庭師の歳時記

34 逢魔が時 ‐ 花が誘う幻想の世界

 花に誘われる、といいます。
 卯の花(ウツギ)の甘い香りに誘われる。バラの花の妖艶な赤に誘われ、ボタンの優美な紫に誘われる。野や山に群れをなして咲く花の、その目もくらむばかりの光景についふらふらと誘われて、花には、人の心を魅了する不思議な力があります。
 花が誘っているのか、人が惑わされるのか。人は花が誘うといいますが、花にはそんなつもりは毛頭ありません。花が誘っているのは、虫であり、鳥であり、子孫を残すために受粉をしなくてはならない、その手助けをしてくれるものたちを誘っているのです。
 人が誘われていると思うのは、勘違いです。あの女性は私に気があるから笑顔を見せてくれているのだと思えば、自分こそがかの女性にふさわしい男であると思う勘違い。でも彼女が微笑んでいたのは、私にではなく、まるで歯牙にもかけていなかった男。
 まあ、世の中そんなもんです。
 人も誘えないようでは虫は誘えない。花がそう思っての手練手管かどうかは分かりませんが、その道理が分かっていてなお誘われていると勘違いするだけの魅力が花にあることに、異論のある人はいないと思います。
 花が誘うということの後ろには、子孫を残すという、必死で生々しい現実があります。しかし、人間にとっての花は、その生々しい現実を離れた幻想の世界。誘われて導かれたところは、夢の世界であり、あやかしの世界なのです。
 一面のツツジの原で、その花に誘われるように時を忘れ、帰り道を見失った少年が、魔の現れるという逢魔が時に迷い込む。泉鏡花の「竜潭譚(りゅうたんだん)」という話です。
 少年が逢魔が時に出会ったのは、面(おもて)けだかく、眉あざやかに、瞳すずしく、鼻やや高く、唇の紅なる、額つき頬のあたり臈(ろう)たけたる美しい女性。鏡花の小説に登場する女性は、みなこの世のものとも思えない女性ばかりですが、この、少年がツツジに誘われて出会った女性もそう。こんな花のような女性、今のご時勢には、まず夢のなかででもなければお目にかかることはありません。
 花に抱く幻想の世界は、人間が人間のために思い描いたものです。花にしてみれば、勝手にしろとも、いい迷惑とも思うのでしょうが、水をやり肥料をやって大事にしているのですから、それぐらいの夢を見ることは、大目に見て欲しいものです。
                                (新潟日報 2007・6・15)
写真説明。
新潟駅で、ふと迷い込んだ道に咲いていたサツキ(ツツジ)の一群。この先の道をゆくと、どんな素敵な女性が待っているのだろうか。
 

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