庭師の歳時記

38 縁日のホオズキ ‐ 夏に遊んだ朱色の実

 浴衣姿の子供たちが、兵児帯を揺らしながら駆け抜けてゆきます。右手をしっかりと握り締めているのは、その手にお小遣いが握られているのでしょう。何を買うのか、何で遊ぶのか、子供たちにとって祭りの日がハレの日なのは、今も昔も変わりません。
 金魚すくい、綿飴、ぽっぽ焼きにヨーヨー釣り。輪投げがあり、射的があって、見世物小屋がある。ずらりと並んだ植木屋には、季節の花が咲き、と思って縁日に行ってみれば、近頃の縁日は、植木屋などはほんの二、三軒。ほとんどが食べ物屋で、それもタイあり、トルコありと国際色豊かな、私が子供のころとはまるで様変わりしていました。
「この五葉松は、お父さんが蒲原祭で買ってきたの」
「このカキの木は、白山祭で買ってきたんだ」
 かつて、庭木を買うといえば、お祭りの縁日と決まっていました。苗木を買ってきて庭に植える。それが大人の、ハレの日の楽しみのひとつでした。今では園芸店が増え、ホームセンターでも庭木を扱い、庭師、植木屋に頼めば、おあつらえ向きのものを用意して植えてくれる。縁日に植木屋が少なくなるわけです。
 私の記憶が定かなら、夏の白山祭の植木屋に朱色に色づいたホオズキの鉢が出ていました。もしかしたら、東京浅草のホオズキ市の記憶があって、それとごっちゃになっているのかもしれませんが、新潟でも、ホオズキが夏の子供たちの遊びのひとつだったことに違いありません。
 朱色に熟したホオズキの実を、ゆっくり丁寧に揉んで中身をやわらかくする。その柔らかくなった果肉や種を、ヘタのところに開けた小さな穴から外に出し、空になったホオズキの皮を口に入れて舌で押す。
 キュッ、キュッとか、ギュッ、ギュッとか、上手な子は、いつまでも口のなかで音を鳴らしつづけるのでした。
 こらえ性のなかった私は、柔らかくなる前に中身を出そうとするものですから、すぐに穴が裂け、そうなるともう音は出ません。ホオズキは、私にとって忌まわしい子供のころの遊びの記憶のひとつでありました。
 縁日はすっかりと様子が変わり、私の縁日は、遠い記憶のひとこまになってしまいました。それはそうです、今は毎日がお祭りのような日々。どこに行ってもイヴェントという縁日があって、もう縁日など、特別なことではなくなってしまったのかもしれません。
                               (新潟日報 2007・8・3)
写真説明
井戸端にホオズキの鉢が。今、ホオズキで遊ぶ子供などいるのだろうか。新潟市西堀前一にて。
  

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