庭師の歳時記

6 楽になる草 ‐ 「暮らしの知恵」身近に

 少年時代を過ごした家の隣に、漢方の薬局がありました。一見普通の民家のようにも見えるその薬局。しかしガラス戸越しになかをのぞくと、とぐろを巻いたマムシや巨大なムカデの標本が、まるで生きているかのような姿でこちらをにらみつけ、小さな引き出しのいっぱいついた箪笥の上には、ガラス瓶に入った白く長いひげ根を蓄えた朝鮮人参。壁にはツボの記された人体図がかかり、どれもみな少年の好奇心をくすぐるに十分なものばかりでした。
 ガラス戸を開け一歩なかに入れば、漂ってくる漢方薬の独特な匂い。少年には、そこはまるで魔法使いの秘密の部屋のように思えたのでした。
 漢方薬の九割は植物から作られているのだそうです。それは人々の暮らし、特に食と植物のかかわりを考えれば、なるほどとうなずけるものです。人々は、普段の食生活を通し、また時には偶然に、そしてあるときには最愛の妻や母親を実験台にして薬となる植物をみつけてきたのです。
 『薬』とあらたまらなくとも、昔から私たちの身の回りには、庭にそして家の周りに生えている植物を用いて、怪我や病気を治したり予防したりする、植物を使った暮らしの知恵がたくさんありました。
 小さな頃しょっちゅうお腹をこわしていた私は、祖母が青梅のおろし汁を煮詰めてこしらえてくれた梅肉エキスのお世話になっていました。祖母はまた、決して体が丈夫とはいえなかった母の滋養のために、アカマツの新芽の発酵酒を作ってくれましたが、祖母が亡くなり、私がこの仕事についてからは、その発酵酒の材料の調達係が私になったのは言うまでもありません。
 悪さをしてすえられた大嫌いなお灸のモグサも、どこにでも生えているヨモギです。そして大好きな笹団子の餅に入っているのもヨモギ。そういえば菖蒲湯の菖蒲にもヨモギが添えられていました。
 そうそう菖蒲湯の菖蒲は、カキツバタや花菖蒲と同じ仲間だと思っていたのですが、あれはまったく別の種類のものだったのですね。
 草冠に楽と書いて薬と読みます。楽になる草もあれば、楽しくなる草もあります。なかには毒を持っていたり、楽しくなりすぎてお縄をちょうだいする草もあって、そうなるともう『人間やめますか?』の世界。魔法使いにならまだしも、くれぐれも悪魔に魂を売り渡すことのないよう気をつけてください。
                                   (新潟日報 2006・6・16)
写真説明
菖蒲湯には使えないが、根が痰を切る薬になるカキツバタ。

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