が歴史を作るなど、これっぽっちも想像できなかったのです。
 北斎たちはみな、反骨の塊でした。今生きていれば、間違いなく「坂口安吾賞」に選ばれておかしくない人たちばかりです。でも彼らはきっと、そんな賞はご免こうむるというに決まってる。いえ、もしかしたらちゃっかり賞金だけはもらって、そのお金でお上の野暮天ぶりを笑い飛ばす手立てを考えるかもしれません。
 時代が替わって平成の世の中になっても、お上のやることに変わりはありません。文化文化と、文武と変わらぬ掛け声をかけ、これぞ文化というものを市民に教え示す。美術館を作り、そこで立派な催し物をする。賞を設けたり、芸術祭をひらいたり、健康で文化的な生活の実現のために、その道筋をつけようとします。
 そのお上のとなえる平成の文化では、市民参加で仲良く楽しくを忘れてはなりません。みんなで仲良く文化に触れて、健康で文化的な生活を送る。かつて様々な文化が成熟するときに必ずついてまわった、命がけだとか、葛藤だとか、緊張感だとか、そういったぎりぎりの精神状態などは時代遅れ、そんなものは一部の芸術かぶれに任せておいて、健康な市民は、ぬくぬくと暖かいぬるま湯に浸るのが、新しい文化のありよう、とどうやらお上はそんなふうに考えているようです。
 安吾の「白痴」に、「文化映画の演出家の心得ているのは時代の流行ということだけで、自我の追求、個性や独創というものはこの世界には存在しない」という一文があります。文中の自我の追求、個性や独創は映画のことをいっているのですが、それらは何も映画に限ったことではありません。絵画や文学といった表現活動はもちろん、人のありよう、暮らしのありよう、町のありよう、そういったいろんなことについてもいえることです。
 人がその人のそれぞれの環境のままに生きれば、おのずとその人の生き方は、個性的なものになるはずです。町が、その町を取り巻く環境のままに営まれれば、その町は、黙っていても個性的な町になります。
 新潟は、反骨の人坂口安吾を生みました。しかしその新潟は今、文化文化の掛け声とともに、市民を文化のぬるま湯づけにしようとしています。でもそれはもしかしたら、こんなぬるま湯やってられないという反骨心をはぐくみ、第二の安吾出でよと期待する、お上の親心なのかもしれません。だとしたら市長は、反骨の町という個性的な町を目指す、まれに見るたいした市長だと言わざるを得ません。
 ところで、映画の「白痴」のことです。
 安吾の美しい白痴は、最後、いびきをかいて寝ている豚でした。でも手塚眞監督の白痴はお人形。お人形の残像を残したまま、醜さを少しも見せることなく終わっています。それが手塚監督の独創だとしたら、それはそれで結構ですが、私には、何だかなあ、です。
 そして最後にもうひとつ。
 敬愛するデューク・エリントンは、新潟市の名誉市民です。それは彼が、新潟地震のときチャリティーコンサートを開き、百万円近くの売り上げを新潟市に送ったからですが、そのエリントンが、こんなようなことを言っています。ジャズミュージシャンは、お上に援助してもらうようなことをしてはだめだ。そんなことをしたら、その瞬間からそいつの音楽はだめになる。
 まさにエリントンは反骨の人。「安吾賞」にうってつけの人です。まあ、エリントンは、「安吾賞」も賞金の三百万円も、見向きもしないでしょうけどね。
                                (2010・9・25)

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