流民烈伝  朝倉俊博に

 優れた写真には、その写真を説明する文章などなくとも、十分に人に訴えかける力があるものです。そして優れた文章もまた、読むだけで、まるで目の前でさまざまな出来事が繰り広げられているかのように、イメージを膨らますことができます。
 そんな優れた写真に文章がつく。あるいは優れた文章に写真がつく。別々の表現方法である写真と文章が一緒になったとき、一足す一が二ではなく、三にも四にもなるような、思いもかけない効果を生むことがあります。
 新潟日報から写真つきのエッセイを書きませんかという話があったとき、私の頭を過ぎったのは、朝倉俊博さんの名作『流民烈伝』のことでした。『流民烈伝』は、カメラマンの朝倉さんが三十年ほど前に『アサヒグラフ』で連載していたルポルタージュで、その低い目線で社会を捉えた刺激的な写真と文章は、まさに優れた写真に文章がつくといったしろもの。当時まだ二十になったばかりの私は、その写真にも文章にも大きな影響を受けたものでした。
 その朝倉さんが亡くなったという知らせを、新宿の居酒屋池林房の店主太田篤哉さんからもらいました。実は朝倉さんとは、三十年前、ふとしたことで知り合って、以来新宿を飲み歩くようになった間柄でした。その後私は新潟に帰り、朝倉さんとは思い出したような行き来だけになりましたが、朝倉さんが気になる存在でありつづけたことに変わりはありませんでした。
 十年ほど前、朝倉さんが今こんなものを撮っているといって、『科学朝日』のなかの顕微鏡写真を見せてくれたことがありました。その前からすでに朝倉さんが、『流民烈伝』のような、いわゆる社会派といわれる写真から遠ざかっていることを知っていた私には、これがまた面白いんだ、と言ってページをめくる朝倉さんに、何と言葉を返してよいかわかりませんでした。
 なぜ撮らなくなったのか、あるいは撮れなくなったのか。本当の理由は分かりませんでしたが、居合わせた客に、なぜ撮らないの、また撮ってよと言われ、もうやめたとも言わず、また撮るとも言わず、そして今も撮っているとも言わないで当惑する朝倉さんの顔が忘れられません。
 ちょうどそのころ朝倉さんは、しきりとスタン・ゲッツがいいと言っていましたが、私には退屈極まりないスタン・ゲッツの演奏を、なぜ朝倉さんがいいと言うのか分かりませんでした。顕微鏡写真も写真。もしかしたら朝倉さんは、ゲッツに自分の姿を見ていたのかもしれません。
 私が依頼されたコラムは、自分で庭を作りたいと考えている人にプロからのアドバイスをという、半ばマニュアルのようなエッセイですが、しかしそれでも写真つきのエッセイということに変わりはありません。マニュアルも文章。窮屈な制約のあるなかで、いかにして自分の文章を綴っていくか。朝倉さんが、顕微鏡写真を面白いと言った意味が、なんとなく分かったような気がします。
 私に朝倉さんの気持ちを動かすような文章が書けるようになったとき、酒の席で交わしたスタン・ゲッツとジェリー・マリガンはどちらが食わせ物かといったような会話を、写真と文章で交わしてみたかった。
 朝倉さん、残念です。
                          (2004・6・27)

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