庭師の歳時記

16 縄文人の食卓 ‐ 日本人の美食の始まり
 

 初めてナマコを食べた人は偉い、とナマコの大好きな私は思います。あの巨大な芋虫のような姿を見て、これを食べてみようと思う勇気。その勇気のおかげで、私たちは今おいしいナマコの酢の物をいただけるのですから、初めて食べた人には本当に感謝しなくてはなりません。
 ナマコばかりでなく、どんな食べ物にも初めて食べた人がいます。日本人の食卓に欠くことのできない米もそう。初めて稲の実を食べ、それが食料になることを知った人がどこかにいました。鳥がついばむ様子を見てまねたのでしょうか。もしかしたらぎりぎりの飢えのなかで、目に付いた草の実に手が伸びた。それが稲だったのかもしれません。その探究心、その偶然があって、今私たちは、あったかいご飯をいただけるのです。
 日本に稲が渡ってくる前の縄文時代の人々は、クリやクルミ、ドングリなどを食べていたことが知られています。ドングリは、シイやナラ、カシなどの木の実です。そのなかのマテバシイとウバメガシのドングリを食べたことがあります。マテバはまあまあの味でしたが、ウバメはとてもおいしいといえる代物ではありませんでした。
 そのドングリのなるシイやカシが、庭や公園に植えられています。しかし、秋が来てドングリがなっても、せいぜい爪楊枝を刺してコマを作るおもちゃの材料になるだけです。
 米の登場とともに、ドングリは食の主役から、引きずりおろされてしまいました。それは米が、栽培によって毎年安定して手に入れることができるということ、そしてそれ以上に、米の方がドングリより遥かにおいしかったからです。今に至るまでずっと食べつづけられているクリやクルミと比べて、正直ドングリはおいしくないですもの。
 うまいまずいで消えていった食材。もしかしたら、米の登場とドングリの退場は、日本人の美食と、それに伴う飽食の始まりだったのかもしれません。
 何かとてつもなく不幸な出来事が日本を襲い、米がなくなるようなことが起こったら、そんな時、ドングリは再び日本の食卓に上るのでしょうか。かつて学校の校庭がカボチャ畑になったように、庭がドングリ林になる。そんなことはもう二度と起こらないとは思いますが、もしそんなことになって、今日の晩御飯は、ドングリとナマコなんてことになったら、私は喜んでいいのか悲しんでいいのか分かりません。
                               (新潟日報 2006・10・20)
写真説明
マテバシイのドングリ。野趣があって、おいしいという人もいる。

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