庭師の歳時記

33 南方熊楠の試み ‐ 根瘤バクテリアとの共生

 バブルがはじけると、それまで開発一辺倒だったのが手のひらを返したように自然保護。良いことだとは思うのですが、こうまで極端だと、その反動でいつの日かまた開発なくして夜も日も明けぬ時代がくるのではと、まあそんなふうに考えてしまうのは老婆心です。
 その自然保護ブームのなかで、その先駆者として脚光を浴びたひとりに、南方熊楠がいます。世界遺産になった熊野古道周辺の自然が、明治の終わりのころに乱開発の波にさらされようとしたとき、その開発阻止の先頭に立ったのが南方熊楠。つまり、南方がいなければ、熊野古道の世界遺産はなかったのです。
 博物学者にして民俗学者、そして植物学者でもあった南方熊楠は、パルモグレアという藻で、空気中の窒素を固体に変える研究をしていました。窒素は植物の生育に欠くことのできない大切な肥料のうちのひとつです。その窒素肥料をただ同然で手に入れようというのですから、もし南方がその研究を成功させていたら、化学肥料のなかったその時代、南方はきっと世界の農業を支配していたに違いありません。
 南方熊楠はパルモグレア藻で窒素の生産を試みましたが、もし彼が庭師だったら、ニセアカシア(ハリエンジュ)で窒素を作ろうと考えたに違いありません。
 今、白い花を咲かせているニセアカシア。実はニセアカシアを始めとするマメ科の植物の多くは、その根に根瘤バクテリアがつきます。その根瘤バクテリアが、空気中の窒素を、植物の吸収できる固体にするのです。
 新潟の海岸にそってつづくクロマツの砂防林には、ところどころにニセアカシアが見え隠れしています。それは、ニセアカシアのそういった特性を利用して、肥料代わりに植えられたもの。それが、林が立派に出来あがると、今度はマツの邪魔になるからと厄介者扱いです。確かに、マツを圧倒する勢いで育ち、切っても切ってもまた生えるニセアカシアは厄介な代物ですが、肥料をたっぷりともらって育ててもらったうえでのこの仕打ち。ニセアカシアは哀れです。
 窒素を工業でではなく農業で生産しようとした南方熊楠の試みは、生産性であるとか利便性であるとか、そういったものが優先するこの時代では、まるでおとぎ話のようなものかもしれません。でもおとぎ話だからこそ、これからを暗示する寓意に満ちていて、やはり南方熊楠は只者ではありません。
                                (新潟日報 2007・6・1)
写真説明
松林のなかで咲くニセアカシヤは、厄介者扱いにされても、このまま死んでしまいたいとは歌わない。

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